東京の片隅から
目次きのうあした


2018年02月11日(日) 世代が違う

こどもの友達のお母さんとちょっと話したら、下の子(保育園)の保護者の雰囲気がずいぶん違うのだという。私たちの代は上にきょうだいのいる子が多くて、必然的にお母さんも全体的に年齢が高めだった。上の子のつながりで既に知り合いの人たちは固まってラインでおしゃべりなどもしていたようだが、私の周辺はさほどでもなく、朝夕に顔を合わせれば挨拶をするがそこまで、年長になって初めて相手の連絡先を知るレベルでのあっさりしたつきあいが多かった。
彼女の下の子の代の保護者はずいぶん年齢が若返っているらしい。それは別にいいのだが、休みの日にみんなでバーベキューをやりたがったりと、全体的に女子ノリなのだという。
彼女はそういう「いつもみんなでいっしょ」的なつきあいが苦手らしく、やがて来る卒対が若干憂鬱なようだった。
裏方に徹してそういう人たちに仕事を任せればいいんだけど、そういう人たちは地道な作業はやりたがらないんだよね・・・言う人ほど手を出さないってヤツですよね・・・うんいろいろ記憶が・・・。


2018年02月10日(土) 昔は良かった(7歳談)

最近、こどもが保育園の卒園アルバムを見たがったり、保育園の先生に会いに行きたがったり、家の中や休みの日に連れて歩くぬいぐるみの数が増えたりしていて、小学校で何かあったんだろうな、と思う。訊いても何も言わないが。
保育園からの友達も多いけど、新しい友達も多くなるし、人間関係も複雑になる。うちの子の通う小学校は昭和的な「子供は風の子」信者らしく、長ズボンは原則禁止だし休み時間は全員外に出される。運動は嫌いじゃないけど本を読んだり絵を描いたりするのが好きなうちのこどもにはストレスを感じることもあるのだろう。

夕方、こどもを促し、買い物ついでに保育園を覗いてみたが、元担任の先生がいるかは外からはわからず、かといって他の先生を見ると逃げてしまうので声を掛けることもできず、1時間ほど園庭の外をうろうろし、結局そのまま帰宅。
途中ちょっと問題行動があったのでそれは叱った。本人も自分が悪いことは自覚しているが、しばらく注視する必要がある。


2018年02月09日(金) 冬季オリンピック、始まる

冬季オリンピックが始まった。
冬の夜の開会式ということで時間は短め、半分くらいが入場行進で1/4が事前撮影した映像、残りが生中継という印象。コンパクトで良かったが、去年のリオの緩さ・いい意味での軽さから比べると真面目だなぁとは思う(笑)
冬の各国衣装は防寒着が多いから基本的には地味なんだけど、トンガの上半身裸の(いい筋肉で目の保養でした・・・流石アスリート)旗手とかバミューダの鼻真っ赤にしながらもバミューダパンツとかイランの旗手が女性であることにいろいろ感じるものがあったりとか、選手一人一人に物語があるのだなぁと思う。


2018年02月08日(木) カウントダウン

会社から割と近い本屋が2月下旬で閉店とのことで、帰りに覗いて、また積ん読本が増えた(爆)
閉店セールとはいっても本は再販制度があるから、値段は普通。ただし死蔵品コーナーは100円。死蔵品コーナーには古めの岩波新書とか(岩波は買い切り制なので返本できない)、今は亡き雄鶏社の手芸本とか。普通の本のほか、そこで刺繍の本とお菓子の本も購入。

小さいけど店の「顔」が見える本屋で、お客さんからのサヨナラコメントか貼ってあったり、本棚を見ている間もお客さんが店主と別れの挨拶を交わしたり、ファンの多い店だったようだ。
「棚が空いてきて寂しいので注文も承ります」という手書きの張り紙に、ああこの人は本当に本が好きなんだなあと、無念さも感じる。
駅ビルにも本屋はあるんだけど、本が本当に売れない時代なんだろうな。


2018年02月07日(水)

北陸の雪がすごい。三八豪雪以来になるだろうとの報道がある。
気温が低く雪が溶けない、止み間がない、都市化で雪の捨て場がない、行政の対応の遅れなどさまざまな要因があっての現在の状態とのこと。
ただ、大雪警報が事前に出ていたのも事実で、会社にせよ個人にせよ、最初から休む判断力も必要なんだろうなぁと、この前の東京の雪の時の自分を省みる。


2018年02月06日(火) ちょっと疲れた

最近、実家の母の「子供は動かない(=寝返りを打つようになる前)赤ちゃんの時が一番可愛い」という発言に激しく同意する次第


2018年02月05日(月) えっと、おかあさんです

「あたしおかあさんだから」の雰囲気が新井素子の小説に似ている、という話がインターネットの海の一部で湧いていて、愛読者ではあるもののそこに考えが至らなかった私は、なるほどなと思うのであった。確かに素子姫の小説の一人称は「あたし」だ。中島みゆきしか思い浮かばなかった。
それにしても大喜利状態になったそこでは、「えっと、あたしおかあさんです。」で始まるに違いないとか、お父さんはシチュー鍋の中で子供は脳内の存在なんだとか、皆さん上手で感心する限り。
主観的善人だらけでどんどん過剰なプレッシャーがかかって心が壊れていく、という意味では、確かに近いのかもなぁ。

