東京の片隅から
目次|きのう|あした
書類提出の際は、必ずコピー一式を手元に残しておくこと。特に保険証券は要注意。あと戸籍謄本を何度も取らなくてすむように法定相続情報一覧表を作っておく。
母が自分の年金履歴をカレンダーの裏に手書きで書いていたものが出てきたのでエクセルファイルに転記。 母を中心軸に、父の年齢や両親の勤務履歴、家族の出来事等を追加。私が一番家にいたので一番記憶が確かなはずだが記憶がおぼろげなところもあるので、そのあたりはきょうだいと確認。 振込の控えも残っていたのでそれも確認。「消えた年金」はなさそう。
短大を出てから結婚までは実家家業、そのあとは主婦〜パートで年金受給まで。 結婚前は厚生年金、結婚後は国民年金〔任意加入→3号→2号)プラス国民年金基金。この年代だと割とあるパターンだろう。 最初の就職で定年まで勤務とか最初から最後まで自営業とかでない限り、複数の制度を行ったり来たりする。しかも女性の場合途中で名字が変わる場合がある。昔の記録は手書きだから旧字体と新字体で別人格にカウントされてしまう場合もあるだろう。これは取りこぼしたり消えてしまう可能性があるわけだと実感する。 問い合わせ先もリストアップしたので、連休明けにおいおいやっていく。
しばらく実家通いが続く。 相続関連で書類探し。妹がそういう仕事を最近やったらしく、いろいろ調べて手続きと必要書類の一覧表を作ってくれた。有り難い。まず役所、その次保険と年金、次が不動産(よくある田舎の共有の山林とかそういうやつ)、最後に銀行か。 両親とも今の家に来るときにいろいろ確認して基本的なものはリストアップ済み、書類も種類別にまとめてファイルに入っていたりするのでわかりやすいが、それでもとりこぼしがあるだろうと再確認。 保険についても確認する。きょうだいで分担して手続きすることとした。郵便局関連は平日休みを取りやすく実家に一番近い私が担当。 しかし今どきはだいたいの手続きや申し込みはインターネットからできる。もともとあったものもあるが、コロナ禍で対面を避けた結果導入されたものも。便利になったものだ。
昨夜は葬儀場も人が少なかったが、今日は式が多いらしく、ほぼ埋まっている。昨今は通夜と葬儀をまとめた一日葬なるものもあるそうなので、人を呼ばないなら一日で済ませる人も多いのかもしれない。 人は多いがどこも人数が少なく、賑やかさはない。
母は、病んでいた期間が短かったので、骨が多かった。 墓はどうするのか父に聞いたが、今ある墓には入れず近場で永代供養のところを探すとのこと。菩提寺の今の住職と父は折り合いが悪いのである。 どっちみち私の代は女ばかりだし、今の墓は定員が5人なので、祖父母が入っているいま、独身の叔父叔母たちで既に予約済み状態なのであった。
葬儀後、母を連れて実家に帰ってきたが、父一人の家はがらんと広い。 近所のスーパーで寿司を買ってきて、みんなで食事して解散した。
通夜葬儀はこのご時世であるし、親族だけで行うことにした。母の兄弟も高齢なので、連絡だけする。いとこが一人、代わりに来てくれた。 この日は葬儀場も空いていて、その上どの家も家族葬なので、広い建物はがらんとしている。あまり実感が湧かない。
今日も実家。今の家に引っ越してくるときに不用品は処分してあること、元々几帳面な性格の人なので手紙などは全部きちんと項目別に保管してあった。通帳関係も全部まとめてあって、手書きのメモまで。いや自分もやらなけりゃなぁ・・・と反省。 家族葬にするので人は呼ばないが、もし今後連絡が来たときにどういう関係の人かアクセスできるような情報は一つにまとめておく。
帰りにケーキ屋で子どもの誕生日ケーキを買って帰る。料理は義母にお願いした。こういう事態だが、今日はいいだろう。 学校にも欠席連絡をした。
朝から実家へ。棺に入れるものや遺影写真を選ぶ。ウォーキングの会などに入っていたので写真はそこそこあったのだが、全部集合写真なので、顔が小さかったり逆光だったりしてあまり使える写真がない。あと歩いた後なので大体疲れた顔をしている(苦笑)。 今の家に引っ越してきた後に撮った写真があり、少し前のものだが、それにすることにした。 我が身を省みて、写真は時々撮っておかなければならないなぁと思う。
朝、テレワークを始めようとしていたら、父から連絡あり。亡くなったとのこと。父も間に合わなかったらしい。職場に連絡し、ゴールデンウィークまで休暇を取得。病院に向かう。既に霊安室に移動していた。顔を見た後、葬儀の手配をする。
喪服の確認。ストッキングはある。 いつも当日バタバタするまーさんの数珠、確認。 子どもの喪服は卒業式にと親戚からもらっていたブレザーとスカートの一式があったので着せてみる。かなりぱつぱつ。今回はなんとかなるが、卒業式はもとより法事にも無理そう。
今日は見舞いができる、と父から連絡があった。 口ぶりから見舞いというよりも看取りの準備だと感じる。 きょうだい・叔母たちと待ち合わせて面会時間に病室に行ったが、既に意識混濁していて、何か言ってはいるが会話はできない状態。 自分がICUに入っていたときもそうなんだけど、聴覚は結構生きているので、枕元であれこれ話したり体を触ったりしていたら落ち着いてきた。 許可時間いっぱい滞在して退室。帰宅前に実家に寄り、きょうだいと父とで、今後の話をする。
|