東京の片隅から
目次きのうあした


2005年05月22日(日) 退院

とりあえず私だけ退院。
義父が健太を見に来た。会ってびっくり、ギプス姿である。どうも洗車の最中に転んで左手を骨折したらしい。義母は風邪のためまた別の機会に、とのこと。一緒にNICUに入る。私は小さい子供しか見ていないのでそんなものだと思っていたが、義父は健太の姿にかなりショックを受けたようだ。昨日のしゃっくりで消耗したのか健太はおとなしく、だから余計に話しづらかった。
いったん家に帰って家の中の片付けと実家暮らしのための荷物をまとめる。最低限のことだけするつもりがあれこれ始めてしまい、てきめんに疲れが出る。


2005年05月21日(土) 長い一週間

退院のための診察。経過は順調で退院許可が出る。ついでに1ヶ月検診の日程も決める。

健太を見に行くと目を開けていた。前よりもやや大きく見開くようになっている。しかししゃっくりが止まらなくなってしまい、だんだん手足をばたばたさせて機嫌が悪くなる。しゃっくりで死ぬものではないが(一応酸素供給はされているし)かなり消耗しそう。また、栄養チューブが気になるようで、しきりに舌で触るようになった。しかし便通がないのでミルクは中断したとのこと。いろいろなところが未完成なのかもしれない。炎症反応が0.3まで下がった。0.2以下が陰性だからあともう少しである。ほっとする。とりあえず一週間生き延びた。少し光が見えたような気がした。


2005年05月20日(金) 現状受け入れまで

手術から一週間たった。
先生が来診のときにbonding(母子結びつき)について話をする。事情が事情なので普通の人よりも時間がかかるだろう、とのこと。数週間かかると見ておいたほうがいいらしい。確かに、入院と言われてから怒涛のように日が過ぎて(だから逆に妙に冷静だった)、やっと今頃我に返ったような気がする。これからゆっくりと自分の中で消化しなければならない。幸い、時間だけはたっぷりとある。
会社関係のもろもろの手続きはまーさんがさっさとしてくれたのだが(同じ会社にいるとこういうときに便利だ)、役所関係もこの日午前休を取ったまーさんが手続きしてくれた。あとは養育医療の申請だけ。保健所から書類をもらってきたので、受付経由で病院側にもらう書類を申請する。それを揃えて役所に申請し、医療証をもらえれば、自己負担分も補助がおりることとなる。NICUにかかる費用は半端ではない。


2005年05月19日(木) それぞれの事情

傷口を止めていたホッチキスのような金具を抜く。昔怪我のあと糸を抜いたときのなんともいえない気持ち悪さを思い出してびくびくしていたのだが、あっけなく終わった。拍子抜けする。
搾乳は最終回の分から保存OKのサインが出た。ほっとする。栄養開始と言われたので体もほっとしたのかもしれない。
同室の人たちと世間話以外で初めて話らしい話をする。この病院で出産する人はほとんどが母か子に何らかのリスクを抱えている。妊娠中毒症だったり、早産だったり、先天性疾患だったり。しんどいのは私だけではない。短時間話をしただけだったが、ずいぶん気が楽になった。


2005年05月18日(水) -3kg

出産後初めての体重測定。3kg減っていた。妊娠前から出産までは+3kgだったから、計算上は元に戻ったことになる。体型がどうなっているかはまだ謎である。傷口も怖くて見ていない(苦笑)。
搾乳は継続しているものの、まだ血乳が出る。一時期の「これは母乳ではなくて血そのもの」という状況ではなくなったが、それでもまだ冷凍保存するレベルではない。焦ってもどうにもなるものではないのだが、やはり落ち着かない。
NICUから連絡をもらい、健太の状況を担当の医師より聞く。急に呼ばれたので一瞬血の気が引いたが、単に担当医師の手が空いたからだったらしい。びっくりした。黄疸の光線療法は継続、便通があったので栄養開始OK、とのこと。冷凍母乳でいく話を伝える。呼吸器まかせでなく、自分で呼吸もし始めているようだ。指しゃぶりの動作、あくび・のびもしている。本来まだエコーを通して見るような動作を実際目の当たりにするのは不思議な感じ。


2005年05月17日(火) だんだんと

薄皮をはぐように、という表現がぴったりとするような回復。前日までつらかった動きが今日はなんともない。少しずつ体調は戻ってきている。入院・手術そのものが初めてなのであらゆることが初体験。おそるおそる動いている。

