椰子の実日記【JOYWOW】
2007年10月15日(月)
ドッカン、ドッカン降ってくる

発想がポンポンわいてきてとまらない。
例えば、突然、
田中靖浩さん(→)
とのトークショーが降ってきたり。 速攻で田中さんに「やりませんか」とメール投げたら 「OK!」の心強いリターンが。ぼくのイメージでは 事前打ち合わせ一切なし、ぶっつけ本番で、テーマも 決めず、現場でトークを繰り広げる、というもの。 もちろん、オーディエンスも交えて。 企画段階でも一度も田中さんとは会わずにメールのみで 進めようと画策中。さて、うまくいきましたらおたちあーい。
このほかにも新商品、新企画など、怒涛のように降ってくる。 2008年−2009年にかけてジャパン&ワールド・セミナーツアー もやりたい。JOYWOW Universityもやるよー。 翻訳、書き下ろし本もぽっこんぽっこん出すよー。 この秋以降、スケジュールとしては無茶苦茶なのだが、さらに 輪をかけて、予定が入りそうだ。よっしゃーー!!
2007年10月14日(日)
仕事、仕事の秋の休日

この土日は休日返上で仕事。 土曜日はスッキリ・セラピー。ウィークエンドの横浜元町は 平日とはまた違った華やぎがあり、気持ちいい。
翻訳を三年ぶりに始めているが、まだ、軌道に乗らない。 原文そのものがとてつもない教養家の書いた文章であり、 正確に理解するためにはラテン語、フランス語、世界史、 南(プラハラード謂う所のBOP=Bottom of the Pyramid) の現状、世界のNGO、NPOに関する知識などが総合的に 必要で、たった20行翻訳するのに3時間かかったりする。 しかもまだ翻訳エンジンがかかっていないので、ヘタすると 「彼はそれに興味を示した」というような、「it」の 直訳や、主語の置き換えなしの、英文和訳になってしまう。 いわゆる、「翻訳臭い」文章だ。これでは自分が自分で納得 できない。七冊既に翻訳していてこれだ。何事も楽な仕事は ない、ということだね。
ちなみに毎回、範とする翻訳家、文章家を設定するのだが、 今回は村上春樹と堀口大學両巨人とした。うー。やはり お二人はすごいです。
2007年10月13日(土)
中野裕弓さん&アラン・コーエンさんジョイントセミナー

昨夜は中野裕弓さん&アラン・コーエンさんジョイントセミナー に参加。素晴らしかった!
ピアノ演奏で始まった。こういう導入は、会場の氣を清める のに、とってもいいなあ。
アランも、ロミさんの話も、とっても勉強になった。 ノートが真っ黒。
穴口恵子さんの瞑想タイムでは久しぶりに母が出てきて くれた。「無理したらあかんで」とのメッセージ。 再会に嬉しくて、思わず涙が出た。
会場には山川紘矢・亜希子さんご夫妻がいらしたので、 ご挨拶させていただいた。数々の翻訳でぼくを導いてくださった 恩人だ。本田健さんもおられたようだが、気づかず。
Surfin'読者も多数参加くださっていた。セミナーから帰宅後、 ご丁寧にメールをくださった方も。ありがたいことだ。 感謝、感謝。
充実した、良き夕べでした。
2007年10月12日(金)
たいせつ

大雪山国立公園扇が原展望台からの眺め。 茫洋としているでしょ。まるでこの世の景色ではないみたい。 ハヤカツさんに教えていただいて初めて知ったのだが、 「大雪」は「たいせつ」と、濁らず発音、「大雪山」と いう山が(富士山のように)一つあるわけではなく、 山系であって、この展望台が山系への入口とのこと。 ここからは徒歩で山登りするらしいが、ぼくには向いてない(笑)。
展望台に向う山道脇は紅葉が見られた。美しい。北海道は スケールが大きい雄大さと、繊細な美しさ、その両方を 備えた魅力があるね。
2007年10月11日(木)
阿寒湖に吹く風は秋色

帯広から二時間のドライブで、阿寒湖へ(運転してくれたA君、 ありがとう!)。道中、足寄がえんえんと続き、いつムネオ君 が出てくるかとひやひやしたが、出てきたのは「チハルの家」 だった(これについては後日触れるかもしれないし、触れない かもしれない(笑))。
阿寒湖で遊覧船に乗る。ガイドさんの案内は昭和時代から 変わらない原稿のようで、聞いていると、80年代、旭化成 新人時代に社内旅行でここに旅してきているかのような、 そんな錯覚を覚えた。「マリモの歌」がエレジーで、もの哀しく、 旅情というより、哀しみを想起させる。何かに似ていると ずっと思っていたのだが、そうだ、あがた森魚の「赤色 エレジー」に似ているんだと、昨夜風呂で思い出した。
データによると阿寒への観光客は91年をピークに、 マリモ展示観察センター、阿寒湖畔スキー場、オンネテセ、 阿寒湖ビジターセンター、すべての来場者数指標で 右肩下がりである。マリモセンターは91年には年間70万人 を超えていたのが、99年度(手元統計はその年までしかない) には38万人、約半分近い。 現場に来てみて、さもありなん、と思う。
ゾーン全体が、80年代のままなのだ。土産物屋さんからは 聖子ちゃんカットの女の子(80年代では女性を『おんなの子』 と呼んでもだれにも叱られなかった)がひょい、と顔を 出しそう。この空気描写だけでご理解いただけると思う。
鶴雅(→)
のような地元でがんばっている宿があるが、そのような 内燃機関だけでは限界があるような気がする。 外燃機関との相乗効果がなければ、厳しいのでは。 例えば外部の、地元の利害関係とはフリーで、かつ善意の (ここが大切だ)投資機関や企画会社と手を組むとか。
それにしても
まりもっこり(→)
のセンスはいただけない。つらい。こんな土産物が大手を ふれるのはおそらく日本だけではないか。やめたほうがいい と思います。
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