Simple Faith


2004年02月28日(土) 青年礼拝とアウトリーチ

今日の安息日礼拝は、大学生による青年礼拝でした。
私たちのいるマウント・プレザントから30分〜1時間半くらいの範囲に、いくつかの大学があります。そして、月に一度、それらの大学の学生たちが集まって、地域の教会で青年礼拝をするのです。といっても、いくつかの大学を合わせても、10人いるか、いないかぐらいの人数なのですが…

今月は、マウント・プレザント教会での奉仕でした。
昨日の夕方、もうひとりのミッショナリーのリックから電話があり、証をするはずだった学生の一人が病気になって、もうひとりの学生も来れないかもしれないという連絡がありました。本当は、この2人が証をして、ジョンが締めの簡単なメッセージを話すはずだったのですが、もしかしたら、お説教の時間がジョン一人だけになってしまうかもしれないとのことでした。もしそうなったら、前に他の教会で説教したメッセージを話すよ、とジョンは言いました。

今朝、ジョンは4時くらいに目が覚めたらしく、ごそごそと起き出して勉強していました。後で聞いたら、神様に与えられて、新しい説教を用意していたのだそうです。

朝、またリックから連絡があり、証をするはずだった学生たちはやはり来れないとのことでした。でもその時、ジョンはメッセージを与えられていたので、すっかり安心していました。

礼拝説教は、終りの時の証し人についてでした。
まず、証しをするとはどういうことかを聖書から説明し、使徒行伝の中から使徒たちがどのように証しをしたかを説明し、最後に黙示録から終りの時の証しについて説明しました。身内が言うのもなんですが、とてもストレートでパワフルなメッセージでした。

礼拝が終わった後、長老の一人が来て、「あんな風にストレートに語ってくれてとっても嬉しいよ。自分も説教をするときはストレートに語るようにしているんだ」と励ましてくれました。

午後にはアウトリーチを計画しました。
私たちの家の周りの家々を戸別訪問して、ミシガン教区が作った伝道用の「アワー・タイムズ」という冊子(薄い雑誌サイズ)を配って回ったのです。私たちと学生たちと教会員の9人で、二人ずつの組になって家々をノックして歩きました。ほとんどの人がとてもいい人で、1時間という短い時間にもかかわらず、27人の人が雑誌を受け取り、2週間に1回冊子を受けてもいいと言ってくれました。

この冊子は全部で13部あって、第1号は家族について、第2号はBSEや健康についての特集で、その他にも簡単な聖書の学びのコーナーがあったり、レシピが載っていたりします。そして、第3号、第4号と進むにつれ、「恵み」「死んだ人と話ができるか」「天国」などの聖書の教えが特集されていて、わかりやすく説明されています。そして、戸別訪問をする人のために、第1号から、第13号まで、毎回何を言えばよいかが書いてある紙があって、初めての人でも、玄関先で書いてあるとおりに言えばいいのです。

私とペアを組んだジョセフは、最初は少し緊張気味でしたが、何人かの人と会ううちに味を占めたようで、「あそこも行こう、ここも行こう」という感じで率先していっていました。

別の大学の学生の一人、ザンビア出身のエヴィソンは、アメリカに来る前は文書伝道をしていたのだそうです。でも、ザンビアでは、家々を訪ねていくと、どこに行っても歓迎されて、家の中に通されるのだそうです。だから、「アメリカは全然違う。ここだとどうすれば一番効果的かなんて色々と考えないといけないけれど、アフリカだったら、ただ行けばいいんだよ。」また「アメリカには色々な資料や雑誌などの道具があるけど、アフリカにはそんなにたくさんないんだよ。でもその分、直接相手と色々な話や聖書の勉強ができるから、とっても勉強になるんだ。」と言っていました。

彼は去年、モルモン教の宣教師と勉強していた時に、彼らの置いていったモルモン教の本を何と一晩で読んでしまったのだそうです。そして、矛盾しているところにアンダーラインを引いて、翌日来た宣教師たちに、彼らの本からその矛盾を示したのだそうです。宣教師たちは、「どうやって読んだんだ!?」とそればかり聞いていたそうです。

アウトリーチから帰ってきて、証し会をした後、みんなで夕食を食べたのでした。

とっても充実した安息日でした。


2004年02月26日(木) 夏の文書伝道と聖書研究会

昨日の夜、留守電に私の以前の上司で、ジョンが卒業した学校のディレクターであるユージーンからメッセージが入っていました。「今年の夏、文書伝道プログラムのリーダーをしてくれないか」ということでした。

今日になって、ジョンがユージーンに電話をかけ直しました。ウェスト・バージニアに8人くらいの小さなグループを送ろうと思っていて、ジョンと私にそのグループのリーダーになってほしいとのことなのだそうです。ジョンは、文伝の経験がたくさんあって、リーダーにも何度もなったことがあるので、やる気満々です。ウェスト・バージニアという場所も、文伝者にとってはとても働きやすい地域なのだそうです。でも、私は文伝のプログラムに一度参加しただけで、もちろんリーダーの経験などありません。どちらかと言えば、みんなのご飯を作ってるほうがいいなあと思ったり、でも、神さまが何かを教えようとしておられるのかもしれないと思ったり、とても複雑な気分になってしまいました。お祈りが必要です。


今日は、木曜日。私たちの家で聖書研究会をする日です。

昨日、キップと聖書研究をする予定だったのですが、彼の都合が悪くなり、代わりに今日のグループに来ることになりました。

午前中、ジョンはテーブルで会った何人かの人に電話をかけて、今日のことを確認しました。来れない人もいましたが、その中の一人、シャーリーンは、ジョンから連絡があったことをとても喜んでくれました。そして、テーブルで私たちに会ったことを、その夜ご主人に話したのだと教えてくれました。彼女が私たちと色々と話した内容をご主人に話すと、ご主人も興味を持って、もっと知りたいと言ったのだそうです。そして、今日のグループの聖書研究会には来れないけれど、来週の月曜日に彼女のアパートで個人的に聖書研究をすることになったのです。

今日の参加者は、ビル、ジャーメイン、キップでした。
まず、みんなで歌を一曲歌って始めます。

讃美歌を歌う













(左から、ジャーメイン、キップ、ジョン)

そして、その後、みんなで暗唱した聖句を読みあいました。嬉しいことに、ジャーメインも、キップもちゃんと覚えて来てくれたのでした。
暗唱聖句













(二人ずつ組になって聖句を暗唱しあいました。)


ジャーメインは、バイブル・クラスに行こうよ、と友達を誘ったのだそうです。でも、友達はあまり興味がないらしく、かえってからかわれてしまったのだそうです。でも、ジャーメインは、「僕も以前はそうだったから、彼らの気持ちがよくわかるんだ。でも、僕は今、神様のことをもっと知りたくて、この前テーブルの前を通ったときも、立ち止まらずにはいられなかったんだよ。だから、僕の友達も、今は興味はないかもしれないけれど、いつか変わるかもしれない。だから僕は、機会があるたびに神さまのことを話して行こうと思うんだ」と言いました。

グループでの聖書研究が終わり、ビルとジャーメインが帰った後、キップと個人的な聖書研究をすることになりました。今日は再臨について学びました。終わった後、キップは「僕は、再臨という言葉が大好きなんだ。再臨について読むたびに感動してしまうんだよ。だから、もっと黙示録を勉強したいと思う。」と言いました。

