Simple Faith


2004年05月30日(日) オカメインコのザッキー



我が家のベイビー、オカメインコのザッキーです。

大人のオカメインコたちは、みんなあまり慣れていないので、手乗りインコはジョンと私の夢でした。

はなちゃんとリアがつがいになったのを知ったとき、びっくりした反面、これで手乗りインコを飼える!とひそかにわくわくしたのでした。

小さいうちから手乗りになるように育て、その甲斐あってザッキーは、人間ダイスキのインコに成長しました。

しかし、ここで問題が一つ!ザッキーは、片時も人間から離れられないインコになってしまったのです。大人のインコたちから話して一羽でカゴに入れているのですが、寂しいのか、カゴに入れられた途端、底を走り回って大騒ぎ。開けてあげるまで叫び続けます。

そして開けてあげると、飛んで、歩いて、よじ登って私たちの肩の上に乗るのでした。

ザッキーは自分で水を飲みません。ひとり餌になってしばらく経つのに一度も自分で水を飲むのを見たことがなかったので、少し心配になってザッキーの顔に霧吹きの水をかけてみました。

するとのどが渇いていたらしく、くちばしを大きく広げて水を受け、ごくごく飲むのです。渇きがいえるまでくちばしを開き続け、霧吹きの水を懸命に受けるのでした。

それ以来、ザッキーは霧吹きからしか水を飲まなくなってしまいました。のどが渇いている時に霧吹きを見ると、水が出てくる部分に届くように首を伸ばし、「ぎゅー、ぎゅー」と催促するのです。

かごの中の水のみ場に連れて行くのですが、すぐに逃げてしまいます。どうすれば1人で水を飲むようになるのでしょう?

また、ザッキーは自分のカゴの中で餌をほとんど食べません。まだ小さいので種をくわえてもすぐに落としてしまいます。と、思っていたのですが、ある時、大人の鳥たちの鳥かごにたまたま入って行き、そのまま餌場に行って種をもりもり食べ始めたのです。以来、毎日大人の鳥かごに行っては餌を食べています。

なんだか、不思議な鳥になってしまいました。

といっても、かわいくてたまらないのですが…


2004年05月29日(土) チペワ・ネイチャー・センター

今日は安息日!

昼食が終わった後、ジョンはジョセフと一緒にアウトリーチへ。教会の近くの家々にトラクト雑誌を配りに行きました。その間、私は家でアメイジング・ファクツのトラクトを日本語訳していました。

その後、キャンパス・ミニストリーの仲間でチペワ・ネイチャー・センターという公園へ散歩に行きました。駐車場でジョセフに会った途端、ジョセフは「僕は神さまのサムライになりたい!」と言いました。アウトリーチが楽しかったみたいです。それを聞いた私も嬉しかったのでした。

ジョセフはケニヤの出身で、同じケニヤ人の婚約者がトーゴのアドラで働いています。ジョセフ自身はずっとアメリカの大学で勉強していて、彼女とは3年間も会っていないのだそうです。今年中に結婚する計画なのですが、なかなか話がまとまらず、神さまの導きを忍耐強く待っています。



川べりのトレイルをみんなで歩き、川下りを楽しんでいるカモの親子3組や鹿の群れを見つけて、みんなで大はしゃぎしていたのでした。

歩きながら、ジョンが「早く天国に行きたいなあ〜」と何度もつぶやいていました。


2004年05月26日(水) パス・ファインダー・クラブのインベスティチャー(授与式)

今日は文書伝道の日でした。

先週の興奮が冷めやらぬうちに出かけたのですが、今日は前回とは異なり、誰も何も買ってくれませんでした。ジェイに「こういう日もある?」と聞くと、「ああ、勿論あるよ!でも何も売れなかったと思うかもしれないけど、来週の約束を取り付けた家が2軒あるでしょう。こうやって、今日訪ねた家にまた戻って売れるかもしれないし、今日やったことは無駄ではないんだよ」と言ってくれました。

