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本当の心。

旦那は前の会社が好きだった。
新しく立ち上がったその部門に最初から関わり、
作り上げていったメンバーの1人。
社風も旦那に合っていたし、信頼してくれる人も多かった。
何より旦那は、生き生きと働いていた。
勤続8年。

ある時中途入社で入ってきた上司が、まったく使い物にならず、
しかも仕事とプライベートの切り替えも出来ない。
高待遇ばかりを求め、実績は上がらない、人望もない。

その人が直属の上司だった旦那は、上層部の揉め事に巻き込まれ、
心身ともに限界に来ていた。
ちょうどその頃誘ってくれる人がいて、旦那は転職した。
とても辛い決断だったと思う。
一度勤めたら自分からは辞めない。
そういうポリシーをかなり頑固に守っていた人が転職。
相当苦しかったんだと思う。

新しい会社で、旦那は良く頑張った。
人や環境になじむのも大変だろうし、
新しい仕事を覚えるのも大変だったろう。
そして1年が経った。

なかなか思うように業績が上がらず、苦しんでいる。
このままでは、もっと大変な部署に行かなくてはいけない。
でも、ピンチが訪れるたびに、旦那は周囲に助けられてきた。
それはとてもありがたいことだと思っている。

ただ、やはり前の会社に残してきた思いは強く、
今の会社に対して愛着が持てない。
社風が嫌いだとさえ思ってしまう。

そんな時、前の会社の飲み会に呼ばれた。
当時の同僚が辞めるという送別会に招待されたのだ。
その席で、同僚から話を持ちかけられた。
『ウチの会社に戻ってこないか。』
当時の上司は、もうすぐいなくなるらしい。

旦那の心は大きく揺れている。
今の会社でお世話になっている人への気持ち。
元の会社に戻って働きたい気持ち。
ため息ばかりついている。

元の会社に戻っても、前の部署に戻れるわけではなく、
今と同じか、それ以上に大変な部署になる。
それでも、同じ苦労をするなら、
自分が好きな会社で苦労をする方がいいのだろうと思う。

そして、そういう環境で働いていれば、
結果もまたついて来るんじゃないだろうか。

結論はまだ1ヶ月以上先だけど、
旦那には、納得する形で働いて欲しいと思う。
2004年06月29日(火)

そう思いたい自分。

たとえば、自分と合わないんじゃないかなと思う人がいる。
すると、その人が起こす行動の一つ一つを検証するようになる。

『こういう事をした、こういう事を言った。』

そして、やっぱり私はこの人とは合わない・・・と思う。

でも、その人がやったと同じ事を仲の良い友達がやったらどうだろう。

そんなに不快になったり、腹が立ったりするだろうか。

人は、自分の思っている事、感じる事を肯定したくなる。

自分が合わないなと思ってる人が、良い人であってはいけないのだ。

いい所は見つけたくない。

自分が嫌だと思っている事の証拠探しをしようとする。

自分と合う人、合わない人に、同時にメールを出してみる。

そして、その2通とも返事がなかなか来なかったとしたら。

合わない人に対しては、『返事をくれないなんて失礼だ。』と思う。

合う人に対しては、『きっと、忙しいんだろうな。』と思う。


同じ行動をしても、こちらの取り方次第で変わってしまう。

それは当然と言えば当然なのだ。

合う人とは、もうすでにちゃんとした関係が出来上がり繋がっているから。

相手の行動に対して、信じることが出来る。

合わない人に対して固定観念を取り払い、ニュートラルな気持ちでいると、

ぽんっとメールの返事が返ってきたりする。

きっとそういうものだ。

すべては、私のココロ、観念、判断が生み出しているものなのだ。

相手に悪い感情を持った時、それは自分がそうしたくてしているのだ。

相手にそうさせられているのではないのだ。


同じく、こちらの事も人は人の価値基準で判断する。

相手は、なんらかの理由があって、

(その原因が必ずしもこちらにあるということではない)

こちらを悪者にする。

悪者にしなくてはいけない理由が、その人にはあるのだ。


だから、人に良く思われようとか気に入られようとか、

そこに関しての努力はいらないんだと思う。

自分が自分らしくあること、それだけでいいんだ。

気に入られようとして取った行動が、必ずしも相手に良い印象を与えるわけじゃない。

たまたまその行動が相手のトラウマを刺激してしまったとしたら、

相手はこちらの事を好いてくれるはずもない。


自分らしく、そのままでいるのがいいんだ。


メールが出来なくたって、会えなくたって、電話できなくたって。

あなたと私の関係は、ちゃんと育っている。

心配しないで。そして私も、心配してないよ。
2004年06月28日(月)

