椰子の実日記【JOYWOW】
2003年12月21日(日)
非連続だから、身軽に
日記に宣言してしまうと納期を守れることに気づいた(笑)。 昨日は無事書き終え、メールにて納品。ついでに校正ゲラも 宅配便で一日余裕を持って版元に返却することができた。
近所によさそうな家が借主を募集していたので見に行く。 残念なことにとんでもなく古く、リフォーム計画を聞い ても、不便さを解消することが目的ではなく、上っ面を なでる程度の仕様で施工されていたので、断念する。 その家は昭和56(1981)年の竣工である。 この年はぼくが旭化成に入社した年だ。同じだけ年を 重ねると、ここまでボロになるのかなあ、と妙に感心する が、ご教訓は思いつかず。 ぼくはあくまで家レンタル派だ。不動産屋さんも、 「そこまでの家賃を支払うのなら、買えますよ」と言うが、 買わない。非連続の時代、地面に縛られたくないからだ。 気が向けばオーストラリアにでも、南アフリカにでも、タヒチ にも簡単に住める、そんな身軽さと健康を生涯持ち続けたい。
2003年12月20日(土)
翻訳者あとがきは今日書いたものです
今日は何があっても、だれが何を言っても、翻訳書の 訳者あとがきを書かねばならない。完成させる、という のではない。まだ一行も書いていないので、書くのは これからである。書けるのか、ともう一人の自分が問う が、「書ける・書けないではなく、書くのだ」と自分で 答える。
昨日書き下ろしの打ち合わせを別の版元編集者O氏 とやり、こちらのほうもエンジン全開で年内に カタをつけねばならない。実は年末ぎりぎり、29日には さらに別の版元編集者と来年の書き下ろしの打ち合わせ が待っている。来週頭にはさらに・さらに別の打ち合わ せがクライアントで予定されている。
よく考えるまでもなく忙しいのである。 ところが、こういうときに限って雑用がある。 人が来る。電話が入る。ファクスがうなる。 起業家にとって、忙しい年末、というのはとても良い ことなのだが、海に行けないのと近所にオープンした ばかりの美術館に行けないのが哀しい。 さて、書くぞー。
2003年12月19日(金)
久しぶりのKEN研
久しぶりにKEN研(ナレッジマネジメント研究会)へ 出席。普段バーチャルKEN研という電子会議室で顔写真 つきで議論しているので久闊を叙す、というかんじでは なかったが、やはりリアルに話すコミュニケーションの 良さを感じる。おっと、だからといって「やっぱりeは 駄目。リアルに勝るものはない」という色彩の話ではない ので念のため。コミュニケーションにはいまやeかリアルか という二律背反は無意味だ。両方をうまく使いこなすこと で、より人と人の絆が強まる。 KEN研のみんなからは学問所にホワイトボードの寄贈を 戴く。ありがたい。そうそう、学問所といえば机がようやく 搬入される。来週になるが、まさにクリスマスプレゼント。
年末の週末ということで、夜帰りのJR駅前、タクシーが 売り切れていた。ちょうどよくバスが待機してくれていた ので、海回りの路線で、夜の海を観ながら、帰宅。
2003年12月18日(木)
気宇壮大なスケール斉彬
あわただしい鹿児島への旅が終わったが、斉彬の 魅力は失せない。調べればしらべるほど、輝きが 増すリーダーである。幕府も、多くの大名も、 「昨日の延長を今日も、そして明日も」とぼんやり 「慣性の法則」で暮らしていた中で、アヘン戦争を 分析し、「世界の中の日本」という視点を持ち、 「鉄が欲しい」と日本で最初の工業団地「集成館」 ビジョンを描いた。 自らの世継ぎに伴う薩摩藩のお家問題や幕府の将軍 跡継ぎ問題という「国内問題」は後回しに、「世界 で日本が生きのび、さらに繁栄するには」を懸命に 考えた。辛口の海舟も人物を認めていたのは頷ける。 桜島の雄大な姿を眺めながら存分に発揮された 斉彬の「思い描く力」。その気宇壮大なスケールは 同じくでっかい桜島が育てたのだろうか。
2003年12月17日(水)
斉彬の起業家精神
現在、鹿児島にいます。 驚いたのは、島津斉彬の起業家精神。 リーダーシップの必要条件「思い描く力」 の先駆的な事例だと思う。 あの時代に、カメラ、オルゴール、レコード、 などなど当時のハイテク機器に関心を示し、 藩に取り入れた先見性。 日本で最初の紡績工場も作った。 薩英戦争でも当時英国軍はその精緻な軍事 戦略に驚いた由(ロンドンタイムスに記事 が残っている)。 次の勉強テーマを、斉彬と設定、研究開始だ。
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