ただ今の気温 マイナス19度
うーん、寒い!!
でも、家の中は全館暖房なので、いつも暖かです。
今朝、メールをチェックしたらマウント・プレザント教会のウォルカット牧師から教会の理事たちにあてたメールが来ていました。それには、次のように書かれていました。
「今日(昨日)の夜、ジョン・トリプレットの給料と家賃のためのお金6千ドルが教区に送られている、という連絡がありました。これは、去年リックのためにお金を寄付してくれたのと同じ人からの寄付です。」
ジョンと私は、びっくりしてお互いの顔を見合わせてしまいました。"Praise the Lord!" とウォルカット牧師のメールの最後に書かれていました。ジョンも "Praise the Lord!!!" と叫びました。
家の見つかり方にしても、この寄付にしても、神様が驚くようなかたちで祈りに答えてくださりながら、ご自分の存在を私たちに示してくださり、この道を疑うことなく進んでいっていいんだよ、と言ってくださっているんだなあと思いました。私たちがマウント・プレザントで働くことが御心なら、必ず神さまが私たちの必要を備えてくださると信じていましたが、こんな風に答えてくださるんだなあ、とびっくりしながら、しみじみしたのでした。
午後、ミシガン教区に雇ってもらうための書類を書きに行きました。以前、ディレクターのピピン先生が教区に内緒で私たちを呼び寄せたと書きましたが、教区長をはじめ、職員や牧師たちはみんなキャンパス・ミニストリーの必要性を十分認識してくれていて、結局ジョンはちゃんと教区に雇われることになったのでした。
神様に従う道は、なんて幸せな道なんだろうと改めて思ったのでした。
2004年01月20日(火) |
ミシガン教区の牧師会 |
1月18日(日)から今日まで、ミシガン教区の牧師会がありました。本当は牧師や教区職員だけなのですが、キャンパス・ミニストリーをもっと知ってもらうことを目的に、私たち、キャンパス・ミッショナリーも参加することになりました。
初日の夜、キャンパス・ミニストリー・ディレクターのピピン先生に呼ばれてスタッフ・ミッショナリーと学生ミッショナリーの8人が前に立ち、それぞれ抱負を語りました。
翌日、たくさんの牧師と話しました。(牧師、牧師と呼び捨てにするとなんとなく不遜な感じですが、そのつもりはないのです…)みんなキャンパスの働きを応援してくれて、いろいろな励ましの言葉をくれました。ミシガン教区は、神学部ではなく、伝道の訓練学校を出た若い牧師をたくさん雇っています。アメリカに数箇所ある伝道の訓練学校では、最初から伝道の実践的な方法を学びながら、近隣を戸別訪問で興味のある人を探して聖書研究をしたり、伝道講演会を開いたりします。ですからみんな歩兵牧師なのです(英語ではフット・ソルジャー)。ジョンも、文書伝道とバイブル・ワークで戸別訪問の経験がたくさんあり、セントラル・ミシガン大学のキャンパスでも戸別訪問をして聖書研究に興味のある学生を探そうとしています。
午後になって、ミシガン州を12に分けての地区ごとの伝道戦略ミーティングがあり、その後、その報告会がありました。その時にも、いくつかの地区の代表の牧師が戸別訪問をもっとしていきたいと話しました。戸別訪問は、草の根的な方法で、拒絶にもたくさんあうので、あまり人気のある方法ではありませんが、イエス様も弟子たちを2人ずつ遣わされたとあります。ジョンは、その報告を聞きながら、「前にいたペンシルバニア州では、戸別訪問について語る牧師なんていなかったよ」と言いました。ジョンは、また、「ミシガン教区の牧師は謙遜な人ばっかりだ。ペンシルバニアの牧師たちは、自分の方が立場が上、というような態度で、バイブル・ワーカーの自分に話しかけてくる人はあまりいなかったんだよ」と言いました。
ミシガン教区の教区長は、信仰の人でとても人望が厚いのです。神様が大好きで、伝道に燃えていて、経済的な問題や困難があっても、神様の御心なら必ず備えられ、助けられると、信仰によって進んでいく人です。また、とっても謙虚で優しくて明るいのです。他の人が前に立って話している時、資料を全員に配るといった下働きを進んで行う人です。キャンパス・ミニストリーも支援してくれていて、ピピン先生が無理やり呼び寄せた私たちのことも喜んで迎え入れ、限られた予算からどうにか給料をしぼり出せないかと考えてくれているそうです。教会の使命、クリスチャンの使命が何であるかを本当に理解しているリーダーです。
