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強気に出る。

昨日会社へ行く前に、実家へ電話をした。


実はここ最近気にかかっている事があった。

母が父方の親戚の集まる法事に出なさいと言う。

昔から身体が弱いのと人見知りなどで、父方の親戚との付き合いを避けていた母なのに、

自分の親戚があんな事になり、また年をとって来て自分の死んだあとの事などを考え、

『あんたにしっかりやってもらわなくちゃいけないんだから』なんて言い出す。

先日そういうことを電話で言われた時は、

『あなたに病気持ちで一人っ子のプレッシャーが分かるか!』

と、怒ってみたりしてはみたものの。

初打ちの時に、法事の事考えてみてねなどと念を押されてしまった。


私は今、電車に乗る訓練を全くしていない。

カイロに行くのに5,6分乗るだけ。

せっかく調子が落ち着いてきているから、無理はしたくなかった。

法事に行くためには、電車で30分、乗り換えて10分ほど。

当日チャレンジしてみて、できそうだったらそのまま行ってみようかと思っていたが、

2,3日考えているうちにどんどんそれがプレッシャーになってきて、

しかも、母の勝手な言い分にも腹が立ってきて、憂鬱になっていた。

だから、きっぱり断ってみようと思った。

そうしないと、具合が悪くなりそうだったから。


家を出る前に電話すると、母は病院へ行く直前でバタバタしていた。

『やっぱり今度の日曜日、行けないわ。』と私が言うと、

『あ、そう。』と言ってさっさと電話を切ってしまった。

ちょうどいい時に電話したかもしれない。

ひとまずほっとして会社に向かった。


夜、実家に寄って母と話をした時、法事の話が出た。

私は行きたくないとはっきり言った。

電車も怖いし、今せっかく良くなってきているのを崩したくないからと。

車で来ればとも言われたのだが、私が行きたくない理由はそれだけではなかった事に気付いた。

自分の都合で、私の行動まで決めて欲しくないのだ。

親戚と距離を置いて付き合ってくる生活に慣れていたのに、急に変えろだなんて都合が良すぎる。

『私は私の出来るやり方で、法要も親戚づきあいもやっていく。

私が病気なのをきっとおじいちゃんも分かってくれる。』

母に対してかなり強気に言えている自分に驚いた。

そう出来るようになってから、だいぶ気持ちが楽になっているのは事実だ。

ひどい子供と思われてもいい。自分に無理をしてはいけない。


母は私の事を、『いつ怒り出すか分からないから怖い』と言う。

私も母に対して同じ事を思って来た。

怖いくらいに思ってくれてた方がいい。

子どもだからって馬鹿にして、なんでも言いなりにさせようとするのが間違っているのだから。

いくら自分が産んだ子どもだといっても、親と同一ではない。別人格なのだ。

それを意識的にせよ無意識的にせよ理解しながら付き合っている親子はうまく行くと思う。

時にはわがままが出たり、けんかをしたりする事があったとしても、

それが、子どもを支配するための物でなければ大丈夫だと思う。

私もいつか親になる日が来るのだろうか。

自分の子どもを、苦しめたりしないだろうか。

そうならないためにも、今私は色々と考え模索しているのだ。


ほんじゃまか。
2003年01月07日(火)

仕事始め。波乱の幕開けか?(笑)

今日から仕事始め。

久しぶりの出勤でちょっと緊張していたのか、いつもより早めに目が覚めた。

道路が混んでいるのかと思ったら、まだどこも本格的には動いていないのか、とても空いていた。

最近は昼過ぎ、ひどい時には13時近くの出勤になっていた私。

今日は実家に寄らなかったので、11時過ぎに会社着。

ほんとはいつもこれくらいに来なければいけないんだな〜と反省。


仕事始めの日は、みんなで神社へお祓いもらいに行って、お札をもらってくる。

その後事務所内で御神酒を飲んで、軽く食事をする。

普通はそれで解散だが、私や他2,3人はその後仕事をする。

ちょっとお酒を飲んで、ほろ酔い気分でお仕事したりして。

他の人が酔っ払って馬鹿な事を言っているのを聞きながら仕事するのもなかなか楽し。

結局みんな帰ってしまってからも、私を含めて3人で18時まで仕事をしていた。


飲み会の時に社員旅行の話になった。

ウチの会社は割と仲が良くて、1年に1,2回は旅行をしている。

もちろん私は入社以来7年間、1回も参加していない。

一緒に行きたいね、行ったら楽しいよ、と誘ってもらえて嬉しいのだが皆での泊まりなんて無理・・・。

今回も、近々温泉に行きたいねなんて話になっていた。

すると社長や同僚が、『今度は○○さん(私)の行ける所に行こうよ。』

なんて言ってくれて、『どこなら行ける?』と聞かれた。

うーん、どこも行けないんだけどなぁ。

『○○さんの家の方の温泉にしようか〜、でもそしたら夜家に帰っちゃったりして。』

なんて冗談も飛び出しながら。

『新幹線なら大丈夫なんでしょ?』

新幹線なんて第3位くらいにダメだ〜。(1位と2位は同率で飛行機と船。笑)

