”BLACK BEAUTY”な日々
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Boogie
通勤途中、昼休み、帰宅後、新曲のデモを何度も聞く。 聞いて、頭の中で繰り返して、また聞いて、繰り返して、歌詞を固めていく。 週末のヘッドパワーでお披露目する為に、繰り返す。 そうすると、言葉の雨が降ってくる。 それをただ、じーっと待つのだ。
家内の実家へ赴く。 昼間からビールを飲み、妻と買い物に行く。 じーちゃんとばーちゃんが息子を預かってくれているので、ゆっくり買い物をする。 日常は尊い。けれどあまりに目立たない余り、それを忘れる人が多いのもまた事実。
新曲を完成させる。 FREAKSの楽曲で、短時間で完成できたナンバーは出来良いものが多い。 (A-B JETSなんて、本番直前のスタジオでできたのに、その夜に披露した。まあ、簡単な曲が多いからってのもあるが)
今回もそういう予感のするナンバーである。
2003年06月27日(金) |
雨のち晴れ 会社がなくなる日 |
前勤務先が最後の日を迎える。お別れ会に招待される。 招待されたものの、行くかどうか直前まで迷っていた。 仲間達の近況を聞かされ、安堵と怒りの入り混じった、実に複雑な胸中を経験する。 そりゃねーだろうよ神様、と思いつつ床につくも、眠れず。
G・Gというバンドのライブを見た後、そのメンバーさんの車で家まで送ってもらう。打ち上げは正直迷った挙句、途中退場を決意していたのだが、気がついたら最後まで居てしまった。 車中、オールナイトニッポンのジングルがこだまする中、一路千葉へ。 おつかれさま、ありがとう。
2003年06月25日(水) |
雨のち曇り スモーキンブギ |
減煙2日目。仕事が終わるまでは順調であった。 ところが仕事の後、会社の人と某江戸川区の某アルファベット族のJETS系バーで音楽話に花を咲かせすぎたのがいけなかった。
紫煙の誘惑、明日は負けない。
喫煙習慣のある諸兄はよーくご存知であろうが、来る7月1日より煙草の価格改定が施行される。値下げ?そんなわけなく、その逆である。 考えてみれば俺達は飲み屋で、あるいはプラットホームの端っこで、はたまた自宅の換気扇の下で煙を吸っては吐き、切迫する国家財政に自らの身体を犠牲に貢献してきたのである。何とも泣けてくる話じゃねーか、おい。 そんな訳で、極めて試験的に禁煙を試みてみた。量を減らす「減煙」である。
今日の喫煙成果は5本。わーお、やったじゃん。
止めようと決意した理由のもう一つは「喉」のためである。FREAKSというバンドの楽曲のほとんどは大声を張り上げないと成立しない構造になっていて、喉への負担はかなり大きいはずだ。喉をこわしたらロックンロールができなくなる。究極の決断。だったら煙草は止めるべきだ。ロックンロールまで止めたら、俺の人生なんて灰色に決まってるからだ。
そんな訳で今日から実行。だが、正直、自信なんてからっきしなし。
ここで相反する2人の発言が頭をよぎる。
「ヘロインよりもコカインよりも最悪なのは煙草だった」と元ジャンキーのルー・リード様。 「煙草とコーヒーは黄金のコンビだね。まったくサイコーだよ」とジム・ジャームッシュ様。
ニホンケーザイへコーケンも大事だが、睡眠はもっと大事。 俺は寝ることがほんとに大好きなんだが、日曜の夜はいっつも夜更かししてしまう。理由はよく分からんのだが、いつも月曜朝に猛烈に後悔してしまう。
親愛なる全てのラケンローラー達へ「おやすみなさい」
スタジオ3時間後、島貫とちょこっと呑んで帰宅する。 明日からまた社会人としてニホンケーザイに激しくコーケンする予定。
親愛なる・・・
身体ってのは正直なもので、蓄積されたものがなかなか消えない。 あいまいなゴマカシが通用しないんだな。 お互い三十路を超えて、その辺は実感する事が多々あると思う。
『伝説の人』になるにはまだ早えーよ。 お前とやりたい事がまだまだ一杯あるんだ。
お前が死ぬまであともう少しだけ待ってやるから、身体は大事に。
ライブお疲れさん。
今日は、やはり家族で焼肉を食べる。 外食2連続、贅沢?