キップは、8時半にグループの学びが終わった時には、「あと30分くらいなら…」と言っていました。でも一旦勉強し始めると、ジョンが時間を気にするたびに「まだ、大丈夫」「あと15分くらい大丈夫」とくり返し、結局終わった時には10時前になっていたのでした。キップは、「ここに3時間いたよ」と笑いながら言って、帰っていきました。

神さまのなさることは、本当に素晴らしい、と思ったのでした。


2004年02月24日(火) タワーズとゼカリヤ4:6

先週に引き続き、今週も寮にテーブルをおいています。

キャンパスのすぐ横に、「タワーズ」と呼ばれる巨大な寮があります。タワーのような高い(といっても10階建てくらいですが)建物が、7〜8棟ほど円形に並んでいて、その中心のところでつながっているのです。先週はその中の「キャンベル」という建物、今週は「ケスラー」という建物のロビーにテーブルを出しています。「ケスラー」は、キャンパスに面しているので、「タワーズ」に住む学生は、みんなこの建物を通って自分の部屋に行きます。「タワーズ」の中で一番交通量の多い建物なのです。

昨日、テーブルを出していると、それがわかりました。先週よりもはるかに多くの学生が通り過ぎ、テーブルにももっと多くの人が立ち寄りました。数人が聖書研究を希望したり、本やトラクトを持っていきました。でも、不思議なことに、一人の職員を除いて、みんな男子学生でした。

セントラル・ミシガン大学に来て以来、男性パワーに圧倒されています(いい意味で)。今まで、どこに行っても大抵、どちらかというと女性の方が活動的だったり、人数も多かったりしたからです。でも、ここでは活発なSDAの学生がビル一人ということもあって、ビルが連れてくる友達も男性がほとんどです。だから、どのミーティングに行っても大抵男性ばかりで、そのためマイラは来てもつまらないのだ、と言っていました。

今朝、ジョンと2人で祈ったとき、ジョンが「神さま、今日はどうか女子学生を連れてきてください。彼女たち自身のためでもありますが、マイラのためにも女性を連れてきてください」と祈りました。そして、「神さま、どうかジャーメインが今日テーブルの前を通り過ぎてくれますように、どうかあなたがお導きください」と祈りました。

この間の日曜日、ジョンはジャーメインと一緒にジョギングをする約束をしていたのですが、約束の時間に行ってみると、彼はいませんでした。私も何回か電話してみましたが、いつもいないか、寝ているかのどちらかでした。バイブル・ワークの仕事をしていると、話したり、一緒に勉強している時にはとっても心が動かされているように見えるのに、次に行ったらいなかったり、やっぱりやめた、と言ったりする人に時々出会います。それも働きの一部なのでしょうが、こういう経験を何度か重ねると、少し連絡が取れなくても、「もしかして」と思ってしまうのです。

寮で一番人通りの多い時間は、夕食時間の4時から6時です。私たちもその時間を狙ってテーブルを出します。聖書研究を希望する人が名前を書くことのできる紙と、無料の本、トラクトをテーブルの上において座ります。私たちは積極的に声をかけて回らず、通りかかった人が興味深そうにテーブルをながめている時に声をかけます。

4時をすぎて、人通りがどんどん多くなりました。しばらくして、ふと顔を上げると満面の笑顔がありました。見ると、ジャーメインでした。彼は私たちを見つけて、とっても嬉しそうな顔をしてやって来て、ジョンをぎゅーっと抱きしめました。私たちも、とっても嬉しかったのです。ジョンが、「日曜日に部屋に行ったんだよ」と言うと、「そうなんだよ。実はとってもおなかが減って、ご飯を食べに行ってたんだ。あとで電話をしてくれてたら、部屋にいたんだけど。あの時は、食べなきゃいられない状態だったんだ」と申し訳なさそうに言いました。その後少し立ち話をし、木曜日の聖書研究の話になりました。この聖書研究では毎週みんなで聖句を二つずつ暗唱しています。いきなりで大変かな、と思い、私はジャーメインに「聖句を暗記してなくても、大目に見てあげるよ」と冗談めかして言いました。すると、ジャーメインは「僕、覚えようとちょっとがんばってるんだよ」とはにかんで言いました。ジャーメインが立ち去った後、ジョンと顔を見合わせて、喜んだのでした。

その後少しして、テーブルの前に女子学生が立っていました。そして、「これは何の活動?」と聞きました。ジョンが私たちのやっていることを説明すると、彼女は自分はバプテストで、日曜日と水曜日に教会に行っていると言いました。シャーリーンという名前で、多分20代後半か、30代前半で、結婚しているそうです。色々話しているうちに聖書の話になりました。ジョンが、「時々、キリストを信じなければ地獄に落ちるという説教を聞くけど、僕たちが神様に仕えるのは恐れからでなく、愛からのはずなんだ」というようなことを言うと、彼女は、「そうなのよ!!私たちは、そう言われて育ってきたんだけど、それはちょっとおかしいと思ってたの!!」と熱くなりました。以前にもバプテストからSDAになった女の子が同じことを言ったのを覚えています。そこから話が広がり、彼女はずっとわからなかったという聖書に関する質問を次から次へとぶつけてきました。ジョンが聖句を引用してそれに答えると、全部、紙に書き留めていました。私は2人が話している間、何度も心の中で「聖霊の神さまがこの会話を導いてくださいますように」と祈りました。彼女はテーブルの上に置いてある本やトラクトを、「全部欲しい」と言って、胸に抱えました。その後もずっと話し込み、結局1時間近く彼女はテーブルのところにいました。

その終わり頃に、髪の毛が緑色で、ピアスを色々なところにつけたパンク系の男の子が通り過ぎました。テーブルのサインを見て立ち止まり、「これは何?」と言って「各時代の大争闘」を指差しました。ジョンが本の内容を説明すると、シャーリーンが横から、「とってもいいわよ!」と彼に言いました。彼は、「この本に興味があるよ。もらってもいいの?」と言って持っていきました。

シャーリーンに、「今度、一緒に聖書を勉強しようよ」と言うと、「うん、するする!必ず連絡してね!」と言って立ち去りました。彼女が去った後、ジョンと2人で顔を見合わせ、"Praise the Lord!!" と言ったのでした。

テーブルを片付ける少し前に、ラロンという男の子が立ち寄りました。「共に交われる場所を探してたんだ」と言って、聖書研究のために名前を書きました。

時間になってテーブルを片付けながら、ジョンと2人で神さまを賛美しました。数週間前に、ジェリコ・ウォークといってキャンパスの周りを歩く行事がありましたが、私は今日のテーブルこそエリコだなあと思ってしまいました。私たちは、人を追い回す?こともせず、ただ座っていただけです。でも神さまがいろいろな人、求めている人を連れてきてくださいました。ゼカリヤ書4:6に、「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」とありますが、このテーブル伝道で、この働きは私たちの力や能力によるのでなく、神の御霊によってなされるのだということが本当によくわかったのでした。

もっと、もっと御霊を求めて祈ろうと思ったのでした。


2004年02月23日(月) 新しい掲示板

掲示板を新しいものに変えてみました。

http://www3.rocketbbs.com/603/Chibikoa.html

に行ってみてください。

ホームページのトップページを変更しようと思ったのですが、
サーバーの問題で、更新することができません。
あと、2、3日中にはできるみたいですが…
待ちきれなかったので、ここに書いてみました。