私はただ、行けないんですよ〜、すみません〜。と笑いながら謝るだけ。

PDだとは言ってあるが、普通の人にはなかなか分からないのは仕方ないしね〜。

一緒に行こうよって言ってくれるのは嬉しいなぁ。嫌われてないって事だもんね。

ほんといつか行って、楽しんでみたいな。

だんなさんの実家(九州)にも行った事がない私。

本州から出てみたい。


仕事が終わり、実家に寄った。

母は病院へ行くために久しぶりに外出したそうで、疲れて寝ていた。

私が行くと起きて話をしていたが、マイナスな話ばかり。

母を居間に連れて行って父と3人で食事。

最初は気を使って話していた父も、お酒が回るにつれて口数が減って来る。

飲んでうるさいほどしゃべる時と、黙る時がある。

黙った時にあまり話し掛けると、うるさそうに怒り出す。

今日は黙っている日で、私が伯母問題について父にもっと動いて欲しいと言っても

聞いているのかいないのか、あやふやな態度をとる。

目が座って来ていて、いつ怒るか分からない感じもする。

母が、『家にいると気が張って具合が悪くなるから、早く帰ったほうがいいよ。』と言う。

父に対して『あんたがそんな態度だから、この子の具合が悪くなるんだ』言いたかったようだ。

『早く帰んな。』と言われる私の身にもなって欲しい。

もっと他に注意の仕方があるでしょう。

私にとっては、父よりあなたを扱う方が大変です。


母は、『私には家族なんていない。』と言った。

これだけ周りに心配をかけて、気遣ってもらってるのにそんな言葉を平気で言う。

ほんとうに失礼な人間だと思う。

母は、『寂しい』とも言った。

『周りの人たちを見ていると、子どもや孫に囲まれて楽しそう。あんたは会社の日にしか来ないし。』

あなたの子どもは病気です。それを分かっているんですか?

あなたは子どもが会いたいと思うような親ですか?


人間にとって寂しさは避けようのないものだと思う。

どんなに自分の周りに人がいても、どんなに優しくしてもらっても、

『寂しさ』は必ずどこかに存在している。

だからこそ、人間なんじゃないだろうか。

だからこそ、1人じゃない喜びも感じる事が出来るのではないだろうか。

母にも、その寂しさとちゃんと向き合って欲しい。

いつでもどんな時でも、周囲の人間が自分の思い通りに動いて盛り上げて、

機嫌をとってくれなくては満足しない母。

そして、それを与えてくれない私に攻撃をしてくる母。

寂しさをしっかりと感じていないから、一人じゃない事の素晴らしさも分からない。


PDになって、ほんとに孤独な時期があった。

でも、それがあるからこそ今の自分がとても恵まれていると感じる。

自分はいったいどうしてしまったんだろうと思い、

発作に耐えながらただひたすらに手探りで進んできた日々があるから。


実家ではご飯をどこに食べたのか分からず、

新年という事でちょっとサービスして、21時半近くまで母の話し相手をしていた。

帰りは胃が気持ち悪くなって辛かったが、パニックには結びつけず済んだ。

今日が仕事始めと知って応援してくれるメールがお友だちから届いて励まされて、

家の側までたどり着いた。

しかし、実家と車が寒かったので背中から腰にかけてすごく緊張していて、

そのせいか家に着くちょっと前に動悸が始まった。

負けるもんか〜、これをPDに結び付けたりしないぞ〜とファイト。

なんとか家にたどり着いた。

ほっとしてお腹が空いたので、カップラーメンを食べて疲れた〜とボーっとしていた。


また頑張り過ぎる悪い癖が出たかな?;;^^)

でも、心地よい疲れです。


ほんじゃまか。
2003年01月06日(月)

転職?

今日から自宅での仕事を始めた。

休みと仕事の区別をつけたくて、昨日までは仕事をしないようにしていた。

家で仕事をしていると、プライベートとの境目があやふやになってしまって、

のべつまんべんなく(笑)仕事をしているような気になってとても疲れることがある。

しかも今は、仕事もプライベートもパソコンの前にいる事が多いから余計かもしれない。

とりあえず、明日までにやらなくてはいけなかった仕事は終わったのでほっとした。

明日は今年の初出勤。道路混むんだろうな〜。でも、ドライブのイメージはいい感じ。(^^)

年始恒例の社員一同での神社参拝、お祓いに間に合うかな。(;^_^A

さっきから、歩くとお尻がすごく痛い。股関節脱臼っぽいぞ〜。


友だちから、年齢が『7』の倍数になっている歳は、

転機だったり大変だったりするらしいよと聞いた事がある。

確かに、友だちも私も心当たりがある。

その言葉どおり、4月で35歳になる私の2003年は思いっきり変化の年になりそうなのだ。

言葉には出来ないが、自分の心の中で考えている事もちらほら。

大変な事も多いと思うが、どんな風に自分が変化していくかという楽しみもたくさんある。

実現できそうになったら、日記にも書く事にしよう。(*^^*)

