東京の片隅から
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Eテレ「クラシカロイド」を見ている。最初はクラシック音楽系のアニメかと思ったら性別変更?している人はいるし魔法少女よろしく変身するしロボットが出てくるし餃子を焼いているし、かなりカオスなアニメであった。モーツァルトの小学生男子感はよく出ていると思う。
ところで、最近文豪やら画家やら実在の人物をモチーフにした(と言うか名前をそのまま流用した)キャラクターで全然別物のアニメやゲームやマンガが多いのだが、大丈夫なんですかね。そもそもそれを言ったら時代小説なんかはすべてアウトなんだけど。 西洋古典あたりだと子孫がもういなかったり古すぎて時効だったりすると思うのだけど、近代日本の文豪あたりだと本人の存命中を知る孫あたりがまだ生きていたりするわけで、そういうところ、ちゃんと根回ししているのかちょっと心配になった。
2016年10月28日(金) |
志村ふくみ・鈴木其一・速水御舟 |
今日も懲りずに美術館のハシゴ。 朝イチで世田谷美術館の志村ふくみ展へ後期展示を見に行ってきた。この前はガラガラだったのだけど、今日は会期末だったからか、それなりに混雑。 着物のマダムも2〜3人来ていて、みんな地味目の紬・絣なのが面白かった。 しかし何度見ても作品のパワーがすごい。軽く流すつもりがかなりやられた。
そのあと、サントリー美術館の鈴木其一展。こちらはかなり混んでた。と言っても鳥獣戯画や伊藤若冲を経験しているとどんな美術展もガラガラに感じる(爆) 場所柄?外国人観光客もちらほら。 いかにも琳派な豪華な屏風もあるんだけど、シンプルな水墨画もあって、画題と作品の幅が広いなぁと。そこらへんは富裕層から注文を受けて制作する琳派ならではなのかもしれない。 で、こっちにも着物のマダムがいたのだけど、こっちは染めの着物なのが面白かった。染めの縞という洒落た選択は江戸琳派にあわせたのかも。 ところでサントリー美術館って、当日券買うと全展覧会共通チケットなのね。ピクチャーチケットが良かったなぁ。そういうところちょっとケチ臭いなぁ・・・美術館持ってるのに美術が好きな人の気持ちがわからないんだろうなぁ・・・とチケット取っとく派の自分は思うのであった。いや前売り買えばいいんだけどさ、行けるかどうかギリギリまでわからないし前売り券を売っている場所を通勤途中に通らないのよ。
で、勢い余ってそのまま広尾の山種美術館まで30分くらい歩いて速水御舟展。 兜町時代の山種で見た記憶があって、帰宅してからチケットスクラップを見たら1994年らしい。(直近の単独展は行かなかった模様)とは言ってもあちこちで見るからあまり久しぶりな感じもない。 植物画や静物画はこちらが絶望するほどの美しさ、写実なのだけど、それに比べると人物や動物はちょっと愛嬌があるというか微妙というか(笑)、得手不得手があったのかな、と素人目にも感じる。 江戸琳派を見てきたあとに彼の屏風絵を見ると、やはり琳派の影響というか、敢えて琳派風に描いたんだろうなぁと思われて、でも琳派そのものではないのだな、と言うのも感じられて面白かった。
週刊誌でレコード大賞買収の見出しが出ていたが、正直なところ、何を今更である。 あれはそもそも金で買うものなんじゃないですかね。もともと音楽番組というかテレビ番組そのものが本人の実力じゃなくて事務所の実力で出演が決まる世界なんじゃないですかね。ファンも知ってて応援するのが大前提なんじゃなかったんですかね。
ところで、この報道が出ても、年末にテレビで放送するんですかね。
「○○くんのお母さんはクセモノ感がある」とまーさんに言ったら、「おまえがいうか」と返ってきた。解せぬ。
