Simple Faith


2003年12月26日(金) ヒッコリーのJapanese Restaurant

今日は、Japanese Restaurant に行きました。
ジョンの実家のあるヒッコリーという町には、Japanese Restaurant がたくさんあります。でも、これらのJapanese Restaurantで出されるものは、日本料理とはとても言いがたい料理なのです。

店に入ると、金髪の女の子と東南アジア系の男の子が働いていました。ガラス張りのキッチンを覗くと、中国系と東南アジア系のコックさんがいました。

ヒッコリーのJapanese Restaurantで私たちが注文できるものは数少ないので、いつも注文する野菜炒めのセットを注文しました。すると、メニューに Tenpura があるのに気がつきました。「天ぷらだ!注文しよう!」とジョンと2人でうきうき金髪のウェイトレスさんを呼びました。

しばらく待った後、天ぷらがやってきました。見ると、それはオニオンリング、ブロッコリー、マッシュルーム、オレンジ色のスウィートポテトの天ぷらでした。(他のところではじゃがいも、にんじんもありました)しかも、ものすごく油っこいのでした。東南アジア系の男の子が天ぷらのたれを持ってきてくれました。でも、つけて食べてみると、それはお醤油を水で薄めただけのような味でした。

天ぷらと一緒にウェイターが持ってきてくれたのはフォークだけだったので、「すみません、お箸ありますか?」と聞きました。すると、「少しお待ちください」とキッチンに入って行き、しばらくして「すみません。箸はありません。」と言うのでした。お箸のない日本料理店は初めてでした。

そして、ウェイトレスが野菜炒めのセットを持ってきてくれました。大きなお皿にアメリカ野菜の炒め物と、ご飯と、にんじんがのっています。ご飯はもちろんパラパラの細長いご飯です。きっと箸があっても、そのご飯は箸では食べることができなかったでしょう。そして、にんじんは、まるでお菓子のように甘く煮てあるのです。ジョンが、「このJapanese carrot、おいしいんだよね!」と言いました。「Japanese carrot!? こんなの、日本にはないよ!」と私は言いました。もしかして、日本で甘辛の煮物のにんじんを食べた人が「日本のにんじんは甘い!」と思い込んでしまったのでしょうか。

極めつけは野菜炒めでした。とってもおいしかったのですが、まるで野菜が油の中で泳いでいるかのごとく、油っこいのでした。油っこい天ぷらもどきと、油っこい野菜炒めと、ぱらぱらのご飯と、お菓子のように甘いにんじんを食べながら、きっとヒッコリーにすむ人の98パーセントは、これが日本料理だと信じたまま死んでいくんだろうなあと考えてしまったのでした。

もしかしたら、日本のイタリアン・レストランに来るイタリア人も同じように考えているのかもしれないなあと思ったのでした。


2003年12月25日(木) ヘレン

昨日、ノース・キャロライナにあるジョンの実家に来ました。
ミシガンは寒いですが、ノース・キャロライナは南なのでずっと暖かいです。

今日は、ジョンと一緒にヘレンという女性のうちに行きました。
ヘレンは、ジョンをイエス様に導いてくれた、80歳くらいの女性です。ジョンがチラシを見て、初めて教会での聖書の預言セミナーに行った時、このへレンがとっても親切にしてくれたのでした。その頃のジョンは、ラップ音楽や麻薬にはまっていて、5年付き合っていた彼女に裏切られて、人生のどん底にいたのでした。そのような状態のジョンが教会へ初めて足を踏み入れた時、ヘレンがイエスさまの愛をもってジョンを愛し、イエスさまに導いてくれたのだそうです。「ヘレンがいなかったら、僕はクリスチャンにはなってなかったと思うよ」とジョンは言っています。

何ヶ月か前、そのヘレンが、病気になったとジョンのお母さんから連絡がありました。脳に腫瘍ができたのだそうです。ジョンは、電話で何回かヘレンと話していましたが、今回帰ってきたので、家を訪ねることにしたのです。

ヘレンは、久しぶりにジョンに会ったので喜んでいましたが、体の調子が良くないので落ち込んでいました。自分がキリストのうちにあるのかわからなくなってきた、と不安そうに言いいました。ジョンは聖書の約束を読んで、そういう思いはサタンから来るもので、感情と信仰は正反対の場合もあるんだよ、と説明しました。ヘレンも、いろいろな聖句を覚えて、それを頼りに毎日を過ごしていました。

