東京の片隅から
目次|きのう|あした
のんびり仕事納め、午後から掃除、と考えていたのだが甘かった。 昨日今日とやたらめったら仕事が多く、投げられてくるボールをひたすら打ち返す作業が夕方まで続いて、気がついたら退社時間。なぜ今日に限ってそうなのか。 そんなわけで、どたばたしたまま、机の上の掃除もせず(一応整理整頓はした)年越し。
明日から冬休み。今年は短いので、ある程度スケジュールを決めて動かねば。
2016年12月27日(火) |
遅ればせながら全日本選手権感想 |
フィギュアスケート全日本選手権、録画して後追いで見ています。いつもの箇条書き感想。敢えて名字敬称略で書いています。
・羽生の欠場は残念だけど、インフルエンザは仕方ないし、試合出詰めだからきっちり休むいい機会だと思う。 ・変な話、羽生の欠場によってある意味ちゃんと「スポーツの大会」になったかな、と。もちろん他の選手の人気がないと言うことではない。このところ羽生の人気が突出してアイドルチックで、スポーツを見るのではなく羽生結弦を見るという雰囲気になっているのが若干気になっていた。もちろん実力があってこそなのだけど。 ・グランプリシリーズを見たあとだからより強く感じるのかもしれないが、全日本選手権といえども第1グループと最終グループのレベル差が大きいなぁと。 ・選手プロフィールをあまり強調するのは好きじゃないけど、華やかなイメージの裏側に、働きながら予選から上がってきたり、大学卒業で引退したり、そういう葛藤もあるのだということを知ってもらうにはいいのかな。特に今季は「ユーリ!!!」の影響でフィギュアを見始める人もいるだろうし。 ・男女関係なく、全体を見て「すごい」と思うには、力強さというか、メリハリが必要なんだな。特に女子で軽やかな子は沢山いるんだけど、プログラム全部がそうだとふわふわして輪郭がぼやけてしまう。バネが伸びて縮むように、身体の動きに溜めるところ流すところのメリハリがないと印象が弱くなるように感じた。
男子 ・宇野、シニアになって初めて「追われる」立場になったプレッシャーもあっただろうけど、ちょこちょこミスしても勝つのが底力か。技術点の積み重ねが違うなぁ。いつも上がいるから気がつかないけど。 ・無良はショートの安定感が良かった。あのステップはいいよね。見ているこちらの体もつい動いてしまう。フリーは相変わらず鬼門だなぁ。惜しい。 ・佐藤は氷上に佐藤ワールドが展開されるから次の選手がやりづらそう(笑)。私は好きなタイプ。ショートの変な生き物誕生感がすごい(褒めてる)。フリーも浮き足だって調子に乗ってぽろぽろミスは出たんだけど、とにかく楽しそうに滑るので見ているこちらも楽しい。 ・日野、がちがちのNHK杯を経て一皮剥けたか。でも「ヤッター(と口が動いたような)」は音楽が終わってからにしようぜ(笑)微笑ましいけど。今まで「あとちょっとなんか惜しい」感が強かったけど、来季食い込んでくるかなぁ。 ・ジュニアだと島田が良かった。男子の場合シニアとジュニアのジャンプのレベル差がかなりあるので高順位は難しいんだけど、表現が上手い。羽生タイプ?ジャンプのレベルが上がればたぶんすごく伸びる。
アイスダンス・ペア ・やはり村中/リード組の安定感。 ・須崎/木原組の成長がすごい。前ペアの時は高橋に引っ張られている感のあった木原の「顔」が変わったなぁと。来年のオリンピック選考に向けて一歩前進か。 ・順位が残念だったので放送はなかったけど、高橋/柴田組も見たかったな。今年ペアを組んだばかりだから、来季に期待か。
女子 ・ジュニアで元気がいい子たちが複数出てきた印象。成長期を乗り切れるかはまだ未知数だけど、世代交代を感じる。来季一気に顔ぶれが変わる予感。 ・村上お疲れ様。久しぶりに彼女の笑顔を見られてよかった。最後のフリーが「トスカ」だったのに意味深さを感じてしまうのは考え過ぎなのだろうけど、ここ数年の苦闘ぶりを見ると明るい曲を選ばなかったのにはやはり何か意味があるのだろう。 ・浅田は観客側の期待値が高いから厳しい。もう無理と言い切るには早い感じがしたので、現役宣言は納得。 ・宮原の存在感が頭一つ抜き出ている印象。要素一つだけ抜き出すと他にも上手い子は沢山いるんだけど、メリハリとか全体的な動きの印象ではやはり差があるなぁと。
