東京の片隅から
目次きのうあした


2022年02月01日(火) 理想の歯ブラシ

人生後半戦、ようやく「理想の歯ブラシ」像が見えてきた。
まず、ヘッドが小さいこと。「超コンパクトタイプ」がいい。
そして、ヘッドが薄いこと。顎関節症を患ったことがあり、口が大きく開かないときがある。その割に親知らずがしっかり生えてしまっているので、奥まで入らないことがあった。最近ようやく薄型ヘッドが世の中に出回るようになってきてありがたい。
さらに、歯ブラシの毛が細いこと。歯と歯の隙間が狭く、フロスを使っているが、面倒くさいので、歯ブラシである程度隙間の歯垢が取れるとありがたい。


2022年01月31日(月) いつも思うんだけど

毎年思うけど、1月って短すぎやしませんかねぇ。


2022年01月30日(日) アルセウス

こどもが「アルセウス」を始めた。
ポケモンのスピンオフ的な世界である。
北海道をモデルにした世界がが舞台なので、家々が開拓村っぽかったり、室内は靴を脱いでいたり、衣装の模様がアイヌの民族模様っぽかったり、食べ物がいももちだったりする。
あと背景の植生がエゾマツっぽい針葉樹やシラカバだったり、空の色とか草の色とかが冷帯のものなのが一目でわかる。
いつも自然描写がよくできていて、毎回感心する。別にポケモン集めなくてもバトルしなくてもなんならストーリー進めなくてもこの世界造形だけ見ていても飽きないくらいだ。(単にゲームが下手なだけ)


2022年01月29日(土) 溶連菌だった

まだ喉が痛いというのでかかりつけの病院へ行く。最初は渋っていたが(当然ではある)PCR検査は陰性だったことを伝えると、なんとか見てもらえた。
結果は溶連菌。薬をもらって、一ヶ月後に尿検査。
服薬後1日あけば登校できるので、週明けには登校出勤できる。


2022年01月28日(金) 念のため休み

コロナじゃなかったけど、子どもはオンライン授業。親はテレワーク。


2022年01月27日(木) PCR検査

そんな中、子どもが発熱。学校で陽性者が続出しているので、家族でPCR検査を受けてきた。
最初、近所の発熱外来をやっているクリニックに問い合わせたら、検査はできるけど結果が戻ってくるのに4日くらいかかるとのことで、比較的近いところの病院が自前で検査できるのでそこだと早いだろうと教えてくれた。
調べたら次の日に枠が空いていたので家族全員分速攻予約。
昼過ぎに検査、その日のうちに結果が出て、全員陰性。ほっとする。
これ、家族に誰か一人でも陽性者が出たら半月以上自宅待機になるわけで、そうなっちゃうといろいろ詰む。


2022年01月26日(水) だーかーらー

会社の別事業所で、微熱があるまま1週間出勤していたおバカさん(言うぞ!)がいたらしく、結果陽性。
で、グループ全員濃厚接触者で検査結果が出るまで業務ストップという事態に。
危惧したとおりグループ内でも陽性者が出てもうどうしてくれようかと・・・。
年度末に向けてみんながカリカリしているときにねぇ。
本人もそうだけど、グループ員だってみんな家族がいて、そっちにも影響が及んじゃうんだよ。受験生いたらどうするんだよ。受験できなくて追試も出来なかったら責任取るのかよ(幸いいなかった)。
なんともかんとも。


2022年01月25日(火) オンライン授業再開

小学校もオンライン授業再開。といっても希望者がいるクラスは去年から継続的にやっているらしい。
子どもに聞いたら家庭科と図工の日は登校したいそうで、去年同様オンラインと登校併用型にする予定。
6年生は全員オンラインだそうで、受験で欠席者が増えるからかと思っていたら、子どもの話によるとどの学年も早退欠席多数だそうで、クラスターが起きても驚かない。


2022年01月22日(土) 納骨

母納骨。
元の宗派とは違うところなので、お経なども違う。不謹慎だが、なかなか面白いと思ってしまった。
納骨堂はロッカー式。入り口でカードをかざすと確認場面が出て、OKならブース番号が指定される。指定されたブースに行くと写真と遺骨の入ったロッカーが出ている。要するに機械式駐車場である。掃除などの手間もかからないし、花を買っていく必要もない。遺族が老いている場合にはいいシステムだと思う。なにより今の実家からバスで一本で行かれるのが父にはよかったらしい。
私たち子どももカードをもらったので、近くに出たときに寄れれば、と思う。


2022年01月14日(金) 目に見えないもの

「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」という本が気になる。「ケア」が女性に偏っていること、金銭的価値が目に見えにくいことなどについて論じた本らしい。
主婦の給料は金銭に換算するといくら、みたいな話がときどきあるけど、そういうものなのかな。

思い出すのが、ノーベル賞受賞者家族へのインタビュー。受賞者の名前はもう思い出せないが、夫人にインタビューしていて、内助の公的な美談に持っていきたいテレビ局に対し、同じ大学で研究室にいたという夫人の「私は研究を続けたかったんですけどね」という返答を忘れられない。冷静で、でもいろいろな感情を飲み込んできたんだろうな、という声。その年代で国立大学の理系の研究室にいたなら、さぞかし優秀な方だっただろう。


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