椰子の実日記【JOYWOW】
2008年04月01日(火)
飲んでいるのはフィジー名物GOLDビア。イーネ!

あまりに寒いので、暑い国にいたときの写真を眺めています。 これはフィジー、マナ島。 著者近影の写真、これを使おうか。
と、いうことで、本日も終日、横浜オフィスでした。 帰宅すると、注文しておいた二冊の本が届いていた。
『エマソン入門』リチャード・シェルダード 『エマソン名著選 自然について』エマソン
いずれも現在翻訳している作品内で鍵となる人物、 エマソンについてもっとよく知るための参考図書だ。 今回こうして翻訳のためのその周辺図書を購入した のはこれで何冊目、読んだのは何ページに上るの だろう。大学受験の社会は世界史と日本史で受けた ので、勉強したはずだが、やはり、根本的に受験勉強と 実学との差は大きい。あらためて、勉強の大切さを 知った。
2008年03月31日(月)
桜はどこまでいってもトク、そして美しい

葉山の夜明け! 横浜山手オフィス前の桜が、午前中のヤクザな雨風で 3割方散ってしまった。道路に散らばる花びらが痛々しい。 一方、美しくもある。桜は、蕾も、満開でも、散っても、 美を感じさせてくれるね。
桜の木と一本道路を隔てた駐車場に停めておいた愛車の ドアやあちこちに花びらがくっついていた。
これが魚のうろこだったら、ぐえーーーとなるところ だが、桜の花びらはトクだねえ。つい、微笑んでしまう。
2008年03月30日(日)
ちりとてちん、ありがとう!

トンネルを抜けるとブワーーーーッと広がる鎌倉の海。 視界が開ける思いが、いいねえ。いつも、気持ちいい。
さて、NHKの朝ドラ『ちりとてちん』が終わってしまって、 寂しい限り。
本当に良くできたドラマだった。夜のドラマが、漫画や 小説が原作のため、ある程度視聴率が予測できたり、 あるいは徹底的に手抜きで、バラエティ番組化して いたりして(さんまと長澤まさみのドラマは本当にひどかった)、 品質が低下していることに比較するまでもなく、ここ 数年のドラマの中では最高の品質だった。
演出、撮影、照明、音声、などのスタッフが、プロとしての 仕事をきっちりやったらこうなる、という見本のような 仕事を見せていただいた。
脚本も練りに練られていて、伏線の見事なこと。 テーマが「伝承」という明確な一本に絞り込まれていて、 すべてがテーマに収斂する見事さ。
そしてもちろん、和久井映見を始めとするベテラン陣、 貫地谷しほりを始めとする若手メンバーの演技の見事さ。
朝ドラはたいてい、「そこは見逃してください」的な 「ぬるさ」があって、たとえばそれが新人ヒロインの どうしようもない演技であったり(これはデビュー したての沢口靖子以来の伝統であろう)、ストーリー の無理な展開(例えば『どんど晴れ』のヒロイン女将 修行への動機)であったり、張られていたはずの伏線 が途中で切れてしまっていたり(あったと思うが、思 い出せず)、それの存在が耐え難い軽さとなっていた のだが、今回は皆無。
面白いことに、携帯電話が全く登場しない。ITも登場 しない。唯一、原稿執筆手段としてのラップトップが 出てくるくらいだ。
登場人物たちは、用があったら、会いに来る。 突然であろうと、何であろうと、実際に会いに行く。
終わるのが哀しいドラマに出会えたことは、本当に 幸せでした。こんな高品質ドラマが低視聴率である ことは、やはり日本人の劣化をそのまま表している のだろうな。
ちりとてちん、幸せな朝の時間を半年、ありがとう!
2008年03月29日(土)
翻訳没頭の土曜日

一日翻訳をして過ごす。 庭ではねこがみゃあみゃあ鳴いているが相手にしていられない。 これでまだ50%も済んでいないのだ。 ほかに書くことがないので、今日翻訳し推敲・校正前の ほやほや生原稿を掲載してみよう。禁・無断転載。
文中、エマソンはラルフ・ワルド・エマソン、 ソローは、『森の生活』のソローだ。
(引用開始) ------------------------------------------------------ エマソンは無意識のうちに若きハーバード大学生ヘンリー・ デヴィッド・ソローのものの考え方に影響を与えていた。
体制に従わないエマソンの流儀は若きソローの中にもあった。 ソローは1833年、カレッジに入学した。この年、ウィリアム・ ヒューアル(*)が「科学者(scientist)」という言葉を 新しく生み出している。
*訳註:William Whewell (1794 - 1866) 英国の博学者、 科学者、哲学者、神学者、科学史家。
カレッジも上級、二十歳になったソローはエマソンの 『自然』を読み、その異端ぶりに、魅了された。 2回読み返した。
概して、私たちに影響を与える書物には、読む本人に とって特別な性質を持ったアイデアが散りばめられて いるものだ。既に認識してはいるのだが、自分のもの として表出するには至らず、知のゆりかごの中で揺ら れているアイデアたち。
稲妻よりも大きなパワーを秘め、内側から 飛び出すタイミングを待っている。 ソローにとって『自然』はそういう本だった。
ソローはエマソンに
「ハーバードはあらゆる分野の知識を教えてくれた。 しかし、その知識のどこにも根っこがなかった」
とジョークを言ったことがある。
『自然』の中に、ソローは哲学の土壌となる知の泉 を発見したのだ。 -------------------------------------------------- (引用終了)
2008年03月28日(金)
松涛スズメ

松涛の住宅街を歩いていたら、空き地があって、そこは 以前大邸宅があった場所で、後にただ空き地だけがあって、 そして、桜の木が残っていて、桜の木だけが華やかで、 それがとても虚しくて、しかもその桜の木から桜の花びらが ぱらぱらぱらと落ちていて、まだ桜の散る時期には2、3日 早いだろうと思って、どうしてだろうと見たら、雀たちが 懸命に枝をつっついているからなんだ。
つっつくスズメ。 散る花びら。 花びらが地面に。 地面が桜色になる。 スズメはつっつく。 花びらが散る。 桜色に染まる地面。
松涛の、そこのスペースだけが、ホンネを語っているような、 そんな気がした。人生のホンネ。ウソのない気持ち。
・・・なんてね。戯曲を読んでいると、表現が文学的に なるなあ。
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