2004年02月22日(日) キップ復活

今日は、久しぶりにもう一人のミッショナリーのリックとのミーティングをしました。リックはマウント・プレザントから30分から1時間くらいのところにある大学や専門学校を拠点にして働いています。

それが終わった後、ジョンはジャーメインと一緒にジョギングをしてくる、と言って出ていきました。そしてしばらく帰ってこないだろう、と思っていたら、30分もしないうちに戻ってきました。窓から外を見ると、ジョンが運転するバンの後ろに車が一台付いて来ていました。

「誰だろう?ジャーメインかな?それにしては背が低いしがっしりしてるな??」と思ってよく見てみると、それは何とキップでした。

どうやらジョンは、ジャーメインのところに行ったのですが留守だったらしく、そのままキップの家に行ってみたらしいのです。そして、この一週間ずっと音沙汰のなかったキップをやっとつかまえることができたのでした。

「ずっと、ものすごく忙しかったんだ。今だって、寝てるところをつかまえられちゃったんだ」とキップは笑いながら言いました。

来ることができなかった聖書研究の2回分のプリントを取りに来たのだそうです。そして、本当は一対一の聖書研究を月曜日にして、木曜日のグループの聖書研究にも来たいと言っていたのですが、今度からは水曜日が一番都合がいいと、キップは言いました。それで、ジョンが「月曜日にするはずだった方と、木曜日にするはずだったのと、どっちの方がいい?」と聞きました。するとキップは、「うーん、どっちともやってもいい?」と即座に答えました。そして週に2回分の研究を一回でやることになったのでした。

その後しばらく、ケニヤの話や他の色々な話をしてキップは帰っていきました。

ジョンは、「一人の人と2時間ぶっ続けで聖書研究をするなんてはじめてだよ!」と嬉しそうに言いました。そして、「キップとまた話ができて本当に良かったよ。きっと事故に遭ったかなんかに違いないと思ってたんだ」と言うので、そんなあ、と笑うと、「冗談なんかじゃないよ!あんな風に聖書を勉強したいって強く思ったら、サタンがすごく怒るんだよ。そうしたら、事故を起しても不思議でもなんでもないよ!」と言いました。確かにその通りだなあと思ったのでした。

キップが無事だったこと、変わらず聖書を勉強したいと思っていたことを心から感謝したのでした。


2004年02月21日(土) グレイト・レイク高校の伝道計画とマイラ

今日は安息日で、マウント・プレザント教会にいきました。

礼拝説教は、マウント・プレザントから30分くらいのところにある、シーダー・レイク教会のマロリー牧師でした。シーダー・レイク教会は、すぐそばにあるグレイト・レイク・アカデミー(高校)の教会です。今年の夏から秋にかけて、そこの高校生たちがマウント・プレザントにやってきて、セントラル・ミシガン大学を中心に文書伝道と、伝道講演会(メッセージも高校生)をするという計画があるのですが、マロリー牧師は、そのための顔合わせもかねてやって来たのです。

私は、そんな風にとっても積極的に伝道活動をするのは自給伝道の学校だけだと思い込んでいたので、その計画について聞いたときはとっても感動してしまったのでした。牧師夫人のミセス・マロリーも普段から生徒たちを連れて、戸別訪問(ドア・トゥ・ドア)をしたり、聖書研究に出かけたりしているのだそうです。

その計画には、ジョンも関わっているので、午後マロリー牧師とのミーティングに参加しました。その間私は待っていたのですが、そのおかけでセントラル・ミシガン大学の学生のマイラと色々なことを話すことができました。

マイラは、マダガスカル生まれで、ミシガン大学のあるアナーバー育ちです。私もアナーバーにいたので、マイラが高校生の時から知っていたのですが、とっても静かな子で、あまり話す機会がなかったのでそれほど良くは知りませんでした。褐色の肌の、とってもきれいな子です。

ここにいても、マイラは大人しいので、お喋りなビルなどは「あんなに内向的な人はいない」と何度も繰り返しています(でも、ビルがあまりに喋るので、マイラが話せないというのもあるのですが)。そして、べスパーにも数えるほどしか来ないので、あまり活発ともいえません。

そのマイラとひょんなことから色々と話をすることができました。マイラはビルのように、積極的に友達に神様や聖書の話をすることはありません。でも、マイラのルームメイトたちはマイラがお酒を飲まないこと、金曜日の夜にどこにも行かないことを知っています。そして寝る前にはみんなでお祈りするのだそうです。マイラがいない時には、誰もお祈りしません。「みんな私が他の人とどこか違うということを知ってるのよ」とマイラは言いました。マイラは静かにイエスさまの使者として働いていたのでした。

宗教に対して反抗的になっていて、友達と同じことをしたいと思ったこともあったのだと話してくれました。親から「これはだめ、あれはだめ」と言われていた時は、自分がSDAであることが嫌で仕方がなかったのだそうです。でも、ある時マイラのお母さんが、「私はあなたのしていることを嬉しく思わないけれど、何を選ぶのもあなたの自由だから。でも、私はいつもあなたのことを祈っているわよ」と言ったのだそうです。それからお母さんは、マイラのすることに口を出さず、ただ「あなたのこと、いつもお祈りしてるから」と言うようになったのだそうです。すると、マイラは反抗的にしていたこと(金曜日の夜に出かけたり、お化粧をしたり…)をそれほどしたいと思わなくなってしまったのだそうです。

私は、マイラの考えていることを聞くことができて、とっても嬉しくなりました。そして、ジョンにそのことを話すと、ジョンもとっても喜んだのでした。


2004年02月19日(木) ジャーメインと消えたキップ

今日は、私たちの家での家庭集会の日でした。
ジョンは聖書研究の準備をし、私はみんなで食べる夕食を準備しました。

昨日も同じ寮に行き、テーブルを出しました。すると、おととい会ったジャーメインがまた通りかかり、また話しかけてきました。ジョンが今日の家庭集会にまた誘うと、「うん、行くよ。じゃあ、また明日」と答えました。

ジョンが午後ジャーメインに電話をすることになっていたので、教えられた番号に電話をしました。でも、誰も電話に出ませんでした。留守番電話にメッセージを残して、ジョンは用事に出かけました。用事に出かける前、2人でジャーメインが今夜来ることができますように、と祈りました。

ジョンが用事から帰ってきて、真っ先に「電話あった!?」と聞きました。でも、誰からも電話はありませんでした。私は料理を作りながら、神様に何度も祈りました。「神さま、お願いします。私はがっかりしそうです。神さま、どうかジャーメインが電話をくれて、来てくれますように」

先週、以前の日記に書いたキップはこの家庭集会に来ることができませんでした。でも、その晩電話があって、「仕事が長引いて来れなかった。でも、今日学んだことを知りたいから、後で教えて欲しい」と言われ、ジョンも私もとても励まされたのです。そして、今週の月曜日、キップと個人的に別の聖書研究をすることになっていたので、二人でキップの家を訪ねました。でも、キップは家にいませんでした。また、仕事で遅くなったのかと思い、留守電にメッセージを残しました。いつもなら、すぐに電話が来るのですが、その日は電話がありませんでした。おかしいな、と思い、ジョンはもう一度電話してみました。でも誰も出ませんでした。結局、木曜日の今日になってもキップからの連絡は何もありません。キップはとても誠実で、責任感の強い人なので、ジョンも私もとても心配になってきました。もしかしたら、何か私たちのしたことが、キップを怒らせてしまったのだろうか?とも思いましたが、考えても何も心当たりがありません。そうであったとしても、キップが何も言わずにただ私たちを避けるというのは、想像できません。

