紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
きょうは「送り火」です。
テレビで大文字の送り火をみました。
そして、今年いっしょに大文字に登った仲間たちのことを思いました。
あのときの感動を、思い出してくれていればいいな。
子どものころからかわいがってくれた伯父からメールがきました。
初盆を案じてのメール。
おそらく、私ひとりですべてを担っていると思ったのでしょう。
ちょっと泣き言を返したらこんな返事。
「君は大丈夫。明るくて、強い」
そっか。伯父が言うなら大丈夫かな。
そういうふうに思い込ませてくれた伯父のメールに感謝。
北海道の友からメール。
北海道も暑いみたい。
私の今度の旅の話をひととおり説明するとこんなメール。
「あいかわらず、ハードだね」
え。ハードな旅は私はニガテなはずなのに……。
ちょっとした焦りがあったのでしょう。
計画練り直しです。
私らしい旅を、楽しみたい。
さ。
そんなふうにきょうは過ぎました。
山の計画を立てたり、旅の計画を立てたり。
お盆のおわりは、これでいいのです。
でも、いつまで私は、こんなお盆を続けていられるのでしょうか。
おやすみ。
父と母が暇があるときに耕していた畑は、もう今はまったく何も手付かずです。
おそらく、今年になってからは一度も足を運ばずだったのでしょう。
今ごろ、どうなっていることやら。
茗荷がぴょこぴょこ生えているんだろうな。
野菜は、近所の「100円農家」から買っいますが、その農家も最近は人気が高くて、なかなかいいものが手に入りません。
スーパーの野菜は、鮮度が悪くていまいち母は気に入らない様子。
「今年は、きゅうりは豊作だったりしますか」
今日の昼。
友にメールをしました。
その友のご父君は、近所に畑を借りていて、それは見事に野菜を育てています。
そして、ときどき(しょっちゅう)、おすそ分けをいただきます。
母も、その友の家庭からもらった野菜には、一目置いていて、「どうやったら、こんなに立派なトマトができるのかな」とよく父と言っていました。
その家のきゅうりを、きょうは「おねだり」しました。
おまけに「トマト」と「かぼちゃ」もついてきました。
どうもありがとう。
母が喜びます。
遅くの帰宅に母はもちろん就寝中。
あした、楽しみだね。
おやすみ。
次の満月は、皆既月食だそうです。
そのとき、私はちょうど山の上にいます。
雨さえ降らなければ……ですけれど。
今回の月食は、月がすっぽりと地球の影に隠れた状態で上がってくるとか。
それまでは満点の星空を楽しむこととしましょう。
おやすみ。
きょうからお盆です。
わが家は「初盆」です。
ホントはきょうの夕方に迎え火を焚くようなのですが、きょうは私は用事があり家にいません。
なので、きのうの夕方に迎え火を焚きました。
買ってきたお供えセットのきゅうりとナスに割り箸を刺し、仏壇に飾りました。
先日、お寺からもらってきた卒塔婆を立てかけ、なにやら文様の入っている「ありがたい紙」をコップの中で燃やします。
この火を頼りに還ってくるそうです。
それから、その火でろうそくを灯し、そのろうそくの火をお線香に移しました。
おかえり
1日早かったけれど、きっと父をはじめ、この仏壇にいるご先祖さまたちは還ってきてくれたことでしょう。
送り火は16日。
それまで、のんびりしていってね。
おやすみ。
「おまえ、オレと付き合え。返事はオレの靴箱に入れとけ」
中学校2年生のとき、ひとつ上の先輩からそんな脅迫めいた手紙をもらったことがあります。
いかにも破きましたというノートの切れ端に、鉛筆であまり麗しいとはいえない文字。
いわゆる「ラブレター」でした。
それまでも、いくつかのお手紙はいただいたことがあり、そして子どもなりに丁重にお返事させてもらっていたのですが、その手紙だけは返事は書けませんでした。
当時、生徒会をしていた私。
とくに何をしなくても、どうしても目立ってしまいます。
私たちの斬新な改革に対する保守派からのいわゆる「テロ」なのかもしれない……!
