Simple Faith


2004年03月31日(水) スティーブとモニカ

毎週水曜日は、学生のビルたちを招いて昼食会をしています。必ず来るのはビルですが、時々ビルがいろいろな友達を連れてきます。今日は、仲のいい友達のスティーブを連れて来てくれました。

スティーブは他の教会に行っていますが、ビルと毎朝お互いを起こして聖書の勉強をしています。おだやかでとても感じの良い男の子です。

今日のお昼は、カシュー・ナッツで作ったチーズもどきクリームのスパゲッティとサラダと蒸し野菜とピーナッツ・バター・クッキーでした。菜食と聞くと、ほとんどの学生はおじけづいて?しまいます。ビルと仲の良いマークは、「菜食なんか食べ物じゃない」と言って、かたくなに来ようとしません(ビルは一所懸命、「そのうち、絶対に気が変るよ!」と彼に言ってるのだそうですが…)。スティーブも前回来てくれた時に、キャロブ・ケーキを「これは興味深い」ととっても複雑な顔をして食べていました。

今日はどうかなと思っていたのですが、どうやらスティーブはカシュー・チーズもどきクリーム・スパゲッティを気に入ってくれたみたいでした。これは、ビルのお気に入りでもあり、ジョンも大好きなメニューです。

食事の後も、和やかな雰囲気でいろいろお喋りをし、2人は帰って行きました。

その後、同じビルのいるラザリヤ寮でテーブルを出しました。聖書研究をしたい人が名前を書ける紙と、無料の書籍と聖書研究のCD−ROMを置いたテーブルです。

他の寮と違って、ラザリヤ寮には知っている人がたくさんいます。ビルの友達や、ビルの聖書研究に来ている学生たちが何人も住んでいるのです。

座っていると、菜食食わず嫌いなマークが通りかかり、「こんなとこで何やってるの!?」と元気に尋ねました。彼はいつも元気いっぱいです。

その後、ビルの聖書研究に毎回来ている、モニカという女の子が通りかかりました。彼女はカトリックなのですが、今まで聖書をほとんどまったく勉強したことがなく、福音の基本的なことも知らなかったのだそうです。ビルとマークが以前、夜遅くまでモニカと聖書の話をし、福音について説明をしたのだそうです。

モニカが私たちを見つけ、「何をしてるの?」と聞きました。書籍やCD−ROMを見て、「わー、すごい」と言って、全部持って行ってくれました。彼女が持って行ったのは、聖書研究CDと、「各時代の希望」の最後の13章をまとめた「パッション」という本と、「各時代の大争闘」です。彼女がいなくなった後、ジョンが「モニカが正しい順番で読む本を選んでくれるようにお祈りしよう。神さまには他の思いがあるかもしれないけど、ぼくの考えだと、いきなり大争闘じゃなくて、パッションを読んで、CDで聖書研究をしてから大争闘を読んでくれたらいいなと思うんだ」と言いました。

他にも何人かの学生が本やCDを持って行ってくれました。

モニカはシャイで静かな子なので、ちゃんと話をしたことがありませんでした。でも、毎週聖書研究に来てくれていたので、私たちの顔を見てテーブルに来てくれました。そうでなければ、立ち止まらずに通り過ぎていたんじゃないかなあと思うのです。そして、置いてあった本を全部持っていってくれました。これまでの経過や、タイミングを考えると、神さまにあって、すべてのことには時があるんだなあと改めて感動したのでした。


2004年03月23日(火) シモン・ペテロの兄弟

毎週火曜日は、ビルの聖書研究に行きます。
ビルの住むラザリア寮の勉強室であって、ビルの友達が多いときは8人くらいやってきます。

今日は、ペテロの兄弟アンデレについての学びでした。

アンデレは兄弟ペテロやパウロのように、聖書の中で目立つ存在ではありません。聖書の中にも数回しかその名前は出てきません。でも、名前が出てくる度に誰かをイエスさまのところに連れてきます。ペテロをイエスさまのもとにはじめに連れて行ったのはアンデレでした。5千人に食べさせるために、少しのパンと魚をもっていた男の子をイエスさまのところに連れてきたのもアンデレでした。

私たちも、ペテロやパウロのように大きなことはできないかもしれませんが、アンデレのように人をイエスさまのところに連れて行くことができます。5千人を食べさせるだけのパンと魚はなくても自分に与えられた少しのものをイエスさまのところに持って行くことができます。

