椰子の実日記【JOYWOW】
2006年08月27日(日)
今日もムーちゃん

あまりにかわいいので今日もムーちゃん。 30日から始まるJOYWOWオープンセミナーツアーに 向け、準備をしなきゃ、と思うのだけど、 なぜかじっくり時間をとることができない。 時間ができても、他のことをしてしまう。
これはきっと、
準備をするな
ということなんだろうなあ、と思って、 流れに任せることにした。さて、どうなるか。
それはそうと、早くも日が暮れると、秋の空気だね。
2006年08月26日(土)
precious time

生まれたばかりのムーちゃん。
DUO(→)で。
携帯で撮ったのに、まるで写真館の写真みたい でしょ? この美しさは、きっとムーちゃんの 無垢なスピリットが写り込んでいるのだろうね。
たった2時間ほどだったが、ずっと遊んでくれた。 ぼくの腕の中で、眠ったり、遊んだり。 小さな生命が、自分のすべてをぼくの腕に託して 眠っている姿は、何ものにも替えがたい体験だった。
たまたま昨日一日だけ、お店に来ていたらしく、 出会えたのは幸運だった。
生き物は成長するから、2006年8月25日のムーちゃん はもう、いない。 そしてムーちゃんとはこれから会うこともないかも しれない。
幸福って、「時間の限り」があるから、幸福なんだな
とつくづく思った。preciousの意味をかみしめた。
ありがとう。ムーちゃん。
2006年08月25日(金)
傲慢になってはいけない
やはり、というべきか。当然なので、あらためてめくじら を立てるのも何なのだが。
・冥王星リストラ ・冥王星降格 ・さよなら冥王星
目が汚れそうな見出しが新聞に踊る。
冥王星にとっては痛くもかゆくもないのである。 そもそも冥王星を惑星にする・しない・といった 議論をおっさんたちが会議で決めること自体、 いかなる意味をも、冥王星には、ない。 『ヤマト』の作者も、「わしの創作世界では 冥王星はいつまでも惑星である」と断言して 欲しかった。それだけ自分の作品に対する プライドを持っていてほしいよ。
人間のおごり、傲慢さ、科学や理性信仰の 醜さ・愚かさをあらためて感じさせてくれる 一件だった。マスコミの相変わらずのていたらくもね。
2006年08月24日(木)
終わらない少年の夏
朝から密度の濃い仕事に没頭していて、ちょっと休む 必要があるなあ、と思った。昨日からどうしても行かねば ならない必要も感じていた。そこで、散歩に出た。 自宅裏の山を越えるように歩く。 近いのにこれまで馴染みの薄かった住宅街を抜け、 田中美佐子邸横を通りすぎると国道イチサンヨン(134号)に 出る。
背中を逗子方向、進行方向を御用邸。歩く。134に出たあたり から小学3年生くらいの男の子がキックボード(少々時代遅れ な気がした)に乗って前に後ろに走る。
もうすぐ葉山小学校という横断歩道を渡ったところで ぼくの方向に向かって大声で叫んでいる。ぼくの後ろに ともだちがいるのだろう。
と、ぼくが首に巻いていた汗取りのための日本てぬぐいが 落ちた。風もないのに、真後ろに落ちたので、拾う。何気 なくぼくの後ろを見ると、だれもいない。ということは、 あの子は、ぼくに向かって呼びかけていたのか。
ここである仮説が浮かんだのだが、まさか、と思っている。
葉山小学校前のバス停のある歩道。ゆるやかにカーブして いて、軽く左が死角になっている。そこで一瞬、前を歩く人 が見えなくなる。キックボード君も消えた。
そのまま消えたりして。
そう思いながらカーブのところにさしかかると、そこの 階段に座っていた。玉の汗。ハアハアと肩で息をしている。
良かった。思い過ごしだ、と安心し、通り過ぎ、消防署の 前の信号を渡ろうとしたら「止まれ」という声が聞こえた。 あわてて信号を見たら赤で、斜め向こうの坂から車が交差点を 突っ切ろうとしていた。危ない危ない。ん? いまの声は? 振り返った。
だれもいなかった。
写真は、男の子が座っていた階段。そしてこの話、これで 終わらない。これから書くSurfin'で、つづきは。

2006年08月23日(水)
日本語を第二外国語に
海の家に到着した若者が一言。
「naminakune?」
一瞬、意味がわからず、しばらく頭の中で反芻、ようやく
「なみなくね」→「波無くね」→「波が立ってないね」
と翻訳、理解した。 若者言葉には二重否定っぽい言い方が多い。
「へんくね?」 「あつくね?」 「やばくね?」 「無理っぽく無くない?」
文部科学省の新しい教育方針では小学校から英語を教える らしいが、ぼくは完璧に反対である。 「食事がおいしい」という気持ちを表現するのに
「やばいよこれ、めっちゃやべぇ」
なんて情けない言い方、してはいけない。 作った人が泣くよ。
もっと日本語をたっぷり学ぶべきだ。
「日本語会話」 「日本語長文読解」 「日本語作文」 「日本語文法」
などを必須とすべきである。 大学でも、第二外国語として日本語を履修させよう。 言葉は画家にとっての絵の具、音楽家にとっての♪。 思考力、情緒、感情、すべての基礎となるのだから。
英語なんてものは、できなくっていい。書けなくていい。 少なくとも、日本語ができてからでも充分学ぶことが 可能だ。
30代のこころの病が増えている由だが、理由は仕事の忙しさではない。人間、そんなに弱いものではない。 忙しいほど、普通は充実した気持ちになるのが人間なのだ。 ぼくに言わせれば理由は3つ。
第一に、日本語の脆弱さ 第二に、睡眠不足 第三に、「見えないもの」への畏敬の念の欠如
詳細は、オープンセミナーで話します。
|