東京の片隅から
目次|きのう|あした
うちの会社は工学部の人間を採用することが多いのだが、そろいも揃ってぼさぼさ気味黒髪眼鏡中肉中背ちょっと猫背なのであった。今年の新人もほとんどがそうだった。っていうかここ5年くらいみんなそんな感じ。大学の頃はみんなユニクロのチェックのネルシャツにゆるめのデニムにスニーカーとリュックで学校に通っていたに違いない。誰が誰だかさっぱりわかんねぇ。
この前の講演会に履いていったショートブーツ、ぱっと見はまだまだ現役なんだけど合成皮革の内張が劣化してベタベタ、ストッキングが真っ黒に。仕方ないので処分する。 表側の天然皮革はまだまだ綺麗なので勿体ないのだが、劣化した合皮の部分を交換できるような製品ではなかった。残念。 学生の時に買って結婚まで履いていた初代のショートブーツのほうが内側も天然皮革で長持ちしたなぁ。そういうところもチェックして買わなきゃいけないんだな。 このところ革靴を履いていないので靴箱はほったらかしだが、他にもダメになっているのがありそうな気配。冠婚葬祭用の黒パンプスだけは死守せねば。
昨日今日と入学式らしき親子連れ。 中学生・高校生もいれば大学生らしき姿も。 大学の入学式に親がついてくるなんて、ととやかく言うむきもあるけれど、親にとっても一つの区切りなんだよね。別にいいんじゃないですかね。スポンサーなんだし。毎日学校についていくわけじゃないし。
私の入学式も母だけついてきたけど、母は入学式よりも会場が日比谷公会堂だったから帰りに公然と松本楼&銀ブラができるというのが目的だったみたいである(笑) 後輩に聞いても、地方からお母さんとおばあちゃんがついてきて娘の入学式そっちのけで映画だデパートだと遊び歩いていたなんていう話もあるわけで(笑) 理由は何であれ、オシャレして街に出て羽を伸ばす機会そのものが女性陣には重要なわけですよ。
帰宅中にシダレザクラを見た子どもが一言「きれいだねえ、なっとうみたいだねえ」
枝に点々と花がついている感じが糸を引いた納豆に見えたらしい。
例えが斬新過ぎる。
子どもの頭の中って自由だなぁ・・・
今日も桜祭り。 賞味期限が来てしまった味つき稲荷揚げがあったので、家でいなり寿司を作って持っていく。 公園は今日も沢山の人。 午後、雨が降ってきたので早めに帰宅。 急に気温が下がってきたせいか、体調は今ひとつ。めまいと吐き気、腹痛。風邪の引き始めかもしれない。 早めに就寝。
この雨で桜も終わってしまうかな。
朝イチで子どもの水いぼの治療。 「シール(麻酔シール)を貼ってプチ(水いぼのこと)を柔らかくして取るんだよ」と教えるとシールや絆創膏大好きな子どもは素直に貼らせる。 病院に連れて行って順番を取り、麻酔が効くまで近所の公園で遊ばせ、それから雑談で気を紛らせながら水いぼをピンセットで除去。痛くはなかったようだが出血を見て動揺し、最後は大泣き。それでもシールをもらってすぐに機嫌を直す。 とりあえず見えるところは全部取ったつもりなのだが、取り切れてなくてまだ出てくるかもしれない。夏までには取りきれるといいなぁ・・・。一緒にプールに入っても感染しないとは言われているけどねぇ。
舎人公園の桜祭りを見に行く。今年は久しぶりにちゃんと桜の花が咲いている。去年は嵐で中止だったし、その前はすっかり葉桜だったり早すぎて咲いてもいなかったような記憶が(笑) 自然相手なので難しいとは言え、こうも毎年タイミングが合わないと、タイミングが合ったときにより嬉しい。日程を決めた人もほっとしているんじゃないだろうか。 子どもを遊具で遊ばせ、買い食いをし、ぶらぶらと散歩して帰宅。
帰宅後、私だけ耳鼻科に。先週のめまいの予後観察。ほぼ良くなっているそうで、かなり早い回復らしい。薬を減らしてもう1週間、それでもう大丈夫だろうとのこと。
夜は家から花火を見る。晴れて良かった。
| 2014年04月04日(金) |
生まれてこなかったあなたへ |
イタリア文化会館でのシモーナ・スパラゴ氏講演会「生まれてこなかったあなたへ」に参加。
会社帰りに神保町で降り、捜し物をいくつか。アタリをつけて見に行ったんだけど、どこにもないという状態。週末に近所で探すしかないか。
イタリア文化会館は九段下にある。神保町からぶらぶら歩いて向かう。駅周辺は夜桜見物の花見客だらけ。自分だけがそこはかとなく場違いな気がする。
講演会は通訳を挟みながらなので、少しまどろっこしい。そしてたぶん100%じゃなくて要約している感じ。 著者本人が「ルーチェ(主人公)と私はイコールではない、作品はフィクションである」ことを何度も言っていたことからすると、あちこちで同一視されたのかなぁと思わされる。別存在であると言われていてもどうしても重ねてみてしまうのが人間で、最後のQ&Aで本人の事情が明かされたので、そこでやっとご本人とルーチェを切り離せた。 本人にとっては書くことが癒しであること、自分の体験そのままでないから(近い体験はしているが)書けるのだろうと思う。 私は「誰も知らないわたしたちのこと」を自分の物語として捉えたけど、著者の話を聞いてみると、彼女にとっては他者の物語であってフィクションである、ということを感じた。 自分の心を癒すのは結局自分でしかないこと、どんなに近しい感情を抱いても他者は他者なのだという断絶をより深く感じた次第。 来場者はライターやマスコミ関係、テーマの関係上医療者が多い感じ。私のような実体験者と思しき人も何人かちらほら。
講演会の帰りもまだ夜桜見物客が出ている。桜は綺麗なんだけど、どうもじっくり見る気分でなく、何となく沈んだ気分のまま帰宅。
数ヶ月前から子どもに出ている謎のできものが水いぼであることが判明。今度取りに行くことになった。 貼る麻酔薬ももらった。でもインターネットで見るとなんだか効くような効かないような、そしてどうも取り方が結構えげつない感じ。うわぁ。
行こうかどうか迷っていた講演会を申し込む。 通訳も入るし、どういう内容になるのかはわからないが、一歩踏み出してみる。
Eテレ「0655」の新曲「重箱の隅つつくの助」の歌が頭をぐるぐる回る。さすがレキシだぜ・・・。 そしてなぜ我が家のテレビの横がごちゃごちゃしていることを知っているのだ・・・。
|