2005年02月09日(水) |
K:MF山形恭がリハビリ開始 |
MF山形恭がリハビリ開始
宮崎キャンプ初日の2日に、右ひざ内側側副じん帯ねんざで全治4週間のケガを負ったMF山形が、ピッチでリハビリメニューをこなした。「たまには日光浴しないとね」と、土斐崎フィジカルコーチと組んで屋外での本格的なリハビリを始めた。「痛みは当初より引いたが、まだ走るのはジョギング程度。できれば今月中に全体練習に合流したいとは思っている」。土斐崎コーチも「思ったよりは動けていた」と、順調な回復ぶりを見せた。
http://www.nikkan-kyusyu.com/view/fu_1107959491.htm
2005年02月04日(金) |
K:山形恭の開幕ピンチにチームもピンチ(日刊九州)山形右ひざねんざ全治4週間(西スポ)宮崎キャンプリポート(スポナビ) |
山形恭の開幕ピンチにチームもピンチ
J1復帰へ開幕ダッシュを狙うJ2福岡に、暗雲が漂った。2日の宮崎キャンプ初日に負傷したMF山形恭平(23)が3日、宮崎市内の病院で精密検査を受けた結果、右ひざ内側側副じん帯ねんざで全治4週間と診断。3月5日の開幕戦出場は微妙な状況となった。
キャンプ早々のアクシデントに、松田浩監督(44)も「けがをするのは、どこか調子が悪かったと思わないと…」とやりきれない表情だ。途中加入した昨季11試合(8得点4アシストをマーク)で無敗神話をつくった右の攻撃的MFの戦線離脱は大きな痛手になる。
午後の紅白戦では、MF宮崎光平(23)大塚和征(22)らとともに、昨年までサイドバックだったDF立石飛鳥(21)が、両サイドハーフに挑戦した。「ハーフでいこうと思っている」という指揮官の思いに、立石も「攻撃が好きなんで、ある意味チャンスかもしれない」と、初の開幕戦スタメンに照準を置く。
攻守に分かれての練習では、新加入のFW釘崎康臣(22=東海大)も右サイドハーフに回った。「山形(恭)だって(レギュラーは)決まっていたわけじゃない。(古賀)誠二も戻ってきたし(田中)佑昌もサイドはできる」と松田監督。ピンチをピンチと思わせない選手の奮起を期待するしかなかった。【村田義治】
http://www.nikkan-kyusyu.com/view/fu_1107522392.htm
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2005年02月04日付 西日本スポーツ 福岡 両サイド激戦 山形右ひざねんざ全治4週間
J2アビスパ福岡の背番号「10」MF山形恭平(23)の3月5日の開幕戦出場が厳しくなった。山形はキャンプ初日(2日)のミニゲームでひざを痛めて3日、宮崎市内の病院で右ひざ内側側副靭帯(じんたい)ねんざで全治4週間と診断された。松田浩監督は「別に彼(山形)がレギュラーと決まっているわけではないから」と表情を変えなかったが、昨季38試合出場8得点のエースの離脱は、開幕ダッシュを狙うアビスパにとって相当痛い。
一方で、山形のけがは両サイドハーフのポジション争いを一層、活発化させたのも事実だ。大半の選手が交代で出場した3日の紅白戦(20分×3本)で昨季の主力が入ったチームの右サイドでフル出場したMF大塚が現時点での“ポスト山形”の一番手といえるが、大塚は「全然、まだまだ」と気を引き締めた。
今季、DFからサイドハーフへの転向を松田監督が明言したライバルの立石も軽快な動きを披露し「(転向もけがも)ある意味、チャンスだと思います」と色気を見せれば、昨季終盤までの左サイドのレギュラーだったMF古賀も故障明けとは思えない堅実なプレー。指揮官を「誠史も戻ってきたね」と納得させた。
いきなりの紅白戦は2週間続くサバイバルレースの序章。GKからFWまで気を抜ける選手など、1人もいない。 (森竜太郎)
http://www.nishinippon.co.jp/nishispo/kyu_j/news/top_avispa.html
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宮崎キャンプリポート第1回 アビスパ福岡
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200502/at00003692.html http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200502/at00003693.html
2005年02月03日(木) |
K:山形恭平選手負傷のお知らせ(福岡公式)MF山形は全治4週間(日刊九州) |
・ 山形恭平選手負傷のお知らせ
昨日2日(水) 、練習中に負傷しました山形恭平選手が、本日宮崎市内の病院にて精密検査を受け診断の結果がでましたのでお知らせ致します。
【傷病名】:右膝内側々副靭帯捻挫 【全 治】:4週間 【病 院】:宮崎市内 ※尚、山形恭平選手はチームに残り調整を続けます。
http://www.avispa.co.jp/html/topic0502.html#tag4