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だんなさんが転職するかもしれない。

辞めた上司が勤めている会社から誘われている。

社会人になってから7,8念経ってくると、仕事に対しての考え方も変わってくるらしい。

就職してから最近までは、絶対に自分から会社を辞めることはしないと言っていただんなさん。

ちょっとでも今の仕事に疑問をもったり否定したりしてしまうと、

全てが崩れ去ってしまいそうだと言って、私がだんなさんの会社の批判をする事も許さなかった。

まだ若い今の会社の中では古株に入ってしまうだんなさん。

サービス残業、サービス休日出勤、毎日帰りは夜中。

嫌な顔せずに仕事を引き受けてしまう性格もあって、仕事はきつくなる一方。

私としても、身体の事が心配でどうにかならないかと思っていた。

それでも、だんなさんは真面目に働き続けていた。

しかし、ここ1,2年の間に会社も変わってきてしまった。

社長と、出資先からくる出向社員との折り合いが合わなかったり、

元からいる幹部との確執があったり。

仕事で大変というよりも、人間関係でのゴタゴタが増えてきているらしい。

また、社長が自分の付き合いで入社させる中途採用の社員がロクでもなく、

そんな人がたまたまだんなさんの直属の上司になったりして、

嫌な思いをいっぱいしているのだった。

自分の出世や体裁のために、平気で部下を怒鳴ったり利用したりする上司。

社員をまとめていく力もなく、自分の身を守るために出向社員に媚びを売る社長。

だんなさんにとっては、上司や同僚のいい加減さよりも、社長の情けない態度が我慢できない。

こんな人の下では働く気になれない、というのである。

私の会社の同僚も言っていたが、

いくら経営が厳しくてお給料が安かったりボーナスがなかったりしても、

社長に『今は苦しいけど、楽になるまでみんなで頑張って行こう!』

という気持ちがあれば着いていけるという。

社長が自分の事ばかり考えて、社員の頑張りにねぎらいの言葉もないようだと、

みんな離れていってしまう。

私の会社の社員が長続きしないのは、そんな理由なのだ。

お給料や仕事の大変さだけで辞めていく人は、意外と少ないのかもしれないと思う。

やりがいを感じていられれば、けっこう頑張れるものなのかもしれない。

だんなさんなんかは典型的なそういうタイプで、滅私奉公型。

やりがいさえあれば、お給料なんていらないよなんて言い兼ねないタイプ。;;^^)

そのだんなさんが転職を考えているくらいだから、相当会社の雰囲気が悪いに違いない。

可愛がってくれていた上司が、社長の陰謀で辞めざるを得なくなって転職。

その会社へ来ないかと誘われているらしい。

今の社長よりは、その上司の元で働く方がいいと思っているみたい。

身体も心も辛い会社にいて体調崩したりせっかくの穏やかな性格が変わってしまいそうになるくらいなら、

自分の納得した会社で働いて欲しいので、私は転職には反対していない。


転職直後の生活は不安定になってしまうかもしれないけど、仕方ないかな。

大学を出て、最初に就職した会社が九州勤務だった時も、

自分の人生を後悔して欲しくないから反対しなかった。

それでも今はこうして幸せにぼちぼち暮らしていけているんだから、

これからもどうにかなるでしょ。(笑)

ほんじゃまか。
2003年01月05日(日)

自分を大切にする。

去年の30日に買い物に出て調子が悪くなって以来、久し振りに近所へ買い物に出た。

特に気負いもなく、買い物を楽しむことが出来てほっとした。

14時からチャットの予定があるので、それまでにお昼ご飯を食べようと思い、

中華丼と鶏のから揚げを買って帰って食べた。

中華丼はまあまあだったが、鶏のから揚げはその前に揚げた物の匂いが付いてる感じで

イマイチ美味しくなくてがっかり。

このスーパーは大手チェーン店なのだが、お惣菜はあまり美味しくない。

年末は買って帰ったお寿司に、髪の毛が付いていたし。

こういうのって、これから気を付けてもらうために言った方がいいのかなぁ。


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自分の付き合っている友だちの性格に嫌な部分があって、ちょっと困っている。

ただ、全体的にはその友だちはとってもいい人なので、友だちを止めたくはない。

しかし、その性格のおかげで自分に少しプレッシャーがかかる感じもある。

放っておくと、私自身の中にその友だちに対する不満が溜まっていってしまう。

そして、こんなに自分が辛かったり嫌な思いをするのはその友達のせいだと感じる。

最終的には相手を恨むような気持ちまでもってしまうことになるだろう。

でも、それは相手には責任のない事。

こちらははっきりと相手に『嫌だ』と伝えたわけではないから。

そして相手に、『性格を変えろ』という権利もこちらにはないのである。

人から『変われ』と言われて簡単に人の性格が変わるものではないし。

本人が心から変わりたいと思って始めて、人間は変化をはじめるのだと思う。


では、いったいどうすればいいのか。

嫌なら付き合わなければいいという考えもあるだろう。

でも、わざわざこちらから人間関係を切るなんて事はしなくてもいいのである。

要は、『自分の好きなようにすればいい。』のだ。


こう欠くと、すごく自分勝手で冷たい人間のように思われるかもしれないが、そんな事はない。

今自分の得ている人間関係は大事にしたい。

でも、その人間関係を維持するために自分自身をすり減らすのはおかしいと思うのだ。

たとえば自分は今日は出掛けたくないなと思っているのに、相手から誘われたとする。

『行きたくない』この言葉を言うのはとても難しい。

私なんて、親にもこの言葉を言えずにずいぶん苦しんだ。

でも、言っちゃっていいのである。

行きたくないのに我慢して、出かけて行って、

具合が悪くなってしまったり、お財布落としてしまったり。

『ああ、やっぱり行かなければよかった。』なんて思う。

誰が悪いのか?

