東京の片隅から
目次きのうあした


2018年02月01日(木) いざ勝負!

朝、中学受験の親子連れを見かける。今日が勝負の日だ。結果がままならないこともあるけど、ベストを尽くせればいいな、と思う。
会社の同僚もお子さんが受験生。朝学校に送っていってそのまま出勤し、午後半休を取って迎えに行った。
最近は翌日午前には合格発表が出るらしく、今日第一志望を受験し、明日の午前中に第二志望を受験した後、昼前に第一志望の結果を確認し、合格していたらそこで受験終了らしい。落ちていたら午後受験できる学校に移動するとのこと。一日2校受けるわけだ。
教師をしている友人の学校でも受験日を複数設定していて、問題は当然別々だから何種類も作らなければいけないんだよね、とぼやいていた。先生は大変だ・・・。

夜から雪が降るとの予報。朝から既にタイヤにチェーンを巻いた宅配便のトラックが走っている。
用意がいいと感心するよりも、むしろ夜まで車庫に戻れないんだろうなという過酷な労働環境の方に思いを馳せてしまう。もう雪が降ったら配達終了でいいんですよ。


2018年01月31日(水) 赤い月

子どもは今日も大事を取って学校を休ませる。まーさんが感染したらしく、会社を休む。私は多少の違和感はあるものの休むほどではないので出勤。
帰宅してから様子を訊くと、朝イチに冷たいものを飲んで吐いたが、それ以外は普通だったとのこと。ただ、有職の箸が進まず、ほとんど残していたところを考えると、明日も休ませた方がいいかもしれない。

夜、晴れたので皆既月蝕を見る。
地球の影なので、皆既月蝕の時のように影が真っ暗とはならずスモークをかけたような感じにとどまる。スマートフォンのカメラで撮影してみたら、肉眼で見るよりも明るく撮影された。ただ雲がかかっているように見える。よく見ないと月蝕だとわからない。難しいな。


2018年01月30日(火) 胃腸炎

日付が変わった頃から子どもがいきなり嘔吐。
朝になってから医者に連れて行くと、やはり胃腸炎であった。
先週からときどき腹痛を訴えていて寒さのせいだろうと考えていたのだが、実際は、おそらく先週から軽く感染していて、さらに先週末出かけたときにどこかで拾ってダメ押ししたのだろうと思う。
今日明日は学校を休んで休養させる。

しかし医者はインフル真っ最中の人、登校用の治癒証明をもらいに来た人、そのほかの患者で大混雑。大変だ・・・。


2018年01月29日(月) 横座り

関節が硬いので、もともと長時間の横座りはできないのだが、このところ横座りをすることが多く、膝を痛めた。
正座なり体育座りなり、何か他の座り方にしなければと思うのだが、気がつくとつい横座りしてしまう。
座っているときに無意識に足の先を組んでしまうのも良くない感じ。
痛みが出ると足を引きずって歩くような形になってしまう。
みっともないなぁ、修正しなくては。


2018年01月28日(日) ひな

毎年この時期、雛人形に関するネットコラムを目にする。
由来とか、何歳まで飾るかとか、いつしまうかとか、そういう類のもの。
記事の中には「にんぎょう」と「ひとがた」を混同しているものもあって、というかほとんどの記事が混同している気がする。流し雛とかあるからだろう。
だったら美術館などにある享保雛とか呪いの人形とかしてるよね。そこらへんどう説明するんだろうか。

こういう記事の場合、たいてい専門家として登場するのは人形を作ったり販売したりしている側で、そちらは生産者団体だから当然「一人一セット、買い換え推奨」。
有職故実や民俗学の専門家の側に意見を聞いたら逆の答えが出てくるんだろうなぁと思う。

まぁともかく、昔ながらの緋毛氈七段飾りは今なかなかハードルが高いわけです。私のは一体一体が小さくてまとめてケースに入れられるからまだ埃は避けられるけど、今の時代と住宅事情にはここらへんがギリギリだろうなぁと思う。


2018年01月27日(土) 疲労感

フィジカル面でもメンタル面でも疲れが出てきている。人と一緒にいるのがかなり苦痛。一人になりたい。


2018年01月26日(金) 謎センス

ミュージックステーションにフランツ・フェルディナンドが出演するというので見る。
初期の頃のアルバムは洋楽を聴かない私が珍しく購入して、何枚か持っている。
当時とは音が変わっているが、それでもやはりかっこよかった。

