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月に1回の発作?

18時頃に旦那が迎えに来てくれるはずだった。

帰りは一人じゃないという安心感で、いつもより気分的に楽に働いていた。

それでちょっと頑張りすぎたかもしれない。

帰りが一人の時は、なるべく体力を温存しながら動くようにしていたり、

ココロ構えもしっかりしなくちゃという感がある。

でも今日は、もし旦那が18時にここに来てくれたら会社を早目に出てもいいかなと思っていた。

ところが予定が変わって、何時にこちらに着けるか分からないと夕方電話があった。

予定が狂ってしまった事で、ちょっとした不安がよぎる。

自分のこと、弱いなあって思うけどどうしようもない。

19時まで働くのか〜、ちょっとペース配分間違っちゃったなぁ。

などと思いながら仕事をしていると、母から電話。

今日は外で一緒に食事をしようと言われた。

というか、『今日は食事の仕度ができなかったから、外で食べるから。』っていう半ば強制。

それを聞いてますます気分的に凹んで来てしまい、嫌だ〜と思った。

この状態で母と2人の食事なんて辛すぎる。

そこで、思い切って『調子が悪いから、何か買って帰って食べようよ。』と提案。

外に出ている母に会社まで来てもらって、お寿司でも買って帰る事にした。

19時に仕事を終えて母に電話をするがつながらない。

パチンコでも打っているんだろう。

待っているのも辛くて何度も電話して、やっと折り返しでかかってきた。

お寿司を買いに行ったのだが、もう立ってるのも辛いほど胃のあたりからダルさが出て来ていた。

それとともに、なんとも言えない不安感が出ていた。

『食べられるの?』と聞かれたので無理かもしれないと言い、母は自分と父のための簡単なお惣菜を買った。

ほんとは寄って欲しいお店があったらしいのだが、それもごめんと断って実家へ。

母は車の中でむっつりとしたまま、あまりしゃべらない。

話し掛けると私が辛いだろうと思ったらしいのだが、私にはそれだけに思えなかった。

食事も付き合えない、お店にも寄ってあげられない。

それを責められているような雰囲気が漂う。

もしかして母にその気はないのかもしれないが、

こういう時に私の気持を楽にしてくれるような力は母には無い。

実家に着いても、私を心配して色々話し掛けてくる父を、

『この子は具合が悪いんだから!』と怒鳴ったり。

どんどん精神的に追い詰められるような気がして来た。

気にしないで気を付けて帰りなさいねという雰囲気が無い。

私は実家を一刻も早く離れたくて、そそくさと家を出た。

母は笑顔も浮かべず、『具合が悪いんだから、早く帰りなさい。』と静かに言ってドアを閉めた。

母を乗せて会社から実家へ帰る途中に旦那から電話があって、20時にはこちらに着けると言う。

私は旦那が来てくれる事を両親には言わず、実家を出ると最寄駅まで旦那を迎えに行った。

先月の発作の時に、自分で運転した方が調子が良かったので今回もそうする事に。

前回よりも道が混んでいたのできつかったが、なんとか運転していた。

途中、父から『無事に着いたか?』と電話があった。

私は、帰る途中の駅で旦那と待ち合わせしたからと言った。

不安感が襲いながらも、途中まではなんとか気を紛らわせて運転していたのだが、

半分も行かない所で、不安の大きな波が来たので薬を飲んだ。

薬は効いたのか効かないのか、それからも大小の不安と闘いながら運転。

コンビニに寄ったりしながら、なんとか家までたどり着いた。

家につけば安心と思っていたが、身体の緊張が取れず落ち着かなかった。

無事に着いた事を伝えようと実家に電話したが父だけで、母は寝ているという。

こんな早い時間に。やっぱりおかしい。

同じ病気を持っていて、急に調子が悪くなったり不安発作が出るのを分かっているのに、

どうしてこんな対応しか出来ないんだろう・・・。

今日の会社も夕方から寒かった。

足元暖房も使ってみたりしたが、寒さで胃の動きが止まっていたようだ。

これが原因だとしたら、不安に結びつかないように出来るかもしれない。

またこれと同じような前兆が起きたら、薬を早目に飲むという対処も出来る。

なんとか克服してやるんだ〜!!