行きたくないのに、無理に付き合わせた友達のせいにしてしまったりしないだろうか。

友だちは悪くない。出掛けたかったから誘って、こちらがそれに応じただけ。

行きたくないといっているのに、首に縄をつけられて引っぱられた訳ではないのだ。

こんな風に恨まれるのなら、はっきり

『行きたくない』って言ってもらえた方がいいと思っているかもしれない。

もちろん、行きたくないのに行ってもいい。

たとえば相手が落ち込んでいて、気分転換にどこかに行きたいという。

自分は出掛けたくなかったけれど、相手の事を励ましてあげたくて付き合ってあげようと思う。

これは全然問題無い。

行きたくないと思ったら、必ず断らなければいけないというのではないのだ。

この場合は、自分が『付き合ってあげたい』という気持で動いている。

だから、たとえ疲れてしまったとしても相手に対して恨み言は出てこないはず。

自分がやりたくてやったんだから。

相手から感謝の言葉が出なかったり、

喜んでくれなくて面白くない思いをする事があるかもしれない。

それは自分が心から『付き合おう』と思ってやったのではないんじゃないかと思う。

心のどこかで見返りを期待していた事になる。

自分の思ったような反応が返ってこないからといって相手を責めるのはおかしい。

やりたいからやってあげたという自分自身の満足感だけで十分だと思う。


行きたくないと相手に伝えた時、その場の雰囲気が悪くなって嫌な思いをするかもしれない。

でも、それは仕方のない事だと受け入れよう。

そして、もし万が一それで相手が自分との関係を切ってくるようならそれは仕方がない。

そういう相手との付き合いは、この先続けていても、自分ばかりが苦しんでしまう関係になるだろう。

しかし、こういったこちらの態度は相手にとっても必ずなんらかの収穫をもたらすものなのだ。

『誘いを断られた』という事実を、相手がどう受けとめてこれからの生活に生かしていくか。

それはイヤイヤながら相手に言うことを聞いてもらっていた頃よりもずっと、

その人にとっていい経験になる。

『なんで自分は断られたんだろう。』

『断られないためにはどうしたらいいんだろう。』

『なんで自分は断られた事で、腹を立てているんだろう。』

『なんで悲しい、寂しい気持ちになっているんだろう。』

そんな風に思いをめぐらす事ができる機会が、相手にも与えられたのだ。

そして、

『相手が行きたくなかったんだから、断られても当然なんだ。』

『断られたからって、自分の人格が否定されたり、嫌われているという事ではないんだ。』

という思いにまで達する事が出来たら、これからのお互いの関係はもっと素晴らしい物になる。

こちらも、『なぜ自分は断る事が出来ないんだろうか。』と考える。

『嫌われたくないからなんだろうか。』

『いい顔をしたいだけじゃないのか。』

『断るって、そんなに悪い事なのかな。』

『自分がもし断られたら、やはり怒るんだろうか。』

などと考えてみたりする。

たかだか『断る』という行為一つで、これだけの思いをめぐらせる事ができるのだ。

自分を殺して、嫌なのを隠して付き合っていたのでは、これらの物は得られない。


友達関係だけではなく、母にも言いたい事が言えなかった私。

でも、最近嫌な事は嫌だというように頑張っている。

今までストレートに断られた事のない母は戸惑っているに違いない。

しかし、何回かそういうことが続いていくうちに、母もどうやったら私が言うことを聞くか、

どういう頼み方をすれば自分の頼み事が聞いてもらえるか、考えるようになった。

言葉の最初に『悪いんだけど』とか『お願いがあるんだけど』と付けるようになった。

これまで有無を言わせず、『親の言うことは聞くべきだ』という態度を取られてきた頃と比べれば、

私の精神的な負担はずいぶん軽くなっている。

母が勝手な態度ばかり取る原因の一つは周りにもあって、

私達がいいなりになっているから母は自分の態度が間違っているという事に

気付く機会が与えられていなかったとも言える。

私が正直に振る舞う事で、母もまた成長できるチャンスを得たのだった。

子どもだからって、夫だからって、なんでも自分の言う通りになる訳ではないと。


自分の気持ちに正直にふるまう事は、わがままだと思われがちだが、そんな事はないのだ。

自分を大切にしよう、自分の気持ちを殺さず生きよう。

それが相手を大切にする事にもつながると信じよう。

自分自身も、そういう態度をとる事によって嫌な思いをするかもしれない。

でも、それは生きていく上で仕方のない事として受け入れよう。

みんなが自分を大事にして生きていけば、きっと幸せになれる。

自分が嫌だと思う事はやらない。自分を苦しめない。


ほんじゃまか。
2003年01月04日(土)

だらり〜ん。

毎年、年の始めになると『よ〜し、今年はこれをやるぞ〜。』と意気込んでみる。

でも、そういう意気込みはあっという間に消え去り、

いつもと同じような日常になっていく。

今年も、新年から早起きするぞ〜という緩い決心が元旦から崩れ去り、

お正月3日目にしてすでに普通の生活に戻っている。

いつもより速いペースで。(笑)

