紫
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かなり忙しい毎日が始まり、心身ともに追い詰められながらも、やっぱり今日は祝う日にしていたい。
お誕生日、おめでとうございます。
伝える言葉が、大事なんです。
おやすみ。
「よかったね。大事に至らずよかったね」
2年ほど前から私を指導してくれている人の、そんな言葉に、思わず涙が出ました。
ご心配をおかけしました。
大げさになるのがいやだったので、私の怪我のことをごく身近な人にしかお知らせしていませんでしたが、元気です。
こうして、日記にも書けるような精神状態にもなりました。
支えてくれて、ありがとう。
おやすみ。
これまで、4回の「退院」というイベントをしました。
1回目は、生まれたとき。
記憶にはありませんが、おそらく母の腕に抱かれ、父と母の足元には兄がまとわりつき、幸せだった家族像が、そこにあったのでしょう。
2回目は、24歳の誕生日の数カ月前。
ずっと私のそばに付き添ってくれたブラジル国籍のソノキさんと、ずっと私の看護をしてくれたユーモアたっぷりなナースたちに見守られ、そして、加害者という名の私の恩人家族に付き添われ、退院しました。
3回目は熱川にあるリハビリ病院から。
ずっとつけていた足の装具をはずされ、ホントに久々に自分の素の足で左右交互に足を出して歩みを進めた日。
熱川の海から吹く風と、すぐそこにそびえる山、花、スピークイージー。
そして、入院仲間たちがあたたかく、あたたかく送り出してくれました。
4回目は……、今日。
そそくさと点滴を抜かれ、さっさと退院手続きをして、病院を後にしました。
週末に折れた私の頬骨は、幸いにも手術ができにくい場所であり自然治癒で治す選択をしてくれたドクターと、もう二度とこの病院の受診するまいと心に決めさせてくれたナースたちに、ある意味感謝というかあきらめというか………、よくわからない感情を抱いたまま、ひとり、とぼとぼと病院を後にしました。
とぼとぼ病院を後にして向かった場所は、やはりあたたかい場所。
おいしいお味噌汁を食べ、ようやく日常が戻った気分です。
あぁ、ありがとう。
窓の外に広がる青い空。
私の運命や、いかに。
おやすみ。
今日は父の誕生日。
ハッピーバースデー。
なんて、生きている間は、面と向かって言ったことないのにね。
おやすみ。
私にしては、珍しく自転車の二人乗りをしました。
交通事故にあって以来、自転車の二人乗り、雨の日の傘差し運転などはしないようにしています。
ウォークマンやケータイメールを打ちながら、電話をしながらの自転車なんてもってのほか。
見ているだけで、怖いです。
そんな私。
久々に自転車で二人乗り。
もちろん、私は荷台です。
………。
いったい、何が起こったのでしょう。
気がついたら、私は地面に寝転び、友が運転する自転車に向かって友の名を叫んでいました。
どうやら、荷台から落ちたみたい。
このままだと大げさになると思い、起き上がろうとする私の背後から運命の声が聞こえました。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……」
その間の友も戻ってきました。
「ごめん!大丈夫? ごめん!」
何度も謝る友と、優しく解放してくれる運命の声に癒され、すっくと立ち上がりました。
それに安心したのか、運命の声はてくてくと歩いていき、その姿に友は、
「ステキな人やわ〜」
とつぶやき、そして私はその後ろ姿をぽーーーっと見つめていた……という展開はなく、「痛〜い、痛〜い」と大げさに痛さを訴え続けていました。
こうしてひとつの出会いは、どこぞに消えていくのですね。
おやすみ。
なんと自分の誕生日を忘れていました。
こんなこと、例年にありません。
このところ、ずっとずっと忙しく、考えることややることが多すぎて、どうも前向きになれず、心配ごとのほうがどんどん、どんどん心の中を埋めていくなか、深夜0時を過ぎて1通のメールが届きました。
「誕生日、おめでとう」
あぁ、そうだ。
誕生日だ。
そして、今日はずっとそんなメールが届いたり、思いがけずくすだまのプレゼントやビール、必要だった資料などなどが届き、あぁ、幸せ。
毎年、こんな幸せを実感できる日があることが、幸せ。
私をこんな幸せにしてくれる友たちに、今年もめいいっぱい感謝の気持ちでいっぱいの1日でした。
ありがとう。
緊張の1日でした。
あ〜、疲れた。
おやすみ8秒。
あしたから、また忙しい毎日。
がんばるぞぅ。
私のうちの「こいのぼり」は、大きすぎて空で泳いだことが一度もありません。
一度もないまま、母の実家の納屋に数年前に片付けられました。
その実家も、どこぞの業者の手によって無残な姿になっているとか。
一度くらい、大空にそよそよと気持ちよく泳がせてあげたかったな。
もちろん、私のではないけれど。
おやすみ。
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