おそい昼食後、2人でがんばって2時間以上歩き続け、足が棒になってしまいました。ジェイもかなり疲れてしまったようで少し早めに切り上げ家に帰りました。

私たちが文伝に出かけている間、ジョンはアイアンとキャリーの家に聖書研究に行きました。本人が言っていた通り、はじめから質問だらけで普段よりずっと長い時間、彼らの家にいたのだそうです。まわりに聖書のこと、神さまのことを話せる人があまりいないらしく、ずっとジョンに話していました。

水曜日は普通祈祷会なのですが、今日はパス・ファインダー・クラブ(キャンプ・登山などの野外活動、縄結びなどの技術活動、ボランティア活動等を通して正しい道を学ぶ少年少女のクラブ)とアドベンチャー・クラブ(低学年)とイーガービーバー・クラブ(就学前)の授与式(任命式?)でした。

アットホームな雰囲気で始まり、子供たちが今年行った活動の感想を発表したりしました。その後、ミシガン教区の青年部長、ミチフ氏がメッセージを話してくれたのですが、これがもう、とってもパワフルだったのです。

以前、コロラドの大自然の中にある学校に勤めていた時、ある夜ミチフ氏は子供たちと一緒に夜道を自宅に向かって歩いていました。その夜は月も出ておらず真っ暗で、一緒に歩いている子供たちの姿も暗やみに隠れて見えず、声が聞こえるだけでした。

その時、ミチフ氏の頭に突然ライオンの姿が浮かびました。はじめアフリカ・ライオンが思い浮かび、「何を考えているんだ、ここにアフリカライオンがいるわけがない」と思いを打ち消すと、次にその地域に生息するマウンテン・ライオンが頭に浮かびました。

ミチフ氏は突然、激しい恐怖に襲われ、子供たちに恐怖を悟られないようにゲームのように走ったり、歌ったりしながら急いで家に帰りました。

そして翌日、出勤したミチフ氏のところに奥さんから電話があり、前夜、近所にマウンテン・ライオンが出没したらしいと教えられました。ミチフ氏はびっくりして、前夜経験したことを奥さんに話しました。

その後も同じライオンが近所に出没し、捕獲することになりました。巨大なケージにわなを仕掛け待ちました。翌日早朝、近所の人からライオンが捕まったと連絡があり、ミチフ氏は子供を連れて見に行きました。

子供を車に残してまず、1人で見に行きました。恐る恐る近づいていくと、ケージの中にいるライオンが物凄い形相でミチフ氏を睨みました。まるで、「もしもこのケージから出ることができたら、お前を今すぐにでも殺してやる」と言っているような形相でした。

突然ライオンがケージの網に猛突進しました。大きな音がして、ケージ全体が大きく揺れました。ライオンが何度も恐ろしい声で叫びました。ミチフ氏は恐怖を感じて車に戻り、子供たちは近づけさせませんでした。

結局ライオンは麻酔銃で眠らされて移送されました。

ミチフ氏はこの経験によって、「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている」というペテロ第一5:8の聖句が本当に真実味をもったものとなったのだそうです。

はじめにライオンの檻に近づいた時はとても怖かったのですが、恐る恐る、少しずつ近づくごとに恐怖感が薄れていったのだそうです。「罪の誘惑もこれと同じです」とミチフ氏は言いました。最初は、罪悪感や恐怖感が伴いますが、一歩踏み出すごとにその感覚は薄れていきます。そしてついには憎しみと怒りに満ちた悪魔の虜となってしまうのです。

ミチフ氏は子供たち、少年少女たちに言いました。「あなたたちは、私たちが経験したよりもはるかに多くの誘惑のある時代に生きています。」そして、親たちに向かって、「お父さん、お母さんがた、あなたたちは自分の子供が何のテレビ・プログラムを見ているか、何の本を読んでいるか、ちゃんと知っていますか?親であるあなたたちが子供を守ってあげなければなりません」と訴えました。また、「子供たちはよく聞くことはできませんが、よく見ることはできます。子供たちは、あなたがたの言うことは、よく聞かないかもしれませんが、することはよく見ています。ですから、あなたがた自身が、クリスチャンとしての模範を行動で示してあげてください」と言いました。

そしてミチフ氏は最後に、悪魔にすでに勝利され、私たちのうちにあって打ち勝ってくださるイエスさまに献身しましょうと呼びかけ、たくさんの子供たち、親たちがそれに応答しました。

