東京の片隅から
目次|きのう|あした
子どものスイミングスクールを11月一杯で卒業。 当初から4泳法マスターしたら辞めてもいい、と伝えてあって、自由形背泳ぎ平泳ぎと来て、いまはバタフライ。次は選手コースになる。今の時間帯は女子が一人だけの時が多かったり、水着姿を嫌がるようになってきたりしたので、選手コースには行かず、進級テストの合格を持って卒業することとした。 そのかわり公文なり他の塾なり1日増やすという約束。受験を見据えてというよりも、中学校に入ったときに出遅れないため、という意味合い。 それは本人も納得したので、冬休みに他の補習塾に体験入学してみるつもり。
子どもが「午後の紅茶」を前に「これは朝や夜に飲んでいいものなのか」と悩んでいる。本気か。
最近、昔の朝ドラを再放送している。ときどき目に入るのだが、今のものと比べるとドラマの作り方がずいぶん違うなぁと感じる。 まず、新人女優の登竜門だった時代が長いので、主演があまり上手くない。その分脇で締める感じ。 台詞が説明調で長い。リアルな言葉でなく、劇としての言葉遣いなので、少し仰々しい。台詞とナレーションですべて説明するので、演技の「間」があまりない。 あと、ストーリーが単線。主役に重点が置かれ、脇役はあくまで脇役。スピンオフが生まれる余地もない。伏線もあまりないように感じる。考察班は生まれない。 つまり、ながら見ができて、一日飛ばしたとしても次の日に説明されるのでなんとかなって、全部説明してくれるから視聴者が頭を使わなくてもいい、ということなのだろうなぁ。 まぁ昔はどのドラマでもそうだったのだろう。 夜のドラマに複雑さが導入され、それが他の時間帯に波及し、一本調子の朝ドラがつまらないと批判され、かといって複雑にすれば考察班やアンチのターゲットになる。 もういっそのこと、朝ドラはやめてもいいんだろうな、と思う。いまのままだと単なる嫁いびりじゃん。
ときどきネットに「断捨離」関連の記事が流れてくるのだが、環境が違いすぎて参考にもならない。 たいていは夫婦二人暮らし、趣味もあまりなさそうで、妻側は在宅やフリーランスなどの仕事。 そりゃ大人二人だけなら食器も少なくていいだろうし、親世代と一緒に住んでなければ「使わないけど思い入れのある食器」もない。会社勤めしていなければ服もあまりいらない。子どもがいなかったりもう独立していれば子ども関係のあれこれもなくてすむ。 夫婦外勤共働き子ども関係義務教育以下とか、親世帯と完全同居とか、そういうパターンを見たいのですよ。夢がないからダメか。
ナノックスの実力は認めるが、香りが強すぎる。タンスを開けるとぶわりと匂うので、毎日使うのは厳しい。我が家ではあくまでピンポイントリリーフ。
母の相続関連、かつて新生銀行に口座があったことが判明。 カードがなかったので現在は解約済みと思われるが、妹経由で一応税理士さんに報告する。 ネット銀行はこれが怖い。 今後預金通帳がなくなるとキャッシュカードだけが口座の有無のてがかりになる。 それすらない場合はスマホやパソコンのロックがかかっていたら詰む。 せめてどの銀行に口座があるかだけは一覧にしておかなければいけないんだろうなぁ。 やっぱりエンディングノートを買うか。
2021年11月24日(水) |
ジブリは遠くなりにけり |
ふと思ったんだけど、「風の谷のナウシカ」だって「天空の城ラピュタ」だって30年前のアニメ映画だ。子どもたちにとっては十分「古いアニメ」なわけで、未だに「バルス」で盛り上がるツイッターはインターネット老人会の巣窟なのかもしれない。
収穫祭の七面鳥を食べたことがあるかと子どもに聞かれたので、七面鳥そのものは食べたことがあると答える ↓ どこで食べたかと聞かれる ↓ サブウェイのサンドイッチに挟まっている、と回答
一般的な日本人はそのくらいしか接点がないと思う。
前に住んでいたところでは外国人家庭からのリクエストでもあるのか、この時期になると冷凍の七面鳥の扱いがあったが、あんなに大きな丸鶏は普通の家のオーブンには入らないのではないだろうか。一度やってみたいような気もするが、サブウェイの具を見る限り脂がないのでぱさぱさになってしまいそうだ。
2021年11月22日(月) |
有象無象または魑魅魍魎 |
ヤフーのコメント欄が無法地帯だが、気になるのは書き込み内容もさながら誤字脱字の多さと言葉遣いのおかしさ。フリック入力で最初に出てきた変換候補をそのまま選択してしまうのか、単語を間違ったまま覚えてしまっているんだろうと思わせられる書き込みもある。赤ペンで添削したくなる。句読点の打ち方や誤字脱字の傾向からすると、書き込んでいるのは中年以上のあまり勉強が得意じゃない人たちなんだろうなぁと察せられる。実情を知らない、当事者になったことがないだろうと思わせられるコメントもある。教育関連だと、絶対子どもいないだろう、いてももう成人済みで現在の状況を知らないだろう、と突っ込みたくなることも。目にしてしまうとうんざりするとともに、怖いもの見たさで見てしまう自分もいる。
そういえば、学習発表会(学芸会)といえば劇というイメージもあるけど、あれは学校側からすると結構難物らしい。 正直今の学習指導要領では劇をやるのはかなり厳しいですという正直なコメントを、PTA本部の時に学校側との懇談で聞いた。 合唱合奏は音楽として扱える。 しかし、いわゆる「演劇」という教科はないので、どこかの教科にこじつけて時間数を割り振らなければならないらしい。台詞覚えを国語に、小道具大道具づくりを図工に、体育館を使った練習を体育に当てはめたりしてやりくりしているとのこと。 劇は配役も難しい。小規模校なら一人一役も可能だが、中規模以上になると場面毎の役交代などで全員を出すか、モブを増やすか、完全に出演者大道具小道具部隊の分業にするか。練習時間も必要であり、大道具小道具も作らなければならない。苦労した分の達成感はあるが、しわ寄せが大きすぎて今後どの学校でも劇は減る方向になるのではないかとベテランの先生はおっしゃっていた。 個人的には役が付くのは大嫌いだったので大歓迎だが、ああいうステージでみんなの視線を浴びる経験はなにがしかあったほうがいいんだろうし、結構悩ましい。
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