その矢先だったので、ジャーメインが電話に出なかった時、思わず心の中で、「神さま、またですか?」と言ってしまいました。「あんなに燃えていたキップからの連絡もなく、ジャーメインも聖書研究に来るよ、とあんなに素直に言ってたのに、電話に出ないのですか?神様、私はがっかりしそうです。お願いです、ジャーメインが部屋に戻ってジョンのメッセージを聞いて、聖書研究に来ることができますように!」と、祈りながら夕食を作っていました。

すると、電話がなりました。始まる30分くらい前でした。ジャーメインが、「用事があって出かけていて今帰ってきたんだけど、聖書研究に来たい」とジョンに言いました。電話を切った後、ジョンが満面の笑みを浮かべて、"Praise the Lord!!" と言いました。

ジョンがジャーメインを迎えに行く間にビルも来て、4人で夕食を食べました。ジャーメインは、お父さんに虐待されて、里親の下で育ったことがきっかけとなって、今社会福祉を勉強しています。将来は虐待を受けている子供のためのソーシャル・ワーカーになりたいのだそうです。でも、CMUに来てしばらくして、友達とバスケット・ボールをしていたら、そのうちの一人に差別用語を言われ(ジャーメインがグループでただ一人の黒人だったのです)、けんかになってしまい、体育館から追い出されてしまったのだそうです。その言葉を言われたことにショックを受けていました。私たちもびっくりしてしまいましたが、突然ビルが、「僕もユダヤ人ってみんなに言われるよ!みんなにユダヤ人の安息日を守ってるって責められるんだ!」と励ましにならない励ましの言葉をかけたので、みんな笑ってしまったのでした。ジャーメインは他にも「周りの学生は、僕の服装を見て、麻薬を売ってるかもと思ってるみたいなんだ。僕はそんな人間じゃないのに」とも言っていました。

他にもいろいろなつらい経験をしてきたらしく、それをぽつぽつと話してくれました。

終わる頃には大分なじんでくれて、帰る時には「律子、どうもありがとう!」と言ってぎゅっと抱きしめてくれました。私もまるで、ジャーメインのお母さん(?お姉さん?)のような気分になってしまったのでした。

ジョンと2人で、「ジャーメインに会えただけでも、テーブルを出した価値があったね」と喜んだのでした。

キップとも早く連絡が取れますようにと祈っているのでした。


2004年02月17日(火) テーブルとジャーメイン

ジョンは、もともと文書伝道者なので、ドア・トゥ・ドア(一軒一軒、家を訪ねること)が大好きです。私も含めて、こういう風に家を訪ねることを怖がる人はたくさんいるのですが、やってみると大きな祝福なのです。

セントラル・ミシガン大学でのキャンパス・ミニストリーに携わることが決まったときも、ジョンは大学中の寮のドアをノックして歩こうとわくわくしていました。そして、そうするには、ちゃんと管轄の部署に申し込まなければならないことがわかったので、書類を用意して提出しました。でも、ここ何年か、ある人たちが勝手にドアをノックして歩いて、何かを売りつけたり、人をだましたりということが何回かあったらしく、私たちがドアをノックして歩くということは許可されませんでした。

そのかわり、寮のロビーにテーブルを置くことが許されました。最初はとってもがっかりして、テーブルを置いてどこまでできるんだろうと思ってしまったのですが、とりあえずやってみることにしました。

今日がその初めての日でした。テーブルに、聖書研究に興味のある人や菜食料理に興味ある人が名前を書き込めるように紙を置き、その横に学生たちが持っていけるように、トラクトや本を置きました。そして、ジョンと2人でテーブルに座りました。

しばらくして、一人の男子学生が話しかけてきました。彼もクリスチャンで、他のグループに属しているのだそうです。聖書研究のレッスンが入ったCD-Romを持っていきました。

何人かの学生が、興味を持って話しかけてきました。ある学生は、通りがかりに、「何?これ。大争闘?」と言って、「各時代の大争闘」を手に取り、「もらっていいの?ほんと?」といって、持っていきました。

ある女の子は、「キリストへの道」と「各時代の希望」のカルバリーの章を抜粋した小冊子を持っていきました。

ある男の子が吸い寄せられるようにやって来ました。ジョンが簡単に何をしているのかを説明すると、すぐに聖書研究のところに名前を書き込みました。彼の名前はジャーメインです。数週間前に他の学校から転校してきたばかりなのだそうです。彼のお父さんは牧師なのだそうですが、小さい頃、虐待を受けて育ったので、そのお父さんから聖書を学ぶのは難しいんだ、と言いました。とっても素直な男の子でした。

ジョンは、ジャーメインに聖書研究のレッスンの第一課を渡して、私たちの家でやっている木曜日の家庭集会に誘いました。


夜は、ビルが自分の寮でやっている聖書研究のグループに参加しました。彼のルームメイトと、別の友達と私たち2人の5人でした。キリストの弟子になることについて学びました。終わった後、彼のルームメイトは色々と考えているようでした。

学生たちが受け取った本を読んでくれますように、と祈りながら床についたのでした。


2004年02月15日(日) キャンパス修養会 最終日

とうとう修養会最後の日となりました。

早天礼拝と朝食に続き、ランディ・スキートによる最後のメッセージがありました。

「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネ14:15)という聖句があります。この中で「わたしを愛するならば」という部分は私たちの内面を表し、「いましめを守るべきである」という部分は私たちの外面に現れる部分を表しています。

この戒め、神の十戒は道徳律であり、私たちの道徳的な基準です。

私たちは、何をするにも神の栄光のためにすべきであると聖書は言っています(コリント第一10:31)。では、私たちがショッピングに出かけるとき、私たちの買うものは私たちの信仰によって影響されるでしょうか。私たちの時間の使い方はどうでしょうか。

私たちは何事をするにも神さまの栄光のためにしなければなりません(神さまを愛すれば、そうしたくなるのです)。そして伝道の書12:14には、「神は、すべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれる」とあります。すべての隠れた事とは、私たちの心の中で考えることです。そして、その評価は善か、悪かの2つの選択しかありません。真ん中はないのです。

ランディは言いました、「こんな説教をする私を、あなたたちは極端だというだろうか。申し訳ないけれど、こう言っているのは私ではなく、聖書なのだ」。

私たちのすること、私たちの考えることはすべて十戒に照らして裁かれます。私たちは、何をするにも、学校で勉強するにも、仕事をするにも、自分のベストをささげなければなりません。

ヤコブ2:12にはこうあります、「だから、自由の律法によって裁かれるべき者らしく語り、かつ行いなさい」。私たちの内面が変れば、生き方も変ります。

神様の恵みには、人を変える力があります(テトス2:11-14)。
ピピン先生は、以前はカリスマ教会にいました。大学で、SDAの学生はみんな清潔で品がよく、しかも成績も良いことに気づきました。それがピピン先生の好奇心をそそりました。そして、もともとの議論好きな性格も伴って、SDAの教えの間違いを暴いてやろうと、ホワイト夫人の本を読み始めました。そして最初に読んだ本が「各時代の大争闘」だったのです。間違いを暴くどころか心を動かされ、これではいけない、もう一冊、と読み始めたのが「各時代の希望」だったのだそうです。そして、これを読み終わる頃には、ピピン先生の心はすっかり溶かされていたのだそうです。

