東京の片隅から
目次|きのう|あした
虚脱状態は今日も続く。頭の中は昨日聴いた曲がぐるぐる。
10年通っていたバンドが、解散ライヴを迎えた。 聴いていたバンドが解散したことはあるが、こういうかたちでの終わりは初めてだ。 これまでは、自分の熱が冷めてしまい、解散ライヴがあっても行かなかったり、何となくフェードアウトして「え?あれが最後だったの?(しかも行かれなかった)」で自分の中にもやもや感が残ったり、そういうことばかりだったので、きちんとおしまいの形を取ったバンドに感謝しつつ、当日が近づくにつれて気分はどんどん鬱。 当日になっても、下北沢に着いたはいいものの、ライヴハウスに近づきたくなくて、ムダにうろうろしてみたり(苦笑)
結果から言うと、いいライヴだった。10年見てきてこの日がベストライヴだったと思う。ステージ上の本人たちはとても楽しそうで、だからこちらも笑顔で送り出そうと思うんだけど、いろいろなことを思い出してしんみりしてしまう。泣いてしまうかもと思ったが、不思議と涙は出なかった。 大好きでした。聞き続けてきて良かった。ファンでいて楽しかった。ただ感謝。
現在抜け殻状態。
また不適切発言か。 本人が本当はどう思っているかはとりあえず置いておいて、いい年こいた大人として発言のTPOが読めないのは人間として致命的ではないかと。親はどういう教育をしたんだろう、と思ったりする。まぁそういう人の親や家族というのは概して同じような失言ファミリーだったりするわけだが。類は友を呼ぶ。 自分の立場と場所を考えて、もし揚げ足を取られたとしても理性的に回答出来る、都合が悪くなったときに薄笑いでごまかさない、それは社会人としての基本じゃないかと思う。報道した記者に向かって「報いを受けるでしょう」って、あんたはどっかの占い師か。
台湾映画のエドワード・ヤン監督死去の報を新聞で読む。 ここ何年も新作が出てこないと思ったら、ガンで闘病中だったらしい。まだ59歳。 もう彼の新作は見られないのだなぁ。合掌。
まーさんがイサキを釣って帰ってきたので両方の実家に配る。
うちの実家は相変わらず。妹が一人暮らしを始めたので、家の中ががらんとしている。まぁ、それまでも休みの日はほとんど家にいなかったので似たようなものだと言えばそうなのだが(お互い様)ものが少なくなっていて、よりがらんとした感じが強調されている。私の置きっぱなしの本とか画材とかが相変わらず山になっていて、これをなんとかしないとなぁ・・・。プレッシャーがひしひしと(苦笑) 祖母は叔母の家へ出かけたらしい。実家でもともと鉢植えにして置いた桃を地面に下ろしたら実がかなり生ったとのこと。それを取りに出かけたらしい。出かける気があるならまだ元気なのだろう。
まーさんの実家へ行ったら金魚がお出迎え。更紗流金が3匹水槽の中でぷかぷかしている。犬は相当老けた。去年もう1匹が死んでから急に老け込んで、今やよぼよぼである。こんなに違うものなのか。イサキのお返しにとサクランボとトマトをいただく。
河瀬直美監督作品「?(もがり)の森」を見る。死と再生というテーマは第1作の時から変わっていない。論理的というよりも感覚的に見せる映画監督なので、こちらが想像力で補いながら見なければならず、そういう意味ではちと疲れる。ハンディカメラのシーンではこちらが酔ってしまう状況も。前作でもそうだったのだが、この監督との相性が悪いのか、映画館(同じ映画館であった)との相性が悪いのか。 カンヌでグランプリを受賞したこと、テーマが認知症であることも理由なのか、観客は中高年、それも男性の姿がかなり多く見受けられた。
夕方からマンガ喫茶で3時間マンガ三昧。しかし読もうと思っていたもの全部は読めなかった。読むスピードが明らかに落ちている。でも現状では増やせないしなぁ。マッサージ椅子でマッサージを受けながらの読書はなかなか快適。ダンナがいないときにまた行こう(笑)
もう今年も半分終わった。
4月に入社した新人がもう一人辞めるらしい。 うーん、まぁ、いいけどね、本人の自由だから。 でも、会社が君を採用するために費やした時間と費用、そして研修がムダになったことを考えると、せめて1年は頑張って欲しいと思うのだよ。 しかし2箇月で辞める、それも就職経験のない20代後半男性(大学卒業→専門学校卒業)、もうちょっと先を見て動いた方がいいんじゃないかという気持ちはある。 まぁがんばれよ。
会社帰り、電車を待っていたらおばあさんにいきなり話しかけられて、どうやら次の駅で降りるべきところを間違えて降りてしまったらしい。確かにその2つの駅はよく似ているので無理はない。 しかしどうして話しかけるターゲットが、反対方向で電車を待っていた、それも携帯電話の画面を眺めていた私だったのか、それは謎である。 とりあえず自分のうっかりを誰かに話すことで気を紛らせたかった(猫の毛繕いのようなものか・・・)のか、それがたまたま一人でホームにいた化粧っ気のない地味な格好の子どもではない年の同性、といういわゆる「道を聞きやすそうな」タイプの人間がそこにいたから、なのであろうと推測する。 1分くらい世間話のようなものをして別れたが、もうちょっと話し相手になれば良かったかな、と思う気持ちも残った。何よりも「お気をつけて」の一言を言えば良かった、と思ったのだった。それを思い出したのは、自分が電車に乗ってからだった。 彼女にもう会うことはないだろう。言わなければならないときに言うべき言葉が出てこないのがもどかしい。
靴下の片方を裏返しに履いていたことに気づいたのは夕方の更衣室だった。
・・・自分駄目すぎ。
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