東京の片隅から
目次|きのう|あした
先週末は突然の腹痛でダウン、やっと回復しかけたと思ったら、今朝起きたら右目がお岩さん! 痛いし痒いし腫れてるしで、眼科に行ったらガンケンエンだそう。漢字がわからないので後で調べたら「眼瞼炎」らしい。 ものもらいはできていないが、どこかから細菌が入ったのだろうとのこと。腫れている右目だけでなく、一見無事な左目も結膜炎気味だったらしい。 なんだか踏んだり蹴ったり。
目薬を3種類ももらった。時間をおいて点眼しなければならないのがちょっと面倒くさい。
気分転換に出勤前に喫茶店で一息。 午後は会社に出勤した。 この時期暇なんで午後も休んでラファエロ展でも行こうかとちょっと思ったけど、5月は子どもの通院などで何日かお休みをもらうので、休みはなるべく残しておこうかな、と。
| 2013年04月22日(月) |
遅ればせながらニュータイプの感想 |
遅ればせながらニュータイプを読んだ。もちろんファイブスター物語のためだ(笑)よく訓練された読者だという自覚はあるぜ・・・!
で、感想。
まぁ、想定内だな。
あの漫画そのものが設定マニアな作者の産物で、かの「グイン・サーガ」もそうだったけど、ちゃんと完結するなんて読者は誰も思ってないわけで(笑) しばらく映画を作っている間に自分の絵や世界観が変化して設定をいじりたくなっちゃったんだろうなぁと。 休載前あたりに登場人物に急に漢字を当てはめてみたりあたりから変化の予兆はあったんだけど、まぁしかし実際は一読者の予想の遥か斜め上に来たのだった。
これでデザインズを含めて処分するきっかけをまた一つ逸したのは間違いない。
昨日一日、お茶と甘酒(酒粕消費策、ちゃんとアルコールは飛ばした)という病人以下の食生活を送り、今日はお粥に一歩前進。 胃が痛いのはしょっちゅうなんで慣れているはずなのだが、なんだか気が滅入る。 子どもの歌に涙が出てくる。 何だかなぁ。弱ってるなぁ。
夜、入浴中に突然の腹痛。 胃痛かと思って胃薬とビオフェルミンを飲んで寝るが、いっこうに良くならない。 周期的にものすごい痛みが来る。 でも場所が盲腸じゃない。 何だろうと思いつつ、ごろごろとのたうち回りながら朝までうとうと。
今日は友人と会う約束をしていたのだが、キャンセルの連絡を入れる。
医者に行くと、急性胃腸炎だろうなぁ、とのこと。 いろいろ薬を出してもらう。 帰宅してからも、なんだか疲れていて(夜あまり寝ていないからか)結局一日中寝ていた。
しばらく麺類・パン・乳製品は禁止らしい。 牛乳好きな自分としては、乳製品禁止が堪える・・・。
義母の検査が終わった。 おそらく慢性胃炎が悪化したのだろうとのこと。 がんなどではなかったそうなので、ほっとしたらしい。 あと、年齢的と生育環境的にピロリ菌がいる確率が高いので、その検査は別途行うそうだ。
連休明けの従姉妹の結婚式に招待された。 結婚するらしいよ、という話は去年のうちに聞いていたのだが、挙式すると聞いたのはつい最近。 唯一手持ちのシビラのワンピースはデザインはおかしくないが、サイズアウトしてしまい着られない。 困った時の着物、なのだが、実家はただいま引っ越し準備真っ最中で着物は全部段ボールの中、そもそも母も妹も洋装で行くそうなので、自分だけ着物というのもなんか変。 さぁどうする・・・!
連休はデパート巡りかなぁ。
去年からわかっていたら妹の顔合わせの時にベージュのスーツじゃなくてダークカラーのワンピース買ったよ・・・ベージュのスーツも当日になってみたら両家の他の人全員ダークカラーのワンピースとかで浮いたんだけどさぁ・・・
あ、靴も買わなきゃ。フォーマル用のパンプス、この前出してみたら合皮だったんで箱の中で靴が分解していた(笑)
| 2013年04月17日(水) |
ルーベンスとミュシャ |
行きたい展覧会が重なっていて、土日はどうも動けそうにない。 というわけで、ダンナの出張中を狙って有休を取りました(笑)
朝、渋谷のルーベンス展へ。 フライング気味でチケット屋で前売り券を買い、開館とほぼ同時に入場。 会期末に近いせいか、平日の昼間でもかなりの混雑。 日本でルーベスト言えばフランダースの犬なわけで、アニメを知っている世代から上が多い、東急bunkamuraのいつもの客層。 ギリシャ神話と聖書の知識がないと理解しにくい題材が多いんだけど、当時なぜこのテーマが選ばれた(人気があった)のかを考えると奥が深そう。 当時の時代背景などはパネルで上手く説明されていたかな。世界史の知識がないとそれすら訳がわからないと思うが(苦笑) 工房のシステムの説明も含め、パネルの説明が上手でした。 銅版画を見て、網掛け作業を思い出してしまったのは元漫画研究会のサガですな・・・。 油絵の筆致は、顔はやはりきちんと書き込んでいるんだけど洋服などは意外とラフで、同時代のブリューゲルとはかなり雰囲気が違う。全体的にもっと細かいタッチかと思っていたので、そこはかなり意外でした。
あ、会場にデートとおぼしきカップルさんがいたんだけど、「ルーベンスって人気あるんだぁ」なんて台詞を始め、もういろいろと突っ込みたい会話のオンパレード。突っ込みたくなるからこちらから距離を取っても、なぜか次の展示室でまた近くにいたりする(苦笑) どちらのチョイスかわからないけど、デートの場所と相手は選んだ方がいいと思うよ・・・。
