東京の片隅から
目次|きのう|あした
| 2004年12月03日(金) |
「おバカ」という言葉がぴったり |
今かなり自分の中で熱いのが「Docciバトル」。 http://www.docci.jp/battle/index.html
平日に毎日毎日ばかばかしいバトルが繰り広げられております(笑)
こういうのを見ると、小学生時代の「男子ってバカよね」という女子の感想を思い出してしまうのだが。
電車のドア側に立ち、外を見ながらメールなどしている人をよく見かけるが、案外待ち受け画面が見えるものである。ありがちなペットの写真だったり、なにやらキャラクターの写真だったりするのは普通だが、ついに見てしまった。 自分の結婚式らしい写真のタキシード&ウエディングドレスの新郎新婦。 ・・・そうですか、そんなに自分が好きですか。 私の知らない世界はまだまだあるらしい。
汚いマウスを大量に発掘したので、洗うことにした。 ネジを外して、コードと基板とそのほか洗っちゃいけない部品を除けて、トラックボールも本体も洗い桶に放り込む。 漂白剤を入れた水にしばらく漬けた後、さらに食器洗い洗剤を入れた水に漬けおきする。だってマウスそのものが変色してるんだよ!?どうやったらそんなになるんだ。手から悪い脂が出ているのか・・・。 スポンジとつまようじでがしがし洗って、干した。よくみんなこんなまともに動かないマウスで仕事していたなぁ、感心するよ。 うちの会社、B型とO型が大多数を占めるという日本にありえない(笑)構成だからなぁ・・・。
会社の技術系職員の作業服が最近変わって、やっとうちの事業所にも届いた。 今度の色は濃いめの水色。色が決まったときは「ふーん、そう」くらいの感じだったのだが、今日着ている姿を見た感想は「・・・明和電機」。 もうこうなったらパチモク鳴らして社歌を歌うしかない。
最近なんでテレビで手品が流行っているんだろうなぁ。
天気がいいので普段洗わないものも洗濯して、みっちり掃除もして、家計簿の記入作業。確かにこの日お金を使ったんだけどいくら使ったか思い出せない、というものがある。適当な家計簿だが、それでもある程度は見えてきたり。 久しぶりにのんびりした。
| 2004年11月27日(土) |
ここではないどこかへ |
午後から初台へ「野又穣」を見に行った。もともとずいぶん前にぴあの「今週のギャラリー」みたいなところで見て、ずっと好きで、個展が開かれていると見に行っていた。現実にあるような、ないような、昼のような、夜のような、不思議な既視感のある静寂の建物を描く人だ。1枚絵を買っていいと言われたら本当に買うかも、というくらい気に入っている。一度にたくさん見られたのも良かったし、壁でないところに天井からワイヤーで吊るという展示方法もかれの絵にあっていたと思う。 同時開催されていたティルマンス展、写真のインスタレーションなんだけど、どこかで見たような感じだと思っていたら、ペットショップボーイズの新作のPVを撮った人らしい。納得。
久しぶりにハーゲンダッツを食べた。
昔の知り合いとライヴ会場で会う、という夢を見た。誰だったかはよくわからないんだけど、とにかく彼女は失恋していたらしい。最近会わなかったね、といったら、今は大阪で働いているんだよ、とにかく今の仕事をがんばんなきゃね、と言っていた。なんだか夢の中ででもちょっとほっとしたのは起きたときには覚えている。でも誰だったんだろう。そもそもリアル知り合いが夢に出てくること自体が珍しかった。
電車の中で、お洒落して綺麗に化粧して髪もセットしてこれから食事かクラシックのコンサートか、という感じの女性を見たのだが、横顔をちらりと見たら耳アカが見えてしまった。しかも結構大きいやつ。上手く取り出せるとちょっと感激するサイズである。
人に何を見られているかわからないから身だしなみには気をつけましょう、っていうか、そういうところに目がいってしまい見なくていいものを発見してしまう自分がちょっと嫌だったり。
今毎日新聞でリストカットについての記事が継続的に連載されていて、自分が学生の頃にはあまり居なかったよなぁと思いながら読んでいるわけだが、はたと気づいたのが、自分が爪を噛んだり甘皮を向いてささくれぼろぼろにしてしまうのも一種の自傷癖ではないかと。 それを言うなら小学生時代を通じてやっていた「鉛筆の尻を噛んでがじがじにし、さらには食べてしまう」というのもそうだろう。いたよなそんな小学生。ってそれは私。 口に何か入れて落ち着くならそれはお茶でも飴でもいいじゃないかと思うのだが、実際飴やガムではあまり効き目はなくて、やっぱり自分の体の一部であることに意味があるような気がする。一時爪なんか半分くらいしかなかった。血の味がなんか落ち着く、というのがあって、さすがにまずいと思って、なるべくいじらないようにしてはいるのだが、行為自体を完全になくすることは無理だ。自分が生きているのか死んでいるのかよくわからないような感覚に陥ったときに唯一リアルなのが痛覚で、生きていることを確認するために爪をかじっているのかもしれない。
最近は研究も進んで小学生の何割に抑鬱傾向があるとかいろいろわかってきているのだが、大人になった自分が見てもあぁそうだったのか、と思うことがときどきあって、小学生の時にこういうことがもっとわかっていたら違ったのかな、と思ったりする。
結局「こうあらねばならない自分」と「実際の自分」とのギャップが大きくてそれを埋めるすべが見つからないときの応急処置なのかなぁと思ったりするのだ。
|