すべては、ピピン先生の周りにいたSDAの学生の、世と異なる生き方という証から始まりました。ランディも、私たちの生き方が変れば、周りの人はその証によってイエスさまに引き寄せられるのだ、と言いました。

ある学生は言いました、「こんなストレートな説教は、普通の牧師は怖がってできません。でも僕は、勇気を持って聖書のメッセージを語ってくれた先生方に感謝します。」

もちろん、すべての学生がこれらのメッセージを受け入れたわけではありません。ある学生は、昨夜のピピン先生のメッセージに、最後まで反発していました。でも、彼が反発すればするほど、かえって周りの人の聖書に対する確信が固まっていったようでした。

聖書の教えを守るということは、自己が砕かれることです。自分のうちの高慢、恐れなどが神の御言葉によって見きわめられ、砕かれ、へりくだることが求められます。自分を高め、自分の心のままに生きようとする、世の生き方とは正反対です。聖書の教えを守るということは、これらの値を支払うことです。だからイエスさまはルカ14章25〜35節で、弟子になる前に自分が足を踏み入れようとしていることにどれくらいの犠牲が伴うのか、「費用を計算」しなさいと言われたのです。

でも、私たちが犠牲と思うことよりはるかに、はるかに大きな犠牲をイエスさまは払われたのです。神の子であり、神の力をすべて持っておられ、全天の賛美を受けておられたイエスさまが、貧しい人の子となられ、人にしえたげられ、侮られ、苦しめられ、ついには十字架にかけられたのです。そしてそれは、自分を侮る人々を救われるためだったのです。

それを思うとき、私は神さまが私の心を砕いてくださることを求めます。この高慢な心が砕かれ、イエスさまのように柔和な者に変えていただき、周りの人にイエスさまの素晴らしさを表したいと望みます。何があっても、私のために死んでくださったイエスさまに忠実でありたいと望みます。でも、弱い私に、それを行う力はありません。私にできることは、神様の側にいることを、一瞬一瞬選ぶことです。そうすれば、イエスさまが私に力を与えてくださるのです。

あっという間の3日間でした。
そうして、ビルとジョセフとジョンと私はマウント・プレザントへの帰途についたのでした。

セントラル・ミシガン大学グループ



2004年02月14日(土) キャンパス修養会 第二日

キャンパス修養会、第二日目、安息日の今日は午前7時半の早天礼拝から始まりました。アーカンソー州からわざわざやって来たチェスター・クラークという人が、「犠牲と献身」について話しました。

私たちは、人生を神にささげたにもかかわらず、命を失ってしまうことがある、というお話で、自分に問うべき3つの問いを提示してくれました。
1.私の献身は、最高で、自分のすべてだろうか?
2.私の献身の理由、また動機は何だろうか?
3.私の献身は神の御言葉に従ったものだろうか?
そして、イエスさまはそのすべてをおささげになったこと、そしてイエス様のうちには何の利己的な動機も見出すことはできなかったことが示されました。もちろん、私たちには自分自身の動機を清めることはできません。私たちは、ありのままで神様のもとに行き、神様に心を清めていただかなければならないのです。

朝食後、9時半から安息日学校が始まりました。安息日学校は、アンドリュース大学韓国教会牧師のジャスティン・キムくんが担当しました。イエスさまは、パリサイ人、サドカイ人、ヘロデのパン種に気をつけなさいと言われました。それで、私たちはグループに別れ、彼らについて書いてある福音書の記述から、イエスさまが警告された彼らのパン種とは何かを調べ、そしてそれぞれのグループの代表が発表をしました。パリサイ人は偽善者でした。サドカイ人は聖書の教えを知らず、懐疑的でした。ヘロデは自分の言った言葉を引っ込めることができずにバプテスマのヨハネを殺してしまいました。ジャスティンは、それを私たち自身に当てはめました。私たちの内面は外面に一致しているでしょうか?私たちは聖書の教えをちゃんと知っているでしょうか?私たちは懐疑主義に陥っていないでしょうか?私たちは人からどう思われるかに従っていないでしょうか?聖書は少しのパン種が全体をふくらますと言っています(コリント第一5:6)。私たちはこれらのパン種が自分のうちに存在するかを吟味し、小さいうちに摘み取らなければなりません。

礼拝説教はランディで、「頑固親父の知恵」という題でした。アブラハムは息子のイサクに嫁を見つけるためにしもべを自分の国に遣わしました。彼は頑なに、自分の住む国カナンからは嫁をめとってはならないと言いました。自分と同じ神を信じる人をイサクの妻にするためでした。このように、異教の宗教、文化、習慣からアブラハムは頑なに自分たちの信仰を守りました。
創世記から黙示録まで、聖書は私たちに世にいて世と付き合いながらも、世から自分を切り離すように教えています。

イエスは言われました、「もし私の言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは本当に私の弟子なのである」(ヨハネ8:31)。クリスチャンは、実言葉に時間を費やさないので、世から離れることができません。だからクリスチャンは世の人との違いがないのです。何人の人がこの一週間に10時間を聖書を読むことに費やしたでしょうか?5時間を費やしたでしょうか?1時間を費やしたでしょうか?

みんな「神様助けてください」と言いました。

午後から夜にかけて、ピピン先生がクリスチャンの倫理について話しました。私たちが道徳的な決断をする時に考慮すべき原則を示し(これは「原則に忠実であれ」という題でHPに載せる予定です)、それについて実際にあった証を話してくれました。

中国で牧師をしていたデイビッド・ワン先生の話がありました。ワン先生は以前日本に数回来られ、私も水曜日に先生のお話の通訳をしたことがあります。そのワン先生が、中国でバプテスマを授けるために何人かの求道者をトラックに乗せて湖に向かっていました。ところが途中で道に迷ってしまったので、道端にいた数人の男性に道を尋ねました。ところが彼らは国家警察だったのです。彼らはワン先生に聞きました、「湖に何をしに行くのか」。ワン先生は十戒に偽証をしてはならないと書かれているのを知っていました。そして、聖霊によって真実を話すように導かれました。「この人たちにバプテスマを授けるために行くのです。」警官たちはワン先生たちを解放しましたが、その後をバイクで追いかけてきました。バプテスマを授けている現場でなければ逮捕できなかったからです。その時奇跡が起きました。雨が降ってきたのです。しかも、ワン先生たちのトラックの後ろに雨が振ったのです。トラックの後ろは雨でどろどろになり、バイクは泥にタイヤを取られて進むことができなくなってしまったのです。そして、ワン先生は無事バプテスマを授け同じ道を戻りました。そして先ほどの警官たちに再びすれ違いましたが、現場ではなかったので彼らは逮捕されることはありませんでした。

あるドイツ人のSDAの女性はナチスの時代にユダヤ人をかくまっていました。ある日、突然ゲシュタポがやって来て「ユダヤ人をかくまっていると聞いたが本当か」と尋ねました。彼女はいつも子供たちに「何があっても決して嘘をついてはいけない」と教えていました。その子供たちも、不安そうに彼女を見つめていました。彼女は「主よ、嘘はつきたくありません。どうすればよいか教えてください」と祈りました。そして聖霊に導かれ、「あなたがたは、国家の権威の下にここに来ているのですから、この家を好きなだけ捜索する権利があります。さあ、入って、ユダヤ人がいるかどうか、探してください」と答えました。その答えに男たちはしばらく呆然とし、そして捜索することなく帰っていきました。

