Simple Faith


2003年11月21日(金) 大失望と自分の信仰

ここ何日か、「教会への証」という本を読んでいます。
9巻まであるうちの、第一巻は、ホワイト夫人自身の証で始まっています。
子供の頃、同じ学校の女の子に追いかけ回され、顔に石をぶつけられてしまったこと、それによって鼻の骨が折れて顔が変形してしまっただけでなく、意識も数週間なくなってしまったこと、その後も後遺症で寝たり起きたりの生活となり、結局12歳で学校をやめなければならなかったこと、そのため子供の時代を絶望のうちに過ごしたことなどが書かれています。また、信仰を持つようになり、再臨信徒の集会に通うようになったこと、聖書に書かれているキリストの再臨について口にしたために、以前から通っていた教会にいづらくなってしまい、結局家族全員、その教会を去ることになったことなどが書かれています。

でも、私の心にもっとも訴えたのは、大失望の経験でした。
ウィリアム・ミラーという人が、ダニエル書8章を研究して、キリストが1843年に来られると確信し、各地を回って説教しました。それを聞いて、何千人もの人が改心し、悔い改め、祈り、自分たちの心を探り、聖書を学び、キリストの再臨に備えました。ホワイト夫人もそのひとりでした。でも、1843年、キリストは来られませんでした。時がすぎても何も起こらなかったため、再臨を信じていなかった人たちは彼らをあざけりました。それだけではなく、とても信仰深く見えていた人が何人も態度を変え、あざける側に回りました。他にも、静かにいなくなっていく人々もいました。

でも、残った少数の人々は聖書の研究を続けました。何人もの聖書学者が、ウィリアム・ミラーの時間の計算は正しいと言いました。そして、2300年の預言の発起点となる年の初めから数えるか、その年の終わりから数えるかで、2300年が終わる年が変わり、ダニエル8:14の年は、実は1844年であったと修正しました。そしてまた信仰深い人々は祈りながら待ちました。あざける者たちが、ペテロ第二 3:3,4にあるように、キリストはいつ来るのか、と彼らをあざけりました。そのような中、彼らは忍耐強くキリストを待ち望みました。でも、キリストはやっぱり来られなかったのです。そして、また多数の人が信仰から離れていきました。

ホワイト夫人は、1843年に失望を経験した時に、これは本当の信仰が現されるためのテストだったのだと書いています。信心深い様子をしていながら、その人たちはキリストが来られなかったことで安心した様子だったのだそうです。そしてあざける側に回ったのです。その人たちは、恐れの気持ちから改心していたのでした。キリストの再臨を本当に待ち望み、大失望を経験しても神様に信頼し、聖書を研究し続けたのはほんの少数の人たちだったのです。

これを読んだ時、私は自分の信仰を思いました。もしも、私がその時代に生きていたらどうなっていただろう、ちゃんと最後まで残って希望を持ち続けていただろうか、もしかしたらあざける側に回ってしまっていたのではないだろうか、そうでなくても黙っていなくなってしまっていたかもしれない…などと考えてしまいました。それに、道を歩けばあざけられてしまうような状況で、自分の信仰を堂々と告白することができていただろうか、と考えると彼らの信仰は、本当に神とつながっている強いものだったんだ、と思ったのです。

いざという時に信仰に堅く立つことができるためには、何もないときから、神に従うことを日々心に定めていないといけないなあと、改めて思ったのでした。

以前、黙示録を学んで、暗黒時代や宗教改革に続いて、大失望についても預言されていたと知った時、目からうろこが落ちるような気分でした。神さまの預言は着実に成就されていて、私たちには福音を全世界に宣べ伝えるという使命があります。

イエス様が来られるまで、ふるわれずにずっとしがみついていられるように、日々神さまの助けが必要だと改めて思ったのでした。


2003年11月20日(木) オカメインコの改名?

私たちは3羽のオカメインコを飼っています。2羽はもらった鳥、もう1羽はジョンが知り合いから20ドルで買ったのです。
私が最初に飼っていたのは「はなちゃん」(オス)、ジョンが買ったのは「エライジャ」(日本語でいう「エリヤ」、オス)、そして最後にもらったのが「リア」(日本語でいう「レア」、メス)です。

今、3羽は同じかごの中で飼われています。でも、「はなちゃん」と「リア」はいつも一緒にいて、「エライジャ」だけがいつものけ者なのです。でも、だからといって「エライジャ」が寂しがっているかといえばそうでもなく、「はなちゃん」と「リア」が近くに来るとくちばしで攻撃したり、ブランコに乗っていると、何の理由もなくつついてブランコから落としたりします。

数日前、ジョンと話していた時、「エライジャ」は名前の通り、孤独な預言者だ、とジョンが言い出しました。いつもひとりで、ためらうことなく攻撃(?)する。アハブとイゼベルと勇敢に戦ったエリヤと同じだ!と言うのです。そして、「はなちゃん」と「リア」を改名して「エイハブ(アハブ)」と「ジェゼベル(イゼベル)」にしよう、と言うではありませんか。その時はげらげら笑って、「それ、いい!」と言ったものの、実際に「はなちゃん」に向かって「エイハブ!エイハブ!」とジョンが呼んでいるのを見た時には、「違う!エイハブじゃない、はなちゃんだ!」と叫んでしまいました。