ほんじゃまか。



2003年03月22日(土)

やっと〜。

退職願いが受理されました。ほっ。

一度は退職をOKした社長が、

『やっぱり辞めちゃいかん〜ん!』とキレたり、

何時間も話し合いをしたりと大変だったけど、これで一息。

って言っても、もう次の会社まで時間がないじゃ〜ん!

買わなくちゃいけないものもあるし、書類や手続もあるし、まだまだ落ち着けないな。

明日私は会社。だんなさんは朝礼でみなさんにご挨拶をしてくるそうで。

帰って来るまで待ってられないから、先に会社に行ってしまいます。

その後、新しい会社の上司と打合せして私の所に来てもらって、帰りは一緒に帰ります。

会社の帰りが一人じゃないっていうのは、かなりホッとする。

だんなさんはドライブしながらが一番話をする人なので、

ここ最近の色んな話と、これからの事を話しながら帰って来よう。

ほんじゃまか。
2003年03月21日(金)

引継ぎ〜?

まだまだ、だんなさんの転職事件は続く・・・。

退職願が受理されないので、引継ぎもやらせてもらえない。

そこでこの期に及んでまで、まだ引継ぎが完了していない。

というか、引き継ぐ相手がいない。

人手不足もあるし、だんなさんのやっていた仕事が多すぎるというのもある。

仕方がないので、引継ぎ書を作ることにしたらしい。

こちらがちゃんと退職の意思表示をして手続も進めているのに、

会社側が引継ぎをさせてくれないんだから、

有給消化をつぶしてまで引継ぎなんてしなくていいじゃん!

と、私はだんなさんに言ったしそれでケンカにもなったけど、

だんなさんは、同僚には恨みはないから迷惑はかけたくないんだと言って会社に出掛けて行った。

これがだんなさんの真面目でいい所でもあるのだろうが、頑固で融通が利かない所でもある。

この責任感の強さで、人から信用されるんだろうけど。

私はもっと、ちゃらんぽらんだから。

7年間も働いてきて、有給なんて両手に余るほどしか取ってなくて、

サービス残業の嵐と休日出勤。

おまけに有給消化も出来ないんじゃ、私なんかふくれちゃうけど。

今までの働きを時給にしたら、いったいいくらになるんだろうなどと考えてしまったり。

まぁ、当のだんなさんが納得していればそれでいいのかな。

優雅な専業主婦を目指す私としては、不満いっぱいである。(笑)

明日も引継ぎに出掛けて行くだんなさんであった。

ほんじゃまか。
2003年03月20日(木)

しばらくは忙しい。

今いる会社の方は、20日以上も経つのになかなか退職願を受理してくれず、

宙ぶらりんな状態で次の会社への準備をしている状態。

今の会社でやるだけの事はやってきたつもりだし、

会社の体制や上層部のもめごとに巻き込まれて自分の仕事もロクに出来ない日々。

それぞれの上司からお互いの悪口を聞かされたり、足の引っ張り合いに利用されそうになったり。

いくつもの部署を兼務させられた上、そんな中でもこなさなければいけない仕事は

山のようにあって、いつも帰りは深夜。

そんなに辛い毎日でも、だんなさんは頑張って来ていた。

辞めると決意するまで、半年以上も考えた。

そして出した結論だった。

でも、会社の全部が嫌いになったわけではない。

元々の会社から分離独立したりと、いろんな事があった今の会社で

ずーっと一緒に働いてきた仲間もいる。

慕ってくれる後輩もいる。

引き止められれば引き止められるほど仲間達の気持ちが伝わってきて、

だんなさんはどんどん辛くなって、考え込む事が多くなった。

そして今回の胃痙攣。

ココロの葛藤が身体に見事に現れたのだった。

今日は新しい会社の本社へ、入社資料をもらいに行ってきた。

だんなさんは、やっと転職するんだという実感が湧いてきたと言ってた。

来週の月曜日は新しい会社へ出勤する。

果たしてそれまでに今の会社と決着はついているんだろうか・・・?

