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2008年04月04日(金) 1本、2本

母が、バナナを2本、くれました。

「食べ」

少食な私は、三度のごはんをおいしく食べたいために、間食はほとんどしません。
間食、したいなぁ、と思うことは多々ありますが、後で後悔するからです。

でも、母は私にバナナをすすめます。

え? なんで?

「あんた、子どものころ、バナナが食べたくても食べられなかったんやから、食べ!」

そう言って、無理やり2本のバナナを手渡されました。

まだ、幼稚園にも入っていないころ、私は、バナナを1本食べると、必ず湿疹ができていました。
だから、童謡の「さっちゃん」ではないけれど、バナナは半分しか食べられませんでした。
でも、バナナは大好き。
そのせいか、童謡の「さっちゃん」も大好きで、この歌は、きっと私の歌なんだ、と幼心(おさなごころ)に思っていました。

当然ながら、母もそれを覚えていて、でも、きょう、バナナを2本も(!)手渡されました。
思う存分、食べさせてあげたい、といまさらながらに思ったのでしょうか。

そして、私も三つ子の魂。

いいのかな、いいのかな、とちょっとドキドキ、悪いことをしているような気持ちになりながら、1本のバナナを食べました。
もちろん、満腹。

そして、心のなかで唄いました。

 ♪だけど、おとなになったら、バナナが1本、食べられるんだよ。
  よかったね、さっちゃん。

おとなになりすぎている私は、バナナは2本でも大丈夫と、母は思ったのでしょう。

おやすみ。


2008年04月03日(木) 値打ち

ETCが、ようやく割引されるようになってきました。
ETCをつけている車の横暴さにあきれ果て、

「ETCをつけていない最後の車になる!」

と豪語してきましたが、何かと割引がきき、遠くの山に行くにはETCをつけていないと異端視されるようになってきたため、車を買いかえると同時に、ETCもつけてもらいました。

とはいえ、もともと横柄な車の多い高速道路が嫌いな私。
ひとりのときは、ほぼ高速道路にのりません。
そのため、ETCのポイントも貯まりません。

今日、久々に阪神高速を端から端まで乗りました。

「端から端までや。値打ちもんやなぁ」

以前、そんなふうに言ってくれた友の言葉を思い出し、出口の料金所で「80円、割引です」という機械の声を聞くと、深夜割引の時間帯なら、高速、乗ってもいいかなぁ、というなんともゲンキンな考えになりました。

ま、乗ったぶんだけお金は使うから、お金が減っていることには違いないのですが。

お得感重視、ということで。

おやすみ。


2008年04月02日(水) ビデオ

さぁて。
ビデオを観よう♪

と、夜、ビデオをつけたら……。
あれ?あれれ?

なんとビデオが壊れてしまいました。
あぁ、ショック。

もともとテレビを観ない私。
でも、今は観たい番組があります。
こんなときに限って……(涙)。

でも、よく考えれば、ほぼ5年くらいはビデオの電源を入れていませんでした。
壊れて当然。
しかももう10年選手です。

とはいえ、DVDに買いかえる余裕はなく、う〜ん、う〜ん。どうしよう。
と思い余ったすえ、友にメール。

「ビデオ、とっておいて〜」

ということで、毎日は観られなくなったけれど、週に1〜2回はまとめて観られることでしょう。

あぁ、友よ。
ありがとう。


2008年04月01日(火) 相性

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕(おご)れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛(たけ)き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ。

ご存じ「平家物語」の冒頭です。
中学校2年のときに、暗記させられました。
当時、京都に住んでいた私は、京都のお寺の話だとばかり思っていたら、その話がもっとグローバルに広がっていることに、ただ、ただ、驚きました。
それまで、歴史はすべて京都がメイン、という安直な発想はいとも簡単に打ち砕かれました。

「祇園精舎」とは、インドのお寺のこと。
「沙羅双樹」とは、お釈迦様が亡くなったことを悲しんで、いっせいに花開いたインドの花で、日本では育たないということ。

ほかにも、何かあったように思いますが、もう記憶のかなた。
あのときの国語の先生にまた教えてもらいたいな。

平家物語の冒頭を聞くと、連鎖的に思い出す俳句がひとつ。

「夏草や つわものどもが 夢のあと」

「平家物語」の悲話より「奥の細道」のほうがどうも私には性に合っているようで……。

おやすみ。


2008年03月31日(月) はまっているもの

あまりテレビは観ない私。
でも、今、はまっている番組があります。

「砂時計」というテレビドラマ。
珍しくビデオまで撮っています。

調べてみれば、今春、映画化されるとかなんとか。

でも。
やっぱりドラマで観ておきたい。

ということで、毎日、帰ってはビデオを観ています。
あぁ、こんなワタシ。
ひさしぶり〜〜〜っ!