あるヨーロッパの共産国のSDAの女性には小さな息子がいました。ある時、土曜日に必ず子供を学校に行かせなければならない、そうでなければ子供は家族から引き離され、無神論者の家に養子に出される、と政府に命令されました。彼女は祈り悩みましたが、「安息日に学校に行かせることはできない」と息子を休ませ続けました。そして、命令どおり子供は家族から引き離されてしまいました。しばらくして、近所の人たちが、彼女の息子がいないことに気づき始めました。彼らは彼女が神を恐れ、非常に敬虔な女性であることを知っていました。そして事情を知ったとき、彼らは政府に抗議行動を起したのです。あまりにその抵抗が強かったため、政府は彼女のもとに息子を返すしかありませんでした。そして、その命令に新たに文章が付け加えられました、「…セブンスデー・アドベンチストは、対象外とする」。ひとりの女性が立ち上がったことによって、この奇跡は起きました。

あるSDAの教会は、火事で焼け落ちた建物を再建する資金がなくて困っていました。それをニュースで知った未信者の男性が、宝くじで当てたという巨額のお金を寄付してくれました。教会のある人々は喜んでそのお金を用いようとしました。しかし、ある人々は、私たちはギャンブルをしてはいけないと教えているのに、宝くじというギャンブルで儲けたお金を受け取ることはできない、と反対しました。しかし、お金を返そうにも差出人の名前も住所もありません。教会の中には、このように主張する人たちを極端すぎると非難する人たちもいました。結局、彼らはそのお金を警察に届け、事情を公表して、差出人に申し出てもらうことにしました。しばらくして、一人の男性が現れました。「あなたの教会に資金を寄付します」と彼は言いました。「宝くじで得たお金を受け取るわけにはいきません」と教会員は答えました。するとその男性は言いました、「本当は、このお金は宝くじで得たお金ではないのです。実を言うと、あなたがたがギャンブルをしてはいけないという教えにちゃんと沿った対応をするかどうかを試してみたのです。私は、あなたがたの対応に感心したので、この倍の額を寄付することにします。」

神さまは信仰をもって御言葉に従うとき、私たちの従順を重んじてくださいます。神様は、いつもこのような奇跡を起こしてくださるわけではありません。御言葉を忠実に守って命を落とした人もたくさんいます。でも、その人たちはキリストの再臨の日に復活し、「良い忠実なしもべよ」と呼ばれるのです。彼らは聖書にあるように、死に至るまで忠実であったのです。

これらの原則をピピン先生が語り始めた時、多くの学生は納得がいかないような顔をしていました。神様の御言葉に忠実であるということが何を意味するのか、わかっていなかったからです。でも、先生が語り終えた時には、ほとんどの学生はしっかりと理解し、納得し、神様に献身するということはどういうことかを学びました。

ジョセフは言いました、「僕は今までずっと自分はクリスチャンだと思っていたけど、何にもわかっていなかったことに気づかされたよ。」

みんな「神様、助けてください」と祈りました。


2004年02月13日(金) キャンパス修養会 第一日

今日は、15日(日)までの予定で行われるキャンパス修養会の初日でした。

キャンパス修養会とは、ミシガン州の大学(主に公立大学)に通っている大学生を中心とした青年のための修養会で、今回は色々な場所から150人近くの青年が集まりました。マウント・プレザントから北に一時間半くらいの所にある、キャンプ・オー・サボーという、敷地に湖のある、広大なSDAのキャンプ場に来ています。



メインの建物から見える湖。全部凍っています。

半端でなく寒いミシガンで、真冬にキャンプ場なんて、と思ってしまいますが、ミシガン人は動じることなく、楽しんでいます。と言っても泊まる所はキャビンなので、ちゃんと暖房があります。ただ、トイレとシャワーは、雪の林の中を30メートルくらい歩かないといけないのですが…

4時ごろにビルとジョセフを乗せて出発し、5時半くらいにキャンプ・オー・サボーに到着しました。そこには、懐かしいミシガン大学の学生たちがいて、とても嬉しかったのです。

夕食が終わり、サンセット礼拝の時間になりました。修養会のスピーカーは、ランディ・スキートとピピン先生です。サンセット礼拝はランディでした。

ランディは、キャンパス(アドベンチスト公立大学伝道センター)の伝道者です。彼は、お説教をする時に聖書を開きません。でも、心(頭)にためられた驚くほどたくさんの聖句が次から次へと彼の口から出てきます。そして、とてもストレートなメッセージをとてもわかりやすく語ります。

今日のメッセージは創世記23章からで、アブラハムについてでした。
アブラハムがその地域に住むようになったのは75歳の時でした(12:4)。そしてサラが127歳で死んだとき、アブラハムは137歳でした。つまり、その地に62年住んでいたことになります。それなのに、23:3で自分は、旅の者で寄留者であると言っています。そしてアブラハムは175歳で亡くなりました(25:7)。ヘブル11:13にも、アブラハムが自分は「地上では旅人であり寄留者であることを自ら言いあらわした」とあります。

サラが死んだとき、アブラハムは悲しみ泣いて、その地に住むヘテ人に墓地を売ってくれるよう頼みました。するとヘテの人々はアブラハムに言いました、「あなたはわれわれのうちにおられて、神のような主君です。われわれの墓地の最も良い所にあなたの死人を葬りなさい。」

ここでランディは私たちに言いました。「クリスチャンは、人を神に導こうとして、その人たちと同じようになろうとする。しかし、そうすることによって、相手は自分が何に召されているかを見る機会を失ってしまう。」

アブラハムを知るアビメレクたちは言いました、「あなたが何事をなさっても、神はあなたと共におられる」(21:22)。何十年間もアブラハムを知る異教徒がこのように言ったのです。アブラハムは、その地に移り住んでからの100年間を、旅人、寄留者として過ごし、その地の宗教、文化、習慣に染まることを拒みました。彼の思いはいつも天に根ざしていました。

ランディはまた言いました、「クリスチャンは、なぜ敬虔であることを恥ずかしく思うのか。世は、より良い何か、自分の模範となる何かを求めているのに。」

神は100パーセントご自分の側にいる人々を必要としておられます。キリストはラオデキヤの教会に言われました、「熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」(黙示録3:16)。

パウロは、「すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである」と言ったと多くの人は言います。でもパウロは、ギリシャ人を救うために、決してギリシャ人のように偶像を礼拝したりはしませんでした。相手をよく理解し、共通の基盤を見つけた上で、より良いものへ人々を導きました。(使徒17)

私たちは世にいますが、世のものではないのです。


ランディの説教の前に、ピピン先生による20の倫理的質問がありました。「キリスト教を実践、また布教することが違法である国では、それに違反することは、土地の没収、職業の喪失、投獄、時には死を意味します。このような状況下にあって、この国のクリスチャンはどのように生きるか、また信仰を分かち合うかということを、非常に注意し、また分別をもって行わなければなりません。ある日、ある牧師が求道者のグループにバプテスマを施すために車を運転していました。その時、警備員に車を止められ、『この人々を乗せて、湖に何をしに行くのか』と尋ねられました。自分自身と求道者たちの命を救うために、警備員に嘘をつきますか。」

「共産国に住んでいるあなたは、3歳になる息子を毎安息日に学校に行かせることが義務付けられており、違反すれば、息子はあなたから取り上げられ、無心論者の家族に養子に出されることになっています。息子をクリスチャンの家族にとどめておくために、安息日に学校に行かせますか。」