2016年12月26日(月) |
私にとってSMAPとは |
私にとってSMAPとは、山崎まさよしとスガシカオを世間に出してくれた人たち、である。 いや、世に出てても出てなくても好きなのだけど、世間に説明しやすい(笑)「セロリ」を作った人、「夜空ノムコウ」の歌詞を書いた人、で何となく話がまとまる。 逆に言うと、一般的には無名であっても「SMAPに曲提供した人」というカテゴリーに入ることで、世間的に力を認められたと言うことになるのだろう。 そういうところは紅白歌合戦と似ている。田舎の親戚にはミリオンセールスよりも「紅白に出た」ということのほうが重要、そういうところだ。 そういう巨大な存在は、来年からもういないんだな。
卒対アルバム係打ち合わせ。突発的な集まりだったので私ともう一人のサブさん(今回の主催者)とフットワーク軽く来てくれた一人の3人でページの編集。 一人で作業していると考えすぎて行き詰まったりするので、他の人に茶々を入れてもらいながら作業する方が実は効率が良いのであった。 私が出られなかった回もあったのだが、今日の打ち合わせで上半期の写真選定はほぼ終了。ただ、ラスボス「運動会」が残っているのであった。これは来年、もっと人数がいるときにわいわいやろうということになった。 今後の作業としては、編集案の回覧・意見募集→細かいレイアウトを担当者にお願い→写真が確定したら印刷業者に確認、か。こつこつやるしかない。私は年明けには個人ページの編集作業が始まるし、年末年始比較的暇だし、残りの月の叩き台を作ってみるかなぁ・・・。
子どもの前歯が生え替わりでグラグラしていて、でもなかなか抜けないまま数ヶ月。どうしてこれで抜けないのだろうという「落ちそうで落ちない岩」状態で、本人も気にしていたので、年内になんとかしようと歯医者に行く。 先生が触るとぽろりと取れた。もう時間の問題だったらしい。 隣の歯もだいぶグラグラしているので、年明けに予約を入れる。もし自然に取れたらキャンセルの電話を下さい、とのこと。 あとは虫歯になりやすい箇所の指導と、全体的な歯のチェック。虫歯はなし。癒合歯についても確認はしていたが特に注意はされなかったので、今のところ様子見らしい。 本人は心配事がなくなってすっきりしたうえ、面白消しゴムをもらって上機嫌であった。医者への拒否反応がなければそれでOKとする。
実は歯医者は正確には二度目なのである。 保育園で歯科検診を受け損ね、歯医者で見てもらうように指導された。 日記を読み返したら2011年秋のことであった。そりゃ本人の記憶にないわ。
夕方、イルミネーションを見に行く。点灯時間まで会場で少し遊び、点灯後しばらく眺めて帰る。ローカルイベントなので、出店もほとんどなく、親子連れがメイン。 夕飯の買い物をして帰宅。
昨日の昼過ぎに入ってきた糸魚川火事のニュース。 続報が入るたびに被害面積が広がり、今朝になってみるとかなり広がっていた。死者が出なかったのが不幸中の幸いなのか。
昔よく見に行っていたサンプリングサンというバンドの中に、糸魚川出身の人がいた。そんなことをニュースを見て思い出す。 実家(ご商売をされていた、現在は閉業したらしい)を調べると住所が出てきて、それを見る限り、今回の被害地域からは外れている模様。 ついでに、解散していたサンプリングサンが復活していることも知る。 見ていていろいろ歯がゆい気持ちになったりもしたバンドだったけれど、そうか元気なのか、なにより。ドラムさんとベース君もお元気だろうか。
会社の忘年会。蕎麦屋で鴨鍋。出汁も肉も美味い。二次会へ行く面々と別れて、一次会で帰宅。楽しいのだが、疲れた。
用事があって、タワーレコードに寄った。
