東京の片隅から
目次|きのう|あした
昨日あたりから蝉が鳴き始めた。今年も毎週末ひたすら蝉を捕る日々の始まりか。
| 2016年07月08日(金) |
「クーリンチェ少年殺人事件」 |
カナザワ映画祭で「牛古(これで1文字)嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」が久しぶりに上映されるとのこと。ちなみに今年のラインナップ、他は「狂い咲きサンダーロード」と「AKIRA」というあまりに厨2なセンスに大爆笑。いいぞもっとやれ。 しかし権利関係の問題で上映不可能となっていたはずだが、と調べると、どうやらアメリカでDVDが出たらしい。問題が解消されたのかな。 これは蓮實先生が黙ってないんじゃないか、と、思わず考えてしまったのは、私だけではないと思いたい。
子ども、6歳にして生まれて初めてイクラを食べる。
これまでは食わず嫌いで魚卵系はすべてダメだったのだが、今回一つだけ食べてみよう、と水を向けて厚焼き卵と一緒に食べさせる。 結果、大丈夫だったらしい。 まぁ給食では魚卵はあまり出ないけどね。大人になってからも回避できる食べ物だと思うけど、それでも嫌いな食べ物は少ない方がいい。
いつも自転車を止めさせてもらっている私設駐輪場の地主のおっちゃん(というかもうおじいちゃんである)に7月に入ってから会っていない。 渡せない駐輪場代が鞄に入りっぱなし。 ずいぶん前に奥さんを亡くされて一人暮らし、というのは、以前ちょっと立ち話で訊いたが、このところずっと雨戸も閉まっているし、入院でもしているのだろうか。ちょっと心配。
アッバス・キアロスタミ監督の訃報を聞く。 私にとってはジグサグ道三部作の監督なのだが、どのマスコミでもカンヌを取った「桜桃の味」の監督として紹介されており、「友だちのうちはどこ?」に触れた記事は皆無。正直「桜桃の味」よりも「友達〜」のほうが聞き覚えのある人は多いんじゃないかなぁ。だって「桜桃の味」難しいもん。 数年前に日本で作品を撮影したという話は伝わってきていたが、見る機会がなかった。 今年のフィルメックスで追悼上映やるかな。
都知事選、百鬼夜行の様相を呈して参りました。
子どもが七夕の短冊に「まいにちがたんじょうびになりますように」と書いた後、消して「ちゃんといちねんせいになれますように」と書き直していた。 野望と現実のギャップが激しい。
朝イチでアジサイを剪定。 去年の剪定具合が甘かったらしく、伸びすぎてしまった。気がついたら私の背丈よりも高くなり、メダカ池の上を鬱蒼と覆う状態。ちょっと君たち広がりすぎというわけで、花が咲き終わった枝をばしばしと切り、枝そのものも半分程度に減らす。アジサイは2年目の枝に花が咲くので、1年目の枝を少し残す。来年花がゼロではない、という程度の状況。
途中で、隣家の黒猫が我が家の塀の向こうを通る。ちらりと目が合う。うちの子どもがあまりにも見に行っていたので、子どもと私とをセットで認識しているらしいが、最近は逃げない。呼びかけるとときどき挨拶もしてくれる。嫌われてはいないらしい。
子どもの髪を切る。長めの髪が暑いらしくしきりと切りたがっていた。今切っても来年の七五三までには伸びるだろうと思うので、胸くらいまであった髪を耳のすぐ下くらいまでばっさり。我ながら綺麗なマッシュルームカットになったが、まーさん的には段は内側にしてボリューム少なめのおかっぱみたいにしたかったらしい。もうちょっと伸びてきたらそうしますかね。首が丸出しになったので、本人は涼しくて喜んでいるが、日焼け止めが必須。ずいぶんイメージが変わる。私も切りたくなったが、ストレートパーマを掛けねば起床時はベートーヴェンになってしまう癖毛の私にはハードルが高いのであった。
今年も都立霊園の申し込みをした。 当たらなければいいなと思いながら申し込みを続ける矛盾。
私はある意味もう死んでしまったような者だ。生者と死者の境界はとても曖昧なのではないかと、最近特に思う。 電車の中、街中、家の中、どこでも、ふと自分がガラスケースか何かで外界から隔絶されているような気がする。 孤独は集団の中にいるからこそ感じるものだと誰かが言っていたような気がするが、そういう意味で私は世界でひとりぼっちだ。
| 2016年06月30日(木) |
じわじわとダメージが溜まる |
子どもの質問と「ひとりぼっち惑星」の切なさにずいぶんやられてしまったらしく、精神的にちょっとしんどい。
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