CORKSCREW Diaries(米国編)
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2002年01月15日(火) 昨日と今日と明日を駆ける旅の出来事


僕は旅をしてきた。
今回もかけがえのない旅だった。
若いうちは、リゾートで休養するのもいいけど、
自分の経験値を上げていくような旅がしたい。
それは例え艱難辛苦を極めたとしても、
きっと僕の将来にプラスになるはず。

今回の旅も、
王侯貴族の如くガイドと車をチャーターして回った二日間よりも、
モトバイ(バイクタクシー)の後ろに二人乗りして、
5時間も炎天下の下泥だらけになりながら、
ジャングルの中の遺跡「ベンメリア」まで行った
最終日の方が心に残っている。

セイン・・・モトバイの運転手の名前だ。
22歳。若い。
体力がなくてもう大変だったけれども、
それでもなんとか楽しい旅が出来たのは彼のおかげだ。
彼の運転は安全だった。
むやみにスピードも出さない。
そして英語も上手い。抜群に上手い。
彼の英語はわかりやすかった。
真面目な好青年だった。
もっともっと彼とも話したかったけど、
僕には残念ながら時間がなかった。

旅の日の出会いは一期一会。
チャンスを逃したら二度とめぐりえない。
次は二度と会えない可能性の方が高い。
だから出会いは出来るだけ大切にしたい。
僕はまたセインと会って話がしたいと思う。
彼とはきっといい友人になれるだろう。
友達になるのに、年齢も目の色も肌の色も国籍もコトバも、そんなもの全然必要じゃない。
大事なのは気持ち。
友達になりたいと言う気持ち。
この気持ちを忘れないうちに、また僕は旅に出ようと思う。



2002年01月14日(月) 胸いっぱい


無事に帰国してきました。
無事じゃないのはお腹の具合と体調ぐらい(全然無事じゃないって?)
とは言えここは日本。
なんとでもなります。
何と言っても病院勤めだしね。
困ったら職場で倒れようっと。

本当はカンボジアからも日記を書くつもりだったんですが、
今回一人旅の割にはなんか死ぬほど忙しくて、
インターネットルームに行くヒマなし。
帰りのバンコクでは完全にへろへろだったし。
英語の日記の誤字等はどうかご容赦下さい。
しかし世界の何処からでもメールが見られるなんて便利な時代が来たもんですね。ホテルの衛星放送でも日本のニュースが見られたし。
ちょっと前では考えられないってもんだ。

また今回も旅日記を作成します。
お楽しみに。
今回も色んなところで色んな出会いがあって、
本当に胸いっぱいで帰国です。
体調さえ維持できたら完璧だったんだけどね。
また行きたい。
遥かに遠いシェムリアップのことを考えながら、今日は寝ます。



2002年01月13日(日) アンコール・ワット紀行3 セインとの想い出(2/15加筆 一応完結)


アンコールワットの歩き方3


セインと出会ったのはシェムリアップ国際空港だった。
カンボジアの地に降り立った時、辺りは既に真っ暗。カンボジアに二つしかない国際空港の一つだなんてお世辞にも言えないシェムリアップ国際空港は、空港設備を建設中らしく、売店も無ければタクシーチケット売り場も無い所だった。

おいおい、タクシーチケット売り場あるって言う話だったじゃん。無いやんこれ。どうすんねん>俺。
異国の地に降り立って、そんでもって自分一人しかいないって言うのはこういう時にすごく不安になるものだ。アジアにありがちなタクシーや宿の勧誘は獲物を見つけたとばかりに群がってくる。やはり最初ぐらいは多少高くてもパブリックな機関で売られているタクシーを使った方がいい。
・・・よく見ると空港の建物の外にタクシーチケット売り場はあった。ほっと一安心。空港から市内まで、バイクだったら1ドル、車だったら5ドルだった。バイクタクシーはちょっと怖いかな、なんて思っていたくせに、値段の安さと好奇心に負けて、ついつい「モトバイで!」と言ってしまった。学生ん時から友達のバイクに乗せてもらうの好きだったから、バイクの後ろが気持ちいいのは知ってんだ。風を切って走るのは本当に気持ちいい。

そこでバイクで僕をシェムリアップ市内まで乗せて行ってくれたのが、セインだった。
セインと僕はこうして出会ったんだ。

空港から街までは、電灯が一つも無かった。
真っ暗な夜道を僕はセインが運転するモトバイで走って行った。
乾季の夜空は雲一つ無くって、月と星がとても綺麗だった。
オリオン座が僕を迎えてくれている。
オリオン座って日本では寒空の下でしか見たことが無かったけど、
夏の夜空(あくまで日本人の感覚的に言うとだけど)で見るのはなんだかとても不思議な気分だった。

今回の旅は一日目、二日目はガイドを既に契約しているんだけど、
三日目の予定はまだ決まっていなかった。
実は行きたいと思っていたところが僕にはあった。
「ベンメリア」ジャングルの中に埋もれたままの遺跡だ。
すごいところらしいとインターネットで知って、出来れば行きたいと思ってたんだ。
それをセインに話したら、「連れて行ってやるけどどうや」って言われた。
さすがに即答は避けたけど、心は、連れて行ってもらおうかな、なんて考えてた。
答えは、慎重を期さなければならない。
なぜなら、ここは海外だから。安全に旅することも、大事なこと。


とは言うものの、現地でいろいろ話を聞いてみた結果、
まあいいんじゃなないの? って言うことで、ベンメリアに連れて行ってもらうことに決定。
モトバイを飛ばして行く、この魅力に抗しきることも出来なかったし。
1月13日の朝に、ホテルに迎えに来てもらうことに。