作詞者の人は自分大好きで承認欲求も強い方のようなので、自分の信者と仲良くやっていればいいと思う。


2018年02月04日(日) あたしおかあさんだけどヲタクだしライヴいくよ

「あたしおかあさんだから」という歌の歌詞が怖い、というので、怖いもの見たさに(笑)検索してみた。

「あたし」という一人称がそこはかとなく80年代ヤンキー臭がするのは置いておいて、以下一部抜粋。かっこ内は私のツッコミ。
ざっと見たときに思ったのは表現というか言葉の選び方が稚拙だな・・・という感じ。

一人暮らししてたの おかあさんになるまえ (←結婚前ってこと?)
ヒールはいて ネイルして (←お堅い系会社員だとむしろネイル禁止だけどなぁ・・・まぁそれはいいや)
立派に働けるって 強がってた (←いや働くのは強がりじゃなくて当たり前のことだし、「がんばってた」でも文字数同じだよね、「強がる」という表現に「しょせん女は男と同等に働けないんだよ」という悪意を感じる。)
今は爪切るわ 子供と遊ぶため (←そもそも家事するのに長い爪いらなくない?)
走れる服着るの パートいくから (←どんな服でも走れますw7cmヒールでも必要があればダッシュするぜ?それになぜいきなりパート?文字数同じ「しごと」で良くない?あと正直そこまで手がかかる年齢の子どもがいたらパート採用も難しいと思う・・・)
あたし おかあさんだから
眠いまま朝5時に起きるの (←「お母さんだから」じゃなくて「やることがあるから」だよね。家事でも仕事でも学校の宿題でも必要があれば起きる)
(以下略)

この下に延々と「あたしおかあさんだから」あれもこれも子供優先で我慢してるの、と続くわけで、そりゃ「呪い」と言われてもしかたないのであった。
ネタをフェイスブックで募集したと言うから、一面ではリアルな真実なんだろう。ただ、そもそも「我慢してること」でネタ募集した時点で、彼の脳内には「お母さんは全部我慢して24時間100%尽くすべき」という固定観念があるだろうし、コメントを寄せるのは彼のファンというか同調者がほとんどだろうし、その中から自分のイメージに合うやつだけピックアップして「一番ガマンしていること」を一人のお母さんに合成にした結果、とんでもないやりがい搾取というかブラック感が漂うお母さん像ができあがってしまったわけた、彼にとっては理想のお母さんなんだろう。でも、そのトゥーマッチさに気がつかなかったというのは、やはり言葉に対して鈍感なのではないかと思う。
そして、フォローとなるべき一言が歌の最後にしかないというのは、そこにたどり着く前に聞く側が疲弊してしまう。
お母さんへの応援歌を意図したらしいのだが、今の自分を肯定したいがためにそれまでの自分を貶めるような書き方をしていているのも気になる。自己憐憫に浸りたい人には嵌まるのかもしれないが、言葉の選び方に悪意がある。無意識だったら作者はかなりモラハラ気質の人だと思う。どういう雇用形態にせよワーキングマザーが多い現在では敵を生むのは当然だろう。

作詞は絵本作家の人で、そもそも彼の作品はいろいろ物議を醸したりもしているらしい。
彼自身、自分と親(特に母親)と確執があるらしく、まだ関係が消化しきれてなく、自分の中のインナーチャイルドとの折り合いをまだつけられていないんだろうなぁと思う。
この歌は世の中のお母さんみんなに向けて歌った曲ではなく、彼の「こうあって欲しかった脳内お母さん」の歌だと思えば、あぁそういう歌もあるのね、とスルーできると思う。
あと、必要以上に押しつけがましいのが、作詞者と歌唱者が両方とも男性というところにあると思う。「絵本作家」と「元歌のお兄さん」という「お母さんの味方」的なポジションの人から言われたら、当人は意図していなくてもプレッシャーをかけているのと同じだ。


2018年02月03日(土) 紫のきんぴら

蓮根を料理したら紫色になってしまった。
調べたら、鉄と結びつくと紫色に変色するらしい。
久しぶりにステンレスの包丁を使ったのが敗因か。最近セラミック包丁メインだから忘れていた。
味などに変わりはないので、そのまま食卓に出す。


2018年02月02日(金) グリッドガール

F1のグリッドガールが廃止されるらしい。
最初グリッドガール=レースクイーンだと思っていたのだが違うようで、グリッドガールは主催者側が雇用するスタッフであり、企業やチームが雇用するのがレースクイーンであるとのこと。過去にはグリッドボーイも存在したらしいがドライバーに不評で現在はないらしい。
女性差別だとか容姿差別だとか言うコメントもあるし、彼女たちが採用されるために容姿や語学や振る舞いに努力してきたことも想像できるが、実際に採用されるのが皆同じタイプの、容姿端麗でスタイルが良くて若い女性であるということは、彼女らの努力とは無関係に「花を添える若い女性」が求められているということで、それは今の風潮にはそぐわないのだろう。これが性別年齢外見にバリエーションの広いスタッフ集団だったらここまで問題にならなかったと思う。

ところでレースクイーンやモーターショーのコンパニオンなど、客のほとんどを成人男性が占めるジャンルにおけるあのコスチューム、何とかならないんですかね。
過剰に短いスカート、胸が半分以上見える上着、過剰なシースルー、水着を通り越して下着みたいな制服。
もはや風俗だよなぁ。


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