子どもの頃から、夏休みの始めにスケジュール表を作成するのが好き。

1日のタイムテーブルまで考えて、綺麗に表にして。

1度たりともその予定通りに行動できたためしはない。

私は予定を立てるのが好きなだけなのだった。

最近でも、手帳に予定を書き込んでシールを貼ったりするのが好き。

さすがに子どもの頃とは違って、会社とか病院とか、

予定通りに動く事が増えたが、相変らず予定通りにできない事も多い。

昨日の実家へのお出かけで、ちょっと疲れていたがなんとか9時過ぎには起きた。

最近昼寝をしないので、寝不足になっていることが多い。

もう4日間も外に出ていない。

今日は朝から寒くて、粉雪も待っているから外に出る気もしない。

一日中パソコンをやったりテレビを見たりしてのんびりしていたが、

ココロのどこかに落ち着かないものがあって、完全にのんびりはできなかった。

何かやらなくてはいけないんじゃないか、

ぼーっとしていては時間がもったいないんじゃないか。

そんな考えが浮かんできている自分に気付く。

ゆったりを存分に楽しめるようになるには、もう少しココロのリハビリが必要かな。

だんなさんが19時過ぎには帰ってきたが、

もう1週間以上もスロットを打っていないので禁断症状で泣きが入っていた。

昨日私がスロットに行って、状況報告をしたので余計に打ちたくなったのだろう。

スロットに行きたそうなだんなさんに、

『テレビ見よう!』とか『行かないで〜。』(寂しそうに)と言って、いじめる。

だんなさんは、行かないでと言うと『分かった。』と言っているのだが、

ほんとは行きたいんでしょと言うと、『そんなことないよ。』と言いながらも、

小鼻が赤く膨れて今にも笑いそうな顔をしている。

気の済むまでからかってから、スロット行っておいで〜と送り出した。

本を読みながらお風呂に入っていると、今から帰ると言うのでお弁当を買ってきてもらった。

正月3日目から買い弁・・・。;;^^)

そう言えば、昨日は私が出かけていたからだんなさんには外で食事をしてもらった。

何を食べたのかと思えば、牛丼。

1月2日に牛丼屋さんで夕食を食べている姿を想像すると悲しい物が。

明日は手作り料理を作ってあげないといけないなぁ。


ほんじゃまか。
2003年01月03日(金)

新年恒例、初打ち。

今日もだんなさんの出勤には起きられなかった。

昨日寝ていないからしょうがないと言うことにしておこう。

それに出掛ける日は早く起きてしまうと、夜まで持たないことがよくあるから。

私の行動時間にはカラータイマーがついている。(笑)

出掛ける予定があって緊張していたのか、

夕べ遅く寝たにもかかわらず早い時間からちょこちょこ目が覚めていた。

しかし今日は自分で運転していくんだし、

寝不足のまま出掛けるのは心配だったのでムリヤリ2度寝した。

もうそろそろ起きようかなと思っていたところ、父から電話があった。

最近は本人も気をつけているらしく、口調が柔らかかった。

私の体調はどうだ?今日は来れそうか?という事と、

母が具合悪いから今日無理そうだなんて言ってるぞ、という内容でそのあと母に変わった。

母は夢見が悪くて、寝起きにどよーんと具合が悪かったという。

私もそういうことがあるので、気持ちは良く分かる。

明け方に悪い夢を見ると、起きた瞬間から具合がめっちゃくちゃ悪い事がある。

そういう時は、もう一度寝るのが一番いい。

そうでなければ精神が覚醒するまで気長に待つか。

それでもなんとも言えない嫌な感じは引きずってしまうものだが。

母の夢は自分の母親に優しくしてもらえなかったという夢。

母だけが父親が違うという事で他の兄弟からの風当たりが強くて苦労してきた(と言う)母。

祖母が亡くなる時も、兄弟の中で孤立して寂しい想いをしている自分の事を心配して欲しかったのに、

祖母は生涯独身を通している母の姉の事を心配していたらしい。

自分の苦しさを親に分かってもらえていないという辛さが、今でも母の心に残る。

今日の夢も、それを追体験するような夢で、夢を見ながら泣いていたそうだ。

母もれっきとしたAC。

私がそれに関してアドバイスしても、母はなかなかそれを自覚できない。

親だけでなく異父兄弟へ向けての憎悪もあるためか、自分の問題を絞りきれないでいる。

今回の親戚問題で、少しでもそれが整理されてくるといいと思う。

こんな問題が起きてしまったことは辛いかもしれないが必ず物事には2面あって、

悪い出来事だと思っていたものが、別の面から見れば素晴らしい出来事だったりするのである。


父からの電話は、母を思いやっての物だった。

最近ふさいでいて家にこもりがちな母を、父は父なりにフォローして気を使っている。

(本人には届いていないようだが。(;^_^A )

私が遊びに来れば、母も元気が出るんじゃないかと思ったのだろう。

母は無理しなくていいよと言ってくれたが、私は行ける所まで行こうと思った。

最終的な返事は出発ギリギリまで保留にしたが、とりあえず仕度を始めた。

ちょっと頭痛が残っている。

最近の頭痛は1日では終わらない。

今日の夜になったらまたひどくなってくる可能性が高い。

なんとか帰ってくるまでもって欲しいなと思う。

準備が出来たら、なんとか大丈夫そうだったので車に乗り込んだ。

『行けるとこまで行ってみるよ。』と電話すると、母は嬉しそうだった。

無理はしない。でも、出来そうな気がした。

車はとても混んでいて、実家に到着した時には13時を回っていた。

以前だったら『こんなに遅く来てもしょうがない』などと言っていた母だが、

最近は気弱になっているのでそう言う事はない。

まずはファミレスで腹ごしらえをして、恒例初打ち大会。

最近は不況のせいもあっていい店が少ないので難しい。

結局夜21時まで打って、2人とも3万円くらい負けた。

旅行も出来ないし、病院以外にお金を使う事もない2人のレクリエーション費。(笑)

それからおすし屋さんへ行って、食事。

最初はお腹が空いていたような気がしていたのだが、

出てくる料理の量が多いし食べてるうちに気持ち悪くなってしまったので

握りはあまり食べる事が出来ずに終わってしまった。

気持ち悪くなった時点でとても不安になったが、

『これは胃の不調だから』と自分に言い聞かせて乗り切った。

母も寝不足と薬のために眠くなっていたので、家に着いてすぐ帰る事が出来た。

ただ一つ気がかりなのが、再来週一緒にお世話になっているお寺に供養に行こうと言われたこと。

先日の電話で『これからはあんたに守ってもらわなくちゃいけないんだから。』と言われ、

『一人っ子で病気持ちの私のプレッシャーが分かるのか!