実は前の日の晩、全然眠れなかったんだよね。
疲れを取るためにやってもらったマッサージは、確かに体をほぐしてくれたんだけど、
なんか体前体が火照ったような感じになって眠れなかった。食事を食べ過ぎたって言うのもあるみたいで、どうも現地の香草があわなかったらしく、お腹がぐるぐる鳴っていたし。カラダはものすごく疲れていたのにも関わらず、眠れない夜になってしまった。

・・・マズい。
僕のカラダは無理しちゃダメだと言っている。
でも今日はカンボジア最後の日なんだ、無駄にはしたくない。折角だからベンメリアに行きたい。
また来るって言っても次はいつ来れるかどうか分かんねえし。
結局、強行することにした。
その結果待っていたのは、地獄のような強行軍だったんだけど・・・。
でも最初に言っておく。
修行僧みてえなことやっちまったけど、後悔は無い
寧ろ、行って良かったって。本当に思っている。



そういうことで、僕らのベンメリア行きは始まった。
シェムリアップからベンメリアまでは直線距離にして60キロメートルある。
時間は2時間・・・と言う話だったが、やっぱり2時間で辿り着けるような距離ではなかったのである。

最初は良かった、日本政府が舗装したきれいな道を僕らは走って行くことが出来たから。眼前に広がるカンボジア的風景を眺めめながらモトバイは進んで行く。風を切って走るのって本当に楽しい。体調はちょっと今一つだったんだけど、今日はいい一日になりそうな予感がした。
・・・この時までは。

途中から道の舗装が無くなった。
むき出しの赤土の道に変わる。
とはいえここは国道。
ピックアップトラックがもうもうと土煙を立てて僕らを追い抜いて行く。
その土煙たるや、シャレになんないぐらいで、もう全身土まみれになってしまった。
モトバイで来たことを、ちょっと後悔。
しかしここまで来た以上は引き返すわけにもいかない。
でも駄目もう。体力の限界。ここに来て寝不足が僕のカラダに重くのしかかってきたみたい。
外の景色を楽しみたかったんだけれども、埃が激しすぎて眼開けることも出来ない。
「セイン、駄目だわ、ちょっと休憩しよう」って僕はセインに言った。
マジもう限界だった。これ以上走ったらおかしくなりそうだった。


とは言うものの、なかなかいい場所が無い。
なんだかお腹の調子も悪いみたいだ。どうやら昨日食べた鍋の香草が合わなかったらしい。
さらに30分程走り続けてやっとのことで休憩場所に辿り着いた。
一時間半ぐらいしか走ってないのにこんだけへばってしまうとは・・・。
先が思いやられる。
喉が渇いたからコーラを飲んだ。
お腹は飲み物以外何も受け付けようとしない。
完全にダメな時のパターンに陥ってしまっている。
しかしここまで来た以上、引き返すっていう選択枝は僕には無い。
何がなんでも行ってやると決意。


そして国道から逸れて、ついにベンメリアに向かう道に入る。
舗装など無いが、乾いた土である程度整備されていて、走っててもほとんどストレスは無かった。
大きな車が対向車線で来るわけでもなく、せいぜいモトバイか自転車程度だから埃にまみれることも無い。周りを見渡すとカンボジア的農村風景が広がってとても美しい。
日曜日ってこともあり、仏教の儀式がやっていた。
近くの子供たちが、「バイバーイ!」とか「ハロー」とか言って手を振ってくる。
ちょっと照れながらも手を振り返す僕。
子供たちはあどけなくて可愛い。
都市の子供は「1ドル!」とか言ってきたりしてかなりげんなりするのだが、
農村部の子供たちは本当にかわいらしい。
これで僕の体調さえ良ければ良かったんだが・・・
ただ、この頃は大分調子を持ち直してて、外の景色を眺める余裕はあった。


ベンメリアに到着したのはもう11時も過ぎようかとしていたときだった。
長かった、長すぎる。もう限界。これだけの距離を帰りもモトバイに乗って帰ると思うとぞっとするぐらい。
が、遂にここまでやってきた。
遺跡の入り口は、一見、何かが有るようには見えなかった。
アンコール遺跡群のようなチケットチェックは無く、入り口の兵士に4ドル払う。
これが入場料のようなものらしい。
兵士の他に子供たちもいて、僕とセインに付いて来る。
セイン言わく、「彼らは僕の友達やねん」だって。
ずいぶんかわいい友達だ。うらやましい。
お金を請求してくるわけでもない。まあ普通はそうなんだけど。
日本の飴をあげたりして、一緒に歩いた。

そしてベンメリアは・・・すごかった。
ジャングルの中に放置しされたままの遺跡。
それがそっくりそのまま残っているのだ。
木の蔦が遺跡に絡まっている。
瓦礫の中を、僕らは飛び跳ねながら進む。
探検気分で。
一歩間違えれば事故にもつながるような場所だが、これはすごい。
タ・プロームなんて比にならない。
地獄のような道を走ってきた甲斐はあった。
瓦礫の山と言うのはそれはそれで素晴らしい。リアルである。
自然の力と言うものはそれほど強大なもので、
人工の物などやはりいつかは崩れ去ってしまうのだ。
それでも今なお残っているものは、メンテナンスを施してきたからにほかならない。
ベンメリアは筆舌に尽くし難いと言う感じであり、これはやっぱり文章で語り尽くせるものではない。
だからベンメリアの描写はここで筆を置くことにしよう。

ベンメリア周辺はまだ地雷が残っているらしく、
地雷除去の作業をする人が周辺を歩いていた。
これも本当にリアルな風景で、この国の内戦の傷がまだ癒えきっていないことを物語っている。
地雷探知器なんてものを生で見てしまうと本当にリアルすぎてぎょっとしてしまう。
そして地雷を踏まないように人の通った道の上をを慎重に歩いた。
現地の人はよくぞまあ普通に歩けるもんだ。



