ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年02月17日(月)
鰻屋
しめっぽい話をするつもりはないのだが、命日ということもあり、今日は一日亡母のことを考えていた。遺影の前には、辛気臭いことが何よりキライだった母のために、いつもより豪勢な、ぱぁっと明るい色目のアレンジで花籠を供えた。彼岸で母も満足してくれていると、勝手に納得している。
昔、母とよく、鰻を食べに行った。そのいきつけの鰻屋は、かなり長いこと商売をしている割に、店の規模も味も変わらぬまま、常に私たちの求める味を出してくれた。つけあわせの漬物は、その鰻屋の糠床で漬けられている旬の野菜。鮮度といい、塩加減といい、裏切られたことがない。
いろいろ考えた挙句、今夜の夕食は鰻重にした。場所は、初めて行く近場の店。いきつけの店は、ちょっと距離もあるのだが、なにより経営者が顔見知り。だから、やめた。というか、いけなかった。ただ、今日の店、思いのほかおいしかった。もう一度行ってもいいレベル。
来年は、いつもの鰻重を食べに行く気になれるかな。なれたら、いいな。
2003年02月16日(日)
想像する力
湾岸戦争のリアル映像は、当時勤めていた会社のTVでみた。大変なことが起こったらしい・・・という思いは持っていたけれど、あくまで他所の国で起こっていることで、想像力のない当時の私には、それ以上の感情は湧かなかった。TVの電源を切れば、日常に戻れる出来事だったのだ。
9.11@WTCを一住人として受け止めた瞬間から、意識がはっきりと変わっていった。この世に、他命の犠牲もいとわず、利権で戦争を仕掛ける人たちがいるということを、強く認識させられた。
明日で、母の急逝から一年が経つ。今日、私の心の中にあった想いはひとつだけだった。「去年の今日、母は生きていた」という事実。生も死も天の采配であり、運命なのだが' if 'が時折顔を出す。もしかしたら、死なずに済んだのではないか。第三者の意思が働いていたのではないだろうか...etc。母は事故で死んだ。はっきりしているのに、いまだ心に封印したはずの if が離れない。そんな時に母の遺影を見ると、たまらなくなる。心が、いまだひりひりとした生傷を抱えていることを直視しなければならなくなる。
ただの事故でさえ、こうだ。では、なにがしかのはっきりとした悪意で、家族が殺されたとしたら、どんな思いを抱き続けることになるのか。想像してみて欲しい。自分が、自分の家族が被害者のひとりであったとしたら、あなたはどう考えるのか。どう行動するのか。
一人の力では何も出来ない。私もそう思っていた時期がある。でも、歴史は人の力で変わっていく。TVの電源を切っても、思考は分断できない。他国や他人事ではない。すべてが私たちの明日に繋がる出来事なのだ。
敵味方なく、戦争で死んだひとりひとりに、歴史や家族がある。それを利権によって奪う権利は、誰にもない。
茶飲話では、政治や戦争話などで感情論にならぬよう、と言い聞かせていた。けれど、ここは世界へ向けた私の発信手段のひとつでもある。だからこそ、感じていることを、そのまま表現した。
ここを訪れたすべてのみなさんへ。 未来を変えられるのは、ひとりの想像する力からなのだということを、どうか忘れずにいてください。
2003年02月15日(土)
顔
夕方のニュースで、久しぶりに川口外相を見た。
外相に任命されたての頃は、かなりすっきりとした顔つきで、潔い姿勢にも好感を持っていた。なのに、顔が変わってしまった。苦悩と想いと現実の狭間にいるせいだろうけれど、むくんでしまっていた。なんだか、少し悲しくなった。
NYにいた日々、私の顔は刻々と変わっていった。写真を見比べると驚くほどに。それは、けして加齢や環境の変化のせいではない。心の変化だ。そして、きっと今も、私の顔は変化し続けている。願わくば、おだやかに、福運が現れる顔になれますように。
2003年02月14日(金)
バレンタインデー
今日はバレンタインデー。なんと、みっつもチョコレートをもらった。誰かがもらったものではなく、私専用(笑)。
この日を愛の告白のために(恥ずかしい表現だなー)活用したことは、小娘のときだった。あまりにも大昔すぎてよく覚えていないのだけれど、2/14関連でひとつだけよく覚えていることがある。
いくつだったかな?ティ−ンエイジャーの頃、「次に生まれてくる時は、男がいいか、女がいいか?」という話をみんなでしていた。絶対にオトコがいい!と、言い放ったのは私だけだった。理由は、放課後に呼び出されてバレンタインのチョコレートを渡される、という経験をぜひしてみたかったから。クリスマスでも卒業式でもダメで、どうしても2/14の経験がしたかった。なんでだろう?固執する理由もないはずなのに。
えー、若いときの思い出話でした。
2003年02月12日(水)
美を学ぶ
昨秋、とても楽しみにしていた特別展を見損なった。松屋銀座で二週間弱開催された「白洲正子の世界」。残念ながら存命中にお目にかかったことはないが、著書を読むごとにぐいぐいと惹かれていった。どうしても行きたかったのだが、なんとしても都合がつかなかった。
ところが、昨日出かけた百貨店の書店で、その特別展のために編集された冊子に出会った。新潮社から出ている「美の種まく人」。文章の数編は既読であるけれど、とにかく収録されている写真が美しい。ぱらぱらとめくっているだけで、惹きこまれてしまう。
若い頃には、傍にあっても見向きもしなかった工芸品やら古美術。むずかしい物だからと、遠い存在として区切っていた。あの頃に、白洲正子さんの著書を読んでも、きっと感銘は受けなかった。白洲さんの選ぶものは、いさぎよい美しさを感じさせるものが多い。鑑賞する側にも度量を要求する。
偶然惹き合った間(ま)。扉を開ければ、そこに新しい哲学が用意されている、ということなのか。年を経て、経験を重ねた。水戸黄門に感涙することもある(笑)。だからこそ、すんなりと、完成された美の世界へ傾倒できる・・・のかもしれない。
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