私たちは特に若い牧師たちとよく話をしましたが、みんな聖書が大好きで、魂を救うことに燃えていて、とても霊的な雰囲気でした。ある牧師は、毎朝、聖書を一章ずつ勉強しながら暗記するのだそうです。もちろん、ずっと覚えていられるわけではないけれど、そのように勉強することによって、聖書に約束されているように、必要な時に必要な聖句を聖霊が思い起こさせてくれるんだよ、と教えてくれました。
その牧師とキャンパス・ミニストリーについて話していた時、「集まってくる学生に、聖書の学び方を教えるといいと思うよ」と言われました。「聖書研究というと教理ばかりを教えがちだけれど、朝ごとの学びをしないで教理の知識だけある人が求道者と聖書研究をしても、知識の伝達でしかなくて、心が変えられないまま知識だけ得た『クリスチャン』を生産してしまうんだ。だから教会は世にインパクトを与えられないんだよ。それに、信者の一人一人がちゃんと自分で聖書を学ぶ方法を教わって、自分と神様の関係を朝ごとの学びによって強めていくと、必ず自然に伝道したくなるんだよ」、と話してくれました。そして、続けて、「最近は、何かを『する』アウトリーチによって伝道が活発に行われているように思われることが多いけれど、ひとりひとりが自分で御言葉を学んで神様との関係を築いていかない限り、そんな活動をして数を集めても最後には結局たくさんの人が教会を離れていくよ」とその牧師は言いました。
それを聞きながら、ミシガン大学でのキャンパス・ミニストリーのことを考えました。私がミシガンに来た最初の年、学生たちと一緒に、御言葉を心にたくわえることをくり返し教えられました。みんなでたくさん暗唱しました。すると、最初は乗り気でなかった人が、たくさんたくわえるにつれて変えられていくのを見ました。がんばっている人を見て引き気味だった人が、覚えた聖句が増えるにつれて、聖書に引き込まれていくのを見ました。最初は与えられるだけだった学生たちが、自主的に集まって聖書を共に研究するようになりました。聖書を開かないと始まらない、という集まりになっていきました。使徒行伝に「御言葉には徳を立て、御国を継がせる力がある」という聖句がありますが、まさに御言葉の力を見た、という感じでした。
セントラル・ミシガン大学でも同じように進めていきたいのです。小さいグループですが、みんなで聖書を開いて、御言葉を学んでいきたいと思います。掘れば掘るほど宝が見出せる、その喜びを学生たちに知って欲しいのです。ジョンと私は、本当に小さく、無に等しい者ですが、大いなる神さまが大きなことをしてくださると期待しています。
信仰の人たちに囲まれて、勇気づけられ、励まされた3日間でした。
2004年01月15日(木) |
寒いマウント・プレザント |
1月15日
朝の天気予報
予想最高気温 −11度
予想最低気温 −20度
ここまで来ると、どこまで寒くなるのか毎日楽しみになってしまいます。マイナス5度くらいになると、ジョンと2人で「あれ?今日は暖かいねえ」なんて話すのでした。
ちなみに、ただ今の気温はマイナス17度です。(夜8時半現在)
外で話したり、笑ったりすると、あっという間にかき氷を食べた時より歯が冷たくなって、キーンとしみるので、口を閉じて温めなければいけないのでした。
2004年01月11日(日) |
あたたかいマウント・プレザント教会 |
昨日、初めてマウント・プレザント教会の安息日礼拝に行きました。
この教会は、誰に聞いても、とても家庭的で、親切な人たちがたくさんいると言います。確かに、教会でもたくさんの人が、はじめて来た私たちのところに来て自己紹介してくれました。これは、なかなかないことです。多くの教会では、ほとんどの教会員が自分と仲のいい教会員同士でお喋りをしているだけで、新しく来た私などに話しかけてくれる人はあまりいませんでした。オクラホマにいたときは、何ヶ月たっても始めてきたお客のようで、ずいぶん寂しい思いをしたものです。
