ブルーにこんがらかって...月人

 

 

十力の金剛石 - 2000年10月31日(火)

まさかはまるとは思わなかった。

インディーズのバンドには全く興味がなかった。
同じく、「イマドキノワカモノ」って感じのバンドにも興味はなかった。
彼らのことを「好きだ」という人は、大抵HI−STANDARDやSNAIL RAMPのことも好きだったから、同じ系統の人達なんだろうなと勝手に思っていた。
「ちいさく震える手にはマッチ」で始まる歌が気になっていたけど、誰が歌っているのかは知らなかった。

その名を「BUMP OF CHICKEN」という。
探していた歌のタイトルが『ランプ』で、彼らが歌っているのだと知った時は少し驚いた。曲と名前のイメージが一致しなかったからだ。
ある日『THE LIVING DEAD』を偶然手に入れた。『ランプ』が収録されたそのアルバムは、なかなかに聴き心地のいいアルバムだった。
始めのうちは歌詞を全く気にせずに聴いていた。しばらくして、『ランプ』の次に入っている曲が気になりだした。手元に歌詞カードはない。
「走った/走った/すでに満身創痍だ」
いったい何の歌なんだろう、と今度は歌詞の意味を気にしながらスピーカーに耳を近づけた。

涙が止まらなかった。

彼らのプロフィールはほとんど知らない。……というか興味がない。
メンバーの名前すら知らない。
ラジオや雑誌で見かける彼らは、本当にどこにでもいそうな「イマドキノワカモノ」にしか見えない。多分(いや間違いなく)彼らのファンも「イマドキノワカモノ」だから、話はまず合わないだろうなと思う。

この先、CDは必ず買うと思う。
音楽番組に出たら多分観る(出ないだろうな……)し、PVも観るだろう。
でも雑誌に出ていても読まないと思う。
ライブにも行きたいとは思わない。
彼らの作品はすごく好きだけど、彼らそのものには全く興味がない。
好きなアーティストは他にもいるけれど、こんな風に思うのは初めてだ。

『ダイヤモンド』、これから買いに行こうかな。


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伝えたいことがあるんだ #1 - 2000年10月29日(日)

例えば何かひとつのことを言ったとする。
それについて「もうちょっと説明したほうがいいかな」と思って説明を加える。
今度はその説明が「わかりづらいかも」と説明の説明を始める。
そんなことをしているうちに話はどんどん膨らんで、「ところで何の話でしたっけ?」となってしまう。

あるいは。
例えば何かひとつのことを言ったとする。
それに関連したことをふと思い出す。思い出したことからまた違うことを考える。
周りではまだ前の話が続いている。
頭の中では連想ゲームが続いていて、最初の話題からはすっかり離れてしまっている。
そのうち連想の中からどうしても言いたい事柄が出てきて、それをぽろっと口に出す。
周りはそんな連想をしていたことなど当然知らないから、「いきなり何の話?」と首をかしげる。
その逆もあって、とっくに通り過ぎた話題を延々頭の中で考えていて、それを口に出すと「まだその話かよ」と言われてしまう。

そんなことが時々ある。
だからたまに、似たような話し方の人を見るとわけもなく嬉しくなってしまう。
確かにわかりにくい。話し上手な人はこんなふうに思い付きで話し出したりしないだろう。
それでも言いたいことが後から後から出てきて、ついつい脱線してしまう。
とにかく言いたくてしょーがない。伝えたくてしょーがない。

エレカシの宮本浩次の喋りが好きなのは、その喋っている気持ちがなんとなくわかる(ような気がする)からかもしれない。




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寒いので、あたたかい本をください。 - 2000年10月17日(火)

宮沢和史「詞人から詩人へ」のこと。
表紙でまずやられた。
空、である。しかもただの青空じゃない。紺色というのか藍色というのか、すごく微妙な「蒼」。
ちょうど、日が落ちて、夕焼けが消えて夜空に変わる直前の、あの深い深い色に近いかもしれない。
私はこの色が好きだ。よく晴れた青空も夕焼けもきれいだと思うけれど、それらを経て夜空の闇に変わる直前のあの「蒼」がいちばん好きだ。
青空とも、海の青とも違う。月夜の作る色に似ている。あの「蒼」は闇を作る「蒼」だ。これを何度も重ねて塗ると、夜空の色になる。…ような気がする。

中身について。
MIYAの朗読するCDを聴きながら頁をめくる。
ゆっくり、ゆっくり。
楽しい詩もある。悲しげな詩もある。なんだかよくわからない詩もある(失礼)。
ひとつの詩を読み終わると、MIYAの短い文章が載っている。
その詩に対する直接の感想もあれば、それにまつわるエピソードが書いてあることもある。感覚としては「いつもと違う場所で」に近い。
いちばん「好きだな」と思ったのは、谷川俊太郎「言葉の槍」。
それから、「死を恐れるのは思い出を失うのが怖いからだ」というMIYAの言葉。