私は自分の気持ちを静めるためにあなたを責めた。

旦那の仕事がかなりきつい状態にあり、
このままだと、7月からとても大変な部署に回される。

早朝に起きて、長時間の通勤。
昼間は車での長距離移動で仕事。
帰りは夜中になるであろうと予想される。
精神的にもきつそうだ。

私はそんな旦那が心配になった。
それは真実だった。
でも、ほんとに大変なのは旦那自身。

今、旦那の頭の中には色々な思いが交錯している。
現状、未来、その先の事・・・。
本人にしか分からない苦悩がある。

旦那はそれをめったに口に出す人ではない。
きっと今口に出してしまったら、崩れてしまいそうなんだろう。
1日の大半、1年の大半を仕事に費やす生活。
私だったら、とっくに投げ出しているに違いない。

でも、私は何も言わない旦那がもどかしかった。
そしてその上心配も重なって、旦那を責めてしまった。

これからどうなるの?どうしたらいいの?
異動してそんな大変な仕事するんなら辞めちゃえば?
そんな辛い状態になるの、私は嫌だ!

旦那の事を心配しているフリをして、
ほんとは自分の不安を抱えきれなくなった。
相手の事を思うなら、見守っているべきだった。
そして一番辛い時に、手をさしのべるべきだった。

私に責められた旦那の辛そうな顔。
私に強く言い返す事もせずに。
2004年06月14日(月)

どうしても考えてしまう。

定期的に私のココロをよぎる考え。

『なんで、発作が起きるんだろう。』
『どうして、発作を抑えきれないんだろう。』

パニック障害の発作が起きると、どうしてその発作が起きたのか考える。

『疲れていたから・・・。』
『気を使っていたから・・・。』
『お腹が張っていたから・・・。』

心療内科の先生は、理由を考えても仕方ないですよ、と言う。
楽しくても、辛くても、幸せでも、不幸でも。
発作は起きてしまうもの。それがパニック障害。
気の持ちようとか、性格とか、そういうのは関係ない。

発作を起こす要因は色々ある。
上に書いたような事も関係しているだろう。
でも、発作を起こしているのは『脳の伝達異常』。
不安に対して過敏な反応をしてしまう。

でもでも・・・と考える。
体調のいい時期は、すごく幸せで嬉しくて。
このまま治っちゃうんじゃないかと思う。
もし次に発作が起きても、なんとかなるさ。
うまく気分をそらせて、かわしていくことが出来る。
今に、発作自体を起こさないように、
押さえ込む事も出来るだろうとも思ったりする。

ところが、一度不安のスイッチが入ると、その自信は一気に揺らぐ。
ちょっとでも気を抜くと、私自身が不安感に占領されそうになる。
発作のパターンは分かってる。
発作を起こしても、死ぬようなことはないのは分かってる。

それでも怖い。
不安感に足を引っ張られてどこかとんでもないとこに連れて行かれそうな。
自分はどうなってしまうんだろうと心配になる。

やっぱり病気は治らない。
発作を避けることなんて出来ない。
ダメなんだ、ダメなんだ・・・。
ココロが弱る、何も自信が持てなくなる。

そんな事を繰り返しながら、毎日を生きてる。
それが私。きっとずっとそうやって生きていくんだろう。
この不安と、この身体と、ずっと付き合っていくんだ。

『きっと大丈夫。きっといつか治る。』

そう思いながら過ごせる日が、何日かでも、たとえ何分かでも、
少しずつ長くなっていけばそれでいい。
落ち着いた、普通の日々が送れればいい。
大きなことは何も望んでない。
2004年05月07日(金)

自分の気持ちを感じること。

私にしてはとても珍しく、友達と電話しながら泣いていた。
その涙は、自分がどうしたらよいのか分からないという涙だった。

そういう風に考えないようにしていたつもりなのに、
私はまたいつの間にか、
『〜せねばならない。』『〜すべきである。』
という思いに、取り付かれていたのかもしれない。

相手にどんな事情があろうとも、
自分に出来ないことは出来ないと言える、
そして言えなかったら、言えなかった自分を責めず、
なぜ言えなかったのかという自分を感じる。

その理由が分かれば、もっと深く自分の事が分かる。
自分の中の痛みに気付いて、そこをいたわってあげれば、
むやみに傷つくこともなくなる。

嫌な人間関係を避けて歩かなくても、
そこから何かを得ながら生きていける。

自分を信じて、地に足をつけて、
しっかりと歩いていくことが出来る。
2004年05月05日(水)

望みどおりの人生。

今、自分は本当に自分のやりたい事をやっているか。

ふと思うことがある。

身体が弱かったり、お金がなかったり、勇気がなかったり。
何かしら理由をつけて、それを言い訳にしていないか。
まっすぐに、正直に、向き合うおうとしていないのではないか。