アンデレが連れて行ったペテロは後に大説教者になり、たくさんの人をイエスさまに導きました。アンデレの連れてきた男の子の少しのパンと魚とを、イエスさまは幾倍にもされ、5千人以上の人が満たされました。同じように、私たちがお持ちする少しのものを幾倍にもしてくださるのはイエスさまなのです。

とても励まされる聖書研究でした。


2004年03月20日(土) シェリー

今日の礼拝は音楽礼拝でした。
といってもコワイヤーではなく、歌のとても上手なシェリーという女性が一人でナレーターと歌を担当しました。"Holy City" "We Shall Behold Him" など、私の大好きな歌ばかりで、とても美しかったのです。そしてシェリーは、歌の間に「各時代の大争闘」からの文章を引用して読みました。歌と文章がとても合っていて、感動してしまったのでした。ジョンも後で聞いたら涙をこらえていたのだそうです。

このシェリーは何週間か前にキャンパス・グループで伝道用の雑誌を家々に配って歩いた時に、「私も入れて」と言ってくれて、一緒に行きました。今日はその同じ家々に第2号を配って歩くことにしたのですが、前回一緒に行った大学生たちがいなかったので、ジョンと私だけで行こうとしていたのです。すると、昼食の時にシェリーが来て、「もしもこの間の家々に行くんだったら、私も一緒に行っていい?」と聞きました。私たちはもちろん喜んで一緒に行くことになりました。

約束の時間になってシェリーが6歳の息子と一緒に私たちの家に来ました。そして私はシェリーと、ジョンはシェリーの息子のカーンと一緒に同じ家々を回りました。

その間、シェリーといろいろな話をしました。シェリーは若いときに結婚したのですが、数年前に離婚してしまいました。いろいろあったのですが、14年間忍耐したのだそうです。シェリーは、離婚は神様の御心でないと信じていたので、余計につらい思いをしました。そして、彼女の信仰もくずれて行きました。でも、最近は以前のような信仰生活に戻りたくて、少しずつ生き方が変えられているのだそうです。

シェリーは、私とジョンに、「あなたたちが来てくれて私は本当に嬉しい。同じような視点で話せる人がなかなかいなくて寂しかったんだ」と言ってくれました。私たちも、シェリーに会えてとっても嬉しいのです。

彼女は数ヶ月前に映画を見るのはやめようと決心したのだそうです。ほとんどの映画は神さまに栄光を帰しておらず、たとえいいお話であっても自分を神様に近づけるものではないと確信したのだそうです。でもその少し前に、人からたくさんの子供用のビデオをもらっていました。あまりにたくさんあるので、捨てるのも忍びなく、倉庫にしまっていたのだそうです。でも、シェリーはやっぱり捨てた方がいいだろうか、と悩んで祈っていました。そして、その何日か後、倉庫に行くことがありました。でも、行ってみると何と、水道管か何かが破裂して倉庫が水浸しになっていたのだそうです。あわてて大家さんを呼んで何とか水は止まったのですが、ビデオはすべてだめになっていたのです。シェリーは、「私が勇気を出して捨てる前に、神さまが全部使いものにならなくしてくださったのよ」と笑いながら言いました。

とっても恵まれた安息日となったのでした。


2004年03月19日(金) セントラル・ミシガン・プレグナンシー・サービス

今日は、セントラル・ミシガン・プレグナンシー・サービスという所に面接に行きました。といっても、就職するための面接ではなく、ボランティアをするための面接です。

セントラル・ミシガン・プレグナンシー・サービスとは、予期せず妊娠してしまった女性のためのクライシス・センターです。地域にあるどこかの教会によって運営されていて、訪れるクライエントにキリストの愛をもって接することを方針としています。

ここで提供されるサービスは、無料の妊娠検査、カウンセリング、中絶後症候群のケアなどです。中絶は勧めておらず、中絶できる機関の紹介もしません。でも、クライエントが中絶を選択したとしても、希望があれば精神的にサポートするのだそうです。

ボランティアが決まると、週に一回、受付をしてクライエントに接する練習をします。また、定期的なトレーニングがあります。そしてしばらくして、受付での様子によって、希望があり認められた人にはカウンセラーとしての役割が与えられるのだそうです。スタッフが3人いる以外、受付、カウンセリングなどはほとんどすべて、ボランティアによって成り立っています。