本物のエリヤは、神さまに召されてアハブとイゼベルの罪を責めましたが、私たちの「エライジャ」は、自分がえさを食べたい時に「はなちゃん」と「リア」をつついて追い散らしたり、一日中おもちゃで遊んだり、口笛を吹いて大騒ぎしたり、預言者からは程遠い?のでした。


2003年11月13日(木) ブライアンの悩みとフォローアップ

昨日は祈祷会でした。
以前、ジョンを訪ねて、一緒に祈祷会に行った時の参加者は、ほんの3〜4人だったのですが、伝道講演会の後は毎週20人〜25人くらい集まっています。その半分近くが、伝道講演会でバプテスマを受けた人、また講演会の後、引き続き勉強をしている人たちです。たった一ヶ月の伝道講演会に来ただけでバプテスマを受けるというのは、とっても早急なような気がするかもしれません。でもアメリカでは多くの人にキリスト教のバックグラウンドがあり、20数回の預言セミナーの集会で、預言にからめて教理を全部教えるので、それを受け入れることさえできれば、すぐにバプテスマを受けても、差しさわりがないのだと思います。ジョンも、クリスチャンになったのは、同じような預言セミナーを通してでした。

昨日は千年期についての学びでした。
和やかな雰囲気で進められていたのですが、いつも元気なブライアン(彼も伝道講演会でバプテスマを受けた一人)がとっても静かで、心ここにあらず、という感じなのです。どうしたのかな、終わったら話しかけてみようかな、と思っていたのですが、終わりのお祈りの後、そのブライアンが「質問があります!」と言いました。先週の祈祷会で、ジョディ牧師が自分の経験から、新しく学んだ聖書の教えを、攻撃的、批判的にならないように他の人(特に他の教会のクリスチャン)に伝えるようにというような話をしたのですが、ブライアンは、早速お父さんとぶつかってしまった、と言うのです。「こういう風に言ったら、こんな風に父さんが言うんだ。そう言われると、こうしか言いようがないよ!」と話し始めました。昔からの教会員も、求道者も、みんなで話を聞いて、私の場合はこうだった、ああだったと分かち合いました。

ある教会員は、バプテスマを受けた時、両親から反対されました。敬虔なプロテスタントのクリスチャンの両親は、息子がSDAになったのが気に入りませんでした。どうしていいかわからず、当時の牧師に相談すると、「そういう時には、議論をしてはいけません。ただ、クリスチャンとしての人生を生きなさい。」と言われたそうです。そして、彼はそのアドバイスに従いました。そして、彼のお父さんはもう亡くなってしまったそうですが、お母さんはほんの数年前、SDAのクリスチャンになったのだそうです。

私は、色々な人がそうやって分かち合っているのを聞きながら、これは素晴らしいフォロー・アップだなあと思いました。バプテスマを受けて終わり、とならないように、毎週集まっては聖書を学び、信仰がしっかりと御言葉に根付くようにしながら、新しい教会員と昔からの教会員が経験を分かち合い、励ましあうことができるのです。

以前、ミシガンにいた時にゲストスピーカーとして来た人が、自分の家での聖書研究の話をしてくれました。その人自身、公衆伝道者として(普段はお医者さんなのですが)、年に数回伝道講演会を開いています。(もう、70歳すぎている人なのですが)。そして、それを通してバプテスマを受けた人たちを招いて、毎週自宅で聖書研究をするのだそうです。その人のやり方は、決まったトピックを教えるというものではなく、メンバーが質問をして、それに対して、自宅にあるコンコルダンス(聖書のすべての言葉から聖句の箇所を引くことのできる辞典みたいなもの)や、聖書辞典などをみんなで開いて、みんなで答えを見つけていくのだそうです。そうすることによって、答えを見つけ出すだけでなく、ひとりひとりが聖書の学び方を学ぶこともできるのだそうです。

長い間、教会に通っていても、聖書の学び方(ただ読むだけではなく)がわからないという人は多いと思うのですが、バプテスマを受けた時から、それを教わることができるというのは、素晴らしい祝福だなあと思いました。

こういう学びを通して、ひとりでも多くの人が(自分も含めて)、御言葉に根付いて、信仰を堅く持っていってほしいなあと思ったのでした。


2003年11月06日(木) 日本語メール

あっという間に日にちがたち、アメリカに来て
2週間以上すぎてしまいました。
ジョンと3羽のオカメインコと、なかなか
にぎやかな日々を送っています。

自宅(小さなアパート)にはインターネットが
つながっていないため、メールのチェックなどは
図書館に行っています。
でも、図書館のコンピューターでは、日本語を
読むことはできますが、書くことができません。
そこで、たまにジョンの職場の近くの図書館に
行けた時に、自分のコンピューターを持っていって
インターネットにつなげさせてもらっています。
それも1週間に1度くらいしかできないので、
メールを日本語で書けるのも、週に1度くらいです。
でも、今日はその図書館で、少し時間があるので、
何とか少しでもHPの更新ができたらなあと思って
います。



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