そうしてシェムリアップへ戻る。帰りは、ちょっと遠回りになるものの、
「東洋のモナリザ」でバンテアイ・スレイを見てから戻る。
ベンメリアまで行ってしまったからもうバンテアイ・スレイは無理だろうなんて思っていたけれども、
ついでに寄ってもらえるのは大変ありがたい。
が、帰りの道は行きにまして地獄の行軍だった。
日はそろそろ高く上って来ていて、灼熱の太陽が僕を照らしつける。
体の調子は、いよいよをもってヤバくなってる。
食欲は全く無い。ただ水分のみをカラダは欲している。
モトバイの後ろで僕は座ったまま眠ろうとするがもちろん眠ることなど出来なかった。
30分乗っただけでもう何時間も乗っているような気分になった。
行きと違って帰りは結構対向車もやって来て、そのたびにもうもうとした土煙をあげて走っていって、僕は苦しくてもうどうしようもなくなるんだけど、さすがに場所が場所だけにどうにもならない。
が、1時間も走ったらもう限界に達して、またも、
「セイン、休もう」と提案。
が帰り道は行き以上に休憩ポイントが無い。
村とか集落も無いありさまで、休憩できたのは提案してから30分も過ぎてからだった。
セインが昼食のパンをくれたけど、半分かじっただけでもう限界だった。
食べられない。
頭がガンガンしてて、体はもうふらふらだった。
どうしようもなくなって、ハンモックで30分、仮眠させてもらった。
「セイン、ごめん、寝させて」って言ったら、
その休憩所にあるハンモックを使ってもいいよって言うのだ。(そこのお店のやつだと思う)
ハンモックで寝るなんて当然のごとく初体験。
なんだかゆらゆら揺れて不思議な感じだが、とにかくこの30分間の仮眠で、体力は少し回復。
よく眠ったなんてとてもじゃないけど言えないけど。
ハンモックで寝るなんてなかなか体験できるもんじゃない。
貴重な体験をまたもやさせてもらったな〜。


少しだけだが体力を回復させて、ようやく僕らは次の目的地に向かう。
そこからバンテアイ・スレイまでは一時間かからないぐらいらしい。
一時間ならばまあ何とか耐えられそうだ。
地獄の行軍は相変わらずだったが、後一時間耐えたらいいって思えば何とかなる。
それにバンテアイ・スレイに近づくにつれ道路の状態が良好になってきて、疲れ切った体にかかる負担が大分軽減してきた。外の景色もそれまでは薮の中をひたすら走るっていう景色から、再び農村風景に変わってくる。そうしているうちにバンテアイ・スレイに到着した。

バンテアイ・スレイは「東洋のモナリザ」と呼ばれる彫刻で有名な寺院である。シェムリアップから40キロ離れたところにあるのだが、思った以上に小さな寺院で、拍子抜けしてしまうぐらいだった。
肝心の彫刻を近くで眺めようとしたが、ロープで立ち入れないようになっていて近づいてみるのも無理。
なんだかなあ・・・まあベンメリアのついでに立ち寄るぐらいでちょうどいいぐらいだったのかもしれない。
セインはと言うと、外で待ってるとのことで、なんか一人でうろうろするのもつまらないのですぐ出て来てしまったような感じ。ガイドと一緒に回ったりすると、多少鬱陶しくもあり、「自分一人でゆっくり回らせてくれよ」なんて思うけど、いざ一人だと、結構のんびり見られないものだな〜なんて思いながら見学した。
本を見ながらでも分かると言えば分かるけど、やっぱり、日本語ガイドがいるといないとでは大違い。
理解を深めるには日本語ガイドは雇うなりした方がいい。


ここから先は楽だった。
道の舗装もちゃんとされてて、土煙を上げながらトラックが走りぬけていくことも無い。
後はもう一つバンテアイ・サムレと言う寺院に寄って、シェムリアップに帰るだけだ。時間も3時を回ったぐらいで、日は傾きかけて大分涼しくなっている。この頃になると僕も大分気分が良くなってきた。
何事も、喉元過ぎれば熱さ忘れると言った感じで、あの灼熱下の地獄のようなドライブもすっかり忘れてしまっていた。セインと他愛も無いことを話しながら、カンボジアの農村風景を見ながら進む。それがまた、結構気持ちがいい。水牛がのそのそと動いている。高床式の家で人々が生活をする。子供たちの笑い声もしている。多くの人を乗せたピックアップトラックが時々僕らを追い越して行く。
セインの運転は、どこまでも丁寧で、無理矢理スピードを上げて行くことも無い。
それが僕が彼を信用しようと思った要因だったりもするんだけど。
こうしてシェムリアップへの道は大変楽しかった。
最後はアンコールワットの脇を通って、南大門を抜けて、シェムリアップへ戻った。
三人乗りの女の子達がキャーキャー言いながら僕らの脇を猛スピードで追い越して行く。
「追っかけるかい?」ってニヤリと笑ってセインが言うが、「いやいや、いいって」って苦笑いで返す僕。
カンボジアの女の子はなかなかかわいらしかった。
キャーキャー言いながら騒ぐ姿はさすがに日本と変わらない。
セイン曰くモラルの低下みたいなものはやっぱりカンボジアでもあるみたいで、
その辺は日本と変わらないな〜って思う。ま、日本ほどひどくはないんだけど。
カンボジアも20年後には今の日本みたいになってんだろうか・・・



