ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2005年05月26日(木)
楽しいお勉強
妹分にブレスト、目標設定、ブレイクダウン、要旨構築、プレゼンまでの一連の作業をマンツーマンで特訓する。
プレゼンを聞く側にとって意図が明確で、主旨がぶれないよう組み立てさせる。質疑応答形式でこまを進めていかせるのだが、途中で答につまる、つまる。すっとんきょうな答が出てくるわ、主語・述語が抜けてるわ、おもしろい。教えながら苦笑する家庭教師の図。
といいながら私はといえば、彼女の苦しむ様を横目で見ながらキッチンでビールを飲み、大根の葉っぱをゆで、本体を千六本に切ってサラダを作っていた。その合間にキッチンから「ちがーう、やり直し。もう一回考え直してごらん〜♪」と楽しげに声をかける。
自分で言うのもなんだが、けっこういやなセンセだね、こりゃ。笑。
2005年05月24日(火)
技あり
青山で新しく自宅仕事用の眼鏡を作ったついでに、6倍の酸素透過率で話題のO2オプティクスのお試しコンタクトレンズをいただいた。装着感がかなりいいとの噂を耳にしていたので、機会があればと思っていたのだ。今朝、早速お試しコンタクトに変えた。数分ゴロつくかもしれないと言われていたのだが、まったく問題なし。鈍いのかな、私の目?笑。
キッチンにいた家人に「コンタクト、変えてみたの」と告げたら 涼しい顔で「似合うよ」と言われた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うぅっ・・・、朝からまた一本取られてしまった。
2005年05月22日(日)
違う
先日TVニュースを見ていたら、近ごろ虐待と共に主流となっている監禁事件を報道していた。内容は相変わらずの「人としてどうかと思う」というものだが、事件そのものよりずっと気にかかったことがひとつある。
「主犯は、19歳の職業フリーター・・・・・」
いつから、フリーターが職業カテゴリーに組み込まれるようになったのだろう?本当にこれでいいのか、日本のオトナのみなさん!? 長い人生のうち、フリーターという選択もあるだろう。それは認める。でも、それを一職業として認めるかどうかは別問題だ。私はとても違和感を感じている。
2005年05月20日(金)
まだ間に合う
五月大歌舞伎勘三郎襲名記念公演、野田版『研辰の討たれ』の中で勘三郎丈扮する辰次の要請に職人たちが 「そんな話はユニオン通して言ってくれっ」 「それは俺の仕事じゃない」 「仕事は〇時で終りだから割増の残業代をつけなきゃやらないよ」 「ユニオンでそう決められてるんでぃっ」 などと、働くものの権利をアメリカ仕様で次々主張する場面があった。おなかを抱えて笑ったが、このギャグは経験しなければ出てこない。中村勘三郎丈が平成中村座ニューヨーク公演でいかに苦労したかが窺えた。ああ、そうだよね、一筋縄でいくわきゃないよ、大変だったんだねぇと。
歌舞伎という日本文化を伝承する舞台芸術の中に、横文字ネタを入れ込んでしまうコワイモノ知らずにも恐れいるが、型を守りながら型をつき破る、この稀代の天才の舞台、一度は是非ご覧になっていただきたい。どうせ同じ時代に生きているなら、観ないと損をすること請け合い。この公演、すでにチケットは完売、プレミア扱いで流通しているようだが、一幕見席でも見る価値あり!
2005年05月19日(木)
ちょっと思い出話
NYの友人がBlogで、昔一緒に住んでいたあたりの写真をUPした。懐かしくて恋しくて、どうしようかと思った。
NYに帰りたいとか、あの頃に戻りたいというわけじゃない。 ただ、今の私を作っている内容物が目に見えるとしたら、あの街で生活した8年間が半分くらいを占めているのだろうと思う。単にNYだからとか、外国だからということではない。笑顔も喜びも、そして、やるせなさ、不条理、悔しさもぜんぶひっくるめて、あれだけ真摯に『生きる』という日々を重ねられた場所が、私にとってはたまたまNYだっただけなのだ。
「真摯に生きる」 言葉ではうまく説明できそうにないけれど、とりあえず。
誰一人守ってくれる人のいない世界で、泣いて帰れる実家もない。そんな所で精一杯自分を見つめて生きること。 例えば、野菜の命と値段を知ること。 例えば、つたない異国語で電話線を引くこと。 例えば、すれちがいざまの白人オヤジに「中国人は犬喰うんだってな」とやじられ、友人の親戚に「日本人は熊を食べるから野蛮」といわれ、私服ポリスに「この辺でうろうろしているとまた留置所にぶちこむぞ」と人違いされ、騒音の文句を伝えた隣人に逆切れされ、 あげくイミグレーションでいちゃもんつけられようと、 誰はばかることなく前を向いて歩くこと。 そうして一日の終りに、夕日が綺麗なことに感謝して、 おいしいビールが飲めること。
こうやって並べ立てると苦味ばかりが突出されるけれど 苦労や痛みがえらいわけでも、買ってまでするものでもない。 ひとつだけ言えるのは、真剣勝負で生きるって、毎日体の細胞が総入れ替えしちゃうようなそんな、ばっさばさに気持ちのいいものなんだ。あの頃は必死に生きることしか思いつかなかった。だからこそ、過ぎたあの日々が私を作っているって言い切れるのかな。
|