余談。
先日学校の購買にこの本が置いてあった。
なんだか嬉しくなって、授業が終わってからまた購買を覗いてみたら、本がなくなっていた。
購買の人に聞いたら、「その本さっき売れちゃいましたよ。」と言われた。
なんだかとても嬉しかった。


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気に入った曲ができたから。 - 2000年10月11日(水)

昨夜の「ワンダフル」のアルバムランキングで、BOOMの「LOVIBE」が10位!(パチパチ)
ただ、曲名と流れたPVがちがってたけどね。流れていたのは「口笛が吹けない」じゃなくてM−1の「I'm in love with you」でした。

というわけで「LOVIBE」について。
前にも書いた気がするけど、今回のアルバムは実にいい感じに肩の力が抜けている。
「いい曲がたくさんできたから、ちょっと聴いてみてください」とでもいうような。
まずジャケットからしてすごくかわいい。
デザインは、MIYAお気に入りの“GOLDEN CHAR”というブランドによるもの。今回のツアーTシャツもここのデザインらしい。
収録曲は全部で10曲。トータルタイムは40分弱。
BOOMのアルバムでは、結構短いほうだ。
タイトルでいちばんのお気に入りは「夏がとまる」。
曲でいちばんのお気に入りは「この広い世界で」。
これはちょっとへこんでるときに聴いたりするとかなりいたい。ぐさぐさくる。
ゆえに今ちょっとやばい。

BOOMの曲は、聴き手に何かしてくれるわけじゃない。
「戦え」とか「頑張れ」とか、
「助けてやる」とか「癒してあげる」とか。
そんなことはめったに言わない。
時に強く、時に静かに「僕等はここに立っている」と言うだけだ。

君が必要だと言うなら力になろう。いらないならば、置いていけばいい。
僕は君のことが大好きだから。

僕等はいつでもここにいる。歌い続ける。

BOOMはただこう言うだけだ。
手を引いてくれるわけじゃない。背中を押してくれるわけじゃない。
ただ、そこにいる。
そして、それが何よりも嬉しくて、何よりも強い力になる。

前回の「No Control」も大好きだけど、今回のもかなりいい。
すごくやさしくて、耳になじむ。
「すっぴん」のBOOMがそこにいるような感じだ。
改めて「BOOMの作るものっていいなあ、好きだなあ」と実感。
このアルバムを、誰かにプレゼントしたくてしょーがない。
あげる相手がどこにもいないのがすごく残念。

…いいよなあ。
こういう音楽を作る人たちがいるのってすごくいいよなあ。





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西暦前進2000年→ - 2000年10月02日(月)

実は先週、後期第1回目の授業を休んでしまった(爆)。
こういう時ひとりってよくないなあと思う。間に合わないなあと思うとどうでも良くなって、そのまままた布団に潜り込んでしまう。それで先週の月曜日は1日中寝ていた。いかんいかん。
というわけで今日は遅刻せずにしっかり授業受けてきました(当たり前だっての)。
2時間目の授業「国文学史」。この教授の話ってやっぱし面白いんだよなあ…とひとりニヤニヤしながら聴く。この人は知識の量とか興味の範囲が半端じゃなく多くて広い。そのぶんしょっちゅう話が脱線するけど、私としてはその脱線した話の方が面白いので全然かまわない。…というかまともにこの人の講義聴いても難しくて分からんのだ。古代文学はむつかしい。
今日も話は文学の発生から放送大学のこと、自分の子供のこと、雑誌「世界」に哲学・ファッション・健康等々、何の授業だっていうぐらい話は飛ぶ飛ぶ。
その中で「持続する」ことの大事さについての話があった。「勉強でも何でもとにかく続けるという志が大事で、そうすればそれは必ず力になる」というような話を聴いて「おう、なるほどな」と思った。
「続ける」と聞いてまず思い出したのは哲学の「善く生きる」ということ。これだって、何がほんとうにいいことなのか考え「続ける」ことだから。
この教授と対等に話せるぐらいに賢くなりたいよなあ…と思う今日この頃。「古事記」のレポート書いとけばよかったな。

さて。
生協に注文しておいた本が届いた。
宮沢和史「詞人から詩人へ」。もう…表紙がすごく綺麗。空の写真みたいなんだけど、色が藍とも紺ともいえるようなほんとに綺麗な色。中身は、朝日新聞で連載されていた「詞から詩へ」をまとめたもので、宮沢が色々な詩を紹介している。おまけに彼自身によるポエトリー・リーディングCD付き。
帰ってからゆっくり読んで、聴いて楽しも。



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