ジョンの顔を見たことが少しでも励みとなりますように、また神さまからの平安がヘレンの上にありますように、とそこを後にしたのでした。


2003年12月23日(火) マウント・プレザント

今日、ジョンと私は、ミシガン大学のあるアナーバーから車で北に2時間半のところにある、マウント・プレザントという町に行きました。

この1月から、この町にあるセントラル・ミシガン大学でキャンパス・ミニストリーにたずさわることになっているのです。

午前中に牧師のパスター・ウオルカットに会い、教会やキャンパスを案内してもらいました。ミシガンでは、ミシガン大学を中心に、いくつかの公立大学でSDAの学生たちのグループが活発に活動をしています。でも、このセントラル・ミシガン大学のグループは核となっている学生が卒業したり、学生間の葛藤があったかなんだかで、今はちゃんとしたメンバーがたった一人なのだそうです。

昼食を食べながら、パスター・ウオルカットといろいろな話をしました。ミシガン教区の公立大学伝道部部長のピピン先生に私たちは呼ばれたのですが、経済的な問題があって、私たちのことは教区に承認されていないのだそうです。「それでもピピン先生は、どうしてもあなたたちを呼びたかったから、教区を通さずに呼んでしまったんだ。」とパスター・ウオルカットは言いました。

ピピン先生は、あなたたちの両方に、キャンパスでフルタイムで働いてほしいと思ってるんだけど、お給料はひとり分しか出せないんだよ。それも、2月の予算編成の時にあなたたちのことが承認されたらの話。それまでは、今ある予算の中から二人の必要をまかなわなければならないんだ、とパスター・ウオルカットは言いました。

そして、昼食の後、3人で私たちの部屋探しをしにいきました。1月5日にペンシルバニアから引越しする予定なのです。予算がかなり限られているので、低額のアパートを探して回りました。一箇所、よさそうなところがあり、明日パスター・ウオルカットが話を聞きに行くことになりました。

GYCで会った人たちに、部屋もまだ見つかっておらず、お給料がもらえるかもわからないと言うと、びっくりする人も勿論いましたが、「あなたたちがそこに行くのが御心なら、神さまが必ず備えてくださるよ」と励ましてくれる人もいました。実は、私もそう思っています。もしかしたら、私のほうが他の場所で働かなければならないかもしれませんが、もしそれが御心なら、神さまがその道を開いてくださるでしょう。

神様がどんな奇跡を起こしてくださり、どんな道を開いてくださるのだろうかと楽しみでたまらないのでした。


2003年12月22日(月) 最高よりもさらに高く

12月17日(水)から昨日21日(日)までGYC(General Youth Conference)に行ってきました。GYCというのは、青年を神さまの働きのために訓練することを目的とした大集会です。

800人もの青年がアメリカ全土だけでなく、他の国からも集まり、共に神さまを礼拝し、伝道のための訓練を受けました。第一回の昨年は、200人を予定していたのに倍の400人が集まりました。今年は、800人の定員がいっぱいになり、締め切らなければなりませんでした。

大学生や20代の青年たちが、敬虔な大人の知恵を借りながらすべての集会を計画しました。800人の青年(壮年も?)が声を合わせてピアノとオーケストラの伴奏で讃美歌を歌い、ひざまずいて祈り、熱く語りかける説教者の言葉に「アーメン!」と答えました。SDA教団の大学の学生、公立大学に行っているSDAの学生、自給伝道の学校の学生、職業を持っている青年など、様々な背景の青年たちが、そして白人、黒人、アジア系、ヒスパニック系など様々な人種の青年たちが、それらの壁を破って共に神さまを賛美したのです。

講師たちの説教も、ちまたにあふれている「心温まるいいお話」ではなく、聖書に基づき、聖霊に満ち、ストレートで、聞いている者が生き方を変えるか、拒絶するかのどちらかしかできないようなメッセージばかりでした。多くの青年が心の中で葛藤しました。自分たちが神さまよりも自己のために生きていることを知ったからです。神様のために働いていると思っていた青年も、神様の召しがどれほど高いか、そして自分がどれほど低い状態で満足していたかに気づかされ、葛藤しました。そして、最後には30人の青年がキリストを受け入れるバプテスマと、全的な献身を新たにする再バプテスマを受けました。

いろいろな組織の紹介もありました。ある22歳の女性は児童伝道のディレクターをしています。彼女の組織はルーマニアに5ヶ所くらいの拠点を持ち、子供たちに聖書を教えています。大人対象の伝道講演会をする間、子供たちに易しい言葉で同じことを教えます。安息日、死後の状態、聖所、再臨、獣の印などが、聖書と絵などを用いて易しい言葉で教えられ、子供たちはそれを吸収し、講演会の後、親とその日のトピックについて話し合うことができるのだそうです。ある子供は学んだことを入院している母親に教え、その子供を通して病気の母親は安息日、獣の印などを学び、バプテスマを受けました。

エクアドルでは、24歳の青年とその仲間たちが国で唯一の聖書的な伝道訓練のための学校を設立しました。その他のSDAの学校は、聖書から離れ、伝道者を養成するには程遠いものになってしまっているのだそうです。彼らはいろいろなところから招待されて、伝道講演会やその他の伝道活動を各地で行っています。