ほんじゃまか。



2003年03月19日(水)

無事に帰ってきました。

子どもの頃から、家に一人でいる事には慣れているはずなのに。

PDになってからも、両親は留守がちで一晩中一人の事も多かった。

それが当たり前で、嫌だと言ってもどうしようもない事だと分かっていたんだ。

でも、今は違う。

一緒にいてくれる人が出来てから、私は弱くなったかもしれない。

一人で頑張らなければいけなかった時よりも。

今回のだんなさんの帰省は、たった3日。

体調も悪くないし、大丈夫そうだったのに。

2日目の昼くらいから、漠然とした不安感や落ち着きのなさが感じられた。

動くと動悸がしてしまうような気がして(実際はそんな事はないのだろうが)

こたつに入って、ひたすらゲームをしていたり、ビデオの整理をしてみたり。

お風呂に入るのも嫌で、早目に布団に入ってしまったり。

自分がどんどん弱くなっていってしまっているような気がした。

だんなさんは無事に帰って来て、一足先に地元に帰り飲み会に参加。

胃を壊してるんだから、飲んじゃダメだよと言ってあった。

帰って来ただんなさんに、どれくらい飲んだの?って聞いたら

『ビール1杯。』

ふ〜ん。

でもその割には酒臭いので追求してみた。

すると・・・。

『中ジョッキ1杯』

だった。

なぬ〜っ?

人が心配してるのを、この人は分かってるんだろうか・・・。

いや、きっと分かってるから私に怒られると思ってごまかすような言い方したんだな。


ほんじゃまか。
2003年03月18日(火)

遠距離なケンカ。

だんなさんが明日帰ってくるので、会社は明日にした。

会社の帰りに空港まで迎えに行ってあげようと思って、せっかく会社をずらしたのに、

いつもは最終便で帰って来る彼が、夕方から飲み会があるというので早く帰ってくる。

それも、ぎりぎりまで聞かされていない話だった。

転職問題でいっぱいいっぱいのだんなさんは、私への報告が激減している。

私の知らない所で、話が進んだり変わったりしている。

悪気があるわけじゃなく、余裕がなくて話が出来ないのは分かっているが、

私も転職問題で、共に悩んできているわけで。

なんだか置いてきぼりを食ったような気がして、腹が立っていた。

一昨日もケンカしたし、今日も遠距離電話でケンカした。

ちょっと間を置いた方がいいというだんなさんの提案で、10分くらいしてからもう一度電話し直した。

携帯で掛けると高いので、だんなさんの実家の電話に変えて。( ̄m ̄)

一呼吸置いたせいか、今度はゆっくり話すことが出来て一応仲直り。

出張での胃痙攣騒ぎがあったから、帰省の日までゆっくり話すことが出来なかったのも原因の一つ。

明日はお互い早いのに、遅くまでしゃべってしまった。

でも、しゃべらなかったらきっと腹が立って眠れなかっただろうと思う。

むか〜し、遠距離していた頃もよくケンカしたっけなぁ。

会いたくても会えない、ゆっくり話したくても話せない、そんなジレンマでイライラしていた。

携帯もなかったし、電話代も今より高かったな〜。

でも、今はいつも一緒にいられる。あの頃よりずっとぜいたく。


明日、無事に帰ってきてくれればそれでいい。

それが自分の一番望んでいる事だと分かったから、それでいっか。


ほんじゃまか。
2003年03月17日(月)

と、言うことで。

朝一番の飛行機で、だんなさんは帰省したのだった。

今回は、私の体調が落ち着いているからまだ少しマシか・・・。

でも、だんなさんが田舎でどんな生活や食生活をしてくるか心配。

普段から丈夫な人だから、どうやって気を付けていいのかが分からないのだった。

今日は1日高校の時の同級生の親友と会うと言っていた。

飲みに行くに違いなかった。

夜、だんなさんに電話した。

『お酒飲んでない?タバコ吸ってない?何食べてるの?』

『お酒飲んでないよ、車だし。タバコも吸ってない。焼き鳥。』

焼き鳥。うーむ。どうしたものか。

まあ、田舎に帰ってから解放されたのか胃痛が起こっていないというから良しとするか。

ってことは、ウチにいると解放されないってこと?(▼▼メ)

薬は忘れず飲んでいるようだ。

私はと言えば、だんなさんが倒れてから気が張っているようで、今日も朝早くからちょこちょこ目が覚め、

ここ何年も起きた事のない時間(6時)に起きて朝食を作り。

そのまま寝ずに洗濯したり掃除したり。

テンション高めである。

さすがにこのままではヤバいと思ったので、夕方ちょこっとだけ眠った。

一人だと、なんか何をしてても落ち着かないので早目に布団に入って携帯ゲーム。

早く布団に入ったのに、眠ったのは夜中の3時過ぎだった。

やっぱりなんか落ち着かない。


ほんじゃまか。
2003年03月16日(日)

もう勝手にしろ〜!!