店内ではSMAPのベスト盤発売に合わせて特設コーナーが出来ており、過去のコンサートの映像も流れている。その前で足を止める人々。年代も性別もさまざまな人が、モニターを眺め、特集のpopを写真に撮り、ただ立ち尽くす。寂寥や愛惜がそこにあった。「国民的」とはまさにこのことだろうと思う。 彼ら、そして周囲の人は、そのことに気づかなかったのだろうか。春が永すぎて麻痺したのか。知っていて敢えて目をつぶったのか。
他のどのグループにも埋められない巨大な穴が空いてしまったのだ、とつくづく思う。
2016年12月20日(火) |
吉野朔実「いつか緑の花束に」 |
吉野朔実最終作「いつか緑の花束に」読了。 急逝したので正しくは遺作集なのだろうけど、そう言いたくない自分がどこかにいる。 しかし最終作の題名に入る「花束」。彼女のデビューが「ぶ〜け」であったことを考えると、妙な符合。
初めて?SF的な世界観が見られる「MOTHER」寓話的な「JOKER」を初めとした短編、どれもこれまでの吉野さんとはズレがあり、だからこそ10年以上前の作品も今回初収録なのだろうけど、書きかけのMOTHERネームにしても、本当にどうして急にいなくなってしまったのかという喪失感が募るばかり。続きが読みたい。
庭の木についていた蝶の蛹が羽化するのを楽しみにしていたら、ある朝突然なくなってしまっていたような、そんな喪失感。
「真田丸」が完結した。あまり熱心な視聴者じゃない私の感想。ちなみに伏線を読むのは苦手です。 ・全体のテーマとしては「父を超えられなかった息子たちの物語」なのかなと。最初の武田勝頼から始まって、最終的には信繁(幸村)も秀頼もそう。加勢しに来た秀忠の小物感もそう。 ・脚本の拙さを役者で補った印象も強い。堺雅人は達者ですが、それ以外も脇に良い役者を揃えてその存在感で乗り切ったなぁと。 ・ただ、最終回のように見せ所が畳みかける回は問題ないのだけど、そうでない回だと散漫というかバラバラな感じがある。これは舞台出身者の限界かなぁ。映画でも感じたけど、三谷氏はモブを動かせないのと、喋らず語らせることが苦手。場に確実に絡む(台詞がある)人間しか出てこないから、場の密度というか重力が軽い気がする。モブ、大事なんですけどねぇ。 ・その場に関係する人間しか出てこないので、視聴者にとってはわかりやすいんだけど、画面の向こうの人間関係はかえってわかりにくいかもしれない。それが「信繁の視点」としてわざと視野を狭く描いた、ならすごいんだけど、おそらくそうじゃないんだろうなぁと。 ・ただ、これは視聴者側の問題でもある。テレビドラマで時代劇が流れなくなった現在、時代劇の基本様式が通用しなくなっているのではないか。良くも悪くも現代劇と一緒にフラットに見られるようになっているため、時代劇にありがちな「実際にはあり得ないけどこうやったらカッコイイよね」的な虚構性が許容されなくなっているのではないか。それに伴い時代考証などに必要以上の作り込みを余儀なくされつつ、かつ、共通認識を持たない視聴者向けに話の内容は希釈される、そういう傾向があるのではないかなと思う。 ・ツイッターなどでの呟きを見る限り、日本史に詳しい人と、そうでない人の差が極端。詳しい人は重箱の隅を突き、全く知識のない人は義務教育段階でも日本史の授業全部寝ていたのではないかという浅学ぶり(だからこそ恥を恐れずつぶやけるのだろうが) ・あと女性を書くのが下手(苦笑)サンシャインボーイズも男性ばかりだったっけ。 ・信繁、アジテーターとしては一級なのかもしれないけど投げっぱなしだなぁと。大阪城の最後のシーンとか、すごく残酷。良いフォロー役がいなかったことが彼の敗因か。伊達政宗にせよ上杉景勝にせよ、生き残る側には必ず名参謀がいるわけです。 ・巷で話題になった「ナレ死」、情報に即時性がない時代の表現方法としては見ていないことは書かないという割り切りはある意味ありだなぁと。 ・なによりも遅筆で有名な三谷氏がよく1年間脚本を落とさなかったなぁといろいろ感慨深いです。(そこ?)
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