開拓伝道を行っている組織、アドベンチスト・フロンティア・ミッションの代表者もいました。世界には福音が届いてない民族、言語グループが6000もあり、その人数は人口の半数近くに達するということ、それなのに毎年送られている宣教師の9割以上が、すでに福音が伝えられている国々に派遣されていることなどがわかりました。彼自身はパプア・ニューギニア奥地の、クリスチャンがひとりもいない地域に派遣され、8年間奉仕したのだそうです。その地域には、今では2500人の信者がいます。彼が訴えるように叫びました。「時間の大半を自分のために使っていながら『イエス様を愛している』なんて言わないでくれ!」

他にも、伝道者を養成するアメリカ国内の学校、ロマリンダ大学の学生グループの伝道活動などが紹介されました。

前に立った青年たちが口々に言いました。「青年はクリスチャン・ロック音楽や、エンターテイメントを使わないと集まらない、と大人は言うけれど、それは間違いだということが、ここにいるとわかる」「伝道活動の目的や方法は、聖書に基づいたものでなければならない」。食事の席に着くと、周りに座っている青年たちが神さまのことや、自分の関わっている伝道活動について熱く話し合っていました。ロビーでは、自発的な聖書研究をするグループの回りに人が集まっていました。800人のうちのほとんどが朝6時からの集会に集まり、夜9時過ぎにすべての集会が終わるまで、一日に9時間の説教やワークショップのお話を、文句を言うどころか、乾ききったスポンジのように熱心に聞きました。

これだけ書くと、とっても真面目ひとすじのようですが、(もちろんそうなのですが)実際はみんなとても明るく、ユーモアがあり、楽しそうで、生き生きとしているのです。神さまにある喜びにあふれています。

他にも書ききれないことがたくさんあります。
でも、私がいちばん強く思ったのは次のことです。青年は、リーダーシップ次第でどういう方向にでも向いてしまうということです。「終わりの時にはネヘミヤのようなリーダーが必要とされている」と、スタッフの青年がくり返し言いました。神殿再建の指導者であったネヘミヤは外から、内からの妨害に何度も遭いました。しかし彼は、祈り、祈り、祈り、そして妥協することなく忠実に働きを続けました。その結果、神殿は短期間のうちに再建されたのです。

GYCの核となった青年たちを導いてきた指導者たちは、内から、外からたたかれながら、聖書の原則への忠実さを保ち、祈りながら忍耐強く働いてきました。青年たちは、自分の人生をかけることのできるものを探しています。そして、神様への献身はそれに値してあり余るものです。でも残念ながら、それを自分の人生を通して示すことのできる指導者は少ないのです。だから青年は失望し、自分を「満たしてくれる」ものを求めて他の場所に行ってしまったり、世に同化してしまうのでしょう。

期待が低いと、人は低いところで満足してしまいます。GYCの核となった青年たちは、敬虔な指導者たちによって霊的にも、その他のことにおいても、常により高いところへと挑戦されてきました。自分の能力や賜物のなさにくじけそうになる時、その指導者たちの愛と励ましによって再び堅く立ちました。神さまのために人生を捧げ、原則に堅く立っていることを自分の人生をもって示している指導者を青年は尊敬し、その後に従っていきます。そして、そのすべての後ろにはイエス様がおられるのです。

ほとんどの子供や青年は、強い言葉ですが、大人にあなどられています。子供や青年も、聖書を愛し、神様の原則に忠実に生きることを学ぶことができます。世的なものよりも、天からのものの方がはるかに素晴らしいということを理解することができます。今が終わりの時であり、福音を全世界に宣べ伝える使命が与えられているということを理解することができます。神と堅くつながること、そして神のために働くことに真の喜びを見出すことができるのです。

でも、そのように導いていくには忍耐が必要です。祈りが必要です。小さなことから始めなければいけません。ひとりずつ、ひとりずつ関わっていかなければなりません。報われないことも多くあります。原則に忠実であるよりも数を集める誘惑に駆られることもあります。たたかれることもあります。でも、耐え忍んでそれをしてきたことの結果がGYCなのです。

最初は小さなグループでした。小さなグループが神さまに全的に献身しました。そして、その小さなグループを通して聖霊がまわりの人に感化を与えていきました。そしてその感化の輪が広がり、ここまで大きな集会になったのです。それは遊びに来た青年の集まりではありません。素晴らしい時を経験しに来ただけの集まりでもありません。それは、神様と神さまの働きのために自分の人生を捧げる決心をした、またしたいと望んでいる青年の集会なのです。

GYCのことを書いていると、いろいろな思いが駆け巡ります。日本に思いが向きます。神様の召しに答える青年がますます増え、三天使の使命が果たされて、イエス様の来られる時が早く来ますように、と強く強く願うのでした。



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