子供たちのためのほのぼのとしたイベントを期待して行った私たちは、そのメッセージに打ちのめされ、心を砕かれ帰途に着いたのでした。

本当にパワフルで祝福な夜でした。


2004年05月25日(火) ジャックとジェイ

今日はまた、ジョンと刑務所のジャックの聖書研究でした。
終わった後、ジョンがジャックの様子を話してくれました。ジャックが、「最近気づいたんだけど、僕はいつも悪い言葉を使うんだ。前は全然気づかなかったけど、ここのところ、悪い言葉を使うたびに、その言葉を使ってはいけない、っていう声がするんだ」と話したのだそうです。

ジャックの心に聖霊の神さまが働きかけてくださっているのがよくわかって、ジョンと私は感動してしまったのでした。

その後、ドリスの農園に行きました。ここのところ熱心に聖書を学んでいたジェイが今日はいませんでした。「今日はジェイ、どうしたの?」と聞くと、どうやらジェイも刑務所に入れられたらしいとのことでした。

メキシコ系のジェイは17歳ですが、34歳の妊娠中の彼女がいます。先週の聖書研究の時にはその彼女にふられたと、呆然として涙を流していたのですが、その後彼女に連れ戻され?、また追い出されたのだそうです。ジェイは怒って彼女に暴行しそうになり、警察が来たのだそうです。

でも、本当にどうなったのかを知っている人は誰もいません。ジェイという名前も本名ではなく(本名は難しいのでジェイで通していたらしい)、ドリスもジェイの苗字を知らず、誰も連絡先を知らず、刑務所にいるらしいというのもみんなの憶測です。

はじめての聖書研究の時には、無表情でほとんど話さなかったジェイが、翌週にはたくさん質問をするようになり、聖書に興味を持ち始めた矢先の出来事でした。

いきなりのことに、ジョンも私も呆然としてしまいました。毎週会えるのは当然と思い込んでいましたが、そうではないんだと思い知らされました。

どうか戻ってきてくれますように、戻って来れなくても、ここで聖書を学んだことを思い出して、また学ぶ機会がありますようにと祈るばかりなのでした。


2004年05月21日(金) アイアンとケリー

アイアンとケリーというのは、2日前に聖書物語のセットを買ってくれた夫婦です。

今日、セットのお金をもらいに行くことになっていたので、ジョンを連れて行きました。彼らが聖書に関するたくさんの質問をしていたので、もしかしたら聖書研究ができるかもしれないと思ったからです。

家について、ジョンを紹介し、色々な話をしました。ジョンが家々を訪問して聖書研究をすることを話すと、「それはいい考えだわ」とケリーが言いました。アイアンも、乗り気でした。

亡くなった自分の子どもたちは今どこにいるのか、母親を亡くし、父親が再婚したので、天国ではこの3人の関係はどうなるのかなど、ずっと答えを求めていたようでした。

ケリーが「一回の時間はどれくらい?」と聞くので、ジョンが「40分から1時間くらい」と答えました。するとケリーは、「うちは質問がたくさんあるからきっと2時間ね」と言うのでした。

お祈りしていてください。


2004年05月19日(水) 初めてのセール

今日は一週間ぶりにジェイと一緒に文書伝道に出かけました。

一週間ぶりで、少しドキドキしながらはじめのドアをノックしました。が、日中だったのでほとんどの家は誰もおらず、聖書物語のパンフレットをドアに挟んで次々とドアをノックして行きました。

始めてから間もなく、ある家でパットという女性に会いました。自己紹介をし、パンフレットを見せた途端、「孫たちにどうやって神さまのことを教えたらいいかと祈ってたのよ!神様があなたたちを送ってくださったんだわ!」と言いました。

ジェイは急いで車に戻り、サンプルの本を持って来ました。そして、私は初めて本当のお客さんに聖書物語の説明をしました。ジェイにフォローしてもらいながら説明を終えると、パットは悩んだ末、孫たちのためにベッドタイム・ストーリーズとマイ・バイブル・フレンズ、そして自分のためにバイブル・リファレンス・ライブラリー(人類のあけぼのから大争闘までのシリーズと、バイブル・リーディングス・フォー・ザ・ホームという分厚い聖書Q & Aの本の大人用セット)を買うことに決めたのでした。

