ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年07月02日(水)
そういう年齢
お題目唱えないと仏さんが怒る、とか、 お線香ぐらいあげないとバチがあたる、等々。 ご先祖様の供養を怠ると悪いことが起こるよと、 昔はさんざ祖母達に言われたものだった。
が、ご先祖様、仏様は怒ったりしないらしい。 それを証拠にお仏壇やお墓に供える花は、 すべて外向きに活けられている。 供えるというのであれば、仏さんの方向に向かって活けて 当然のはず。だが、参る人、子孫に美しい花を見てほしいという 仏様の慈しむ気持ちから、外向きに置かれているというのだ。 お線香も、仏様のためではなく、供える人に 芳しい香りを聞いてもらう(お香は「聞く」と表現する) ための作法のひとつ。煙いからお線香はいや、 というのはとんでもない罰当たりな意見ということになる。
なるほど!と妙に納得したお坊さんの話だった。 身近な人が仏さんになったからこそ、ひとつずつわかっていく 供養の意味合い。つくづく自分がそういう年齢に なったのだなと思いつつ・・・。
2003年07月01日(火)
悪態文化
6/30付け朝日新聞の天声人語に載っていた、 川崎洋さん著の『かがやく日本語の悪態』(草思社)。 実はたまたま読んでいた。 日本語の悪態の代表例といえば 「おまえのかあちゃん、でーべーそっ、やーいぃっ」 「すっとぼけのオタンコナス」 「この鉄砲玉の大喰らい」などなど。 今時は、誰も使わないフレーズなのかもしれない。 昔は誰に習うでもなく、みなが、 刃にならない喧嘩言葉を知っていた。 勝ち負けもなく、言い合ってすっきりしたりむかついたり。 次の日には忘れてしまうような悪態のかけあい。 なくしてしまうには、あまりに惜しい。 これも立派な文化だ。
この本にも載っていなかったのだが、 「たんぷんこん」とか「くわんくわん」。 これは横浜弁なのか、家族限定語なのか。 いまだ、謎である。
2003年06月30日(月)
芸能人と有名人の違い
代官山の眼鏡屋さんに、最近入手したばかりの サングラスのフィッティングに出かけた。 私の場合、睫毛がばさばさ生えている+鼻が高いわけでもない、 よって、調整ナシでは睫毛がレンズ面に直撃してしまうのだ。
趣味のいいその店のカウンターで調整を待っている間に お客が一人、ぬっとドアから入ってきた。 二名のスタッフはあいにく席をはずしていたので、 彼は声も出さず出来(でく)の棒のように、そこに立っていた。 見るともなく視線を飛ばしたら、どっかで見た顔。 あまりに不器用な視線のはずしかたで判明。 三谷幸喜さんだった。
その後はまったく知らぬ振りをしていたのだが、 店の出口に向かうには、もう一度彼のほうを向かねばならない。 彼は再度、不器用に視線をそらした。 なんというか、申し訳ないほどだ。 芸能人ではないからこその、不器用な視線と間合い。 おかげで一般人であるこちらが、おもいきり 気を遣ってしまっている。もう少し、 芸能人になる練習を積んだほうがいいかもしれない(苦笑)。
2003年06月28日(土)
地域ネタですが
横浜新道の料金所では、数人の年配女性がブースで働いている。 これがまた小奇麗な人ばかり。60前後という感じなのだが、 きれいにセットされたレイヤードヘアやショートカット、 化粧もアクセサリーも嫌味なく、すごくいい感じ。 全員ビューティーコロシアムに出たんじゃないかと 勘ぐってしまうほど(笑)の好感度な外見で、 同僚のおじさまたちも仕事に精が出るに決まってるよね、 と、つい笑顔になってしまう。
通るたびに気になっていたのだけれど、 先日、後続車のいない暇な時間に料金所に入ったため 思い切って「いつもきれいですね」と、声をかけてみた。 驚いた様子だったけれど、「いつもここを通るたびに、 この料金所の女性のみなさん、本当にきれいにしているなって 思っていたんです」と続けた。 「お金を頂いてはもったいないお言葉です。 ありがとうございます。どうしましょう!?」 と満面の笑顔でハイウェイカードと領収証を手渡してくれた。
この女性のことを、今日一日、ちょっぴり幸せに出来たのかも しれないなと考えたら、なんだか私も幸せになった。
2003年06月27日(金)
決め時
生きていれば、なんどか訪れてくる岐路。 なにか大事なことを決定しなければならない時。 その岐路にも、真と偽のふたつの決め時がある。
右に行こうか、左にするか、はたまた前か? 真であれば、迷わない。たった5秒前まで迷っていたものが すとんと腑に落ち、これしかない、と答えが出るものである。 偽の場合、どんなにいいものを前に並べられても 時間をかけても決められない。どこかに迷いが残る。 それは、決め時じゃないというしるし。
心の中に響いてくる、自分の声を信じよう。 選ぶべき道は、自分が一番よく知っている。
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