でも、この教会は本当に温かくて、まだ来て一週間だというのに、もう家族の一員のような気持ちにさせられています。
まず引越しの日、5人の教会員が手伝いに来てくれました。そして、「何か必要なものがあったら、必ず私たちに言いなさい」と言ってくれました。
昨日の安息日の礼拝の後、引越しを手伝ってくれたうちの1人である、ジムという人が昼食に誘ってくれました。奥さんがしばらく他の州に行っていていないというのに誘ってくれて、居候している男子学生と一緒に缶詰を開けたり、スパゲッティをゆでたりして、昼食をふるまってくれました。普通だったら、奥さんがいなければそれを理由にまた今度、と言いそうなものなのに、と考えてとても感心してしまいました。この人は、人を助けることが身に染み付いてるんだなあと思ったのです。
そして、安息日の終わった夕方、マウント・プレザント教会の横にある教会学校の体育館で行われる、毎週恒例のバレーボールに誘われて行ってきました。若い人の集まりかと思えば、小学生の子供から、ちょっと高齢の長老さんまで、老若男女が集まり、一緒に遊んでいるのです。セントラル・ミシガン大学の学生も友達を誘って来ていたり、とってもいい雰囲気でした。
ウォルカット牧師は、1月いっぱいで他の教会に移ることになっているのですが、牧師夫人のナンシーが、「この教会のすべてが大好きだから、移ると聞いたときとてもショックだったけど、神さまが最善のことを知っておられて、意味のある転勤だから…」と話してくれました。キャンパス・ミニストリーの働きにしても、ここの教会員は精神的にとってもサポートしてくれるよ、と去年から働いているリックに教えられ、とても心強く感じたのでした。
神さまは私たちの弱さや必要、サポートの必要なことをご存知で、ここに送ってくださったのだなあと、しみじみと感謝したのでした。
2004年01月06日(火) |
ピリピ4:19とマタイ6:34 |
今日はウォルカット牧師と、去年CMUでキャンパス・ミッショナリーとして働いてきたリックとのミーティングがありました。まだ家の中が段ボール箱だらけで、「あれはどこだ!?」「これはどこだ!?」と叫びながら準備をし、ようやく到着しました。途中の道に温度計があったのですが、見ると華氏7度でした。これは、摂氏で言うと、マイナス14度です。半端でなく寒いのでした。
CMUでのSDAのキャンパス・ミニストリーは、ものすごーく小さいのです。去年積極的に活動していた学生は2人で、そのうちの一人(ジョセフ)は卒業してしまいました。ですから残るはビルという学生と、来たり来なかったりの学生たちが何人かいるだけです。金曜日のべスパーの出席はたいてい3、4人なのだそうです。
リックはひとりでいくつもの学校でのキャンパス・ミニストリーに携わっていて、なかなかCMUでの働きに集中することができませんでした。ですから、私たちはこれからリックと一緒に働くことになります。
私たちが働くための予算は、相変わらず手始めの4000ドルだけです。ウォルカット牧師も、「これだと、2ヶ月分ちょっとにしかならないんだよね」と言いました。でも、その後続けて、「でもまあ、必ず与えられるから」とさらりと言うのでした。私はこういう信仰の人を見るのが大好きです。ここのまわりにはそういう人がたくさんいます。勿論、神様が与えてくれるから、と座って待っているのではありません。祈りながらできることをします。私も他の仕事を見つけるかもしれません。でも、本当に神様の御心なら、必ず必要なものは与えられると信じていて、平安があるのです。ミシガン大学のキャンパス・ミニストリーもそうやって始まりました。最初のミッショナリーたちが来たときには、アパートに家具もなく、みんなガランとした部屋に寝袋で寝ていたのだそうです。でも、必要なものは与えられました。