そして僕らはシェムリアップまで戻ってきた。
セインには5時に迎えに来てもらうように頼んで、一旦ホテルに戻った。
一旦チェックアウトをしてしまったのでもう風呂とかには入れないが、
トイレで顔を洗った。
・・・すごい泥だらけだ。服も顔も。
シャツは変えられるし顔も洗えるが、この状況では髪も洗えないし、泥まみれのズボンを穿き替えることも出来なかった。仕方が無い、日本までこの汚い格好で行くしかないか、とほほ。
セインが迎えに来てくれるまでの間、買い物に向かう。
まあ今回は大した物を買うつもりはほとんどない。
昨日行ったマッサージの女の子、チリに別れを告げ、
そんで絵葉書でもスーパーで買って帰ろうと思ったぐらい。
チリは接客中だったが、仕事が終わると顔を見せてくれた。
さすがに昨日の今日だから名前も覚えててくれたのが嬉しい。
「じゃあまたね」そう言って別れを告げる。
「また」はあるのかな。


セインが迎えに来た。
バンコク行きの飛行機が飛び立つのは7時50分。6時ぐらいには着いていたほうがいい。
空は、乾季としては珍しく、曇っていた。まるで僕の旅行に合わせてくれたみたいだ。空港に向かう途中、オールド・マーケットを通りかかったときにマッサージルームの前にチリがいた。
さっきもお別れしたところだったんだけど、もう一度大きく手を振る。
いよいよカンボジアもこれでおしまいだ。
もう少しいたかった気もするけど。それも仕方がない。

6時まではもう少し時間があったから、戦争博物館へ。
博物館とはもう名ばかりで、戦車とか飛行機とか銃が陳列してあるだけのものだった。
地雷も一杯陳列してあった。
今は平和だが、この国にはまだ戦争の傷痕が残っている。
地雷が撤去されていないところも多くあるんだろう。
兵器を見ながら、なんだかすごい辛くなった。
セインがやってきて、「どうしたんだ」って聞くから、
「僕は戦争は嫌いだ」と言ったら、彼は、
「戦争は誰だって嫌いさ」って答えた。
うん、そうさ、そうだろう、だけど、この世の中には戦争を望んでいる連中だっている。
そう思った。そんな連中、最低だ。
日本人は平和ボケしてる。
本当にしている。
僕だって現実で戦争を見たわけじゃない。
こういう所があるんだってこと、忘れちゃいけない。
地雷が埋まったままのところがまだいっぱいあるこの国の。


そして僕らは空港へ向かった。
セインともここで遂にお別れだ。
今日一日の報酬を渡す。
すげえいいもの、いろいろ見せてもらったから、
ホントはもっと渡したかったんだけど、困ったことに小銭がもう全然無い。
カンボジアの小銭と、行きの飛行機でもらった和菓子、日本のキャラメルをあげた。
やっぱり思うんだけどね、
「Good driver and English speaker guide should to be paid much money」
僕はそう言ってセインに報酬を渡した。
そりゃあ彼にとっても、25ドルの報酬はすごい収入って言うのも分かる。
公務員の一ヶ月の収入が20ドルとか言うんだから。
だけど僕が今日一日安全に、かつ楽しく旅が出来たのは、
まさしくセインのおかげと言っても過言じゃない。
だから25ドルは全然僕にとっては安くない。
あんまりお金で感謝するのも嫌なんだけど、でも今僕に出来んのはそれぐらいだから。
最後に写真を一緒に撮って、握手して別れた。
セインに本当に感謝。
すげえ楽しい時間を一緒に過ごせて良かった。
本当にありがとう。


こうしていよいよカンボジアともお別れだ。
シェムリアップ国際空港は建造中で免税店なんてものは当然無い。
小さな本屋があるぐらいである。本日の最終フライトと言うことで、かなり多くの人たちが待っていた。そうそう思い出した、そういや今回このフライトキャンセル待ちで取ったんだった。
そういう訳で飛行機は満席だった。フライト時間50分だからいいけど。
で、帰りも軽食が出た。
が、もう体力的にもお腹的にも限界で、ほとんど食べられず。
3日目は結局ものをほとんど食べてない。食欲も無かった。
久しぶりのアジアで、久しぶりにやっちまった食あたり。
そんでも楽しかったのはセインのおかげだな〜。

その後はバンコクから日本へ。
シンガポール航空はやはり混み合っていた。
お腹の調子の悪い僕は飛行機は当然通路側。
和食だったらもう少し食べられるかなと思ったのだけれども、
結局機内食もほとんど食べられなかった。やはり日本で作られる和食と、タイで作られる和食では微妙に違うみたいだ。せっかくのシンガポール航空なのに勿体無い。
が体力は限界だった。どうしようもないくらい。
混み混みの飛行機では横になることもままならず、結局ほとんど眠ることも出来ずに日本へ着いた。
ところでここで疑問なのだが、
行きの飛行機は時差を入れても5時間フライト時間があったのに、
帰りは4時間で着いてしまうのだ。これは一体どういうことなんだろうか? 気流の関係?
大きな疑問を残したまま、今回の旅は幕を閉じる。
今回もまたハードな経験値稼ぎの旅になってしまったが、
今回のカンボジアで僕の旅レベルは確実にアップしたはずだ。
結果的に素晴らしい旅になったと思う。
最終日にもっといいコンディションで楽しめていればなお良かったけど、これはまあ仕方が無い。
何よりも一人で行ったって言うのも自信に繋がったし。
だからすげえ、いい旅作れたと思う。
アイスランドに続いてね。
最初で最後とか思っていったのだけれども、また行きたいなって思った。
とりあえず、セインにまた会いたい。
一ヶ月も過ぎてから手紙をやっと書くことができたんだけどね。
また返事が来るといいな。





