好きだった雨、雨だったあの頃、あの頃の日々だった君 - 2000年12月21日(木) 1年前だったか2年前だったか。 ゆずが大好きだった。 名前を知ったのはラジオで「なにもない」を聴いてから。気が付いたら大好きになっていた。 学校の行き帰り、ヘッドフォンで毎日「ゆず一家」を聴いていた。 雑誌だってほぼ欠かさず買って読んでいた。ファンクラブにも当然入った。 ある人にゆずのCDを貸した。普段何を勧めてもまったく興味を示さないその人がはまった。嬉しくて嬉しくて、毎日毎日その人とゆずの話をした。 ゆずの曲を元にしてその人はある物語を書いた。私はそれを漫画にした。 とにかくゆずが本当に好きだった。 いつからだろう。 雑誌を買わなくなった。ゆずのCDを聴かなくなった。曲によって好きな曲と嫌いな曲がはっきり分かれた。ライブに行きたいとも思わなくなった。 1度だけライブに行ったことがある。楽しかったはずなのに、もう行こうとは思わない。 理由は全くわからなかった。唯一のゆずっこ友達や、そのまた友達のはみんなゆずに対する思いをきちんと言葉にできるのに、私は何も言えなくなった。 全肯定して「大好き」なんて言えない。だってこの曲もこの曲も好きじゃない。 だけど嫌いになったわけじゃない。だってこの曲を聴くと涙が止まらない。 あんなにたくさん話した人とも何も話さなくなった。時折私が何かを言ってもひどくつまらなそうな顔をする。「あんたとは話なんかしたくないのよ」と無言のうちに言われているみたいでますます何も言えなくなった。 ゆずのことを考えるとどうしていいのかわからなくて少しいらいらした。 今、なんとなくそのいらいらの理由がわかるような気がする。 雑誌を買って、ラジオを聞いて、ファンクラブに入って。私は多分彼らのことを知りすぎたのだ。 友達からもたらされる他のゆずっこの意見、という奴も実はうざったかった。 「皆はこう言っている」「皆はこうしている」。 今まで自分の好きなものについてそんな風にとやかく言われたことがなかったから、私はどうしていいのかわからなくなった。 この曲にはこんなエピソードがある、次のツアーはオリオンも参加するとかしないとか、アコースティックがどうしたハモリがどうしたらしいのらしくないのなんのかんの。 とにかくあんまり知りすぎた。素直に聴けなくなった。 周りの声が大きすぎて、自分が何を言いたかったのか分からなくなってしまった。 ゆずについてなにか言葉にしようと思っても、「他の皆はそんなこと言わないよ」と言われそうで何も言えなくなった。……実際、そんなことを言う人は誰もいないのだけれど。 情報をもたらした張本人はそんな他人の意見に流されることなく、きちんと距離を保っている。情報を聞きたいといったのは私なんだろうけど、なんだか置いてけぼりを食らった気分だ。 きっと、知らないほうが良かったんだ。 曲だけ聴いてれば良かったんだ。そうすればずっと好きなままでいられたのに。 たぶんもう私はゆずのことは好きではないんだろう。 でもゆずが好きだった頃の私のことは、たぶん今の私よりも好きだと思う。 - ジャングル・ジャンクション - 2000年12月19日(火) 人麻呂のレポートどうにか完成。 しかしひとり手前の発表者にて時間切れ。続きは休み明けだと。 うーん……嬉しいような悲しいような。 ZABADAK「十二月の午後、僕は河原で夏の風景を思い出していた。」購入。 いい。ZABADAK大好き。「風を継ぐ者」観に行きたい。姐さん私も連れて行ってくれませんか。 コート購入を決意。相場を知るべく東急へ。 ヨーカ堂及びユニクロ等との値段の格差に愕然とする。 間を取った結果、前々から目をつけていた無印のコートをお買い上げ。 色はオリーブ、サイズはメンズSAのダッフルコート。裏地はないけど着心地最高。 「青い空と雲のカレンダー」の姉妹品で「星明りと夜空のカレンダー」とかいうのを発見。めちゃ欲しい。でもちょっとでかい。小・中学校でおなじみの画板と同じぐらいでかい。買ったらどうやってもって帰ろう……。 学校生協にて「本の雑誌 2001年1月号」を注文したのに届かない。 HPを見たら既に11日に発売されている。だめじゃん。 - 嵐になるまで待って - 2000年12月18日(月) 下手すりゃ明日は人麻呂のレポート発表が回ってくる。やんなくちゃなんないことをやんなくちゃなんないときはさあやんなくちゃ(BY桝野浩一)と図書館へ行ったものの。 心の底から嫌いな奴の話し声がうるさい。 資料の「万葉集釈注」が使えない(「貸して」と言われたので思わず貸してしまった)。故にレジュメの作成に手がつけられない。 国会図書館から論文のコピーが届かない(コピー代高いっての)。 というように「人のせいにできる」環境が整ってしまったため、一切の作業を放棄して日記なんか書いている。 駄目な子だなあ。あの人に愛想つかされるのも無理ないわ。 人の声にかなり敏感なことにふと気付く。 休み時間の教室内の馬鹿騒ぎに耐えられない。しかもそのぐらいやかましいところにいる筈なのに、大嫌いな人間の声が耳に入ってきてしまう。 聞きたくないのにそいつはずかずかと耳から脳味噌に入ってくる。それだけでいらいらする。頭が痛い。うるさい。うるさい。うるさい。 その逆も然り。大好きな人の声はいつまでだって聴いていたい。 歌うたいなら宮沢和史。俳優なら上川隆也、吹越満。 人の声というやつはとかくやたらと耳につく。 アパートやなんかで一番響くのはテレビの音でも電話の呼び出し音でもない。人が立てる音、人の声だ。夜中に何処かの部屋で馬鹿騒ぎしてる声を延々聞かされているとだんだん死にたくなってくる。すぐ隣を走る電車の音よりも女の人の黄色い笑い声のほうがよっぽど不愉快。 声ってのは、実はものすごい力を持ってるんじゃないだろうか。 プラスにもマイナスにも働く力。 今のところ私はマイナスばかり受け取ってしまうようだ。 脳味噌にも有効な耳栓が欲しい。 - 尼崎の魚 - 2000年12月17日(日) 妥協してるんだと思っていたのはどうも間違いらしい、と今頃になって気付く。 君は誰の影響も受けない自信があるから、自分と違うものやくだらないものと一緒くたになっていても平気なんだ。 ああ、うらやましいな。 君となら一緒にいられそうだった。 だけど君は向こうにいたいんだろう。こっちに来たいとは思わないんだろう。 だったら仕方ないね。私はここにいるしかないもの。 でももし気が向いたなら、 ……そんなことは言うだけ無駄だね。 -
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