ミシガンのトロイという場所に新しくできた、「アライズ」という伝道者を養成する学校もそうでした。計画は進んでいくのに、予算がまったく足りません。でも、ミシガン教区の教区長は、「御心なら必ず与えられる」と信じていました。そして、ある安息日、この学校のディレクターになることになっているデイビッドが、昼食の席で教会員に、「あと〜ドル(数百か、数千万円分)足りないんだ」と世間話のように話していました。するとそのすぐそばに、その日始めてその教会を訪れた人が座っていました。しばらくして、その人がデイビッドのところに来て、学校を経済的に支援したいので、安息日が終わってから話をしたいといいました。そして、安息日が終わり、2人はレストランに行きました。そこで、その人がいくら予算が足りないのか、と聞きました。デイビッドがその莫大な額を答えると、その人は、「私がそのお金を支払いましょう」と言ったのだそうです。そして、去年の夏、その学校は始まりました。
ですから、私たちがここに住み、CMUでキャンパス・ミニストリーをすることが本当に神様の御心なら、神様が私たちの必要を満たしてくださると信じています。時々、先を思うと圧倒されたり、不安になったりします。でも、その度に、ピリピ4:19や、マタイ6:34の御言葉を思い出して、安心するのでした。ジョンも言いました、「このところ、ずっとこの聖句を唱えてるよ。神さまは、これまでずっと僕たちの必要を備えてくださってるんだよ。僕は今、これまでよりもずっと神さまが近いように感じるよ。誰かが僕たちのために祈ってくれてるんだよ。」
どうか、お祈りしていてください。
2004年01月05日(月) |
マウント・プレザントの小さな家 |
遅まきながら、明けましておめでとうございます。
ジョンと私は、本日ペンシルバニア州からミシガン州、マウント・プレザントに引っ越してきました。この町にある、セントラル・ミシガン大学(CMU)という大学でキャンパス・ミニストリーに携わるためです。SDA教団のミシガン教区には、公立大学伝道部という部署があり、ミシガン大学を中心にいくつかの大学のキャンパス・ミニストリーが活動をしています。CMUもそのひとつです。
本当は12月15日に引越しの予定だったのですが、その時にはまだ引越し先の家が見つかっていませんでした。以前にも書きましたが、そのお金がどこから来るのかも、誰も知りませんでした。とりあえず始めるための、4000ドルが公立大学伝道部からマウント・プレザント教会に渡され、教会のウォルコット牧師が私たちの住む場所を探してくれていました。
1月5日に引っ越しを延期したものの、12月30日になっても住む場所が決まったとの連絡がありません。神さまは、時々最後の最後になってどんでん返しをしてくださるからなあ、と思いつつも、もしも家が決まらなかったらどうするんだろう、ミシガン大学のキャンパス・ハウス(以前私の住んでいた所)にしばらく居候かなあと考えたりしていました。すると、ジョンの携帯が鳴り、答えるとウォルカット牧師でした。「家が見つかった!」との知らせに、ジョンはくり返し、”Praise the Lord!! Praise the Lord!!” と答えていました。
電話を切った後、ジョンが私に言いました、「今朝、神さまに、『もしも、マウント・プレザントに行くことが本当にあなたの御心なら、今日、住む場所を見つけてください』と祈ったんだ。「御心じゃないかもと思ったの?」と聞くと、「うん、実は、家も見つからないし、教区に予算もなくて経済的にも大変だし、少し疑い始めていたんだ。でも、神さまがこうして祈りに答えてくださったから、マウント・プレザントに行くのが本当に御心だとわかったよ」と話してくれました。それを聞いて、私も、本当にこれは神様の御心なんだと確信できたのでした。
というわけで、引っ越してきたのですが、この新しい古い家は、ものすごーく小さくてかわいいのです。とても古くて、大きさは周りの家の車庫くらいです(大げさでなく)。シャワーを浴びているとお湯と水の両方の蛇口のひねるところが取れて落ちてきたり、地下の部屋はまるで昔の牢屋のようで水漏れしていたりします。でも、窓がたくさんあって(前のアパートは窓がひとつしかなくて、一日中電気をつけていないといけなかったのです)、すっかり気に入ってしまいました。人を招いて食事をすると、みんな立っていないと入れないような場所ですが、この家を神さまの御用のためにお用いくださいと祈るのでした。