東京の片隅から
目次きのうあした


2008年06月29日(日) 祭りのあと

一日海に出ていたので、どっぷり疲れたらしく、昼近くまで死んだように眠る。
私は日焼け止めを塗っていたので無事だったが、途中まで塗らなかったまーさんは部分的に「因幡の白ウサギ」状態。凝りないなぁ・・・。
そしてひたすら竿を振っていたせいか背中が筋肉痛。首が曲がらない。


2008年06月28日(土) 釣りとは糸の片方に魚、もう片方にバカがついている行為である

朝から三浦半島で釣り。
薄曇り、ベタ凪。ときどき風が吹く。暑くもなく寒くもなく、絶好の釣り日和である。
7時から13時まで、キス55匹(うち1匹は20cmクラス)、ベラ1匹、メゴチ1匹(20cmクラス)、アナゴ1匹。リリースはキス1匹、ベラ1匹、ホウボウ1匹。どれも小型。ホウボウは迷ったのだが、針を外すときからびくびくしっぱなし、胸びれを広げてか細くギイギイ鳴きながらバケツの中をおろおろ歩くのがあまりにも哀れっぽく、リリースと相成った。演技だったかもしれないが。

帰宅してから流れ作業で捌き、小型のキスは全部冷凍庫、アナゴは白焼きにし、メゴチと大ギスは刺身、ベラはソテー。うーんゴージャス。


2008年06月27日(金) 筆記用具について

海外でのラクガキ事件についての報道で、思うのは、「なぜ油性ペンやフェルトペンをもっていたか」だ。
普通旅行に油性ペンを持っていくか?せいぜいシャープペンとボールペンくらいではないのか?
スケッチする人間でもせいぜい色鉛筆や固形水彩ではないのか?
最初から何かしてやろうと思ってもっていたのではないか、という疑念が拭えない。
気分が高揚していたからといって建造物を破壊する方向に向かう思考回路もわからない。
写真を撮ったり歓声を上げたりなら、国籍にかかわらず誰でもするだろう。現にサンピエトロ大聖堂のドームの最上部ではそんな感じだった。景色に見とれ、長く狭い階段を上ってきた同志(笑)にねぎらいの言葉を掛け、笑い合って写真を撮る。
だが、そこであの建物を傷つけようと思いつく、その発想が解せない。自己顕示欲だとしたら、その行為は電柱にマーキングをする犬以下だ。


2008年06月26日(木) エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ

休暇。
銀行に行って、学生時代から貯めていた定期預金を解約。お金って使うときはあっという間なのね。
はんこやら通帳やらを置きに一度家に帰る。久しぶりにモス飯。

午後、なにをしようかとしばし考え、木場の東京都現代美術館に出かけ、「大岩オスカール」展を見る。ずいぶん前に向島の現代美術製作所に見に行った。調べたら10年ほど前だったらしい。
なんというかシュールな絵。イラストチックであり、ちょっとシニカル。
デビュー作品から最新作までが広い空間の中に並べられ、コラージュによる下絵なども見られる。制作の過程が面白かった。

そのあと、常設展を見る。岡本太郎の「明日の神話」の展示中。他の作品を見ている最中、おひとりさまのおばちゃんにつかまり、3時間(!)おしゃべりにつきあう。

夜、妹と待ち合わせ、水道橋のJCBホールで「エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ」のライヴ。映画そのままの濃ゆい世界が2時間繰り広げられる(笑)。
ステージの上もフロアも濃ゆいなぁ。最初から最後まで爆笑。必見。


2008年06月25日(水) クロスワード

新聞の一面全部に乗っているクロスワードを解かなければならない夢を見た。
単に「解きたいから解いている」ではなく「ねばならぬ」というのがポイントで、普段やれと言われたらさくさくと単語が出てくるのだが、夢の中に限っては真っ白な升目を眺めてうんざりしている自分がいるのであった。


2008年06月24日(火) 買わないけど気になる

どうでもいいことだが、iPhoneの日本語入力機能はやっぱりことえりなのだろうか。


2008年06月23日(月) 梅干し

やっと梅干しを漬ける。去年と同じく6kg。タイミングを逃し、小さめの梅しかなかったため、できあがりに不安を残す。塩も多すぎたか。まぁいいや。


2008年06月22日(日) 友だちと知り合いのあいだ

mixiの話なのだが、私はマイミクがとても少ない。片手でおつりが来るほどである。

たぶんマイミクというものをカタクルシク考え過ぎなのだろうとはおもう。

友だちと知り合いってどこで線引きするのかな、こっちが友だちだと思っていても相手はそう思ってくれているのかな、そもそも私はどう思われて居るんだろう、そういったことを考えてしまい、身動きがとれなくなる。

小学生の頃、道路の向こうで手を振るクラスメイトを見て、それが自分に向かって振られているのだと気づかず、何度も自分の背後を振り返り、笑われたことがある。
私の人間関係に対する猜疑心(といってもいいだろう)は生まれつきのものだろうし、一生治らないんだろうなぁ。


2008年06月21日(土) 私信 続き

なんだか公開交換日記のようになってしまったが(苦笑)

いい思い出も、悪い思い出も、それを含めたすべてが私であり、それを受け入れること、きちんと自分の中で消化すること、そういう作業は嫌いではない。

変な話、事件を起こしていつでも非難されるのは加害者だけなのだ。事件の前にどんな出来事があったとしても。
個人的な復讐は遂げられるだろう。しかし、社会的には葬られるだろう。

どちらを選ぶか?

激情に駆られそうになる私の中にいるもう一人の私が選ぶ答えは決まっている。常識的であること、社会的なアウトサイダーにならないこと。それはある意味枷でもある。


2008年06月20日(金) Answer

これは自分に対する問いなのかな、と思ったので、ここに返答してみる。違ったらそれは私の思いこみだ。

昨日の日記について。

私は大事な人たちを守るためならば人を殺せると思う。たぶん。
そこでそれを運命だと言えるほど人間ができているわけではない。
それに、本来、私はかなり攻撃的な人間だ。

未だに夢に出てくるくらい、同窓会サイトやSNSで名前を見るたびに吐きそうになるほど嫌いな相手はいる。いや、嫌いという言葉では表せない。ちょっと前までは、同窓会に出て彼女の顔を見たら自分が制御できなくなるという確信があったくらい。
それと同時に、小学生時代の私は教室の中で「勝ち組」にいたわけで、当時の同級生の中には私が彼女に対して思うのと同じくらい、誰かが私を憎んでいるであろうことも容易に想像できる。

私が「殺人は許せない」と思うとき、それはそういう衝動に駆られる自分を許せないというのと表裏一体だ。
私が「誰か」を殺したいと願うとき、そういうことを考えているのは私だけではないし、その「誰か」には他人だけではなく自分も含まれる。
私が誰かを憎むとき、私を憎んでいる誰かもいる。それは私にとってはごく当たり前の感覚だ。

結局、私は自分が可愛いだけなのだ。
それに、たぶん、私は神様を信じている。


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