今日は、スタッフのアンナとの面接でした。20代のとても感じの良い女性で、「今日は、わざわざ来てくれてどうもありがとう」と優しく言ってくれました。

スムーズに行けば、来月の初めくらいから週に一回行くことになりそうです。少しでも色々な人にイエスさまのことを伝えることができますようにとお祈りください。


2004年03月15日(月) キャンパス会議とボストンの青年グループ

またしばらくご無沙汰してしまいました。
今日は、月一度開かれるキャンパスの会議のためにアナーバーに行きました。

会議は、いつもの通りピピン先生による聖書研究で始まり、その後それぞれのキャンパスの近況を報告しあいました。

その中で、ミシガン大学を卒業したファビエ(正式にはファビアイェ)という男性の話になりました。ファビエは、大学在学中にナイジェリア出身のお父さんに導かれてクリスチャンになりました。そして、その直後からキャンパス・グループでとても積極的に活動し、リーダーにもなりました。続けてミシガン大学の大学院に進み、その間も活動を続け、昨年だったか卒業して働き始めたのです。

そのファビエがピピン先生のところに相談に来ました。彼は仕事を始めたけれども、神さまのための直接の働きがしたいと強く思うようになったのだそうです。彼は今、キャンパス・グループを始めるという理由のためだけに、別の大学に入学し(夜間か何かと思うのですが)、勉強しながら伝道しているのだそうです。

また、近いうちにマサチューセッツ州ボストンから何人かの青年がピピン先生のところに相談に来るのだそうです。私もそのうちの何人かを知っていますが、彼らもボストンの公立大学に在学中、その地域の青年グループでピピン先生をゲスト・スピーカーに招いて修養会を開きました。キャンパス・ネットワークの一グループです。

そんな遠くからわざわざピピン先生に会いに来るのは、彼らの考えている事業について相談するためです。彼らは高校を設立しようと計画しているのですが、その目的は、生徒たちがいろいろな大学に行く前にその信仰を養い、大学での期間を宣教師として活動する備えをさせることなのだそうです。

私はそれを聞いて、うーんと唸ってしまいました。彼らのうちの何人かはGYC(「青年総会」参照。クリックしてください。)にも積極的に関わっています。とても優秀な青年たちです。神さまの力によって、彼らが素晴らしい学校を設立している様子が目に浮かぶのです。

なんというビジョンだろうと思いました。でも確かにすじが通っています。大学という時期はとても重要な時期です。エネルギーにあふれていて、実行力があります。でも現在の状況では、高校生を伝道のために訓練し備えさせる場所は自給伝道の小さな輪くらいしかありません。そして、自給伝道の高校を卒業した学生が公立大学に進むことはめったにありません。

その話を少し聞いただけで、わくわくしてしまいました。神さまは確実に青年をお立てになっていると確信したのでした。


2004年03月07日(日) 4羽目の誕生と神さまの愛

昨日は夜遅くなったので、今日アナーバーから帰ってきました。

鳥たちのえさがぎりぎりだったので少し心配だったのですが、案の定帰ってくるとみんなおなかをすかせて大騒ぎで、可哀想なことをしてしまいました。

4つの卵のうち3つが孵化し、小さなヒナたちが固まって温めあっている横にもう一つの卵がありました。ジョンが、「この卵、なんだかひび割れてきてるよ!」と言い、その卵の上にヒナ用のえさをうっすらとかけているのです。「うーん、雛がかえったとしても、湿ったえさじゃないと食べないと思うよ」と私は思ったのですが…

それから30分もしないうちに、ジョンがまた巣箱を覗き、「4羽目が孵ったよ!!」と叫びました。急いで覗いてみると、卵から出たばかりで体が濡れたままの小さなひながよろよろ動いているのでした。たった5日前に生まれた最初のヒナの半分くらいの大きさしかありません。「全部生れた〜!!」と2人で感動してしまったのでした。

しばらくして母親鳥が巣箱に入ってきて、最初にこのちび鳥を自分の下につれてきました。他のヒナたちも、目が見えないのに一所懸命母親のもとに寄ってきました。母親はちび鳥に最初にえさをあげていました。

その後、またしばらくして巣箱を覗いてみると、親鳥が両方とも巣箱から出ていたので、4羽のヒナたちが固まって温めあっていました。良く見ると、後に生れた2羽が真ん中にいて、その周りを先に生れたヒナたちが覆っているのでした。「ちっちゃい子達が真ん中にいるよ!」というとジョンは、「本当だ!ほらね、これが神様の愛なんだよ」と言いました。「さっきはリア(母鳥)がちび鳥に一番にえさをあげてたよ」と言うと、ジョンは、「それが神さまのやり方なんだよ。進化論者は種の保存とか言って、弱いものから淘汰されるなんて言うけれど、本当は彼らは弱いものを一番に守ろうとするんだよ」と言いました。

