東京の片隅から
目次|きのう|あした
朝からちょっとした行き違い。解消しないまま出勤。 心が折れそう。。 私だけが悪者になっている気分。
音楽を聴いても耳に入ってこない。文字も形を追うだけ。
東京駅で途中下車して、コーヒーを飲む。気分を切り替えるつもりだったんだけど、肝心のコーヒーの味がイマイチで、うまく切り替えられなかった感じ。
でも、ここでこうしていても仕方ない。 何とか重い腰を上げて、会社に行く。
会社の更衣室の鏡に映った自分の目があまりにも暗い。
一日ルーチンで仕事をこなし、帰宅。
なんだか重い疲労感が残る。
7月から9月まで会社が日曜+平日休みになるらしい。 絶対間違えて出勤するやつがいるだろうとは、現場の共通意見。 いや、社員はいいよ? お客さんが来て休みだったと苦情が入るのが一番マズい。 アポなし来客は基本的にはないんだけど、なくもない。 そしてその対応をするのも現場。 一応ホームページや郵便同封などで告知はするけど、結局受付だけは開けておいて、誰かが交代で詰めることになるんだろうなぁと思う。
節電の必要性は感じる。 けど、「東電に言われたからやります、東電に協力を求められた日だけやります、お盆休みは言われてないから開けます」的なやり方はちょっと納得いかない。脊髄反射じゃあるまいし。 会社の偉い人はみんな東大とか出ていてアタマがいいはずなんだけどなぁ。まぁそんなレベルだから今ウチごときにいるんだろうけど。
やるのはいいんですよ。頭ごなしのやり方が気に入らないだけなんですよ。
さーて、保育園に土曜保育の申請を出さなきゃ・・・。
朝早く目が覚めてしまったまーさんが、バイクで出かけて戻らない。 「ちょっと行ってくるわ」って、全然「ちょっと」じゃねーよ、と思いつつ、向こうが勝手に行動するならこっちもだ、と、西松屋で夏物を買う。
いろいろな色のものを買おう、と思っているのに、なぜかレジに並ぶ頃にはピンクばかり。おかしいなぁ。
結局、まーさんは昼近くなって帰宅。なんでも秩父のほうまで走りに行ったらしい。阿呆だ。
マリメッコのムックを書店の店頭で見かける。 おまけについているトートバッグの色合いが綺麗で、買ってもいいかなという気分になる。 その日は荷物が多かったので、後日と思い、その場を離れる。
その後数日のうちに同じトートバッグを持つ人を立て続けに4〜5人見かける。 普段マリメッコの鞄を持っている人なんて、年に一人二人見かけるかどうかだ。 それがあそこにもここにも。 書店に平積みになって売っているのだから当たり前の現象なのだが、それを見てしまうと、やっぱり買うのをやめよう、と思い直してしまう。
子どもには誕生日が2つある。 一つは、実際に生まれた日。 もう一つは、出産予定日だった日だ。
予防接種や、役所の手続きなどは、実際の誕生日で数える。どんなに体が小さくても、だ。 でも、発達度合いは、出産予定日で数える。「修正○ヶ月」(○は出産予定日からの月齢)と書く。うちの場合は1ヶ月半早く出てきてしまったので、1歳1ヶ月半(修正12ヶ月)となる。 当然同じ月齢の子どもに比べるとできないことも出てくるが、小学校入学くらいまでに追いつけばいいらしい。
幸い、体の大きさを除けば、今のところ実際の誕生日で考えて大丈夫な成長なのだが、つい本来の誕生日で見てしまい、やきもきしてしまうのであった。 いかんいかん。 もっとのんびり成長していいんだよ、もっと赤ちゃんでいいんだよ、と声をかけつつも、子どもはどちらに似たのかせっかちに成長しようとしているみたいだ。
東京スカイツリーの第二展望台の料金が発表になっている。 大人3000円。 せいぜい1時間ほどしか滞在しないであろう場所に3000円。 高いのか安いのか。
ちょっと高いな。2500円くらいが妥当なんじゃないのかな、と思う。
でも、映画館で映画1本1500円は高いと思わない。(私は家でビデオやDVDを見るのが苦手だ)これは2時間だ。 ライヴ3000円も高いと思わない。これも2時間くらい。 CD1枚3000円。だいたい1時間くらい。
だとすると、私の価値観の中では、1時間3000円は、そう高くもないのかな?
通勤電車は高架を走る。 行きは新聞を読んだりネットをしたりしているのだが、帰りはまだ日の高い時間なので、ぼうっと外を眺めていることも多い。 1年休んでいる間にも建物ができたり消えたり。ずっとあったのにやっと気がついたものもある。
3月の地震の影響がまだところどころに残っている。 同じような時期に建てられたとおぼしき、同じような瓦屋根の建物。大きさも形もほぼ同じ。 でも、片方の屋根は無傷で、もう片方は瓦が落ちている。 その違いはたまたま建った場所のほんの少しの地盤の違いなのか、そっくりに見えても間取りが違うために丈夫さが違ったのか、2階の家財の重量の差なのか。 電車の窓からはその違いはわからないのだけど、たぶんどこかが違っていて、それが被害の度合いの差になったんだろうなぁ、とつらつらと考えた。
萩尾望都のエッセイ「一瞬と永遠と」を買う。 漫画家のエッセイなのに表紙の絵が本人のものではないのが意外な感じだが、敢えて漫画家を隠すことで幅広い層に手にとってもらおうとしたのかな、とも解釈する。(萩尾望都は、キャリアは長いのに、知っている人は知っているが知らない人は全く知らない、という人だ) エッセイ集なので普通なら文庫になるのを待つのだが、出版元がマイナーなところだし、文庫にならないかもしれないので、今回は思い切って購入。
いろいろな時期にあちこちに書いた様々なテーマの集合体。 話題はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、年代も今と過去とを行きつ戻りつ、読んでいるうちに彼女の描くSF作品の中に迷い込んでしまったよう。 結構厳しい内容の漫画を書くのに、文章はあくまでもうらうらと穏やか。
でも、結局、
好きな漫画を書く人は、その文章も好きなんだな。
ということに尽きるような気がした。
さて、電気羊の夢でも見ますか。
探していたものが思わぬところから見つかった。
見つかった場所に対する当惑はあるのだが、とりあえず良しとしよう。
夜、寝入りばなに咳き込んで眠れない。 やっと眠りにつける、と思うと、今度は子どもが咳き込み始める。 水を飲ませて、抱いて背中をさすって、しばらくしていると落ち着いて、また眠り始める。 さあこっちも眠るぞ、と思ったのだが、どうも目が覚めてしまって眠れない。 それでも、目を閉じるのだが、まぶたの裏には白と黄色の毛足の長いラグだかマットだかバスタオルだかとにかくそんな風な布地の画像、しかもその毛足が揃ってなくて、あっちを向いたりこっちを向いたりしていて、どうも気分が悪い。 この毛足が綺麗に揃ったら自分は気持ちよく眠りに入れるのに、と思って、毛足を揃えるべく思考を整えるのだが、普段あれだけ妄想する脳がこういうときはなぜか働かず、しばらく四苦八苦。 そうこうしているうちに、私の脳は毛足を短くしてしまえば揃いやすいと言うことに気づいたらしく、結局白と黄色の何かは五分刈りのカーペットのようになってしまった。 どっとはらい。
でもこれでやっと眠りにつけるんだな。
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