なんてことは考えませんでしたが、なんだかあまりいい気分はしません。
友人に相談して、しばらく様子をみることにしたその3週間後。
再び、靴箱になにやら紙切れが……。
「返事は、靴箱に入れておけ。オレの靴箱はここだ」
同じような文面でしたが、今度はていねいに靴箱の地図まで描いてありました。
こんな紙切れでこんな文面でも、それでも真剣に想ってくれているんだなぁ、と思いながらも、でも、その命令口調がどうも気に食わず、またまた友人に相談。
そして、友が作ってくれた返事がこれ。
「オレのことは忘れろ」
もちろん、その返事を出す勇気はまったくなく、結局、返事をせずまま、彼は卒業していきました。
たまに思い出す「返事を出していない手紙」です。
きょうは、手元の郵便物を整理。
久々に彼を思い出し、今ならもっと気のきいた言葉でお返事できるのにな、とちょっぴり反省したひとときでした。
おやすみ。
まだ「mixi(ミクシィ)」というソーシャルネットワークサイトがここまで世間に知られていないころ、友人をmixiに誘うのに一苦労しました。
私は、マスコミ系に知人がいるため、比較的早い時期にmixiを紹介してもらいましたが、周囲の人は誰も知りません。
「友だちの友だちはみな友だちだ、みたいなサイトがあるんだけど……」
「登録は無料で、いやだったらすぐにやめられるよ」
「日記を書いたり、友人の日記にコメントしたり、掲示板みたいなところに書き込みしたり、けっこう楽しいよ」
などなどと言っているうちに、なんだかあやしい宗教に誘っているみたいで、ちょっとどぎまぎしていました。
あれから数年。
もういろんなところで、mixiの話題を聞きます。
おそらくほぼ初対面同士でも、自分のmixiの中での名前を教えあっているのでしょう。
これって、新しいコミュニケーションの取り方なんだろうな。
人見知りをしてしまう私には、これはちょっとニガテで、けっして初対面やそれほど喋ったことのない人とは、自分からmixiの話題はしません。
とはいえ、聞かれればよっぽどな人でないかぎり、受け入れるようにしています。
遠いところに住む友や疎遠にしていた友を身近に感じたり、はたまた近所に住みながら「へぇぇ、こんな考え方をしていたのか」と発見したり。
見たくない日記は見なきゃいいし、見たくないコミュニティはやめればいい。
自分なりにmixiをうまく利用していけばいいんです。
おやすみ。
心がざわざわしています。
なんでかな。
きのう、旅気分を味わったからかな。
刹那主義は、やっぱり、ダメですか。
おやすみ。
「沖縄の歌にはエネルギーがあって、そのエネルギーを感じてもらうために、歌います」
5年前、アメリカに留学した友が言いました。
そして、歌いました。
小さな体からめいいっぱい声を歌にしました。
彼女の歌から、熱い熱い気持ちが伝わってきて、自然と涙があふれていました。
あのとき初めて「沖縄」に触れてみたい、と思ったような気がします。
そしてその1カ月後、私は沖縄に旅立っていました。
沖縄の歌を聴くと、いつもそのときの気持ちと、あのときの状況を思い出します。
あのとき、私のいた場所は悲しみにあふれていて、そして私は「思い出」の中で生きようとしていたような、そんな「とき」……。
今日は、沖縄民謡を聴きに行きました。
プロの歌を聴くのは久しぶり。
三線の音色がやさしくて、ライブで会った人たちはみんな楽しくて、なんとなく旅先の宿気分。
たくさんのエネルギーをきょうはもらったなぁ……と考えながら、帰りの電車はすっかりぐっすり夢の中。
さ、明日からがんばろ。
おやすみ。
朝ごはんを食べて、なぜかベッドで二度寝。
二度寝って、めったにしない私なので、すぐに目が覚めてしまいましたが、なんとなくすっきり。
予定より1時間遅れてホテルを出て、今回の旅の目的地「21世紀美術館」に行きました。
できた当初から、ずっとずっと行ってみたかった美術館。
ちょっと予想とは違ったけれど、見たかったものが見られてよかったです。
それにしても、暑い暑い1日でした。
帰りは、後輩がビールを買ってきてくれました。
ありがとう。
なんだか、あっという間の金沢だったけれど、目的を果たせてよかったです。
こんなふうに、私の旅は、突然始まります。
旅に誘ってくれて、ありがとう。
楽しい思い出を、ありがとう。
おやすみ。
「今年こそ、そろそろどこか行きましょうよ」
元いた会社の後輩が誘ってくれたのは6月の終わりくらいだったでしょうか。
これまでも、何度か唐突にふらりといっしょに旅に出ていたのですが、ここしばらくは私の都合で行っていません。
「そろそろ」と言われると、「そろそろ、行こうか」という気持ちになり、これまでに「いっしょに行こう」と言っていた場所に行くことにしました。
そして、きょう。
昼前の特急「雷鳥」に乗りました。
そう、向かった先は「金沢」。
目的は……、あしたのオタノシミ。
まずは、舌とおなかを満足させるために、金沢の魚と地酒を満喫。
ホテルについている温泉で疲れを癒して眠りにつきました。
最近は「山」ばかりな私。
久々に「旅」を満喫しています。
おやすみ。
目次|過去の日記|未来の日記