こんな小さな生き物にも神様の愛が染みとおっているんだなあと、鳥たちを見ながら感動してしまったのでした。


2004年03月06日(土) アナーバーでの安息日

昨日の夕方から、ミシガン大学のあるアナーバーに来ています。
昨日と今日、ジョンがキャンパス教会で説教をするためです。

ジョンは、昨日の夕方のメッセージを、急遽変更しなければなりませんでした。求道者向けのメッセージを用意していたのに、実は信者ばかりであると直前にわかったからです。ジョンは、十分な準備ができず、私はそのメッセージをいいと思ったのですが、ジョンは「とてもひどかった!」と悔やんでいるのです。

そういうわけで今日、私までとっても緊張してしまったのです。朝からずっと「ジョンの説教がうまくいきますように」「聖霊が語ってくださいますように」と祈り続けました。でも、祈りながら、とても居心地が悪いのです。なぜだろうと考えるうちに、自分のそう祈っている動機がとても自己中心的なものであることに気がつきました。「ジョンがみんなに尊敬されてほしい」「そうすれば、私の顔も立つ」などと心の隅で考えているのです。

それに気づいて、私は「神さまごめんなさい!どうか私の動機を清めてください」と祈りました。でもなんだかすっかり混乱してしまっていて、どう祈っていいのかわからなくなってしまい、「ごめんなさい、助けて」をくり返していました。

その状態が、礼拝の始まる直前まで続き、私の心はざわざわと騒いでいました。その時、私たちの結婚式のために日本にまで来てくれたアリスちゃんが、礼拝の始まりの詩篇を読みました(何と言うのか忘れてしまいました)。私は騒ぐ心で祈りながら何気なく聞いていたのですが、突然"Glory ye in his holy name" という聖句がはっきりと聞こえたのです。(日本語の聖書では「その聖なるみ名を誇れ」と訳されていますが、直訳すると「その聖なるみ名に栄光を帰せよ」という意味です)。私はそれを聞いて、「あ!そうだ!そう祈ればいいんだ!」とひらめきました(?)。そして、「神さま、どうかジョンのお説教を通してあなたのみ名があがめられますように」と祈り始めました。すると、それまで騒いでいた心がすっかり平安に満たされたのでした。そしてまた、自分のことを思っていると心に平安はなく、神さまのことを思っていると心は平安に満たされるのだなあと気づかされたのでした。

後から聞いたところによると、ジョンはピピン先生がいることにとっても緊張してしまったらしく、先週のマウント・プレザント教会でのような迫力がありませんでした。そして、また"Terrible!!"と悔いていました。でも、私はとってもよかったなあと思ったのです。「語られたのは神様の御言葉なんだから、自分の出来がどうこうじゃないんだよ」と言うと、ジョンも「そうだよね」と納得していました。

ミシガン大学のキャンパス・グループはお昼ご飯が終わった後、みんなアウトリーチに出かけます。今日のアウトリーチは老人ホームで歌を歌うことと、病院で歌を歌うことでした。私たちは老人ホームには何度も行っているので、病院に行くことにしました。

病院組みは全部で12〜3人くらいだったので2グループに分かれてミシガン大学病院の病棟を回りました。病室で2曲くらい賛美歌を歌った後、お祈りして、「キリストへの道」を渡しました。ある女性は、「何週間か前、自分のことが可哀想になってしまい、このままでは落胆してしまいます、どうか励ましを送ってくださいとお祈りしていたの。そうしたら、祈り終わった途端にあなたたちの歌声が聞こえてきたのよ」と証してくれました。彼女は、みんなで祈り終わった後、涙をぼろぼろと流して泣いていました。

こうして、祝福された安息日は終りました。みんなでまた集まり(30人くらい)サンセット礼拝をし、終わった後も、みんなずっと残って話をしています。毎週、こうして朝から夜遅くまでみんな一緒にいるのです。