「保険のかかっていなかったあなたの教会と教会学校が、ハリケーンによって破壊されました。神のご介入を求めるあなたの祈りは、聞かれていないように思えます。資金不足で教会と学校を閉鎖しようとした、まさにその時、15万ドル(約1500万円)の小切手の入った封筒が送られてきます。匿名の未信者からのメモには、夕方のニュースであなたがたの必要について知り、宝くじで当たったこのお金を寄付することを決心した、と書かれていました。教会を再建するためにこのお金を使用しますか。」

「あなたは信仰のために不正に逮捕され、裁判にかけられ、死刑を宣告されました。刑の執行を待っている間、あなたが無実であることを知って同情した警備員が、あなたが逃げることができるように、偽の身元確認書を差し出しました。逃げるために、この書類を使用しますか。」

みんな、無記名で「はい」「いいえ」の欄にチェックをしていきました。質問が読まれるたびに、何ともいえないため息がもれました。私はこのシリーズは4〜5回目ですが、毎回この質問を聞くたびに、自分の信仰はなんと弱いのだろうと思ってしまいます。

初日の夜から、いきなり打ちのめされてしまったのでした。


2004年02月12日(木) 初めての卵

今日、リアが卵を産みました!
夜の聖書研究が終わった後、ジョンが巣箱を覗いたら、小さくて白い卵がぽつんと置かれていたのでした。















そして、リアはちゃんと卵を温めているのでした。



2004年02月09日(月) 心を砕かれるということ

今日は、マウント・プレザントから車で2時間半のところにあるアナーバーに行きました。私たちのように、ミシガンの色々な大学でキャンパス・ミニストリーに携わっているスタッフが集まる、月一回の会議に行ったのです。

ミシガン大学、セントラル・ミシガン大学、イースタン・ミシガン大学、ウェスタン・ミシガン大学などの公立大学と、アンドリュース大学の代表者が集まりました。といっても全く堅苦しいものではなく、仲のよい青年10人くらいの集まりで、とっても楽しいものなのです。

会議の始めにみんなで礼拝をしました。今日のお話は心が砕かれることについてでした。

ペテロ、イザヤ、ダニエルが話に上りました。彼らはみんな、神さまの神聖さを目の当たりにして倒れてしまいました。神様が示された時、みんな自分の罪深さを悟りました。

イザヤが神さまに召された経験はイザヤ6章に書かれています。つまり、召される前の1〜5章までの間も、イザヤは神様のために働いていたのです。ピピン先生からの興味深い洞察がありました。1章から5章までのイザヤはイスラエルに向かって何度も「わざわいなるかな」と激しく言っているのですが、6章で神さまの栄光が示された時、初めて自分に向かって「わざわいなるかな」と言った、というのです。

ペテロは海辺で召された時に、イエスさまの奇跡を見せられ、「主に対する愛、自分の不信仰の恥ずかしさ、キリストが卑しい人間の肉体をとられたことに対するありがたさ、特に限りなく純潔であられるイエスの前にあって感じさせられる自分自身の汚れに圧倒された」と各時代の希望に解説されています。

彼らはこうやって心が砕かれました。そして神様の働きにふさわしい者に変えられました。

私たちの心は生まれつき高慢です。自分が一番大切で、自分の権利を守り、自分の評判を守り、自分の意見が一番正しいと思っています。でも、イエスさまはそのすべてを放棄されました。私たちを救うためにです。イエスさまはご自分の意志をすべて父なる神さまにゆだねておられました。父なる神さまから言われたのでなければ、自分からは何もせず、何も言わないと言われました。

この学びの終わりに、アンドリュース大学の韓国教会で青年牧師をしているジャスティンが、「私たちの心を砕くために必要なものは病気であっても、苦しみであっても、何であってもお与えください」と祈りました。祈り終わった後、ピピン先生が、「ジャスティン、その祈りには覚悟が必要だよ」と言われました。「その祈りを祈ると、神様は本当にお応えになるんだよ」また「一番つらいのは私的な問題によってへりくだらされることなんだよ」と言われました。そして、ミシガン大学のある学生と、以前のミッショナリーから急に結婚することになったと知らせを受け、会いに行ったら実は妊娠していたことがわかったという話をしてくれました。2人は、みんなのつまずきとなってしまったことを、グループ全員の前で謝ったのだそうです。

ピピン先生は、「こういう私的な問題によって、心はいちばん砕かれるんだよ。その祈りをしたら、神様は本当にあなたの心を砕かれるよ。でも、それは実はとっても大きな祝福なんだよ」と言いました。

それを聞いて、私は以前、友人に勧められて「私の罪を示してください」と祈り続けたことがあったのを思い出しました。ピピン先生の言われたとおり、その時も神様はちゃんと答えてくださいました。それは、それはつらい経験でした。でもそれまで、その時ほどイエスさまの必要を感じたことはありませんでした。そして、その経験は私の信仰のターニング・ポイントにもなりました。

イエスさまに似た者となるために、イエスさまの働きにふさわしい者となるために、日々心を砕いていただきたいと思うのでした。


2004年02月07日(土) 雪かきトラックとイエスさまの最高の模範

今日は、安息日。マウント・プレザント教会に行きました。
出かける時間になり、あらかじめ温めておいたバンに乗り込み、いざ出発…と思ったのですが、バックし始め、道に出る前に突然タイヤが雪に取られてバンが動かなくなってしまいました。

???ジョンと私は顔を見合わせました。昨夜べスパーから帰ってきたときには、何の障害もなくドライブウェイ(家の前の駐車スペース)に入って来れたのに、どうしたんだろう???と、バンを降り、チェックしに行きました。車が通れるくらいの幅を残して両側にも雪がひざより高く積もっているので、バンに張り付くようにして後ろに行きました。すると、昨夜遅くに家の前の道路を雪かきトラックが通ったらしく、道路に積もっていた雪がドライブウェイに積み上げられていて、バンの後輪が見事にその雪に埋まっていたのでした。

あわてて、雪かき用シャベルを持ってきて、二人で雪かきをすることになりました。でも、雪かきトラックが通った後の雪は、さらさら雪ではなく、一度とけて、また凍りかけているかき氷のようにカチカチになっているので、なかなか簡単には雪かきできないのです。15分か20分がんばって、ようやく道路に出ることができ、無事教会に到着したのでした。


今日はいつもと違う安息日学校教科のグループに参加しました。学生たちがこのグループに参加しているので、私たちもそこに行くことにしたのです。

今回の教科は、安息日にイエスさまがいやされた男性の話でした。ところが、色々話していくうちに、安息日にしてはいけないあれこれ、というような話しになっていきました。証の書に「安息日になる前に、礼拝に行く服を準備し、靴を磨き、体を洗い、料理をするなどの、安息日の準備を済ませ、礼拝をもって安息日を迎えるべき」というようなことが書いてあるのですが、ある人が「ホワイト夫人の時代は、風呂を沸かすのは大仕事だったからだ。今の時代は蛇口をひねるだけでお湯が出てきて、大仕事じゃないから安息日にシャワーを浴びてもいいと思う」と言い出しました。

日本ではそれほど聞かなかったと思うのですが、アメリカではしょっちゅうこの手の議論を耳にします。数週間前も別の教会で、カナの婚礼の話から、安息日に結婚式に行ってもよいか、否かというような話になり、色々な人が、私はこうした、あの人はああした、と話し始め、何が正しいかという議論になってしまいました。