プレッシャーかけないでよ!』とキレてしまった私。

母は今まで自分も身体が弱いし、そう言った付き合い(父方の親戚が熱心)を避けていたのに、

自分の方の親戚がこんな問題になったりして気弱になり、

優しい言葉をかけてくれる父方の親戚に心が動いたり、

年を取ってきてしかも具合が悪いという事で、

自分の死んでからの事まで心配し始めた。(昔からそうだったのだが)

私がお嫁に行くのを反対したのも、

自分達のお墓をみてもらえないかもしれないと言う心配が一番だったようだ。

そんな心配しなくても、私はちゃんとやるから心配するなと言っても聞かない。

お寺の供養に一緒に行こうとしつこく言う。

私は嫌なことは嫌だとちゃんと言おうと決めたので、はっきり行くとは言っていない。

体調が良ければ行く気なるかもしれないので、今のところ保留にしてある。

今、私は電車に乗るのを最低限に抑えて不安感を忘れようとしている。

今回の供養に行くには、少なくとも1時間半はかかるだろう。

今まで乗っていないものを急にそれだけの距離を挑戦するのは無理だと思う。

一緒にお寺に行こうという母の言葉を思い出すと、すごく嫌な感じが襲う。

当日は嘘をついてでも断る事になるかもしれない。

私には私のペースがある。

家を出たのは22時半。

所々道路が混んでいたので、帰ったら24時だった。

さすがに疲れてネットをする元気がなかった。

寝たのは2時頃。

よく頑張った〜。(^^)


ほんじゃまか。
2003年01月02日(木)

あけおめ!ことよろ!

年末番組で岡村君が言っていたのを聞いて、気に入って使ってる。

今年からは早起きして、せめて会社に行くだんなさんをお見送りしてあげようと思っていたのに。

1日目から挫折。

気が付いたらだんなさんはすでに会社へ行っていた。(;^_^A

昼近くに起きて、特に見るテレビもなく、掲示板に書き込んでくれたみんなのおめでとうを嬉しく見る。

レスをしたり、年賀状を見たり、なんだかんだしているとあっという間に1日は過ぎていってしまう。

1人だとお正月気分もあまりしないし、いつもと変わらないような感じ。

午後になって、ちょっとお酒でも飲んじゃおうかしら〜と思い、買ってあった梅サワーを飲む。

すると、まだ少ししか飲んでいないのに妙に頭がグラリンと揺れた感じ。

いつもの酔いとはちょっと違う?すぐにビビってしまうのが悪い癖。

それでも大丈夫そうだったので、残りも少しずつ飲み干してネットをしていた。

しかし、段々と不快な症状が出てきた。

頭が詰まったように重い、手足がむくんだ感じ、中途半端な痛みもある。

今までもたまにこういった症状はあったが、ひどい血行不良のような症状だ。

身体が重い〜(太っているからではない。(笑))目も辛くなってきた。

とうとう耐え切れなくなって、横になって気晴らしに携帯ゲームをしていたらだんなさんが帰ってきた。

さすがに元旦だけあって帰りは早く20時過ぎ。

私はけなげにも(笑)起き上がって、だんなさんにお雑煮を作ってあげたのだった。

そして一緒にテレビを見ながら食べた。

お雑煮には大して具が入っていないし、夕食としては中途半端になってしまったので、

その後、だんなさんの好きなカリカリベーコンと目玉焼きを作って納豆と共に食す。

これで今日の夕食は終わり。全然元旦じゃない。

夜がふけるにつれて、さっきの症状がピンポイントでひどくなってきた。

ひどい肩凝りと頭痛、吐き気。

吐き気が起きると不安が出てくるので嫌だなぁ。

肩と首に湿布を貼ったら少し気分が紛れて来た。

結局は偏頭痛ということなのだろうか。

偏頭痛は、疲れやストレスがピークの時には起こらない。

それを過ぎて、ゆっくり休んだり睡眠をたくさん取ったりして緊張していた血管が緩んだ時に起きる。

ようやく年が明けて、1人でのんびりとお酒なんて飲んじゃったから一挙に疲れが出てしまったのかもしれない。

明日は母との約束がある。

毎年恒例のことなので、付き合ってあげたいとは思うのだがこの調子だと行けるかどうか・・・。

でもなるべく明日終わらせておきたいのだ。面倒くさい事は。;;^^)

あまりにも気持ち悪いし、いつものように頭痛だけが原因とはいえないのでなんか寝るのが怖くて、

吐き気がおさまるまで携帯ゲームをしながら起きていた。(ほんとはゲームしちゃいけないんだろうけど)

やっとおさまって眠りについたのは夜中の3時を過ぎていた。


ほんじゃまか。
2003年01月01日(水)