本棚の整理をしていて、萩尾望都全集を並べて「もう全集という形態は流行らないのだろうな」と思う。 萩尾望都全集は1期と2期があって、私が大学に入ったとき、入学祝いのお金で中野のまんだらけでセット買いした。 あの頃は他にも山岸凉子や竹宮恵子などの全集も刊行されていた記憶がある。 でも、これは出版社と著者が専属契約を結んでいて、一社で完結できていた時代の話。 今はどの作家もいろいろな雑誌・出版社に描くし、全集を出して売る・買うほどの熱意が出版社にも読者にもないのだろうし、全集そのものが時代遅れのシステムなのかもしれない。 でも吉野朔実の全集は出版して欲しいなぁと・・・超初期作以外たぶん全部持ってるけど。
ところでKindleが「マンガバージョン」なるものを日本で発売したらしいが、単に容量が大きいだけらしい。いや、需要があるのは紙の本のように二つ折りで左右に画面があるスタイルだと思うよ? 少年漫画特有の両面見開き一コマのアクションシーンとか、やっぱり電子媒体でも見開きで見たいじゃないですか。 その分重くなってもいいんじゃないのかなぁ。電子書籍って、持ち歩けることよりも、家の中での収納場所を減らせるという所に最大のメリットがあると思うんだよね。特にジャンプ系のマンガは際限なく続くから収納場所に困るし。
フィギュアスケートのシーズンが始まって、グランプリシリーズ第一戦スケートアメリカ。 男子・女子とも、まだシーズン初めてエンジンが温まっていないのか、転倒や細かなミスが続出する、何となく低調な試合だった。 それでも男子は4回転複数が当たり前だし、安全策をとるよりも一か八かで4回転を跳んで基礎点を稼ぐという方向性なのかなぁと。 女子は男子ほどの技術革新はない。結果的に取りこぼしが少ない選手が勝った印象。 衣装はシンプル化。北米大会だからなのか、歌詞入りの曲が許可されてオペラやバレエの曲の使用が減ったからなのか。女子に一時多かった肌色の多い衣装(もちろん肌色の布で覆われてはいるんだけど)も減って、素材もチュールからレースに流行が移った印象。
この前の鳥取の地震で、投入堂周辺にもだいぶ被害が出たらしい。大山も火山だし三朝にせよ羽合にせよ玉造にせよあの辺は温泉だらけ。要するに地震がいつあってもおかしくないのだが、今回の被害はかなり大きいらしい。 あの拝観道(登山道というかもはや崖。鎖場とかある)にも損傷があるとのこと。当分入山は難しそう。 これから寒くなるから入山者は減るだろうけど、それでも投入堂と一連の建造物は必見。 今後なんとか無事に拝観できるルートが維持できるといいなと思う。
沖縄での機動隊員による差別語問題。 20代の彼らは「差別語だと知らなかった」と釈明している。 あの言葉は死語と化して久しい。普段の生活ではまず目にしない、使わない言葉だ。とっさに出てくる言葉ではない。 そんなことばが普通に口から出るということ。 それは、彼の家庭、両親、先生、職場での上司、同僚が、日常的にその言葉を使っているということだ。 彼の年代では既に死語であっても、その上の年代は死語になった過程を知っているわけで、それにもかかわらず普通に使っている、そういう人間が彼の周囲では一般的である、そのことも問題なのではないか、と思う。 特に彼の所属が大阪府であったこと。沖縄出身者や朝鮮半島出身者が多い地域であるにもかかわらず、そういう人間が普通に育ち、言葉遣いをたしなめる大人も周囲にいない、言っていい言葉と口に出してはいけない言葉があることを文脈から感じ取れない、リミッターが掛からず口から出てしまう、そこに問題の根深さを感じる。
2016年10月21日(金) |
現実は小説より奇なり |
気がついたら、ウォシャウスキー兄弟が、ウォシャウスキー姉妹になっていた。
史上最低の討論会だったかもしれないが、ひょっとしたら「ロスノフスキ家の娘」がいよいよ現実になるのかもしれない、と考えるとなかなか感慨深い。
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