パットの孫たちは神さまのことに興味があるのですが、その両親は無神論者であるため、どういう風に神さまのことを伝えようかと考えていたのだそうです。全部で500ドル以上するセットなのに、迷うことなく買ってくれました。

平静を装っていましたが、パットの家を出るとジェイと私の方が興奮していました。ジェイが言いました。「りつこが始めてからすぐにくじけないようにとずっと祈っていたんだよ。神さま、どうかセットが売れますようにって。」

実はジェイの思ったとおり、私はろくに出かけてもいないうちからくじけかけていたのでした。私にはやっぱりむいていないんじゃないかと思ったり、普通の職に就いたほうが安定した収入が得られるんじゃないかと思ったり、神さまが車をくださったにもかかわらず、相変わらず疑って、まるでイスラエルの民のような私だったのでした。

そして今週の初め、私は「神さま、もしも本当に私がこの働きをするのがあなたのみ心なら、どうか今週、セットが売れますように。」と祈っていたのでした。こんなにもあっさりと3セットも売れてしまい、私は嬉しいやら、疑ってしまって申し訳ないやらで、どうしていいかわからなくなってしまったのでした。

でも、これだけではなかったのです。私たちは興奮も冷めやらぬまま、働きに戻りました。すると、何軒目かの家で小さな男の子とそのお母さんに会いました。いつもの通り、自己紹介をすると、そのお母さんは「ここは私の家じゃないのよ」と言いました。「大丈夫ですよ」と言いながらパンフレットを見せると、突然彼女が「あ!あなたたちが誰だか知ってるわ!しばらく前に私の家に来たでしょう!」と言うのです。

彼女の説明を聞いて、ジェイと私で2週間くらい前に行った家のことを思い出しました。彼女のご主人がその両親と一緒にいたので、パンフレットだけ渡して、「また来ます」と言っていたのでした。彼女は、「彼に『彼らはいつ戻ってくるのよ!?』と言ってたのよ」と言いました。

そして夕方、夫婦そろう時間に改めて自宅を訪問しました。再びジェイにフォローしてもらいながら、聖書物語と大人用のセットを紹介しました。ご主人は大人用のセットがほしいようでしたが、結局聖書物語のセットを買ってくれました。

説明を聞きながら、サンプルの本を見て、二人はいろいろな質問をしてきました。過去に2人の子供を亡くしたそうで、死後のこと、天国のことなどいろいろと聞かれ、ジェイが答えていました。とっても素敵な夫婦でした。

ジェイと私は神さまのなさることに感動してしまったのでした。後でジェイがジョンに、「僕は長年、文書伝道をしてきたけど、一日に4セットも売れたのはこれまでたったの1回だけだったんだよ。」と言いました。

私は一日を終えて、疑ってしまったことを神さまに謝り、こんな私を用いてくださったことを感謝し、この働きができるのは私の能力によるのではなく、神さまの力によるんだということを改めて理解したのでした。

「御心ならセットが売れますように」との祈りに、4セットものセールで答えてくださったのでした。


2004年05月18日(火) 刑務所の中のジャック

今日はジョンが刑務所でジャックと聖書研究をする日でした。

刑務所に着き、私は街をぶらぶらして待ちました。時間を見計らって戻ると、少ししてジョンが出てきました。

「どうだった?」と聞くと、「ジャック、イエスさまに従う決心をしたよ!」とジョンは答えました。感情はあまり表に出なかったようですが、ジョンの後に従って、自分でイエスさまを招くお祈りをしたのだそうです。

ここ何週間かで、ジャックはどんどん変っています。同じ部屋の人が見ているテレビがうるさかったのですが、「少し音量を下げてもらえると嬉しいんだけど」と穏やかに言ったのだそうです。以前の自分だったら、怒鳴って首を絞めてたよ、とジョンに言いました。