一晩経って、熱はすっかり下がった。

あれは、風邪の熱じゃなかった、やっぱり心因性のものだったみたい。

昼にだんなさんが病院に行ったけど、熱の原因は分からなかった。

胃薬を何種類かもらって帰って来た。

会社を辞める行動を起こしてから、今月下旬に新しい会社へ行くまでのタイムスケジュール。

だんなさんはほとんど一人で決めていた。私には事後承諾。

これだけ胃が痛いのに、なんで無理して田舎行ったり会社出たりするの?って言っても、

こうしてみたら?って提案しても、『君は分かってない』で全部却下。

だって事情分かる訳ないじゃん、聞いてないんだから。

それで腹が立って昼ご飯のうどんを残して、だんなさんを置いて黙ってカイロに行った。

道すがらずーっと、こんなに心配してるのになんで伝わらないんだろう・・・と、泣きそうだった。

だんなさんからは、悪かったってメールが入った。

カイロの後、電車を間違えて自分ちの最寄駅を通過してしまった。

仕方がないので、停まる駅がだんなさんの会社の最寄駅だったので、降りてだんなさんの帰りを待つことにした。

ご飯を作る時間がなかったので、一緒にうどん屋さんに行って食事。(家訓=胃が弱った時はうどん)

ここでもまだケンカ。

私はだんなさんの事を信用していなかった。

こちらの心配なんて、理解してないし、自分勝手に動いているんだと思ってた。

でも、実際だんなさんの話を聞いてみると、

会社に行かなくちゃならなかったり、田舎に帰ることになってたり、それで私を心配させる自分自身に腹が立ってイライラしてた、と言う。

そんな風には思ってなかった。

自分の思い通りにしたいから、田舎に帰りたいから、心配して反対する私に怒ってたんだと思ってた。

そして、いっぱいいっぱいで私に相談してなかった事を悪かったと言っていた。

それでも明日から田舎へは行くんだし、田舎へ行ったら行ったで、両親に気を使ってハードスケジュールで無理するんだろうし・・・。

とりあえず、ケンカはそこで止めたけど、心配な状態が去ったわけではない。

薬を1回分ずつ小分けにしながら、私が側にいないと好き勝手なもの食べるんだろうなぁと思った。

お酒とタバコは禁止した。胃に優しいものを食べる事。分かんない時は電話する事。

約束させたけどね〜。(〃´o`)=3 フゥ

昼間腹を立てて私が家を先に出た時に、断腸の思いで残してきたうどんの中の半熟卵。

『俺、食べちゃった。』というのを聞いて、またケンカしそうになった。(笑)


ほんじゃまか。
2003年03月15日(土)

とんでもびっくり。

朝早く新幹線で出張に行っただんなさんから、夕方会社にいる私に電話。

『胃が痛くて医務室に運ばれた。胃潰瘍かもしれないって。』

!Σ( ̄口 ̄;;

まだ痛いけど、ムリヤリ帰ってくるという。

電波が悪くて、詳しい話が全然出来ない。

とにかく、新幹線の駅まで迎えに行くことにして電話を切った。

オフィスに戻ったけど、動揺して部屋がぐるぐる回っていた。

どうしよう、どうしよう・・・。だんなさんに何かあったら・・・。

心配すればするほどどんどん心配になって、このままじゃ自分がダメになると思ったので、

このまま不安になだれこんではヤバいと、防衛反応に入った。

大丈夫大丈夫、大変なことになるわけはない、大丈夫・・・。

電話の内容を聞いていた同僚のおじさんが、心配してフォローしてくれた。

帰りには実家に寄ることになっている。

でも、親には言えなかった。言って、騒がれるのが嫌だった。

親が騒ぎ出して、でもそれを今度は私がフォローしなくてはいけなくなるだろう。

そんな余裕はなかったし、母は私を余計に心配させるマイナス要因ばかり見つけるだろう。

実家では何事もなかったように食事をして(どこへ食べたのかどれくらい食べたのか覚えてない)