息子が一緒なので火傷が一番怖い。
だから、肉を焼く人と世話を焼く人に業務分担する。
美味かった。
2003年06月19日(木) |
曇り 近所の居酒屋にて |
家族3人で、食事&ガソリン摂取。 やっぱりこれに限る。
今日のBGM 『BLUE MASK』 LOU REED
ルーリードのセカンドピーク時の傑作。その前のピークは「トランスフォーマー」でその後のピークは「NY YORK」
梅雨のこの時期に是非お薦め。
クラッシュの1stアルバムを通勤の友とし、独りライオットでもキメようと思ってたのに、MDウォークマンを忘れた。ホームでMDディスクを睨みつけても音は聞こえない。
今日も、ふつーの毎日であった。
Life goes on.
2003年06月17日(火) |
雨 少年法に見放された14歳のガキ |
入社2日目、当然まだまだアウェイ。 ホームになるまであと何時間?何日?何ヶ月?
会社のシステム部ってとこがの各社員のPCのWEBアクセス状況を監視してて全社のアクセス統計を毎日アップしている。
俺が入社した昨日のトップはド○モのHP。 みんな新しい物好きだわなーなどと思いつつ、今日の日記を終える。
何度目かの初出社であった。 それでも乾杯してくれたJIROを始めとする仲間に乾杯。
私の父は私が26歳の時に病気により他界している。 所謂、典型的なサラリーマン家庭とは少し趣を異にしていた我が家における父親は、社会的地位と自己のプライドの充足に固執し、その存在はいい意味でも、またその逆においても強く、思春期に入った息子の反抗対象として、申し分ない役割を演じていたと思う。
父親が訝しがる事、父親が是としない事を父親の目前で行い、親子の平行線は交わる事なく、年月だけが知らん顔で過ぎていった。
父の死後も私は何らの感傷に浸る事もできずに、入院し、意識不明になった父の姿を思い出し、ひょっとしたら私は心の中で笑みさえこぼしていたのではないかという疑念を抱き、しかもおそらくそうだったろうと自己の残虐性を確認し、呆れる始末だった。
父の死後、私は結婚し、父親になった。 息子が精一杯の笑みを私に向け、私も笑みを返す。 ふと、思う。30年前のある日、父も今の私と同じような感動と自覚を覚えていたのだろうか、と。 当然あったに違いない。同時に息子に愛されずに他界していった心の寂しさはどんなだったろうか、とも想像してみる。
私は自分のような人間が本当に父親などというものになれるのだろうかと、不安で不安で仕方なかった。 正直言えば、今でも同じである。
この日記は私の友人もたくさん読んでいてくれている。初めて読んで下さる方もいらっしゃると思う。
大切な人はいつかいなくなってしまう。悲しい事だが、現実である。 大切にした方がいい。後で気づいても遅いのだから。
重い内容ですまなかった。
父に向けて。合掌。
2003年6月15日
ドバーっと降りゃあいいものを、電車に乗る前は降り、降りれば止む。 あんまり得意じゃないこの季節、赤い目をこするニッポンジンはまた自由の女神に投げKISSを送る。
『イラク特別措置法案』イラク復興における英米軍の後方支援を主たる目的とする(らしい)。
出世したなニッポンジン。ブロンド娘に教わった髪の香りをアラーの子供たちにしっかり教えてやれよ。
ただ、今日の朝日新聞の一面記事、イラク特別措置法案の真下にはこう書いてあった。
『生活保護受給者128万人、人口の1%台は15年ぶり。長引く不況も一因』
足元を見ろ、ホントにコケるぞ。
会社が潰れるだとか、転職だとか履歴書だとか、決算、株主総会、原価計算だとか、別の会社から内定貰ってさあどうしましょうだとか、上書き保存を忘れてあっさり閉じられたエクセルに恨み言を吐いたりだとか、結局サラリーマンなんてものは大量消費社会の憐れな奴隷に過ぎないのかと10代の教祖の1曲でも口ずさみたくなってくる。