刑務所の中でも態度がとても良く、責任のある務めを与えられ、しかも入所期間が半減されたのだそうです。

そして、彼女がいるのですが(子供も)、その彼女とちゃんと結婚することにしたのだそうです。ジャックは先週彼女の手紙を書きました。「自分は聖書を勉強している。あなたがどう思うかはわからないけど、僕はずっと聖書を勉強するつもりだ。もしかしたら、将来教会に行くかもしれない、それはわからない。」と書いたのだそうです。

ジョンは、ジャックに「今は教会に行くかどうかというのは考えなくていいから、とにかく聖書の勉強をするといいよ」と言ったそうです。そして、言われるまでもなく、ジャックは毎日聖書を読み、ジョンが渡した聖書講座のレッスンを勉強しているのだそうです。

神さまのなされる一番の奇跡は人の人生が全く変えられてしまうことだ、というのをまた改めて目にすることができ、感謝でいっぱいになったのでした。それと同時に、退所した後のジャックのことをいっそう祈らなければならないな、と感じたのでした。


2004年05月12日(水) イラクの女性兵士とユダヤの4青年

毎日、イラクでのニュースが大きく報道されています。

今日は、イラク人虐待の写真に写っていた女性兵士のインタビューをインターネットのニュースで見ました。彼女は「上官の指示の通りに行った」とインタビューに答えていました。それがあの状況では「正しい」ことだったからです。

私はそれを見て、シャデラク、ミシャク、アベデネゴのことを思い出しました。

普通の状態であれば、彼女は自分の行っていたことが「正しい」とは決して思わないと思います。どう考えても犯罪です。でも、あの極限の状況では、その虐待は「正しい」ことであり、彼女は指示されたとおりに行っただけなのです。

当時のバビロンでの、シャデラク、ミシャク、アベデネゴの周囲の状況もこれに似た状態だったのではないかと思うのです。王が見た夢を、見ていない占い師、博士たちが説明するように強要され、説明できなければ皆殺しにすると脅されました。ダニエルが神さまに教えられていなかったら、本当に皆殺しにされていたことでしょう。まるでフセインの独裁国家です。王の命令が絶対で、王や位の高い人たちに睨まれないよう、皆、細心の注意を払って生活していたのではないかと思います。

バビロンへ捕囚となったユダヤ人たちは、みな汚れた肉や酒を食べたり飲んだりすることや、刻んだ像を拝むことが神さまの命令に背くことであると知っていたはずです。自分の国での普通の状況では、きっとみなきちんと守るよき市民だったことでしょう。

でも、ダニエル書の中で、極限の状態において神さまの戒めを守ったとして名前が挙がっているのは、ダニエルとシャデラク、ミシャク、アベデネゴの4人だけです。残りのユダヤ人は、みな王と同じ食事を摂り、金の像を拝みました。それが、「上官の指示」であり、「正しい」ことだったからなのでしょう。

イラクの女性兵士は、自分の意志で兵士となり、戦争に送られました。ユダヤ人たちは、自分の意志とは関係なく捕囚にされてしまいました。私たちも今はなんだかんだ言って平和な世の中に生きていますが、今の世界情勢を見ても、聖書の預言を見ても、いつか、同じような極限の状態に置かれてしまうかもしれません。

その時、私は女性兵士のようになってしまうのでしょうか?それとも、ダニエルたちのように、どんなプレッシャーがあっても堅く立っていることができるのでしょうか?そもそも、自分はちゃんと神様の御言葉にしたがって善悪の判断ができているのでしょうか?

文書伝道をするために暗記した文章の中に、FBIの研究結果について書かれているところがあります。社会の道徳(善悪)の基準が崩れ、犯罪や暴力などが増加している原因は、テレビ、悪い交友関係、そして家庭での霊的、道徳的訓練の欠如であるとの研究結果です。

FBIはもちろんキリスト教の組織ではありません。でも、家庭での聖書に基づく教育、訓練が犯罪や暴力の少ない社会に貢献していると認めています。

ダニエルたちは、子供の頃から神様の御言葉を教えられ、忠実に守ってきたのでしょう。もしもダニエルが今、イラクに兵士として連れて行かれ、イラク人を虐待するように上官に命令されたとしても、それを「正しい」こととは決して思わず、プレッシャーにも、脅しにも負けず、虐待することはないと思います。