おやすみ。


2008年03月30日(日) 謝罪

なんだか予定外に忙しい1日でした。
飲みの予定は、ドタバタキャンセル。
ごめんです。


2008年03月29日(土) いい日

かなり久々に、東海自然歩道を歩きました。
そして、今日をもって、今年の私の山歩きが開始されました。
今年も、時間の許す限りたくさん歩きます。

と、意気込んでいますが、今日の東海自然歩道。
単調な林道が続く下りの道がほとんどで、大したことはありません。
今日のメインは、滋賀県信楽(しがらき)の山里奥深くに建つ「ミホ・ミュージアム」です。
メインといっても、東海自然歩道の通り道にあるため、せっかくだからちらっとのぞいて行こうという、単なるこじつけのようなメインイベント。

でも、これがけっこう、いい美術館でした。
国内よりも、海外から絶賛されているようで、ガイコク人が多く、あちこちで英語や中国語らしき言語が聞かれました。

中国の理想郷である桃源郷をイメージした造りとのこと。
そういえば、中学校のときに、桃源郷の漢詩を学んだなぁ、と思い出し、少し憧憬の念を覚えながら、ここがそうなのか、となぜか納得。

そして、その後、東海自然歩道を歩き、電車で京都まで行きました。
その間、非常に寒く!、寒く寒く。
いっしょに歩いた妊婦さんが心配だったのですが、大丈夫だったかな……。

京都で降りて、恒例の「第一旭」のラーメンを食べて、持ち帰りラーメンも2つ買って、外に出たら、ぽかぽか体が温まっていました。

今日は、いい一日。
いい一日。

やっぱり……。
ありがとう。


2008年03月28日(金) 椿

去年の夏だったでしょうか。
私の住む家の近所に植えられている椿たちが、町内会の計画で切られました。
おそらく、植え込みに不審な人物が隠れられないように……という、子どもを守るための計画だったのでしょう。
それでも、私の住む山に20年前から植わっていて、毎年、きれいに大きな花をつけて周囲の目を楽しませてくれていた椿。

珍しいチェーンソーを使いたいらしい大人の男たちが、計画外の木も切り倒そうとしていたとき。
母が言いました。

「もうっ! やめなさい!」

そうして守られた1本の椿。

先日、その椿の前を、母と通りました。

「この木だけ、1本、残ったんや」

母が言いました。

「じゃぁ、この木だけは花を咲かせるんだ」

私の単純なコメントに、母がまた言いました。

「残されたこの木だって怒っていて、今年は花を咲かせないよ」

………。
植物や動物たちと、会話のできる母が、私は、子どものころからうらやましくて仕方がありませんでした。

さて、椿。
仲間が減ったことにへそを曲げずに、今年もキレイな花を咲かせてくれるよう、私からも毎日、話かけていくことにしますか。

おやすみ。


2008年03月27日(木) 冬のおわり

話題が遅れていますが、先日、女子マラソンのオリンピック代表選手が決まりました。
残念ながら、Qちゃんは選考から外れました。

その選考会のニュースを見ていて、母がぽつり。

「ホントは、私も出ているはずやったんだけどなぁ」

子どものころ、山の上のもっと上に住んでいた母は、毎日、兄姉たちとかけっこをしながら、山の上から町の小学校まで通っていました。
もちろん、帰りもあっちこっちと走り回りながら、山の上のわが家まで帰っていたとのこと。
積雪2メートルほどあった冬は、スキーで学校まで。
帰りは、通りかかった近所のおじさんがときどき車に乗せてくれたそうですが、基本的に山をてくてくとスキーを担ぎながら登っていたそうです。
あぁ、なんという、生まれながらのアルピニスト!

そんな母は、オリンピックの時期になると、いつも言います。

「金メダルくらい、取れてたよ」

確かに。
高地トレーニングを普段の生活からしていた母とその兄姉にしてみれば、オリンピックなんて「屁のカッパ」……か?

「アンタも、陸上を続けていれば、オリンピックに行ってたのになぁ」

母がぽつりと言いました。
そんな私もまんざらでもなく、確かに、いい線まで残っていた自信はあります。
なんの根拠はありませんが。

この親にして、この子あり。

オリンピックに行っていただろう自分を、選手たちと重ねながら、毎週、マラソンを見ていた冬が、今年も終わります。

おやすみ。


2008年03月26日(水) 思い込み

先日、左手の薬指の先っぽを、ざっくり、切りました。
あ、ちょっと大げさな表現でした。
さくっと切りました。
包丁で。

あまり包丁で手を切ることのない私ですが、切ったときはけっこう深い傷になります。
そのため、なかなか思うように血が止まってくれませんが、そんな私にも慣れているので、ゆっくり血を止める準備をします。

初めて、包丁で指をざっくりと切ったのは19歳の春。
バイト先の厨房で、慣れてきた包丁にうっかり指を切りました。
いまだにその指の感覚がおかしく、変な爪の生え方をしているけれど、人の再生能力に驚いたことを覚えています。

だから。
今も、包丁で指を切ったときは、19歳のときのことを思い出します。
あのときの傷が大丈夫だったのだから、今回も、大丈夫。

ただ、私の中の思い込みに、「年齢」という言葉は入っていませんが。

でも、きっと、大丈夫!

おやすみ。


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