だが、たとえ奴隷だとしても自分と家族の腹を満足させなくてはならず、同じ位自分の見栄も満たさなくてはならない。
本日付で会社を退職し、月曜から別の会社に移る事にした。
わずかな時間であったが、少なくともこの会社に必要と思われる資料は忙殺寸前の日程の中で全て残した。
PCのファイルを整理し、喫煙所で煙草に火をつける。
言うまでもない。すこぶる上機嫌だ。
地下鉄を使って通勤時間が1時間弱。しかも最寄駅が始発なので、車内でゆっくり本を読める。家で読書などしようものなら、1歳半の怪獣が「あー!!」とか言って本を取り上げられてしまうので、唯一の時間が地下鉄の車内という事になる。 そんな訳で、今日は書評をひとつ。
『水辺のゆりかご』柳 美里 角川文庫
作者の自叙伝的作品。 在日、いじめ、両親の不仲、性的虐待、自殺未遂etc およそ人間が経験しうる不幸がこれでもかとばかりに繰り広げられ、やがて作者が創作に目覚め、再生を図ろうとする過程が描かれている。
この作品が単なる在日朝鮮人の苦労物語に終わらなかったのは全体を貫く「客観性」だと思っている。自分自身の経験をあたかも別の自分が眺め、描写しているニュアンスが強く残る。 この「醒めた感覚」ってのは実は俺は大好きで、そいう感覚を持ってるミュージシャンには強く惹かれる。 100%熱いミュージシャンってやっぱカッコ悪いじゃん。 クールさがないとね。
本来、著作権に触れる行為だが、引用する。 こーいう描写は好きだ。
『記憶はひとつの物語でしかなく、ひとは往々にして自分に都合のいいよう創作しているものだという考えは、過去の経験の重みにたえかねていた私にとって刺激的だった。』
普段、某地下鉄で通勤しているのだが、結構女子中学生の姿が目立つ(私立のお嬢様学校) 彼女達と俺の決定的な違いは、性別、おニャン子がリアルタイムか否か、喫煙・飲酒習慣の有無などは当然の事として、俺が改めて「ほー」と思った事は彼女達が「平成生まれ」であるという至極当然の事実である。 さらに、3年後には平成生まれの高卒の社会人が街を闊歩し、平成生まれのロックバンドがチャートを席巻する時代がもうそこまで来ている。
昭和生まれのバンドマンとしては、実に正念場である。
出始めた腹を上から眺め、「つん」とか指で押してる場合じゃない。 風呂場で抜け落ちる髪に一本づつ名前をつけてる場合でもない。 忙しいからといって日記をさぼっていてはいけない。 自己反省しつつ・・・。
2003年06月10日(火) |
晴れ 指揮棒を捨てたコンダクターへ |
浅賀崇様
改めて土曜日はThrill Freaks LIVEのゲスト参加有難う。 そして日曜のTHE SIDE SLIDE RIDERS LIVEお疲れ様でした。
まだ、今この瞬間も余熱が冷めないでいます。 それは、Bluesという共通の基盤に立って、お互いが全てを出し切った時、俺達の間にあった壁(「遠慮」とほぼ同義だと思って下さい)が見事に崩れた瞬間を手に入れたからだと思っています。
俺達4人はあの日のわずかな間、それぞれの楽器で数え切れない程の会話をしたのだろうと思います。今をもって、あの日の感動を形容するに相応しい言葉が見つかりません。
また、君のギターで煽られながらも、やはり鵜飼は鵜飼であった島貫や、君の立ち位置に十分配慮していたJIROの動きとか、改めてThrill Freaksというバンドに愛着を覚える事もできました。
「ありがとう」
最大の賛辞と礼を言います。 チョーキングヴィブラートがしたくなったら、またスタジオで会おう。
2003.6.10 石川 仁
追伸:実はフライングV買おうと思ってた事があったけど止めとく。 ありゃ、お前のギターだわ。
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