東京の片隅から
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子どもが最近学校で落ち着ける場所を見つけた、という。 どこなのか聞いてみると、ウンテイの端の斜めになったとこ、だそうで、静かで落ち着ける、らしい。 声が大きくて基本的にはうるさい類の子だと思うのだが、子どもは子どもなりに疲れるのだろうと思う。 だったら家でも落ち着いてくれないかなぁ…(苦笑)とちょっと思ったのはともかく、まぁ安全地帯があるのはいいことなのかなと。しばらく様子を見守る。
今年の漢字は「北」だったらしい。投票の締め切りが11月だろうから、タイムラグはあるだろう。「北」朝鮮の「北」なのだろうと思うけど、それ以外の理由はこじつけっぽくて、自分の感覚としてはちょっと違うかなぁと思う。自分が投票するとしたら「暴」かなぁ。暴言、暴発、暴挙、暴風雨(台風)。そんな感じ。どちらにしてもマイナスのイメージ。
高校の歴史の教科書から人物名などを減らすということでいろいろ議論があって、歴史に興味を持つ子どもが減るんじゃないかとか、近現代史を詳しくするのはサヨクの陰謀だとかいろいろ議論があるみたいだけど、そもそもの問題は、日本史を小学校中学校高校と同じ内容を繰り返すことにあると思う。 人物名などは義務教育の間に終わらせておくべきだ。大まかな歴史の流れが頭に入っていることを前提に、出来事の経緯や原因結果影響などを深く考えるのが高校レベルの話であるはずだ。 それに、歴史上の偉人や出来事に興味を持つ子はもっと早くから興味を持つ。高校で興味を持たない子はその前の時点でも興味はないし、そのあとも興味はない。だってほとんど教科書に載っていない新撰組があれだけ人気あるんだよ?教科書に載っているかどうかは関係ないのだ。
スヌーピーの「きよ」ちゃん。子どもと同い年、最古参の「おとも」である。 寝るときも一緒、お出かけも一緒、旅行も一緒、保育園も一緒。流石に小学校はお留守番。 あるときは枕になり、あるときは座布団にされ、ときには地面や雪面に落とされる。わりと雑な扱いである。 流石にくたびれてきたので、綿を入れ替えることにした。
ぬいぐるみはたいてい、後頭部か背中に10cmくらいの「返し口」がある。自分がぬいぐるみを作ったときの経験から、縫い目を指で探っていくと、後頭部に触感の違うところが。縫い方も違う。やはり返し口であった。 糸をほどいて、ビー玉のような小さな塊の集合体になってしまった中綿を掴み出す。 ガワだけにしたら洗濯。洗ったら布団乾燥機のホースを返し口に突っ込んで乾燥させる。 乾いたら100均で買ったアクリル綿を詰めていく。1袋半くらい。少しだけ余らせるのもなんなので全部詰めたらちょっと太めの仕上がりになってしまった。まぁいいや。
2017年12月09日(土) |
グランプリファイナル感想 |
グランプリファイナル感想。
・ジュニア女子、トゥルソワ恐るべし。ラジオノワのデビューを思い起こさせる。4回転は回転不足だったけど、敢えて挑戦するメンタルの強さもすごい。ただ、体型からロシアンタイマーが危惧されるんだよなぁ・・・。それだけが心配。 ・ロシアの女子の層の厚さとレベルの高さがすごいなぁと。これ見ちゃうと日本人選手は子どもっぽいなぁと感じる・・・。 ・全体の順位としては妥当なところだと思う。 ・男子は4回転が当たり前になった結果、プログラムに入れすぎて転倒とケガが多いのはなんだかなあと思わなくもない。確かに4回転にじゃ驚嘆するけど、それで選手寿命が縮まったら元も子もない。例え本数が少なくても、リッポンやブラウンの美しいスケート見るとホッとするのも事実。オリンピックが終わったらまた点数配分が変わるだろうから、それでまた構成が変わるのかな。 ・今シーズンはグランプリシリーズのエキシビションの放送が地上波ではなかったので、今シーズン初めて見る。過去プログラムの放送もあって、そういえば昔歌のついた曲はエキシビションでしか出来なかったんだよなぁと思い出す。プルシェンコの「セクシーボム」を見たまーさんは唖然としていたけど、あれは彼の通常運転です(笑)
「ものづくり日本」って虚像なんじゃなかろうか。 実のところは、内側にだけいい顔をし、良し悪しを考えず前例を踏襲し、正当な対価を払うことを惜しみなるべく買いたたこうとしてる。
NHK受信料訴訟の判決に息巻いている人の意見は要するに「俺の思い通りの番組が放送されない」というもので、それはほとんどタリバンやトランプ大統領と同レベルの主張なので、なんだかなあという感じ。 まあスクランブルかけてもいいと思うけどね。大災害のとき困るのは彼らだし。 なくても困らないって言っている人は、地方、特に離島の情報過疎ぶりを知らないんだろうなぁと思う。
あと、NHK不要論を騒ぎ立てている人はネトウヨ的傾向が強いように感じるけど、そういう人が同じ口で伝統芸能不要論も言っているのが不思議。君たちの大好きな「伝統ある日本」だよ?
