東京の片隅から
目次|きのう|あした
胃痛のタネだった発表会がなんとか終わった。しかしもう一度発表することになるかもしれない。嗚呼。
「なぜ芭蕉がここで歌を詠まなかったのか現地(松島)に行ってわかりました」というJR東日本のCMを見た瞬間、「行かなかったからだろ!」とテレビに向かって夫婦二人で突っ込むのもいかがなものか。
朝、バスに乗ったら老人でいっぱい。 シルバーパスで無料なだけではなさそう。なぜだろうと考えたら、今日はお彼岸の中日だった。道理で、だ。
午後、奈良土産を持って実家を訪ねる。皆元気そう。何より。
休み明けはさすがに忙しい。 考えなくてもできる簡単な仕事から一つずつ片づけるも、全部は終わらず、休み明けに仕事を持ち越すこととなった。 休みボケか、何となく仕事の効率が悪い。
短めのシャツワンピースにレギンスという最近の若い子(笑)のファッションが、どうしても
「ダンナのTシャツを適当に着てスパッツを穿いたおばちゃん」
に見えて仕方がない、今日この頃。どうなのよ。
一日洗濯と掃除と買い出し。遊んだ後は後始末が大変だ。
台風一過、いい天気なので、三輪に出かけた。 一度行ってみたかったので、大神神社に行ってみたのだが、どうも一の鳥居をくぐってから後、異界に踏み込んでしまったような気がしてならなかった。あの「ちょっと嫌な感じ」はナン・マドル遺跡(ミクロネシア)や沖縄の御嶽に似ている。 観光気分のこちらに対し、中にいる神職や拝礼している人々があまりにも真剣だったりして、長時間居づらい雰囲気であった。 なんだかエネルギーを吸い取られた感じがした。
せっかくなので、そうめんを食べて帰った。
京都で梅小路車庫にSLを見に行った。まーさんは子どもの頃SLマニアであったらしい。男子なら一度は通る道だが、「決められたルートの上しか走れない」ことに気づいてからは、電車の運転手になろうとは思わなくなったそうだ。私は運転手ではなくて改札係になりたかった時期はある。自動改札になってからは思わなくなった。
遅い夏休みもこれでおしまい。
台風が来ていたので、一日中博物館で過ごした。 学生の時は興福寺の阿修羅像にずいぶんと惹きつけられたものだが、今はどちらかというと飛鳥仏のほうに心がひきよせられる。 ちょうど西国33箇所霊場の展示が行われていて、そちらも併せて見た。どこぞの寺の如意輪観音が良かった。 でもやはり仏像は博物館ではなく、本来あるべき場所で見るものだな、とも思った。もっとも、博物館で見る場合は美術品として鑑賞し、寺社で見る場合は信仰の対象として拝礼するもので、そのあたりは自分の中で意識的に切り分けているような気がする。
夕方、駅でバスを待っていたら西の空に二重の虹が架かっていた。もうちょっと空の広いところで写真を撮ろうと思っていたら、その間に日が暮れて虹は消えてしまった。
雲行きが怪しかったので、斑鳩には電車で行った。結局一日天気は持ったので、自転車を借りて奈良市内から走っても良かったかもしれない。 法隆寺は高校の修学旅行以来だった。あのときは春で、ちょうど法隆寺では何かの法要が行われ、色とりどりの衣を着た僧侶の行列が練り歩き、夢殿の奥では救世観音がぼうっと光っていたのであった。小さいが、あれほど「力」のある仏像は初めて見た。秘仏にしてしまうのもわかるような気がした。あれは、はざまに立つ像だ。 時間があったので、法隆寺から塔を訪ねてさらにぶらぶらと歩いた。秋桜が綺麗だった。
帰りに、思い立って、大和郡山で降りて、溜め池の金魚を覗きながら散歩した。
奈良へ行った。
飛鳥で自転車を借りて、半日風に乗った。 キトラ古墳と高松塚古墳の惨状に呆然としながらも、刈り取り直前の田の脇を自転車で走るのは、気持ちのいいものであった。 時間切れで甘樫の丘に上れなかったのは残念。
帰りの電車で、どうひいき目に見てもあまり頭の良くなさそうな高校生たちと一緒になった。服装がだらしなく、電車に乗るマナーも全くなっていない。こんな子どもを大勢預かって高卒の学歴を与えるために「教育」を施さねばならぬ教師の苦労を思った。
用事があって、知らない街へ出かけた。 電車の窓からは見たことがあるが、降りたのは初めてだ。 予想どおりというか、予想以上というか、そんな感じの街だった。 用事はたいしたものではなかったのでその街にいた時間は正味1時間くらいだっただろうか。 何度か行けばそれなりに好きになるのかもしれないが、今日はまだそれほど親しみが湧く感じではなかった。
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