2002年01月12日(土) アンコール・ワット紀行 その弐(2/27加筆 まだまだ続く)


アンコール・サンライズ

カンボジアに来て二日目。
本日はアンコール・ワットで日の出を見ることより始まる。日の出鑑賞と言うことで、当然朝は早い。5時起床! 日本時間で7時だから、いつもより早く起きてる・・・  この日の日の出の時刻は午前6時40分と言うことで、眠いのを我慢しながら起床。

1月のカンボジアは、朝はさすがに涼しくて、日本を出発するときに着て行ったセーターがこんなところで役に立つ。日が昇る前と言うのに、観光シーズンの真っ最中のアンコールワットには、サンライズを見に来た観光客で一杯だった。それでも真っ暗な中、アンコールワットは静かに佇んでいる。あちらこちらではいろんな言葉が飛び交う。みんなめいめい夜明けを待っていた。薄暗い中に聳え立つアンコール・ワットは、やはり存在感があった。そして夜は次第に明けて行く・・・

朝焼けのアンコール・ワットは美しかった。
朝焼けの真っ赤な空を眺めることは出来なかったが、
たなびく雲の切れ目から見える紫色の空が美しかった。



「荷物を積み
 別れを告げ
 朝焼けの海へ帆を張った
 堪え切れず掲げた拳
 響き渡る鬨の声」

頭ン中でグングニルがこだましてる。


そして日は昇る、乾季の空に。
雲はいつの間にか胡散霧消し、また今日も目も眩むような青空が広がるのだろう。









アンコール・サンセット

アンコールワットでの夕日鑑賞と言えばプノン・バケンがあまりにも有名であるのだが、僕は二日目は敢えてアンコール・ワットの上から夕日を眺めたかった。アンコール・ワットの上からの景色が素晴らしいとか言う訳では別に無いのだが、上から夕日を眺めながら一日を終えるって言うのがやりたかったのだ。

本当は午後五時半までの契約しかなかったポーさんも、結局最後まで一緒に付いてくれた。多謝である。アンコール・ワットの上から眺める夕日は、プノン・バケンとはまた別の意味で壮観だった。ここも夕日を眺められる人気スポットであるにも関わらず、日本人の姿はほとんど見られない。その代わり中国人の姿は結構見られた。みんなプノン・バケンに行ってしまったに違いない。

そういうこともあって、日が暮れるまでの間、かなりゆっくりと夕日を眺めることが出来た。他にもアンコール・ワットから夕日を眺めている人もいたけど、ほとんど個人旅行者。さすがに今日一日はガイドを一日雇ってフリーで回った甲斐はあった。世界文化遺産の遺跡の最上部に登りつめて夕日を眺めながら一日を終える。カンボジアで迎える最後の夕焼けを、アンコール・ワットから眺められるなんてとても素敵じゃないか。

ゆっくりゆっくりとカンボジアの地で、日が沈んでいく。
外の気温は高いとは言え、冬場と言うこともあって、日が沈むのは5時40分。なんだか不思議な気分にさせられる。こうして一日が終わって行く。世界中何処に行っても一日と言うのは平等に存在している、時差はあるけれども。アジアの悠久の時の流れを僕は感じる。そして今日と言う日は、終わろうとしている。



そして夜はマッサージへ

サンセットを見て帰ってきた僕は、買い物をすべくオールドマーケットに行く。別にお土産を買いに来たわけじゃないから、どうでもいいんだけれども、まあそれでもちょっと覗くだけ覗いてみよう♪
基本的に値段の付いていないところでの買い物はあまり好きではない。
値下げ交渉とか面倒なのだ。値段を表示されたものをその値段で買うって言うのでいいんだけど・・・。ただ基本的にアジアの国は値段交渉要なんだよね。たかだか10円20円を交渉するのも鬱陶しい。かと言って「日本人価格」で買うのも嫌だし・・・ 
とかなんとか思いながら一軒のお店で僕はつかまってしまった。
なんでかって言うと、お店のお姉さんが綺麗だったんだよね〜。
で鼻の下伸ばした日本人はなんとなく買わなきゃいけないような感じになっちゃった訳。
どこの国に行っても美人には弱いわ>僕 
何を買おうか迷っている僕をよっぽど可愛らしく思ったのか、お姉さんはニコニコしながら大笑いしてる。
(良く分からん表現でごめんなさい) たぶん純情青年に見えんやろな。(まさしくその通り!)
結局ランチョンマットとスカーフみたいなモンを買って5ドル。
最後に折角だからってんでお姉さんの写真を撮らせてもらったら、なんと!、子供たちが一緒に入ってきた。あらら、お姉さんじゃなくてお母さんだったのね。
でもチャーミングなお母さんで御座いました。
カンボジアにて早速恋、散る(笑)