今年を振り返って。

今年も残すところあと1日。

日記はびっくりするくらいたまっている。

来年は1週間以上はためないようにしたいものである。爆。

朝からのんびりモードの大晦日。

だんなさんは、先日作ったスーツを取りに行くつもりらしい。

しかし、私はあまり外に出たくなかった。

やっぱり昨日の調子の悪さを引きずってしまっている。

私の調子の悪さは大体胃から来る。

今回もたぶんその要素が強いんじゃないかなとは思うのだが。

ちといつもよりはきついかな。

年末に入って、食生活が乱れまくっていたかも。

29日の夜は、ご飯の仕度をするのも面倒で夜遅くにピザとって食べたし。

昨日は昼マックで、夜はお酒飲みながら寿司とか湯葉刺しとか餃子とか餅ベーコン焼きとか。

今日は昼はお餅、夜はまたお酒飲みながらちょこちょことおつまみ系の食事して。

夜は鴨そばで年越し。

結局1歩も外に出ないで夜を迎え、だんなさんはイノキボンバイエを見ていた。

私も見てたんだけどなんか落ち着かなくて、

気を紛らわした方がいいかなと久し振りにギターを持ち出した。

少し前に衝動買いしたエレアコ。(アコースティックギターのエレキ版)

買って以来ほとんど触った事がなくて、本格的に弾いてみるのは今日が始めてかも。

保証書を見たら、3年経ってた・・・。;;^^)

先日どうしても欲しくなって買っておいた『スピッツ』のバンドスコアを見ながら

『ロビンソン』の出だしを練習。

スピーカーアンプには繋いでいないけど、アコースティックなので生音も結構大きい。

うー、全然指が動かない。

元々ヘタなのに、長年やってなかったせいですっかり忘れてしまっている。

しかも、指先が柔らかいので弦を押さえているとだんだん痛くなってくる。

いつもやっていれば指先の皮膚が固くなって耐えられるようになるのだが。

2時間くらいやっていただろうか、結局ギターに合わせて歌うと言う夢もかなわぬまま終了。

来年はギター復活を目標にしてみようかな。( ̄m ̄〃)

なにせだんなさんも私も本職がドラムだから、一緒にバンドが出来ない。

だんなさんのギターは目も当てられないくらいの物なので、私が音物に戻るしかないのだった。

子どもの頃ピアノをやっている時から思っていた。

私はコツコツ練習できるタイプではないと。(笑)

バンドを組んでいる時はみんなとの練習があるから何とかやっているけど、

個人的に技術をレベルアップさせるための練習は全然やってなかった。

一つの物を極められない性格。飽きっぽい。

来年はそれをどうにかしなくちゃいけないかな。

23時過ぎ、ナイナイの火くぐりを見る。

岡村君頑張ってるなぁ。感動。

でもきっと、これ見て抗議の電話している人もいるんだろうなぁ、可愛そうに。

牧瀬最高。とってもいい人だ。

日記の題名、嘘書きました。(笑)


ほんじゃまか。
2002年12月31日(火)

