株式会社JOYWOW
椰子の実日記【JOYWOW】
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2007年04月02日(月)


蕎麦で幸福になる

久しぶりに、天下一旨いとぼくが思っている
蕎麦屋へ。

夕方思い立って電話したら、営業しているというので、
夜の予約をした。

「天ぷらは、さっき海老と魚が切れたので野菜だけど
いいですか」

あの蕎麦屋のおやじには、いやだとはいえない。

以前住んでいた家からは歩いてすぐの場所だった
のだが、引越してからは徒歩でもタクシーでもバス
でも行けるという微妙な距離になった。無論、健康
のために、タクシーで行く。

店の前には「本日売切」の札が。相変わらず、
商売っ気というものが1ミリもない。
一切、店の名前や場所は書かないでくれ、とおやじに釘を
さされている。忙しくなるのが嫌なのだという。

玉子焼き、ヱビスビール、酒、そして、天せいろ。

幸せだった。これだけ通いつめているのに、裏切られない、
ということは、それだけ日々おやじの腕も進歩している、
ということなのだろう。普通、どんなに旨くても飽きるから。

葉山に住んでいて幸せだなあ、と思う理由の一つだ。

 

2007年04月01日(日)
明治の風情がビキニで泡となる

仲田定之助氏『明治商売往来』(ちくま学芸文庫)を愛読
している。
明治にあった商売のあれこれを、実体験のエピソードと
共に紹介してくださっている好読み物なのだ。

例えば、「甘酒屋」の項では

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水天宮の縁日や、人形町の夜店を冷やかしに行ったついでに、
わたしはよくこの店に寄っては、大きな湯呑に入ったあの
白いどろっとした液体の中におろし生姜を入れて、甘酸っぱい
ような味を咽喉に流しこむのが好きだった。この明治の庶民的
な甘党の店を高村光太郎は「人形町」という詩の中にうたって
いたが、もう今は廃業してしまったようである。
そこは角店だったので、その横通りを甘酒屋横町と呼んでいたが、
尾張屋の店がなくなったので、明治座通りという名に変ってし
まった。
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という具合。そうか、明治座通りって、そういう物語が
しみこんでいるんだ、と、想像が飛んで楽しい。

ふんわかした気持ちで散歩がてら近所のスーパーへ行くと、
ビキニ水着の上にバスタオルをはおっただけの娘たちと
その仲間達がざらつく声で騒いでおり、風情の一つもない。
普段は静かな田舎の町が、そろそろこの陽気に誘われて
観光客を集め始めたようである。あわてて店を出る。
明治は本当に遥か彼方に飛んで行ってしまった。

 

2007年03月31日(土)
女 け 男




以前から気になっていた、御用邸近所の海沿い道路脇の
のれん。

「女 男」とあって、真ん中に「ゆ」ならぬ「け」の字。

葉山在住の人ならニヤリ、とするのではないだろうか。
そうです。あのお店です。

おやじさんに聞くと、祖父の代からずっとこの地で床屋さん
をやっている由。シャレで、「ゆ」の字を「け」とし、
男性も女性もOKという意味をのれんに表現したそうだ。
まじに、洗面器提げてやってきた人がいるらしい。
そりゃそうだなあ。たぬきも軒先でがんばってる
もんなあ。

店内に入ると、大音響のオーディオの洪水に迎えられる。
葉山、狭い町だけど、いろいろ面白い貌がある。

 

2007年03月30日(金)
LOVE KOBE

神戸は垂水・須磨・西区・明石(大久保以東)限定の
生活エリアマガジン『ぷらっと』、創刊号から連載を
させていただいている。原稿を書いていたら、ふと、
三宮の東門街を抜け信号を山側へ渡り、ハンター坂
角にあった「DannyBoy」というイングリッシュ・パブを
思い出した。ここは日本で最初に生ビールを提供した
という伝説がある。ジョッキがきりっ、きりに冷えていて、
注がれるビールの旨かったこと!

震災で木っ端微塵になった。
震災後の現地調査で、自転車を走らせ、ぺしゃんこに
なった店の前で泣いてしまったこと、まるで昨日のようだ。

DannyBoy東側には「にしむら珈琲」、道路海側には「キリン」
というスナックがあった。ここは友人のチャコがチーママ
をやっていて、一度手伝ったことがある。お客さんの
タバコを買いに行ったり、「チーフ」という役職名を
結構楽しくやった覚えがある。

今日のように暖かく、日差しがニコニコしている日には、
神戸の街を散策したくてたまらなくなる。

夜はやはり神戸元町別館牡丹園だろう。
隣にも別館牡丹園があるのだが、全く違う経営であって、
「神戸元町別館牡丹園」と、全部言わないと、本人では
ないのでややこしい。
ミル貝の温菜、わずか二枚しかないレタスを貴重品扱い
しながら食べなければならないレタス包み、など、
久しぶりに味わいたい料理がいっぱい。

日本で最初の会員制喫茶店にしむら珈琲店も、
震災で会員制を維持できなくなったのだが、久しぶりに
行ってみよう。そういえば、2001年春、そのにしむら珈琲店
本店で、インプレス編集者と打ち合わせした本の企画が、
『スローなビジネスに帰れ』なんだ。

久しぶりに神戸へ行ってみたくなった。葉山の海もいいが、
神戸の海も、また。

 

2007年03月29日(木)
なぜ江原さんは「それでいて」と言い、「ではないでしょうか」と書くのか

父の行方を捜索している。
父と母は、ぼくが5歳のときに離婚していて、それ
以来、ぼくは会っていない。母も亡くなり、今や
父の行方を調べる方法はかなり限定されてしまっている。
それでも、実の父だから、お墓参りの一つもしたい。

父の本籍地豊中市に依頼しておいた除籍抄本が届いた。
それを見て、初めて父が三男であること、父方の祖父
の名前が幸吉、祖母がミツヱであること、あくまで
想像だが、父母はぼくが「できちゃった」ので結婚
したらしいこと、など、知らなかったさまざまな事実が
わかった。父は1991年2月23日に北九州市小倉北区で
他界していた。計算すると、61歳。まだ若い!
その死亡届けをしてくださっている方が北九州市に
お住まいであることがわかった。

噂では、父は母と離婚した後、再婚し、三人の
子どもをもうけた由。つまり、ぼくにとっては
腹ちがいの兄妹が三人、いることになる。
除籍抄本に記載されているお名前を見て、
この人がぼくの義妹にあたるのか、などと考える。
次の一手は、やはりその方にアクセスしてみることだろう。
早速、北九州市のハローページをネットを通じて
NTT西日本に注文した。さて、どうなるやら。

 

Kei Sakamoto |株式会社JOYWOW