その状況で、神さまの御言葉に堅く立つためには、極限の状況でも、どんなプレッシャーにも惑わされない道徳的な力と、それを実行する強さがなければならないなあと思いました。つまり、状況に惑わされずに善悪を判断する力と、どんな状況にあっても正しいことを行う力です。

そのどちらも自分の中にはないなあと思いました。私にできることは、日々神様の御言葉を学んで、神様の御心をもっと良く知ることと、神さまへの子供のような信仰を日々与えていただくことだなあと思いました。

日々小さなことに忠実であれば、そのような大きなことが起こった時に忠実でいられる力をきっと神様が与えてくださるのではないかと思います。実際、神さまは、そのようにしてダニエル、シャデラク、ミシャク、アベデネゴを支えてくださったのですから。

神さま、私の怠惰と不信仰をお許しください、と強く思ってしまったのでした。


2004年05月11日(火) 神さまからの贈り物

前にも書きましたが、文書伝道を始めました。

現在、家には車が一台しかありませんが、今まではほとんどいつもジョンと一緒に行動していたので、特に不自由を感じませんでした。でも、私が文伝をするために1人で出かけるようになると、どうしても車がもう一台必要になってきます。

家の経済状況では、高価な車を買うことはもちろんできません。ちょうど教会に自分の車を売ろうとしている人がいて、車自体は古いですが、ちゃんと修理してあって調子よく、値段も悪くないので、その人から買うことにしました。Oldsmobile という、車を良く知らない私は聞いたこともないメーカーなのですが、なかなか悪くないようです。

持ち主に買いたいことを伝えたメールを送る時に、「神さま、もしもこの車を買うことがあなたのみ心なら、すべてがスムーズに行きますように。もしそうでないなら、どうかあなたが働いてくださって、この車を買えないようにしてください」と祈りました。

昨日と今日、文書伝道のトレーニングをしてくれるジェイと一緒にでかけました。昨日、家々を回る合間にその車を買おうと思っていることをジェイに話しました。ジェイも、「ああ、あれはいい車だよ」と言ってくれて、その時は、それで話が終わりました。

そしてまた今日ジェイと一緒に働きました。ある家の前を通り過ぎた時、その家の前に停めてあるホンダのシビックが目に留まりました。私の周りのアメリカ人の間ではホンダはいい車としてとても人気があります。実は私もこの車がいいなあと思っていて、インターネットで検索したりしたのですが、新しくて高いものしか見つからず、無理だなあと思っていたのです。

そして何気なくそのシビックを指差して、ジェイに「本当にほしいのは、ホンダのシビックなんだ」と言いました。ジェイがその時何を言ったのかは忘れてしまいましたが、すぐに私たちは他のことを話し始めました。

そうするうちに夜になり、私たちは帰途につきました。車の中でジェイと色々話していたのですが、ジェイが突然「この話、りつことジョンにはしたかな」と話し始めました。そして、ジェイの家の車庫に、息子が置いていったホンダのシビックが眠っていること、古い車で(91')、500ドル相当の修理が必要ですが、それ以外は調子よく、走行距離もこの年代にしてはかなり良く、ホンダならまだまだ十分いけるよ、とのことでした。

私はホンダ、シビックと聞いてとても気になり、「いくらで売ってるの?」と聞きました。するとジェイは、「りつこにだったら、喜んであげるよ」と言うのです。「えっ!?」と絶句していると、「りつこたちにとって祝福になるんだったら、喜んで」と言うのです。私はなんと言っていいかわからず「ジョンに聞いてみる!」と答えました。

後でジェイからジョンにも話してくれて、もちろんジョンも大喜びで、金曜日に2人でジェイの家に見に行くことになったのでした。

その後、親友のかりちゃんに電話してこの事を報告しました。すると彼女は「へぇ〜。神さまが文書伝道で行きなさいって行ってくださったんだねえ」と言いました。その時は「そうだねえ」とだけ答えたのですが、電話を切ってから、彼女の言葉がどんどん重みを増してきたのです。

実は、今朝家々をまわりながら、「本当に私でいいのかなあ。ジョンの方がよっぽどいい文書伝道者だし、私は下手だし、みんなノーって言うし、はりきって文書伝道者になります!と言ったものの、ホントに続くのかなあ」と自信を失いかけていたのです。