日本でも時々出会って心が痛くなるのですが、アメリカにも、理由をちゃんと教えられずにあれをしてはいけない、これをしてはいけない、と色々なことを禁止されて育ち、大人になってもその経験に対して苦い思いを持っている人がたくさんいます。また逆に、そういうことを守ろうとするばかりに、守っていない人を見ると裁いてしまう人もいます。そういう人のうたい文句は大概「証の書にはこう書いてある」で、それで相手を黙らせてしまうのです。私も黙らされたことが何度もありました。

大抵は、ここまではしてもよい、ここからはしてはいけないという議論なのです。それぞれの人がここまで、という線を持っていて、こうすべきだ、と思う人はそれを守らない人を「守っていない」と裁き、しなくてもいいんだ、と思っている人は守っている人を見ると「律法主義」「極端すぎる」と裁いているようです。これは安息日に限らず、色々なことに言えることです。

私は基本的に、安息日の前に料理を含む家事を済ませ、できる限りシャワーも浴びて、日没前から心を備えて安息日を迎えることが大好きです。その方が安息日がいっそう特別な日に感じられます。時々安息日にシャワーを浴びますが、私の場合、シャワーを浴びている最中は神さまのことを忘れがちなので、やっぱり準備の日に浴びた方がいいなと思ってしまいます。神様が言われたように、一週間のわずらいや仕事から心と体を休め、神さまが聖別してくださった安息日に、他の何にも邪魔されない、最高の一日を神さまにおささげしたいと思うのです。

私は、先に書いたどちらの側にもなりたくないと強く思います。自分が気づかないうちに両方の苦い思いを抱いてしまいがちなことを知っているからです。イエスさまは律法を完全に守られましたが(人間の言い伝えは破られました)、決して律法主義者ではありませんでした。イエスさまは、罪なきお方でありながら、罪人を誰よりも、ご自分の命よりも愛されました。そのようなお方が私たちの模範であることを本当に嬉しく思います。イエスさまに似た者になるということは、神様の恵みによって神さまに最高のものをおささげし、それでいて自分が思う以上に守っている人に対しても、自分が思うように守っていない人に対しても持ってしまいがちな苦い思いから解放されることだと思うからです。

「すべての人を救う恵みが現れた。そして(その恵みは)私たちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、私たちの救い主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている」(テトス2:11-13 括弧の部分は英語訳にしたがって付け足しました)。

裁いてしまう時には、イエスさまがどれほど自分に忍耐強く接してくださっているかを思い出し、裁かれてしまう時には、その「すべき行い」に反発して投げ出すのではなく、神様の恵みによって自分を裁いた人をゆるしながら、自分の足りなかったところを成長させていただけたら最高だなあと思うのでした。そして、自分にはそのような力も徳もないので、たくさん、たくさん祈りが必要だ、と思うのでした。


2004年02月05日(木) 初めての家庭集会とオカメインコ

今日は嬉しいことがありました。
マウント・プレザントに来て初めて、私たちの家で家庭集会をしたのです。急に決まったことなので、人数はたくさんいませんでしたが(私たちを合わせて4人)、数日前にジョンが話をしたキップも来てくれました。

聖書の学び方と聖書暗記(日本語にするとまるで、受験勉強のような響きでなんとなく嫌なのですが英語だとスクリプチャー・メモリーと言います)に重点を置いたシリーズの第一回目で、今日は御言葉の力と、その御言葉が形となって来られたのがイエス様であるということ、聖書の中で御言葉は種として表されていて、イエスさまが来られたのも種が実を結ぶように、私たちが豊かに実を結ぶことができるようになるため…というような話でした。

最初は静かだったキップも、次第に話しをするようになって、学びながら感じたことを分かち合ってくれました。最後に、出身国のケニヤでは、親戚と聖書について語り合ったりしていたのですが、その親戚が引っ越してしまい、相手がいなくなってから聖書からも離れてしまっていたということ、でも、こういう風にまた、共に学べるグループに参加できてとっても嬉しいと話してくれました。

予定では、このグループの学びの後にキップとの個人の学びをする予定だったのですが、遅くなって、ジョンもキップも頭が疲れてしまったので、今度の月曜日に延期することになりました。

最近、オカメインコ3羽のうちのはなちゃんとリア(両方メスの名前のようですが、はなちゃんはオスです)が色気づいて、一日に何度かつがうようになりました。このところ毎日続いています。でも今日は、朝から静かでその様子がないなあと思っていたのですが、なんと集会の途中、私が短いあかしを話していて、しかもそのクライマックス?に差し掛かった途端、隣の部屋から聞こえてきたのです。つがう時、リアは独特な泣き声をするのですが、そのピチュチュチュチュチュチュ…という高い声が聞こえてきて、私は話しながら思わず動揺してしまったのでした。もちろん、ジョン以外はそれが何の声かは知らず、ただ鳥たちが歌っていると思っていて、「大丈夫、続けて」と私に促すのでした。ジョンがすくっと立って、急いで隣の部屋へのドアを閉め、私も何事もなかったかのように話し続けたのでした。

雛が生れるのが楽しみな今日この頃なのでした。


2004年02月02日(月) ジェリコ・ウォークとキップ

今日は面白いことがありました。
セントラル・ミシガン大学のどこかのクリスチャン・グループが企画したジェリコ・ウォークに参加したのです。

ヨシュア記6章に、イスラエル人が神さまの言われたとおり、6日の間エリコの町の周りを一周し、7日目には7周したというお話があります。そして7周目に祭司たちがラッパを吹き、民が大声を上げるとエリコの町の石垣が崩れた、というお話です。

それに基づいて、このCMUのキャンパスの「石垣」を崩すために7日間歩こうと誰かが言い出し、口伝えに伝わっていき、私たちのもとにも届いたのでした。

私たちは、ジェリコ・ウォーク自体よりも、それに参加する学生たちと知り合いになりたい、というのが参加の目的でした。ここに来てから、SDAの学生たちを通して何人かの学生に出会いましたが、もっとたくさんの人に出会いたいと思ったからです。

5時に集まり、説明があり、歩き出しました。歩きながら、あちこちで歌声や祈る声が聞こえてきました。何人かの学生と話をし、一緒に祈りました。また、いろいろな歌を歌いました。1時間半くらいかけて、キャンパスを一周し、第一日目は終わりました。

6時半過ぎにウォークが終わったので、ジョンはキップという学生を訪ねてみることにしました。キップとは、去年卒業したSDAの学生、ジョセフの友達で、聖書研究に興味を持っているのだそうです。ジョセフにキップの住所をもらってあったので、それをもとに行ってきました。

私は車に残って、ジョンだけが行きました。私は、車でお祈りをしていました。ジョンはなかなか戻ってこなかったのですが、戻ってきた時には満面の笑みを浮かべていました。

キップは、最近、ひしひしとイエスさまの再臨に備えなければいけないと思うようになっていて、そのために聖書をもっと学びたいと思っていたのだそうです。そしていろいろな教会に出席して、聖書の真理を教えてくれるところはどこか、探していたのだそうです。ジョンが訪ねてきたことを、キップはとても喜んで、一緒に勉強したいと言ったのだそうです。

木曜日がいいとキップは言ったのですが、毎週木曜日に、私たちの家で聖書研究をしようと計画しているので、そう言うと、「じゃあ、それに行く」とキップも言い、そのグループでの聖書研究が終わった後にキップと2人で別の研究をしようということになったのでした。

ジョンは、「キップはRIPE(熟している)だ〜!」と嬉しそうに言いました。



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