どんなに望んでも、それはきっと叶えられない。
そう自分で決め付けてしまっている。

そして、自分の一番の望み以外の事に精を出して、
こっちだって楽しい、これで充分幸せだ。
そう思おうとしている。

それは幸せのすり替え。

幸せになったフリをして、楽しいと感じているフリをして、
代わりの幸せで、満足したような気になって。

いつか終りが来た時、それで自分は悔いのない人生を送ったと言えるか。
やりきったと胸を張って言えるのか。

目の前の問題から目をそらさずに、
自分に正直に、自分を大切に。
今を生きたい。
2004年04月15日(木)

感情の露出。

最近自分の中に、感情を出したいという欲求があるらしい。
『喜怒哀楽』の表現。
私がもっとも苦手とする部分だろうと思う。
『素』の部分は見せてはいけないと思って来たし、
それが当たり前になってしまってからは、
出そうとしても、恥ずかしくて出来なくなってしまっていた。

ここ2,3年で、自分の中に変化が起きて来ているのは気付いていた。
それが、ここ半年くらいで加速してきたように思える。
何がどう関係してそうなったのかは分からないし、
そこの所は深く考えなくてもいいのかもしれない。

とにかく、私の中で変化が起きている。
という事だと思う。

テレビを見ていて、ほんの些細な事で泣く。
涙をポロポロ流しながら泣く。
フィクション、ノンフィクション関係なく。
登場人物の悲しみに共感しては泣き、
また、優しい気持ちや言動に癒されては泣き、
旦那のささいな一言や行動に感謝しては泣き。

昔から、明るい番組やお笑いが好きだった。
放って置くと暗くなってしまう自分を、上昇させるため。
家にいる時も、車を運転している時も、
テレビかラジオが付いていないとダメだった。
不安になったり、暗くなったりしてしまうから。
でも、最近は音の無い時間が過ごせるようになった。
というか、音が無い方がいいなって思う時がある。
静かな沈黙の中で、ゆったりとした気分でいたい。
そんな余裕は以前はなかった。
いつも何かに追い立てられていた。

怒りは昔から大きく表現されていた。
といっても、社会の人間関係に直接向けることはない。
それは親子ケンカであったり、夫婦喧嘩という形で現れていた。

ある時気付いたことがあった。
ケンカをした後の私は、すっきりさっぱりしている。
私はケンカをしている最中も、我を忘れることはない。
いつもどこかに冷めた自分がいて、
とんでもない行動をとらないように抑制していた。

ケンカをして大声を出したり、泣き叫んだり。
私はそれをする事で何かを振り捨てているようだった。
自分の中にたまった、さまざまなどうしようもないものを、
吐き出すための手段として、ケンカをしていたように思う。

たとえ相手にケンカをする気が無くても、
ひどいことを言って挑発する。
相手が乗ってくれば、しめたものだとばかりに応戦する。
だからケンカが終わってみると、
なんでケンカになったのかが分からないくらい。
私にとってのケンカは、ストレス発散のためのものだった。

『喜・哀・楽』が感じられるようになったのと反比例して、
『怒』は勢いを失っていった。
穏やかになった。荒れなくなった。
発散して、振り捨てなければならないものが、
私の中で、確実に減ってきているようだ。

私の短気は、元々の性格なのだと思っていた。
しかし、そうじゃなかったようだ。
こんなに穏やかな自分が存在するという新鮮な発見。
もちろん、今でも怒りを感じるという事は出来る。
まったく怒りを感じないというのも、不自然なことだから。

怒る必要のない事で怒らなくて済む。
それがまた精神の安定を生む。
旦那と付き合い始めてから何年か前までの私と、今の私はかなり違う。
ケンカの数も、激減している。

昔は、自分の中に渦巻いていた苦しみや怒りを、
家の中で、なんとか発散させて生きてきたんだと思う。
そうしなければ、生きていけなかったんだ。
PDという形でも現れてきたその膿。

私の中にたまった何かが消えていくことで、
PDも和らいで行くような気がする。
2004年04月14日(水)