先週から左の眉あたりが痙攣する。 四六時中というわけではないが、わりと頻繁。 疲労からくるものであろうし、実際このところ視力が落ちた気がしないでもない。 休養が一番なのだが、はやく寝ると宣言しても結局床につくのは家族で一番最後だったりするのが兼業主婦のサガなので、なかなか治らないのである。
2017年12月05日(火) |
「ダルちゃん」と「独女生活」 |
資生堂のウェブサイト「花椿」で連載されている「ダルちゃん」というマンガがなかなかブラックである。
「ダルちゃん」は、本来のダラッとした性格を隠して普通の女子に擬態している女の子「ダルちゃん」(本名はナルミちゃん)の話。彼女に無関心な家族にも問題があるが、あまり考えることをせず、「周りから浮かない」ことを第一にして大人になってしまった女の子。個が確立されておらず、こうありたい・なりたいという像もなく、ふわふわしている。忠告してくれる先輩「サトウさん」もいるが、そのアドバイスにはむしろ反発や敵意を感じている。 現在8話まで来ていてこの先どんどん事態が悪くなる方向に行きそうな感じ。 自分は場に馴染めないなら浮いていればいいやと思うタイプだったし、中学高校大学とそういう友人ばかりだったので「ダルちゃん」のことはさっぱり理解できないのだが、量産型女子大生とか町中で見かけると、こういうタイプの子は一定数いるのだろうなぁと思う。 自己肯定感が少なくて、一人で行動できなくて、人生設計もなくて、趣味もないというタイプ。
このマンガが女子は可愛くあるべしとかそういう同調圧力を生み出す側の化粧品会社のウェブサイトに掲載されているというのはどういう皮肉だろうか、と思ったのだが、良く考えたら「花椿」という媒体は紙の時からどちらかというと「サトウさん」側の人が読むものなので何の不思議もないのだった。やっぱり皮肉か。
同じ時期に、Gingerという雑誌のウェブ版で「一人で行動できないあなたに一人映画のすすめ。予告編が始まってから入ってエンドロールの途中で出れば一人も気にならない」という記事があって、当然「館内が暗いときにうろうろするのは非常識!」「自意識過剰すぎ、だれも他の客なんて見てねぇよ」と映画好きとお一人様上等派の両面から軽く炎上していた。映画好き、かつ一人で見る自分の目から見ても当たり前の反応である。 でも、その記事というか雑誌そのもののターゲットがそういう「ダルちゃん」的な層なんだろうな、と思う。映画を見に行くことはあっても、映画が好きなわけじゃなくて、つきあいの手段として、ウインドーショッピングやカフェでのおしゃべりと同じレベルでの、ただの群れるためのツールと考えている人たち。 そういえばそんなタイプの人、会社にも昔いたなと思い出す。誰かと一緒じゃないと映画もコンサートも美術館も行けない、一人でファストフードや喫茶店も無理な人。人の趣味に「えーいいなー」と同調はするけど、それは話をあわせるのが目的で、悪い人ではないんだけど「自分」が見えないだけどこに地雷があるかわからなくて面倒くさい人だな、という印象があった。今は何してるのかな。やっぱりママ友に同調することが第一なのかな。
土曜日のお昼に、隣家の歩道に落とし物。 小学生男子のサブバッグで、中を確認したら名字判明。大人ならほぼ確実に読めるがどちらかというと珍しい部類に入る名字。 子どもに聞くと「クラスに同じ名字の子いるよ、おにいちゃんもいるよ」とのことなので、兄弟どちらかと思われる。 ガードレールに引っかけて探しに来るのを待つも、結局土日通してそのままで、月曜日の朝になってしまった(苦笑)晴れていたからいいけど。 登校時、子どもに学校に持っていって先生に渡してもらうように頼む。 帰宅して確認すると、やはりクラスの男子だったとのこと。呑気だなぁ・・・
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