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MF山形は全治4週間
福岡は3日、MF山形恭平(23)が宮崎市内の病院で精密検査を受け、右ひざ内側々副じん帯ねん挫のため全治4週間と診断されたと発表した。山形は2日の練習中に負傷していた。今後はキャンプ地の宮崎に残り調整を続ける。
http://www.nikkan-kyusyu.com/news/fu_1107419897.htm
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2005年01月20日(木) |
K:西スポ【山形恭平「10」背負う!!東福岡高の先輩宮原の後継ぎ…】 |
【山形恭平「10」背負う!!東福岡高の先輩宮原の後継ぎ…】
今季から背番号「10」に“昇格”したアビスパ福岡のMF山形恭平(23)が19日、エースナンバーのユニホームに袖を通す意気込みと決意を語った。
「10」はサガン鳥栖に移籍したMF宮原裕司(24)から引き継ぎ、2代続けて東福岡高出身者が背負うことになる。昨年末にクラブから背番号10を打診された山形恭だったが、数日間悩んだ末に決断した。 「背番号にこだわりがある方じゃないけど、サッカーをやっている以上、10は特別な番号。僕が良くても周りの人が認めてくれるのか。いろんな人に相談もした。最後は『アビスパが僕に与えてくれたいいプレッシャー』という思いで答えを出しました」
宮原は東福岡高の1学年先輩に当たる。東福岡時代も宮原の「10」を引き継いだ。 「僕の中では10番のイメージは昔からずっとユウジ君(宮原)。目標であり追っかけ続けてきた人。ユウジ君のように自分でもいけて、人も使えるのが10番の理想形。僕のスタイルとはちょっと違いますけど、ユウジ君の後に(自分ではなく)ほかの人が背負うのは寂しいという気持ちもあった」
昨年の入れ替え戦で判断や攻守の切り替えなどスピードの向上の必要性を痛感したという。 「自分もチームも、何かが足りなかった。その何かを1年かけて補って(来季)J1に臨みたいし、今季のリーグ戦では1試合も落としたくない。昨年の川崎以上の圧倒的な力で勝てればベスト。僕は『ベンチ入りや出場すればOKという番号じゃない』と肝に銘じています。結果がすべてです」 一昨年にJ1広島を解雇され、昨年の今ごろは背番号なしのアビスパ練習生だった。真の10番に成長するために、そしてチームがJ1復帰を果たすために、山形恭の「自覚」が試される1年になる。
2005年01月19日(水) |
K&T:エルゴラッソ紙コメント |
■山形恭平選手 「(背番号10になり)去年の34番からランクアップしたとは思わないけど、10番には特別な意味があると思う。あまり意識せずに自分の持ち味であるプレーをやってチームの勝利に貢献したいし、10番を付けるからには、それにふさわしいプレーをしたい。頼りない10番と思われないようにしないといけない。今年は初心に帰って、去年入団した時の気持ちで全力でプレーする。個人の目標はチームの目標と同じくJ1に昇格することです」
■山形辰徳選手 「今年は自分にとって大事な年なので、一日一日を大切に早く試合のピッチに立ちたい。サイドからオーバーラップしての攻撃参加、豊富な運動量でアピールしたい」
2005年01月18日(火) |
K&T:新背番号決定 |
山形恭平選手 #10 山形辰徳選手 #31
http://www.avispa.co.jp/
2005年01月13日(木) |
T:山形辰徳選手 アビスパ福岡へ移籍のお知らせ |
山形辰徳 選手 アビスパ福岡へ移籍のお知らせ 2005.1.13 いつもアルビレックス新潟に温かいご声援をいただきまして、誠にありがとうございます。 このたび、当クラブ所属の山形辰徳選手(21)のアビスパ福岡への移籍が決定いたしましたので、お知らせいたします。
山形辰徳 選手 Tatsunori YAMAGATA
■ ポジション MF
■ 生年月日 1983年10月4日(21歳)
■ 身長/体重 172cm/62kg
■ 出身地 福岡県
■ 経歴 東福岡高⇒アルビレックス新潟⇒ALBIREX NIIGATA・S⇒アルビレックス新潟
■ 出場記録 年 所属 リーグ(得点) カップ(得点) 天皇杯(得点) 2002 J2 新潟 2(0) ― 3(1) 2003 J2 新潟 6(1) ― 1(0)
J2リーグ通算:8試合出場1得点 2004Sリーグ:12試合出場1得点
■ コメント 新潟とシンガポールで声援を送ってくださったサポーターの皆さん、本当にありがとうございました。福岡でプレーするチャンスをいただけたので、精一杯がんばります。これからもご声援よろしくお願いします。
http://www.albirex.co.jp/news/2005/01/0113_2.html
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