紫
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もうすぐ、終わるよ〜。
ザックのパッキングをしました。
来週登る山に向けて。
足りないものがいくつか出てきました。
月曜日に買い足します。
山頂の気温は2度だそうです。
防寒具ももっと持っていかないと。
今回は、山小屋にも泊まります。
ピークを目指すために。
最近、気づきました。
私って、ピークハンターだな、って。
6年前、白山のピークに登れなかったあの時から、私はピークハンターだったんだな、って。
でも、単に点であるピークを目指しているわけではありません。
ピークを目指す間の「登山」という線の過程があるからこそ、ピークに到達したときの感動を味わえます。
ピークに到達するために、いろんな努力をします。
体力づくりだったり健康管理だったり。
それでも、どうにもならないことがひとつ。
天気です。
今年2度目のお願いです。
どうか神さま、来週、晴れますように。
どうしても、晴れますように……。
おやすみ。
学生時代。
電車賃がなくて学校に行けないこともしばしば。
そんなときに、真剣に思ったことがあります。
あぁ、今も売血制度があればなぁ………。
もちろん、今はそんな制度は廃止されて当然だと思っています。
でも、アメリカではいまだに血液銀行がFDAの許認可のもとに運営されているとか。
………。
そっか、アメリカに行けばよかったのか………。
なんて、ことも思いません。
というよりも、当時の私は、学校の健康診断の血液検査を拒否していたくらい体に針を刺すことが大の苦手でした。
今も好きではありませんが。
ということで、今日の暦。
「献血記念日」。
昭和39年、売血制度をなくして献血の推進が決定された日。
みなさ〜ん。
献血に行きましょう。
おやすみ。
今日の昼ごはんはそうめんでした。
子どものころは、そうめんはイマイチ好きになれない麺類でしたが、おとなになってからは、夏はそうめんばっかり作っていました。
野菜をたっぷり入れてサラダ風そうめんにするのが定番。
ときどき納豆そうめんにしたり、そうめんチャンプルにしたり。
冬場はにゅうめんにしたり、鍋に入れてみたり。
カレーそうめんもおすすめの一品です。
今日のそうめん。
食べやすいように一口サイズにまとめられていました。
グッドアイデア。
今度から、大人数でそうめんをつつくときはこうしよう!と決断したのでした。
って、そんなに大人数で食べるって、滅多にないのですが。
ま、覚えていたら、そうしよう。
おやすみ。
兵庫県の明石と淡路島を結ぶ船「たこフェリー」に初めて乗りました。
明石大橋ができるまでは、このフェリーや高速船が交通の手段でした。
普通車1台と運転手1名で2050円、所要時間は20分。
高速道路だと2300円で所要時間は10分ほど。
どちらがお得かというと微妙な感じですが、ガソリン代などを考えて「たこフェリー」を選択。
休憩もできたし、景色も楽しめたし、おおいに満足です。
それにしても、久々にフェリーに乗りました。
そして、またしても、旅に出たくなりました。
いやいや、今年は我慢。
我慢の年なんです。
おやすみ。
豊臣秀吉と、北政所(きたのまんどころ)のねねは、当時では珍しく恋愛結婚だったそうです。
秀吉が26歳。なんとねねはまだ14歳だったそうです。
ふたりともまだ身分が低く貧乏生活。
それでも、幸せだったのでしょう。
ねねは、大坂城落城後も生き、76歳まで長生きしたそうです。
1624年。
徳川幕府はもう2代目の将軍になっていました。
戦国時代を武士の妻として生き抜いた女性は数多くいます。
でも、ねねのように時代を見据えて自分の居場所を築き上げていった女性は数えるほどしかいないのでしょう。
今日は、そんなねねの夫、豊臣秀吉の忌日です。
1598年。
秀吉のいない約30年間の人生。
子どもはいなかったけれど、だからこそ、生き延びることができたのかもしれませんね。
そんな歴史の「もしも」を考えながら、おやすみ。
友と飲み会。
1軒目は、私と友にしてみれば、かなり高めの店だったため、ビール2杯で出てきました。
2軒目は、よくわからない店に行きましたが、1軒目より安かったので、そこに居座ることにしました。
最初は友とふたりのはずだったのですが、途中でひとり来て、ひとり帰り、そしてまた途中でひとり来て、最後は3人で帰り。
のべ人数で4人で飲んだけど、そこにいる人数はつねに3人。
そして、それぞれに笑いがたえない飲み会になりました。
お酒を飲んで笑いあえる仲間がいるって、いいね。
おやすみ。
母の携帯代は、私が払っています。
といっても、たいした額ではありません。
ポイントも貯まるので、かえってお得感があります。
そして、母の安否の所在も、わかります。
母が、1日に何歩、歩いたか。
翌朝に、私の携帯メールに届くようになっています。
だいたい3000歩。
よく歩いて5000歩。
それで、いいじゃないですか。
私としたら、何歩歩いたか、というより、母がきょう、一歩でも携帯をもって移動したんだな、ということのほうが大事です。
だって、それは、生きている証だから。
でも、ときどき、母は携帯を忘れて歩くときがあります。
そういうときは、0歩。
かなり心配です。
きょう、母は0歩でした。
家に帰って、さりげなく、でも必要にかられて母の寝所をのぞきました。
………。……。
あっ! うごいた!
生きている母に安心しながら、私は、もう、おやすみ。
「よく学びよく遊べ」
個人的には後者のほうを必死になってやってきたように思います。
前者もがんばりましたが、比としてはやっぱり「遊」。
しかし、もともとはこの「遊」という漢字は、勉学のために他国に行くという意味があるそうです。
となると「よく学びよく遊べ」は「よく学び、他国に行ってさらにその道を極めてきなさい」ということなのでしょうか。
「遊びとは、自分の道を探す手段。遊び惚けてばかりではいけない」
手元の本に書いてありました。
ずしっと、その言葉を受け止めて、さて、明日から「遊び」にテーマをつけていくことにしましょうか。
おやすみ。
「最近の蝉は、人が通っても逃げないなぁ」
蝉取り名人の母が言いました。
「昔の蝉は、少しでも近づいたら、ぴゅっとおしっこをかけて飛んでったのになぁ」
母が子どものころは、虫取り網なんてありませんでした。
いえ、あったのでしょうが、母の住んでいたところは、山のてっぺんの小さな村だったので、すぐには買いにいけません。
子どもは自分たちの遊び道具を自分たちで作っていました。
「家にある針金でまーるいわっかを作ってね。それを細い竹の先に結びつけるねん」
なるほど。
わっかのところに網をくくりつけて虫取り網にするのかな?
「そのわっかのところに、大きなクモの巣を見つけてきて、くっつけるねん」
!!
クモの巣が網代わり?!
その手作り網で、母は蝉取り名人になったそうです。
壊された巣の主(あるじ)も、自分の吐いた糸を本来の目的どおりに使ってもらって本望だったことでしょう。
現代の蝉は、そんな小道具を使わなくても、すぐにつかまりそうですね。
おやすみ。
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