ルーベンス展を午前中には見終わり、昼食を手っ取り早く済ませて渋谷駅から六本木ヒルズ直行バスに乗り込み、六本木へ。
ミュシャ展もルーベンスと同じくらい混んでいた。もっともミュシャ展の場合、一番混んでいるのは物販なんだけど。 ミュシャ展そのものはもう3回目くらいだが(うち2回は20年くらい前)、今回はスラヴ民族としてのアイデンティティに重点を置いた展示。だからパリ時代の版画やデザインワークは少なめで、プラハに戻ってからの作品がメイン。 これも世界史の出来事を並列で書いた年譜がわかりやすかった。というか、それを抜きにしては彼の変遷は欠かせないわけで。あぁそうか、と改めて思うところも。 展示スペースの関係か、「スラヴ叙事詩」は持ってこられなかったけど、そのあたりは映像展示でカバー。 個人的には20年以上前の最初の展覧会で見た「イヴァンチッチェの思い出」がまた見られたのが良かったです。 小さい絵なんだけどね。なんとも言えずいいんだよね。
そしてここにもいるんだバカップルが・・・。「ミュシャって100年くらい前なんだ全然新しいじゃん(それはそうだよね)そんな新しい人でも展覧会やるんだ(・・・?!いや生きてる人でも展覧会やるよ!)」なんていう若いカップルとか、ポスター原画を見て「うちにはもっと大きいのがあるで、20年くらい前に買ったやつだけどなハハハ」って言うバブル引きずってるおっちゃんと若い女の子のカップルとか、もうどうしてくれようって感じですよ。
一日に展覧会のハシゴなんて普通はしないんだけど、流石にそうも言ってられない。流石に脚が疲れた。 でも偶然か、ルーベンスもミュシャも芸術家でありながら工房制というか、作品が広く流通する前提で(銅版画やポスターなど)制作する環境だったんで、下絵と完成品の差異などのプロセスに共通するものを感じたりして、面白かった。
保育園のお迎えまでちょっと時間があったので、上野に寄ってちょっと休憩してからマルイと松坂屋へ。去年マルイでスーツを買ったときに実感したんだけど、もうそういうフォーマル以外では自分の年齢的にも体型的にも(爆)マルイは卒業だな、と。 でも普通のデパートだとプロパーで買うには高いんだよねぇ・・・カットソー1万5千円は手が出ない。 結局無印でシャツを1枚買って終了。
なんとかいつものお迎えの時間に間に合ったけどぐったり。
さー今度はラファエロだ。前売り買って自分にプレッシャー掛けてみますよ。
今週はあちこちのニュースでディズニーランドの特集を組んでいるので、テレビをつけると子どもが「みっきーちゃんは?」と訊くようになってしまった。 そのうち行きたいと言い出すんだろうなぁ・・・。 父も母もあそこはイマイチ苦手なので、なるべく行きたくないのであった・・・。
夜中にふと目が覚めてしまい、布団でゴロゴロしているうちに、実家のことを考え出してしまい、余計眠れなくなった。 いろいろ考えているうちに何だか涙が出てくる。 それこそ小学生の頃から、再開発計画があること、いつか自分の家やふるさとがすっかりなくなってしまうことは知っていたし、バブル経済で地上げの嵐があって同級生たちはどんどん引っ越して小学校も閉校になって、でもバブルが崩壊してからは虫食いの土地が何年も放置されて、そういう意味ではここ20年くらいカウントダウンはずっとされていたようなものだけど、それでも一時期はカウントダウンが一時停止している感じがあって、ちょっと忘れかけていたのかもしれない。 ここ5年くらいで一気に話が進んで、いよいよ全部なくなってしまうとなると、自分にかなり心理的ダメージがあったらしい。 昨日見た実家とその近辺の様子は本当に「崩壊」という言葉がぴったりで、ショックが大きかった。
さよなら、新宿。
実家から電話がかかってきて、今月か来月に立ち退きが決まったとのこと。 実家に置きっぱなしのあれこれを取りに行く。 映画パンフレットや、アルバム、画材など。 油絵のキャンバスは処分してもらう。 高校時代のものはずいぶん前に処分していたが、まだ大学時代のものがずいぶん残っていて、まぁずいぶんマメに描いたなぁと。そしてずいぶんお金をつぎ込んでいた模様(苦笑)。 しかし下手さに頭痛がする。やっぱり自分には才能がないんだな。 大学生後半に描いたものはまだちょっとはマシ。
叔母たちも来て、みんなで食事をし、ガランとした家の中を写真で撮って回る。 家具など余計なものがなくなったからわかるんだけど、商家だったからあちこちに鉄骨が入っていて、だからこそ60年なんとか保ったんだけど、流石に躯体がもう限界。
近所の家もどんどん引っ越しの準備をしていて、不要品が玄関先に出してあったり、建具を取り外していたり。 再開発計画自体が20年延び延びになっていて(実際は私が生まれた頃から計画自体は存在していたそうだが)、その間にすっかり疲弊してしまった地域は、もう元には戻らないだろう。 両親も、再開発が終わったここには戻らない。 タワーマンションになってしまったら、元の住民は管理費を払えないのだ。 誰のための再開発なんだろう。 ちょっと気分重く実家を辞去する。
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