新幹線の時間に間に合うように家を出た。

新幹線のだんなさんとメールで連絡を取りながら。

40分くらいかかって、私の方が先に駅に着いた。

ホームまで迎えに行くると、だんなさんは青い顔をして降りてきた。

寒い寒いと言って、ガクガクと震えていた。

車に乗って、暖房をつけて、落ち着くまでしばらく停めておいた。

ここから家までは、高速を使っても2時間くらいかかるだろう。

私が運転するつもりだったが、だんなさんが自分で運転するという。

その方が気が紛れていいと言うのだ。

私も、PDの発作が起きそうな時はじっと座ってるより運転した方がいい時もあるので、

胃が痛くなったらすぐに交代する事にして家に向かった。

なんとか無事に帰って来たが、家に着く頃には熱も出始めたらしくボロボロのだんなさんだった。

部屋で身体を温めて、雑炊を作ってあげて布団に入った。

熱は9度近くあった。

タオルでおでこを冷やしてあげたが、タオルが触れるのも辛そうだった。

医務室(社内に病院がある)でもらって来た薬の中には抗不安薬も入っていた。

だんなさんは、寝苦しいのかずっと寝言ばかり言っていた。

その内容はほとんど仕事関係のようだった。

熱の原因がなんなのか分からなかったし、解熱剤も飲めないのでしばらく頭を冷やし続けた。

定期的に熱を測って、あまり上がるようだったら病院に駆け込もうと思っていた。

明け方近くなった頃、熱が8度3分まで下がったので、私もひとまず寝ることに。

ここ最近の、だんなさんの大変さが手に取るように分かっていたので、

この具合の悪さは、そこから来ているのだと実感できた。

転職するという事に関して、自分に関わる全ての人の気持ちを受け止めて苦しんでいたし、

なかなか辞める事に関して納得してくれない社長や上司の態度にも辛い思いをしている。

私は自分が弱いから、大変な事にぶつかった時の逃れ方というかかわし方を学んできた。

でも、だんなさんはそれを真正面から受けてしまうのだ。

そしてこんな風に身体に出てしまう。

友だちが、『辛い事があっても、それが現れずに蓄積していってしまうよりも、

早い段階で、ヘルプ信号として表現された方が、大変な事にならなくて済む。

それが健康な人の、正常な反応なのかもしれないよ。』と言っていた。

確かに、知らず知らずのうちに苦しさを溜め込んで、ある日大きく噴出してしまったのが私かもしれないけど。

明日になったら、病院に行かせなくちゃいけない。

予定としては、午前中会社に挨拶、午後から田舎に帰ることになっていた。

とんでもない!と反対する私とだんなさんで、ケンカになったのだった。


ほんじゃまか。
2003年03月14日(金)

腰が痛い。

ちょうど腰が痛かったのと、昨日実家に行って疲れたので会社を明日にしたくて、カイロを今日にしてもらった。

カイロでは、腰が痛くて今日に変更したという事でほとんどぎっくり腰を起こしたかのように手厚く治療してくれた。

私はと言えば、実はカイロの場所に早く着き過ぎてちょっと入ったスロットが当たって、結局はちょっと遅れてしまったのだった。;;^^)

さすがにそれは言えなかったけど。しかも、ブーツまで履いていた。

帰りにスリッパを片付けるのを手伝おうとしてくれた先生達の前で、かがんでブーツを履いている私。(;^_^A

かなりしっかりと治療してもらったので、その反応で腰が重くなったり身体がだるくなったりした。

しばらくはちょこちょこ来た方がいいそうで、土曜日にまた行くことになった。

ちょっと言ってみた腰の辛さで、ここまで大事になるとは思わなかった。

果たしてこれでよかったのか・・・?(笑)

しかし帰りにもスロットに寄っている私であった。

負けた。


ほんじゃまか。
2003年03月13日(木)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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