ちょっと落ち込み。

金曜日に一応の仕事納めで、土日は家から一歩も出なかった。

言い訳程度の掃除をして、あとはバタバタしている内に今年も残すところあと2日。

本当なら昨日からお休みだったはずのだんなさんだが、急にお客さんとの約束が入り出勤。

今日と明日休んだら、元日から出勤。

会社自体は休みなのだが、仕事柄営業さんが出勤しているし、

お客さんからの電話も入るかもしれないとの事で、

事務所内ではだんなさんだけが出勤している。

結婚前からこのパターンだったので私ももう慣れてしまった。

お正月に出た分を代休として取って、

空いている時にどこかへお出かけするという楽しみもあるからいいかなと思っている。

しかし私たちに子どもでもいたら、やっぱりお正月は一緒に過ごしてあげたいと思うのだろうか。

今年は今までになく開き直って大掃除も料理もしない〜と決めていたが、

さすがに何も食べないわけには行かないので買い物に行くことにした。

今日の内に行っておいて、明日はのーんびり過ごそうと思ったのだ。

やっと書き上げた年賀状も出さないといけないし、

だんなさんのスーツのクリーニングも出さないといけないし、

すべてご近所で済むしいつもは車ばかりの2人だが、

運動不足バリバリなので、たまには歩いて行こうと思った。

車大好き、歩くのめんど臭い〜のだんなさんが珍しくOKしたので、2時過ぎに家を出た。

まずはクリーニングに出す洗濯物を持って、家から300Mほど離れたお店へ。

今日はすごく寒い。家から出たばかりなので余計寒いわ〜と思いながら歩く。

・・・閉まってた。

がっくりするだんなさん。

ここが一番安かったんだけどなあと思いながら、もう一つのお店へ。

開いていた。

そこはウチのマンションのまん前。

始めっからここにすれば良かったのにと思っているであろうだんなさんだが、

貧乏な我が家ではそういう文句は許さないのである。

それから集配もやっている大きな郵便局へ。

大きい所に出せば、遅く出してももしかしたら元旦に間に合うかもしれないと聞いたから。

県内くらいはなんとか間に合うかなぁ。

郵便局はウチから1キロくらいあるだろうか、

周りは整備されて公園になってたりオブジェがあったりするので、

それらを眺めながらのんびり歩いていった。

郵便局はとても混んでいた。年末の支払いや送金があるのだろう。

私も通販の料金を支払おうかと思ったが、

それを払うと手元にお金が無くなってしまいそうなので止めた。笑。

郵便局を出た所に、入った事のないコーヒーショップがあったので入ってみる。

だんなさんはコーヒー、私は紅茶。

飲みながら私の病気についての話をした。

12月に入ってから体調も良く、不安感もうまくコントロールできていたし、

ずっと家から出ない日があっても、自然にまた外に出られるようになったし、

とっても嬉しいんだよねなんて話をしていた。

ところが喫茶店を出て歩き出すと、胃の不快感が襲ってきた。

気持ち悪いようなだるいような、フラフラするような。

調子の悪い時の信号である『手に汗』。

最近でもこういう感じになる事はあったが、なんとかかわして来れていた。

しかし今日のはちょっと時間が長かった。

自分だけだったらこのまま家に帰っていたかもしれないが、

だんなさんも一緒だったし買い物もしたかったのでそのままスーパーへ向かった。

スーパーまでは500Mくらいだろうか。

まだ夕方の早い時間なのに、食料品売り場は人がいっぱいで品物を見るのも大変なほど。

ほんとならゆっくり楽しみながら食材を選びたかったのだが、

フラフラしたままだったためメニューも思い浮かばない。

果物が欲しいと言うだんなさんに、どれでも好きな物買っていいよと言って側で待っていた。

だんなさんも特に時間がかかっている訳ではないのだが、

具合が悪いと待っているのも辛く、『早く選んでよ!』とキツイ言葉をかけてしまった。

こういう時、申し訳ないなぁと思う。

具合が良い時は自分自身にも余裕があってだんなさんにも優しく接してあげる事が出来るのだが、

調子が悪くなるとそれが出来なくなる。

一緒に住み始めたばかりの頃、

PDの調子も悪くてACに関してもまだまだ手探りだった時期はケンカも多かった。

それが段々落ち着いてくるにつれて、

以前なら腹が立っていた事にも怒らなくなって来たし、

笑える事も多くなってきて、今では自然にケンカも減った。

自分が健康である事は、周りの人たちにとっても大事なんだなとつくづく思う。

ちょこちょこっと買い物をして地下食料品売り場を出る頃には、

最初ほどの調子の悪さは無くなっていた。

スーパーに隣接した食料品アーケードを覗き、だんなさんの大好きな鴨肉を探す。

ウチの年越しそばは、鴨肉入りの温かいそば。

ところが年末になると、鴨肉が手に入りにくくなる。

去年もスーパーを何軒か回ったような記憶がある。

結局そこでも見当たらず、家のすぐ前のスーパーに行ってみることに。

調子はまだ完全に良くなってはいなかったが、

すぐにでも家に帰りたいという感じでもなかったのでそのままスーパーへ向かった。

荷物はほとんどだんなさんが持ってくれていたので、

なんかすごい恐妻家の夫婦のようでちょっと恥ずかしかった。(;^_^A

家の前のスーパーで鴨肉を発見し、無事帰宅。

久し振りに調子が悪くなった事でやっぱり少し落ちこんで、

具合の悪さも引きずってしまった。

身体が何となく緊張しているし、すっきりしない。

それでも買ってきた惣菜で食事の仕度をして、

お酒も少し飲んだりして食事は美味しく食べられた。

食事の後はのんびりしていたが、横になってテレビを見ていても、

すぐ首が痛くなってしまったり、何となく調子が悪いなと思いながら過ごしていた。

テレビで今年の総集編という365日分のニュースをやっていて、

それを見ていたら昨日に引続き寝るのが真夜中になってしまった。

こういう生活の乱れもいけないんだろうなぁ。

でも、買い物から帰ってきたのは17時過ぎ。

なんだかんだ言っても3時間くらい徒歩で外出できていたのだから、良しとしなくちゃ。


ほんじゃまか。
2002年12月30日(月)

親戚問題勃発。

先日の伯母入院で大きな問題が起こった。(詳しくはAC日記を・・・。)

元々くすぶっていた問題が、これを機に浮上してきてしまったのだ。

我が家は、母と私の人嫌いと病気の関係で親戚との付き合いはそんなに密ではない。

父方の親戚とは年賀状のやりとり、母方の親戚とは年に1回会う程度。

昔から母に親戚付き合いは大変だ、いい事は無いと言われていたので、

私も親戚付き合いは嫌いだった。

結婚になかなか踏み切れなかったのも、

そういった付き合いが増えることを嫌ったからだった。

よくもこんなに母の言う事を鵜呑みにして生きてきたなぁと思うが15年程前までは、

母は私にとって絶対でかけがえの無い存在だったのだ。

今、だんなさんの方の親戚を見ていると、

年に1回は老若男女集まって温泉に出かけていたりするし、

病気で未だに田舎に帰ることが出来ない私に対しても、

うるさく言ってくる人はいないし、

結婚前に考えていたことは取り越し苦労だったのかなと思う。

でも、これは兄弟が普通に仲良く過ごしてきたからこそできることなのだ。

母の親戚は、それぞれが複雑な出生と生い立ちを持っている。

そしてそのためか、性格的に変わっているし馬鹿じゃないかと思うようなのもいる。

そしてお人よしの両親は、伯母を始めとするその親戚に、

今までに嫌な思いをたくさんさせられているのだ。

そんな親戚とは早く縁を切って、もっと楽に生きていった方がいいのではないかと私は思っていた。

父もそう思っていた。

母も少なからずそう思ってはいたのだが、

これから年を取っていった時に血縁がいないと寂しいのではないかとなかなか断ち切れなかった。

しかしそれが今回の問題を引き起こしたとも言える。

母はひどく落ちこんで、泣き暮らしているし、腹も立てている。

そう言った感情をもてあまして、私に聞いて欲しくてだーっとしゃべり続ける。

私はまたこれをきっかけに母との関係が苦しくならないように、

しっかりしなくてはいけないのだ。


ほんじゃまか。
2002年12月09日(月)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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