健太は光線療法継続。便通のためビフィズス菌を投与。
最初見たときは鳥の雛みたいだと思っていたのだが、だんだん人間らしくなってきた。

HTLV-1について医師より説明。先生は四国の病院にいたらしく、具体例等挙げてわかりやすく説明してくれる。(HTLV-1キャリアは西日本方面に比較的多い)とりあえず健太入院中は冷凍母乳でいきましょう、とのこと。承諾する。

傷口を保護するためのガーゼを止めているテープが肌に合わない。かゆい。


2005年05月16日(月) 平常化

私の体調はだんだん元に戻ってきた。ただ、動くと傷口に引きつれるような痛みがあるので、寝返りも打ちづらい。万年睡眠不足気味。昼寝をする。二足歩行はできるが、へっぴり腰なので、背中が筋肉痛。歩く姿はワイドショーでやっている立ち上がるレッサーパンダといい勝負である。

健太は炎症反応が次第に下がってきた。だがまだまだ高い。あまり触らず様子見。


2005年05月15日(日) 命名

熱はだんだん下がってきているが、まだ上下がある。
午後、麻酔と点滴を抜いてから胃の調子が良くなってきているが、まだ様子を見ながら食事。
頭を洗ってもらう。すっきりした。入院前に髪の毛を切っておいて良かったと思う。虫の知らせでもあったのだろうか、パジャマも買ってあったし、そういう妙な符号がちょっと気味悪い。
搾乳を開始。血乳が出る。出はいいらしい。看護師さんはしばらく搾乳を続ければ入れ替わるでしょう、との判断。

子供を見に行く。輸血をしていた。黄疸があったらしく、光線療法をしている。

まーさんと二人で名前をいろいろ考えた。女の子だったらつけたい名前があったのだが、男となると女子校育ちの私はてんで思い浮かばない。とにかくこういう状況だし、無事に育つことが何より重要。「健太」と名づける。本当は「健太郎」にしようと思ったのだが、テストで名前を書くときに恨まれそうだったので(笑)一字減らした。
ずいぶん早かったですね、と言われたが、早く名前をつけなければ子供が死んでしまいそうな気がした。名前のないまま終わらせてしまうのは絶対に避けたかったし、名前をつけることでパワーが与えられるのではないか、と思った。妊娠中は「ちびさん」と読んでいたので小さいままだったのかもしれない。


2005年05月14日(土) 対面

熱が続き、アイスノンを取り替えてもらう。麻酔は効いているものの、ちゃんとした話ができる状態ではなく、手術当日よりもかえって病人っぽい。眠りが浅く、変な夢を見る。この日の夢は川原亜矢子と富永愛(モデルさんです)が実はやくざの跡取り姉妹で後継者レースをしている、という夢。なんなんだいったい。
午前中からとりあえず起き上がる練習。1時間ほどかかってやっと足で立ち上がるが、歩くのは到底無理。それでも早いほうらしい。
昼から食事、といっても重湯とかコンソメスープとか野菜ジュースとか。久し振りの味のあるものがおいしい。しかし胃が受け付けず、後で吐く。胃のむかつきは麻酔薬の副作用らしい。
午後、車椅子でNICUへ連れて行ってもらう。子供の目がちょっとだけ開いている。見えてはいないようだ。触らせてもらうと、反応もする。生きていることにほっとするが、これからが大変。ガーゼにくるまれた臍の緒を貰った。
夜も変な夢を見る。一人でトイレに行かなければならないのだが、これがなかなか大変。起き上がる→立つ→点滴のスタンドを引っ張ってトイレへ→用を足す→戻る、この一連の動作がとにかく時間がかかる。結局切れ切れにしか眠れなかった。


2005年05月13日(金) 出産?

日付が変わってから水も口にできない。(口をすすぐくらいは可能)
朝から栄養点滴を2本打つ。手術の順番は3番目、私はただ待つだけ。
昼前に順番が来て、手術室に運ばれる。極力余計なことは考えないようにする。痛み止めの注射のあと麻酔、そのまま手術。酸素マスクで喉が渇く。
12:02出産。陣痛も何もないのでいわゆる「出産」という意識はない。腹が軽くなった感触だけある。
子供は406g、男児。
仮死状態だったが、酸素吸入で蘇生。NICUに行く前に保育器の中の子供を見せてもらう。とにかく小さい。変なたとえだが、500mlのペットボトルと同じくらい。
とりあえず無事であったことに涙がこぼれる。
まーさんと実家の両親は医師から説明を聞いたらしい。
12:45手術終了。しばらく経過観察し、病室に戻される。
一日熱で朦朧とし、アイスノンを貰う。後で見たら誰かの小樽土産の保冷材らしく「OTARU」と運河の写真が印刷してあった。いいんだろうか。


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