本日のもう一つの目的は、フランス人のイラストレーターが書いたカンボジアのイラスト入りTシャツを買うこと。昨日からもう、目付けてたんだよね。値段は25ドルと日本とほとんど変わらねえんだけど、だけど他の安っぽいのとは明らかに違うもんね。ハッピーギャラリーってお店。すごく素敵なので是非どうぞ。
まあ買うのは最終日にすることにして、隣のマッサージに行ってみることに。
ハッピーギャラリーの姉妹店らしいこのマッサージ、日本語の案内があるマッサージは一時間20ドルとか平気でかかるんだけど(それでも日本よりは遥かに安い) 普通に一時間6ドル。
実はマッサージなんてもの、整形外科医院のリハビリ以外で一度たりとも行ったことが無いあたくしで御座いまして、これがマッサージ初体験。疲れて汗だくの身体に触れさせて申し訳無いなんて思いながらマッサージしてもらったな。
こん時にやってもらったのは、チリって女の子で、(ホントはティリって発音するっぽいけど坂下千里子好きなのでチリで行きます)また面白かったんだわ。これ、日本語をクメール語を教えあいっこしながらマッサージやってもらったもん。それが楽しくってさ、どっちかって言うとマッサージより会話の方がすごい楽しかったなあ〜。しかしこの時覚えたクメール語はすっからかんに忘れてしまった。ごめんよチリ。
チリもとてもチャーミングなカンボジアの女の子でした。実は奥さんとかそういうのは不明。写真撮っといたら良かったな〜。 僕のことを覚えててくれるかどうかはわかんないけど、覚えててくれると嬉しいな。
チリもよく笑う女の子でした。やっぱり日本からやってきた純情青年が可愛らしかったらしい(くどいって?)
カンボジアの女の子はよく笑う。本当に明るく笑う。セインが真面目そうな青年だったのに比べるとなんか違うな〜。こういう出会いがあるからこそ旅は面白いのであり、また再びその土地に行きたくなるんです。

晩ご飯は昨日行ったスープドラゴンへ。
隣で見てて美味しそうだった鍋を頼む。ビールは相変わらず美味い。
今回の食事はあんまり辛い味付けじゃなかったんだけど、どうもこの時にでてきた緑の野菜がお腹に合わなかったらしく、この後、地獄のような旅が待ち受けていようとは、この時点でまだ僕は知らない・・・。
何はともあれ、カンボジアでの最後の夜はこうして終わったのだった。





2002年01月11日(金) アンコール・ワット紀行 その壱(2/1加筆 一日目終了)


カンボジアの朝は早い。
どうも僕は知らない土地に来ると眠れなくなる性質のようで、前日は朝の5時起きで長旅をしてきたにも関わらず、よく眠ることができなかった。ホテルのエアコンは古く、結構大きな音。時々ブーンと言った音が響く。何事かと目覚めてみると、なんのことはない、エアコンの音だった・・・なんてことは度々だった。どうも少しナーバスになりすぎているのかもしれない。久しぶりのアジアで、治安に対する不安もあったのだろう。

ともかくもカンボジアの朝は開ける。ホテルを一歩出ると眼前にはまさしくアジア的風景が広がるのだ。川沿いの道を行く現地の人々。自転車やオートバイが土煙を上げながら往来している。クラクションの音。人々の話し声、喧騒。ああ、僕はアジアにやってきた。この喧騒こそまさしくアジアなのだ。普段僕が忘れかけている。普段とは異なる人々が歩くのを見ているだけで、僕の心は躍る。

本日は決められたコースを日本語ガイドと回る。明日は一日フリーだ。
日本で申し込むカンボジア・ツアーだったのだが、申込者はどうやら僕一人だけだったらしい。いきなりガイド独占という贅沢な状況である。午前中はアンコール・トム、そして午後からはアンコール・ワットが主な行動予定だ。

参加申込者ゼロだったら実質個人でガイドを雇ってんのと変わんねえじゃんなんてちょっと嬉しくなるのだ。今回の日本語ガイドはポールさん。ポールで略してポーさん。専属ガイドと専属の車で観光するなんてまるで王侯貴族みたいだ。(言い過ぎかも知れん) 一緒の飛行機に乗った近ツーのツアーなんて17人とか言ってたもんね。17人でぞろぞろ遺跡を回るなんて考えただけでも恐ろしい。それが嫌だからツアーで旅はしたくないのだ。って団体行動が苦手なだけなのかも知れんけど。

アンコール・ワットに行く前にバンコク・エアウェイズのオフィスに行く。リコンファームを行うためである。結構このバンコク・エアウェイズ、キャンセルが多いらしい。リコンファームが必要な航空会社なんてすごく久しぶりである。機材も思ったより古くなかったのだけれどもね。日本人スタッフもちゃんといるみたいだし。それにしてもリコンファームまで気を遣って頂けるとなかなか恐縮なことこの上ない。

アンコール・ワットはシェムリアップの北にある。車で約20分ほどの距離だ。遺跡の方を目指してモトバイが何台も向かっている。う〜ん、昨日乗ったモトバイがかなり気持ち良かったから、モトバイはちょっと羨ましい。贅沢に旅を設定しすぎたかもしれないね。
遺跡の入り口にはチケットチェック場があって、まずはそこで入場パスを作る。三日間で40ドル。これは高いか安いか非常に微妙なものがあって、現地での物価の安さを考えるととてつもなく高いが、内容を考えるとこれでも安いぐらいだと思う。結果としては妥当ではないかと思われる。とにかく、これから3日間すごいものを見られるわけなんだから。ちなみに、入場券用の写真は、事務所で撮影してもらえるのでご安心を。
「smile! smile!」とにっこり笑顔で撮影するのだ。どの人の写真を見てもいい笑顔で撮れてます。ちなみに僕はと言えば、ちょっとはにかんだ微妙な笑顔になってしまった。これもまた旅の記念品だからね、大事にしたい。


初日の午前中はアンコール・トムに行くのがツアーの定番コース。まずは南大門からアンコール・トムに入る。アンコール・トムの四方には門が構えているのだけれども、ここ南大門が一番有名で、門の脇の像も大体残っている。(他の門の像は頭がほとんど無くなっているのだ)門の上には石仏があり、アンコール時代の遺跡にやって来たことを実感させてくれる。まあ、正直言って最初はぼんやりと見ているだけだった。やっぱり、そのすごさが分かってきたのは、午後に入ってからだったな。