しかしあのテロテロの謎センスなシャツはどこで買ったんですかねぇ・・・Tシャツでなくてシャツなのが「らしい」といえばそうなんだけど。


2018年01月25日(木) 西の善き魔女、空飛び猫と旅立つ

昨日外出先でル=グウィンの訃報を聞く。

小学生の時「ゲド戦記」で彼女の作品に初めて触れた。
影は己のうちにありそれもまた自分であることを示され、その後も折に触れ、他の作品とともに読み返してきた。世界の合言葉は森、風の十二方位、闇の左手。詩的なタイトルも好きだった。

ネットニュースのコメント欄で原作を読んでいないという人が多くて驚く。ちょうど「ゲド戦記」のアニメ映画をテレビで放送した直後だったからかもしれないが。
「ゲド」と「ナルニア」は小学校高学年から中学生くらいで読む本の基本のキじゃないのかと思うので、独立した文学作品として10代前半の人たちに読んで欲しいと思う。
あそこらへんちゃんと読むと、適当な異世界ものライトノベルなんて設定が甘くて読めなくなる(苦笑)

こどもがいつか読むように、セットで買おうかな。


2018年01月24日(水) 「熊谷守一 生きるよろこび」展

会社を午後休んで、竹橋東京国立近代美術館の熊谷守一展へ。
熊谷との出会いは、ずいぶん昔にテレビで紹介されていたのを見て、要町に見に行ったのが最初だ。あのときはまだ私設美術館だった。今は豊島区立になっている。

長命だったので、展示点数が多い。初期の暗く写実的な絵から晩年の抽象画一歩手前までずらりと並び、画風の変遷は近代美術史を見るよう。ただ、光と影の表現、特に逆光で輪郭が浮かび上がるような表現は初期の裸婦像でも見られていて、最初から最後まで一貫しているのだなぁと思う。
ところで、彼の著書のタイトルが「へたも絵のうち」というのだが、見ると全然下手じゃないのであった。プロだから当たり前なのだけど、最初から、配色もモチーフのかたちも配置も、とにかくすごいな、上手いな、としか言いようがない。やはり基本のデッサン力・表現力あってこその「崩し」なのだなぁというのを実感する。
晩年の熊谷は同じデッサンをもとに何枚も描いていて、展覧会でも同じデッサンをもとに描かれた複数枚を並べて展示してあって、これが面白い。見ていてニヤニヤしてしまう。
塗り方を変えてみたり、重視するモチーフを変えてみたり、時系列で色彩が違ったり。モネの睡蓮やルーアン大聖堂を思わせる。芸術家であるとともに職人気質でもあったのかな、と思う。

すっかりパワーを吸い取られ、睡魔に襲われ(緊張したり集中しすぎると眠くなるのはなぜだろう)、途中ソファで休憩しながら見る。

時間が少し余ったので、要町の熊谷守一美術館にも足を伸ばした。
油彩主体の竹橋と異なり、こちらは墨彩やデッサンもある。デッサンを見ると、さらさらと落書きのように描いたようで、それでいてやはり対象の捉え方がすごいとしか言いようがないのであった。

また油彩書きたいなぁ。


2018年01月23日(火) 南岸低気圧一過

朝起きたらいい天気である。交通情報を確かめると、電車は普段通り始発から運行している。残念至極。
しょうがないのでいつも通り出勤。ただ、時差出勤を取ったところが多いのか、電車は空いていた。
日中暖かかったので歩道の雪も日中あらかた溶けていたが、今日溶けていないところは明日以降凍るだろうなぁ・・・

今回の交通の混乱についていろいろ考察されていたが、そりゃあ登校出勤の人が一斉に帰宅を始めるのに電車が間引き運転されていたら駅に人が溢れるよね。
一日休むという選択肢もあるにはあるけど、月曜日だとなかなか難しい。せめて午前中は出勤してメールチェックや事務処理だけでも終わらせたい。午前中で一斉退社するにしても、今回、昼休みの時点では23区内は振っていてもまだ積もるほどではなかったし、大学生はテスト期間で入試日程を考えると振り替えがきかない場合もあるし、混雑は不可抗力かな、と思う。

ただし、ノーマルタイヤの車、お前はダメだ。


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