扱われ方について。

社会の中で自分がどう扱われるか。

それをすごく気にしている自分がいる。

『バカにされてなるものか。』と思っている。

先日行ったお店で、客としての自分に対する態度に引っかかっている。

客を座らせて接客するタイプのお店なのに、

立ったまま対応され、書類を書き、商品を購入した。

次にそのお店を訪れた時も、気持ちの良い接客とは言えなかった。

そのお店で以前は常連だった。

しばらく行かなくなっていて、久しぶりの来店になった。

当時の顔見知りの店員さんはみんないなくなっていた。

顧客カードもなくなっていた。

お店の雰囲気自体も変わってしまったのかもしれない。

その怒りや、もやもやがなかなかおさまらない。


こんな風にされても、何も気にしない人もいるかもしれない。

なぜ私がこんなにも憤っているのか。

自分のペースで、自分の言いたい事を言い、

相手の反応を気にしないで行動出来ればいいのだろうが、

こちらがへりくだって、相手に合わせているから腹が立つ。

客なんだから、自分の希望を店員に伝えたり、

それなりのサービスを要求しても当然なんだろう。

嫌なら嫌、良いなら良いとはっきり言っても良いんだろう。

でも、それが出来ない、まったくの他人である店員にさえ、

嫌われたくないとか、良く見られたいという願望が出ている。

それだけに、ないがしろにされると怒りも倍増するのだろう。

こちらがこれだけ気を使っているのに、と。


また、自分の中に『バカにされてはいけない。』という思いがある。

自分自身の中のコンプレックスや、プライド。

自分に自信がないから、いつも警戒している。

もし相手の態度にこちらをバカにしている様子があったら、

それに敏感に気付いて、怒り対抗しなければならない。

そういう態勢が出来てしまっている。

だから、ほんとは気にしなくてもいいはずの事であっても、

引っかかってきてしまうんだろう。


『私は私としてしっかり存在しており、

この存在は誰からも侵害されず、誰からも否定されない。』

他人の言動によって、自分の価値を下げたりしない。

『SELF−CONFIDENCE』(自己信頼)

これが私の中にきちんと育っていれば、

自分の扱いについて不当だと思ったりしないのだろう。
2004年04月03日(土)

怒りがある。

どうして、いつも人の顔色を伺っているんだろう。

あの人の考える事、この人の考える事。

周囲の人すべての気持ちを読もうとしている。

そして、誰も嫌な思いをしないようにしようとしている。

気分を損なわないように、雰囲気が悪くならないように。

その人の気に入るようなことを言ったり、誉めたり。

そうやって相手を喜ばせて、笑わせて。

そうしていないと、不安になってくる。

嫌われるんじゃないだろうか、嫌われているんじゃないだろうか。

相手の行動のウラを読み、自分の行動を思い返し。

あの人のあの態度はおかしい、私何かしたのかなとか。

さっきの私の言い方、誤解を受けたかもしれないとか。

仕事に行っているのに、人間関係のことばかりに気を回して、

それで疲れたり、腹が立ったり、悲しくなったりしている。

仕事なんだから、いつも笑ってばかりはいられない。

それは分かっている、それが正しいと思う。

でも、いつもニコニコしている私って、なんだ?

何をそんなに恐れているんだろう、

何でそんなに気を使っているんだろう。

仕事の邪魔をするように話しかけてくるオヤジさえも無視できない。

笑っている顔の下で、怒りを感じている私がいる。

これじゃ、八方美人の二重人格だ。
2004年03月13日(土)

やりきれない思い。

会社である出来事があって、切なくなっていた。

ペインに行く車の中で、それを旦那に話した。

会社が正しいのは分かっている。

会社の言っている通りにするべきだと分かっている。

でも、今まで勤めてきて感じていた疎外感。

それをずっと押し殺してきたこの何年間。

その思いがあるから、切なくて悲しかった。

分かってる、すごく良く分かってるんだけど、

ココロは割り切れていなかった。

旦那は、会社の言い分が正しいと思っているだろう。

それは分かっていた。

私もそう思っているんだということは、何回も説明した。

その上で、私の『心情』を理解して欲しかった。

いや、理解してくれなくてもいいから、

その気持ちに寄り添って欲しかった。

旦那は、融通が利かないタイプ。

私の心情を分かっていないわけじゃないんだけど、

どうしても会社側の考え方を尊重してしまう。

それでもいいから、会社が正しいのは分かっているから。

沈黙しないで、『それは寂しいよね。』って言って欲しかったんだ。


自分が、会社の意見に傾いているのが分かっているから旦那は黙った。

私を傷つけてしまいそうだから、黙ってうなずいて聞いているだけだった。

でも、それでは満足できない私が旦那の口を開かせてしまった。

そして、分かりきっている結果になった。


ずっと泣いてた、旦那に分かってもらえなかったことで、

今まで自分が会社で感じていた寂しさが、どんどん思い出されてきた。

でも、泣いて泣いてすっきりしたかもしれない。

旦那とはケンカになって、休日をつぶされたとまで言われたけど。

そんな話をされるなんて迷惑だなんて言われたけど。

私も、人の気持ちを分からないなんて冷たいって言ったけど。


結局、旦那は自分が会社とうまく行ってないという事に引っかかっていて、

私vs会社の話も冷静に聞けなかったんだと私に謝った。

会社に対するストレスで、家庭でイザコザするなんて嫌だよね。

と、仕事とは、生活とは、という話をしながら帰ってきた。
2004年03月10日(水)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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