私たちが今住んでいるマウント・プレザントも大好きなのですが、みんなのいるアナーバーもやっぱり恋しいな、と思ってしまったのでした。


2004年03月04日(木) 消えた(?)ジャーメインとイエスさまの愛

今日は悲しいことがありました。
なんだか、ジャーメインに避けられているようなのです。

先週の木曜日にジョギングの話になった時、ジャーメインが「そうだよ。絶対行こうよ」と言っていたので、日曜日、ジョンは彼に電話をしました。すると寝ぼけた声でジャーメインが答え、「あと15分後に来て」と言いました。そして、5分遅れてジョンがジャーメインの部屋に行くと、なぜか彼はいませんでした。

今日、家での聖書研究のために電話をすると、ジャーメインは「来るよ」と言うので、ジョンは「6時50分頃に迎えに行くよ」と言いました。でも、その時間に行ってみると、また彼はいませんでした。

普通なら、この時点で脈がないなと思い、深追いはしないのですが、ジャーメインの場合、先週まで私たちの家に来ることや聖書を勉強することをあんなに喜んでいたので、どうにも腑に落ちず、聖書研究が終わった後、また、今度は私が電話をしてみることにしました。すると、最初ジャーメインらしき人が答えたかと思うと、妙な沈黙が続き、その後ルームメイトらしき人が出て、「ジャーメインは今いないよ」と言うのでした。

これはあまりに決定的で、私はかなりショックを受けてしまいました。「ノーと言えない人で、嬉しそうな顔をしていたけど、本当は嫌だったんだろうか」とか、「誰かが彼にセブンスデー・アドベンチストは土曜日に教会に行く怪しい教派だとかなんとか言ったんだろうか」(こういうことはよくあるので)とか、「いきなり週に2つの聖句を暗記するなんて、ついていけないとでも思ったんだろうか」などなど、色々な思いが頭の中を駆け巡りました。ジョンは、そんな私を見て、「こういうこともあるよ。落ち込んだらだめだよ」と言いました。でもやっぱり色々考えて滅入ってしまうのでした。

寝床に入ってもジャーメインのことが頭から離れませんでした。こんな風に避けたりしないで、「もう行かない」とひとこと言ってくれた方がどんなに気分がいいだろうと思ったり、こういう働きをしているから、こんな扱われ方をすることがよくあるんだと卑屈になったり、終いには、伝道の働きではなくて、普通の職についていた方が人から尊重されるのに、と心の中で愚痴ってみたり、気を取り直そうとしても、なかなか吹っ切れないのでした。

祈ったり、考えたりをくり返していた時、ふと、文書伝道のプログラムで誰かが「拒絶されても、相手は私たちではなく、イエスさまを拒絶してるんだ」と言ったのを思い出しました。そして、「そうだ、ジャーメインも私たちではなく、イエスさまを避けているんだ」と考えました。すると、イエスさまが、ご自分を拒絶した人々をどれほど愛しておられたかということが頭に浮かびました。

私はその思いに圧倒されてしまいました。イエスさまは人々を愛し、慰め、励まし、いやし、ゆるされたのに、その愛する人々に裏切られ、否定され、殺されてしまわれたのです。私は、少しジャーメインに避けられたからといって、伝道の働きは大変だなんて愚痴っていますが、イエスさまはとっくの昔にすべてを投げ出して天国に帰ることもおできになったのです。でも、そうはなさいませんでした。イエスさまは、「自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍」ばれたのです。その喜びというのは、ご自分の犠牲によって私たちが救われることの喜びだったのだと思います。なんという愛でしょうか。

きっとイエスさまは、ジャーメインに同じことをされても、彼の弱さを思いやり、愛されるんだろうなと思いました。私も、自分にされたことを思うのではなく、ジャーメインのことを祈り、愛せばいいんだな、と思いました。すると、それまであんなに滅入っていた心がすーっと静まり、平安に満たされたのです。

そして、神さま、大切なことを教えてくださってありがとうございました、と感謝したのでした。


2004年03月02日(火) 初めての赤ちゃん

はなちゃんとリアの赤ちゃんが生れました!

なかなか卵がかえらなかったので心配していたのですが、今日、巣箱の中から聞き慣れないか細い声が聞こえるので覗いてみたら、親指くらいのクリーム色の物体?がもそもそと動いていたのでした!

「赤ちゃんがいる!!」と叫ぶと、ジョンの目が飛び出しそうに大きくなり、巣箱に飛んで行って2人でまた覗いてみました。すると、小さな赤ちゃんがもそもそと動いて、鳴きながらはなちゃんを探していたのでした。そして、無事、はなちゃんの下に隠れると安心して鳴くのをやめたのでした。



赤ちゃんの顔。



赤ちゃんのお尻。



ちこねび |EmailHome