神さまは私が弱音を吐いているのをちゃんとご存知で、こうして車を与えて下さり、しかも一番ほしかったホンダのシビックを下さることによって、私の後押しをしてくださり、この道でいいんだよ、私が共にいるのだから自信を持ってこの道を進みなさいと言って下さったのだなあと思いました。

シャワーで汗を流しながら、考えれば考えるほど、神様のお働きの素晴らしさに感動してしまったのでした。

後で、Oldsmobile の持ち主に申し訳ないと思いながらこの話をしたところ、「あなたにとって一番のことが起こったんだから、私も嬉しいわ」と言ってくれ、私はますます嬉しくなってしまったのでした。

神さま、本当にありがとうございます!と言っても言い足りないのでした。


2004年05月08日(土) 一年の終りに…

今日は嬉しいことがありました。

セントラル・ミシガン大学は昨日で学年末テストが終了しました。学生たちは次々と寮から荷物を運び出し、実家に帰って行きました。

ビルも、今日の午後3時までに寮を出なければならず、礼拝には来ましたが、その後、教会員の家で持たれた昼食にも行くことなく、荷物をまとめるために寮に戻りました。

教会でビルと話していた時、昼食はどうするの?と聞きました。一日くらい食べなくても大丈夫、と言うので、じゃあ、さっと私たちの家に寄って冷蔵庫にある残り物を持って行きなよ、と言い、ビルは私たちの家に寄りました。

そしてタッパーに残り物を詰め、パンを付けてあげると、ビルは突然しおらしくなって、「僕、この食べ物をもらうに値しないよ…」と言うのです。ジョンが「何を言ってるんだよ!」と言いました。

そしてタッパーを持って玄関を出ながら、ビルは「ジョンも律子も、今年僕に本当によくしてくれたよ…」と涙声になるのです。ビルは、普段はしんみりとは正反対の性格で、いつも弾丸のように喋る男の子なのです。「私たちだってビルに感謝してるんだよ!」と言うと、ビルはにっこり笑って車に乗りました。

お昼ごはんの後、イヴァとピエールの家に行きました。2人は、カリブ海の国出身のセントラル・ミシガン大学院の学生で、イヴァはSDAの学生です。私たちの来る前の年、2人が一緒に住んでいることが教会の一部で問題としてあがり、牧師たちが彼らと話し合いを持ちました。牧師や教会員たちは、結局は2人が決めることで、2人が一緒に住み続けることにした時点で、それ以上2人に話すことをやめ、教会に来るように励ましたようですが、結局2人は教会や学生のグループにほとんど来なくなってしまいました。

私たちは、ここに来た時2人の名前を聞きましたが、つい最近まで会ったことがありませんでした。数週間前に初めて会い、今回2人とも卒業だというので、カードを持って行ったのです。

行くと2人はリビングルームで聖書研究をしていました。そして私たちも加わり、一緒に学んでそれから色々な話をしました。すると、話せば話すほど、ピエールとジョンの関心事がとてもよく似ていることがわかりました。ピエールとジョンは2人ともとても興奮し、喜びました。

ピエールは卒業して自分の国に帰ることにしているのですが、いろいろ話した後、「あなたたちが、ここにいるというだけで、ここに残りたい気分だよ」と言いました。イヴァも「今まで、安息日の午後にこうやって尋ねてきてくれる人はあまりいなかったんだよ」と言ってくれました。

ビルにしても、イヴァとピエールにしても、私たちにとってはとても意味のあることでした。キャンパスでの働きは、決まった仕事があるわけでなく、短期間で結果が見られるわけでもない、報われにくい働きです。そして、そのために、自分たちの働きがどんな変化をもたらしたんだろうと圧倒されて、落ち込んでしまうことも簡単です。

神様はそれを良くご存知で、この一年の終りに私たちに励ましをくださったんだなあと思いました。神さまは、私たちが高慢になる時には現実を見せてくださり、落ち込んでいる時には励ましてくださり、その時その時の私たちが必要としていることをちゃんとご存知なのだなあと思い、感謝したのでした。



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