午前中の目玉はバイヨン寺院である。石仏の顔がありとあらゆる場所に存在している。それは神々しくも有り、異様な光景でもある。すべてが石で出来た仏の顔と、真っ青な乾季のカンボジアの空のコントラストが美しい。バイヨン寺院の回廊の壁には、アンコール時代の人々の生活のレリーフが有り、それをながめているだけでも、当時の生活が窺い知れて大変興味深い。出産シーン有り、狩りのシーン有り。ワニに食べられている人もいたりしするのだ。それはいいのだがガイドのポーさんはやたらと進むペースが速い
。はっきり言って早すぎである。もう少しゆっくり見ましょうよ〜。と言うとゆっくり見させてくれるんだけど、気がつくとまた早歩きになってしまっている。お客が気ィ遣ってどうするよって感じである。バイヨンに行ったのはこの一日だけ。一番最初に行ったので、印象残ってるようで残ってない。今回は本当にじわじわと素晴らしさが分かってくるタイプの旅だったので、最後にもう一度だけ寄って、じっくりと見学したかったかもしれない。


さすがに観光のベストシーズンだけのことはあって、多くの人々が訪れている。日本人は勿論のこと、意外にも中国系が多い。英語を流暢に話す辺り、香港か台湾、またはシンガポールからでも来たのだろうか? 「Excuse me sir?」 なんて普通に言われてしまうと、「負けた〜」と言う感じになる。本当にアジア諸国で普通に英語が通じないなんて日本ぐらいであり、まあ東南アジア諸国は生活の為に英語を学ぶって感が強いものの、たぶん日本って外国人には旅がしにくいであろうことがおもんぱかられるのである。


そして空は溜息が出るほど青かった。雲一つない空だった。この美しさは行った人でないと分からないもの。乾季のカンボジアは比較的涼しく、雨も降らない。(涼しいとは言え日中は30度を超えるのだが) 曇ってばかりだったアイスランドのことを少しばかり恨めしく思ったのだった。


午前中いっぱいは都城・アンコール・トムを回る。ちょっと暑さにへばりそうになりながらもピアミナカス、ライ王のテラス、象のテラスを回る。正直、あんまり覚えていない。結局ガイドに付いて行くだけではなかなか心に残ったりしないものらしい。写真はいろいろ残っているんだけど。
ただレリーフは素晴らしかった。この素晴らしさは初日では理解できなかったかも。
今になってもう一度じっくりみたいと思ってももう遅い。今度カンボジアに行く時は、すべて自由行動にしてゆっくり廻りたいって思った。

 
とまあこんな感じで午前中は終わり、昼食の時間になった。昼食はチャオプラヤーと言うビュッフェ形式のレストランである。ビュッフェと言うのは好きなものが好きなだけ食べられる分ありがたい。暑さのせいかどうも食欲が無いのが痛い。ここは普通に入ったら6US$らしい。当然ここで食事をするのは僕だけで、ポーさんも運転手も待機である。6US$って多分現地の人にとってみればかなり高価に違いないのだろう。僕らにとってはそれほどでもないのだけれども。
 昔中国に行った時、上海から広州までの電車を一等寝台車で乗った。本来は二等寝台が希望だったのだが、一等寝台しか無かったのだ。中国人でも金持ちしか乗る事の出来ない一等寝台車の乗客専用入り口で、僕は中国人乗客に、「え? お前みたいな若造が一等寝台なんかに乗るのか?」 とすごくびっくりされたことがある。それも当然で、当時二十歳の僕が一等寝台に乗るなんてあちらの国の常識から照らし合わせたらおかしい。よほど金持ちとか権力者の子弟でないと乗れないのだろう。その時僕はジャパンマネーの強さに誇りを感じるというよりもすごく後ろめたさを感じた。本来なら僕のような学生(当時)がいられるところではないのだ。それを忘れてはならないし、奢ってはいけない。
 だから思う。現地の人にとって僕らはどのように存在しているのだろうか。彼らは、僕らを金づるにしか見ていない、なんてことは思わない。でも現実に僕は6$ものレストランで食事を取る。ガイドは外で待つ。この図式は仕方が無いのかもしれないが、僕よりも年長の人に対してすごく申し訳ない気がしてならない。下手すりゃ学生にしか見えない僕が、ガイドを一人で雇って遺跡を回っているのだ。おかしいと言えおかしい。一応それだけの収入は日本で得ているとは言え、そんな自分に多少憤りを感じてしまったのだった。

食事は美味しかった。やっぱりアジアご飯はぶっかけご飯。これに限るね。



そうして一度ホテルまで戻る。
午後は15時から行動開始。それまでしばらく寝る。熱帯の国の昼寝は楽しい。
夕刻からはまずアンコール・ワットに行くのだ。
僕は今回のたびを「アンコール・ワット紀行」と銘打っているけれども、実際に、アンコール・ワットというのは一寺院の名前であるに過ぎない。分かりやすくするために「アンコール・ワット」に統一しているが、アンコール遺跡群と言うのが正しいのかもしれない。ともあれこれから行くのはその「アンコール・ワット」本体で、世界一般でよく言われているアンコール・ワット本体である。

アンコール・ワットを初めて知ったのは小学生の頃のことだ。
当時僕は、どこの出版社が出したかは忘れたが、世界ノンフィクションシリーズに夢中で、その中にアンコール・ワットがあったのである。確か初めて読んだのが「ツタンカーメンの秘密」だったような気がする。まあともあれ、ジャングルの中に石で造られた壮大な寺院が見つかったという話は、小学生の僕にもわくわくするような話だった。


