東京の片隅から
目次|きのう|あした
2021年11月20日(土) |
アフリカンシンフォニー |
学習発表会について学校から告知があった。 クラスごとの発表で、親は学年ごとの入れ替え制になるとのこと。 親の座席は指定制。事前に学校側で抽選ずみ。
・・・これだよこれ。前回の学習発表会で場所取り横入り荷物置き場で揉めた記憶が蘇る(遠い目)。
発表内容は劇や合唱は発声を伴うので、合奏だけ、共通曲とクラス別の曲の2曲。 子どものクラスは「アフリカンシンフォニー」だそうで、アレクサに流してもらいながら家でも練習している。他のクラスで「リベルタンゴ」をやるところがあるらしい。リズム感のいい子がいればピタッとはまって格好いいけど、ピアソラは小学生にはちょっと難易度が高いかなぁ・・・。でも楽しみ。
帰宅途中、駅の自由通路に立ち止まる人たちがいて、何ごとかと思ったら、絶好の月食観測ポイントだった。 ちょうど東側がぽっかり空いていて写真撮影もできるので、スマホを構えている人もいる。 自分も撮ってみたけど、なんだかよくわからないぼんやりした写真になってしまった。 肉眼(といってもド近眼なのでコンタクトだけど)ってすごいんだなぁと妙なところで感心する。
イモくん ・最初からピンセットの粒エサに食いつく ・赤虫も食べる ・水の中が好き
モリくん ・粒エサがいまいち好きじゃないのか食いが悪い ・冷凍赤虫は独り占めしたがるくらい好き ・陸が好き
当分週1冷凍赤虫プラス粒エサで様子を見る予定。赤虫だけでは栄養が偏るので、あくまで粒エサメインで。
2021年11月17日(水) |
キャッチボール、ときど暴投 |
会社に、ときどきひどくトンチンカンなことをいう人がいる。悪い人ではないのだが、ときどき発言にデリカシーがかけていたり、空気が読めなかったりする。 前に聞いたのだが、家族が機能不全で、大人になってから思うと「ふつうの家」ではなかったとのこと。コミュニケーションの少ない家だったのかもしれない。 だからなのか、人と会話するときに、受け取った情報に合わせて会話を進めていくのではなく、自分の頭の中でシミュレーションしていきなり全部話してしまうのだろうと察せられる。 相手の対応が自分のシミュレーションどおりなら問題ないが、違ったときに大暴投となるパターンだ。
ただ、彼女の生育環境を差し引いても、これまで学校や会社で周囲の会話から学習して修正できなかったというのは、それはそれで彼女の問題点だと思っている。年下とは言え先輩なので、こちらからはあまり指摘しにくい。新人の時に誰も指摘してくれなかったんだろうか。それはそれで職場環境に問題があるように思う。
今年来年再来年あたり、おそらく「次」を考えなければならない予感。この先どうするか、どうしたいか。自分しかり、家族しかり、仕事しかり。 数年前から第3コーナーを曲がる感覚はあったんだけど、もうちょっとちゃんと第4コーナーの先の直線も見ないとダメかな、という感じ。でも気が重い。
職場の近くの神社で七五三参りの家族連れをわりとよく見かける。 3歳5歳なら就学前だから混んでいない平日に有休を取って参拝・写真撮影するのもありだろうし、7歳でも親の仕事で平日休みの家もあるだろう。平日の方がレンタルも撮影もお参りも空いているから余裕ができる。 自分の子どもの頃と比べるとレンタルが普及した分、和装の男児が増えた気がする。
今年はまだ石焼きいものトラックの声をまだ聞いていない。灯油トラックのオルゴールは聞いた。 昨今はスーパーマーケットの店頭で焼いて売ってるから、焼きいもトラックは厳しいだろうなぁ。今ある車が廃車になったらあの販売形態はなくなっていくんだろうな。
2021年11月13日(土) |
なにいってるかわからない |
昨日の切符の話もそうなんだけど、こちら側が一般常識だと思っている事象が現在既に存在しなくて、子どもに話が通じないというパターンが散見される。 私の親世代と私の世代には連続性があるが、私の世代と子どもの世代の間には断絶がある。ジェネレーションギャップどころの話ではなく、タイムスリップに近いかもしれない。 すこし前の小説が読まれなくなっているのも原因の一つに「何を言っているのかわからない」というのがあるんだろうな、と思う。よく本を読む子だったらこれまで触れてきた言葉の蓄積で類推できるんだろうけど、いきなり名作系を読んで知らない言葉がどんどん出てくるとお手上げだろう。 うちの子どものように視覚優勢タイプの場合は特にそう。朝ドラのように少し前の近現代を描くドラマだったり映画だったり映像に触れる機会がないとますますそういう傾向が高まるだろうなぁ。画像を検索して、店ながら説明することも多い。歌謡曲も説明しながらじゃないとわけわからないらしい。 ライトノベルがファンタジーばかりなのは「フィクションである」というのがはっきりしているぶん、「知らない事象」がほとんどなわけで、逆にハードルが低くなっているのかもしれない、と思う。
姉の家から出勤するときに、久しぶりに切符の券売機を見た。 いや、どの駅にもあるんだけど、普段定期券を買うときとICカードにチャージするときしか近寄らないし、切符そのものもずいぶん触っていないなぁと思う。 そういえば子どもが何かの文章で読んだらしく「切符にはさみを入れるってどういうこと?」とこの前聞かれたので、画像検索でいろいろ画像を出して、いわゆる「はさみ」じゃないよ、というところから説明した。 料金別に物理ボタンがあって子ども用はフラップを開けて買う、とかそういうのももう通じないんだろうなぁ。どこかにまだあるのかな。 あの時代の券売機は行き先ごとにボタンが分かれているから切符を買う前に券売機の上の路線図を見なければならなくて、だからこそ路線図が頭に入るという怪我の功名?もあったように思う。
そのまま姉の家に泊まらせてもらい、翌朝そこから出勤。 今日は姉はたまたまテレワークとのこと。何かあったらまたすぐ呼ぶように伝える。もともと胃腸の弱い人な上、今年は仕事と私生活のあれこれで忙しかったので、疲れが出たのだろうと思う。 いつもよりも早い時間帯の電車は夜勤明けなのか日避けにジャンパーを頭からかぶって眠りこけている人もいる。不思議な感じ。
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