そのアンコール・ワットに、今僕は来ているのだ。
両親や妹もやって来た。そして僕もここまで来た。
世界の果てまで行った時とはまた違った想いがある。
ずっと来たかったこの地に、僕はやって来たんだ。
じっくりと味わいたい・・・なんて思ったものの、やっぱりポーさんは早足で進んでしまったのであった。いや、スケジュール通り行かなきゃ駄目なのは分かるけど、もっとゆっくりしてよ〜と思ってしまったのは言うまでもない。ただ、遺跡に至る道にはすごさに圧倒される。悠久の時の流れをくぐりぬけてこの遺跡は聳え立っている。かつてジャングルの中にあった遺跡は、今は整備されて僕の前に姿を見せている。
自然とは別の、人の造りしものとしての存在感がそこにあるのだ。
だから見事というほかはない。
彫刻のひとつひとつをゆっくりと眺めていたかった。
時間の関係で端折ってしまったのが残念だった。
描写は少ないのだけど、これは写真を見てもらった方が早いと思う。
残念ながら、コトバじゃ表現し切れない。
僕にそこまでの表現力は無い。たぶん写真でもそのすごさを100%を描写し切ることは出来ない。
けれども、出来得る限りのことは書きたいと思う。自分のコトバで、素直にね。



アンコール・ワットはそうしてかなりハイペースで回ってしまった。まあ仕方ない。アンコール・ワットには、また明日夕陽を眺めにくる事にしようと誓う。明日は何と言っても一日フリーなのだ。好きに回らせてもらおう。何処に行っても人が多いのは避けられないんだろうけど。

そしてプノン・バケンから夕日を眺める。バケン山である。標高70mの山って言うよりも小高い岡のような所、アンコールでの夕陽鑑賞コースとしては一番ポピュラーな場所だ。70mとは言え結構急な坂を登らなければならない場所で、(他の遺跡も割とそうなんだけど)お年寄りには少々キツいかもしれない。
象に乗って山頂付近まで登る事も出来る。3人乗りで15$。高いか安いかは人それぞれだろう。さすがに一番高い所は自力で上がらなければならないみたい。この辺金毘羅さんと似ていてちょっと面白い。最後最後は自分の力で行けって言うことか・・・。
決して広くは無い山頂には多くの観光客が群がっている。さすがに観光シーズンだ。夕陽が沈むまでの数十分を、まったりとした気分で過ごす。ここからはアンコール遺跡がよく見渡せた。さすがに聖地と呼ばれる場所だけのことはあるかもしれない。
沈む夕陽をビール片手に眺めると楽しかったかもしれないが、さすがに観光客相手の商売はボられるので、ジュースを飲みながら眺める。これでも十分に素晴らしかった。


一日目はこれで終了。ホテルに送ってもらって一日目が終わる。
帰り道の途中、「土産物屋に行きますか?」とか言われる。
・・・来たよ。実は土産物屋に行こうとか言われるのが一番困る。基本的にお金が無くて何も買えないからなのだ。まあとりあえず、行くだけ行ってみるか、と案内してもらう。まあいいさ、買わなければいいんだから。

案内されたところは、確かに一階は土産物屋だったが、二階はスーパーだった。
スーパーマーケット好きな僕としては大変うれしい。現地の文字で書かれたお菓子とかを眺めているだけでわくわくしてくるのだ。カンボジアはさすがにタイとかから輸入物が多い。ラーメンとかお菓子を買って帰ったんだけど、後で調べたらお菓子はUAE製だった。これにはびっくり。なかなか美味しかったけど。
スーパーマーケットで重要なのは現地の物価の目安を計ることにある。
缶コーラの値段を比較するだけで日本との物価の違いが大まかに分かるのだ。遺跡で買ったミネラルウォーターは1ドルしたのにスーパーで買ったら0.3ドル。ふざけてる。ということで3本ぐらいまとめ買いした。これで高いミネラルウォーターを買う必要も無い。ってポーさんに言ったら大笑いされた。金持ちJapaneseの割にはセコイかな? だけど不適正な価格で買うのもシャクだしね。賢い旅行者と呼んでもらおう。


と言う感じでホテルに帰る。
晩御飯は・・・どうしようか。ということでオールド・マーケットを歩く。食べるところは沢山あるけど、どれがいいのかは正直分からない。これはもう当たりはずれの問題になってくる。一度美味しい店に当たったら、そこに通ったらいいんだもんね。でオールドマーケットを往復してみて、スープドラゴンなる店に入る。
入った理由?
それは混んでたから!
「混んでいる店は美味しい」と言うのは韓国に行ったときのカンダナオユキの言葉であるが、まさしくその通りだと思う。それはどこに行っても大体当てはまるであろう。と言うことで入る。
ビールを注文し、おすすめの料理を頼んだ。魚フライにに甘いソースでからめて野菜と炒めたものだ。
味はね・・・まずくはなかったんだけど、ソースが甘すぎたかも。さすがに全部は食べられなくって、残してしまった。暑いからかどうも食欲が減退しているみたい。でもビールは美味しかった。暑い国で飲むビールは美味しいね。感動。そして隣では日本人観光客らしき人たちが鍋を食べている。!!!美味しそう。明日は鍋にしてみようっと。

で部屋に帰ってから、いろんなところに手紙を書いた。部屋では日本の衛星放送を見ることも出来たし、環境的には日本とあまり変わらない感じだ。手紙を書いてお風呂に入るともう10時半。明日は5時に起きてサンライズを見に行くので早く寝なければならないな〜と思いつつもなかなか寝られない。環境の違いってのは大きいのかも。普段の旅行はユースとかに泊まってるからなあ。中級とは言えちゃんとしたホテルに泊まるのは久しぶりだった。ゆえに落ち着かないのかもしれない。



















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