Simple Faith


2003年10月16日(木) 裁かない、妥協しない

私のHPには、ピピン先生という名前があちらこちらに書いてあります。
ピピン先生は、私の恩師だからです。
でも、ピピン先生は神様ではないので、弱いところもありますし、
罪もまちがいも犯します。完全ではありません。

以前、ピピン先生のことを御存知の某Y先生が、「え!?ピピン!?
彼、スーパー・コンサーバティブ(超保守的)だよ!」と言われました。
でも、一部の自給伝道などの、生粋のスーパー・コンサーバティブを
見てきた私にとっては、ピピン先生は非常にバランスの取れた方に思えます。
それは、多くの公立大学の学生たちも同じように言っています。

なぜ、こんな前置きがあるかというと、我ながらピピン先生、ピピン先生と
ピピン先生のことばかり書いているなあと思うからで、それを読んだ方に
ちびこあらはキリストを差し置いてピピン先生、と思っていただきたくない
からです。
神さまは、たくさんの人を通してキリストを私に示してくださいました。
ピピン先生もまたその1人です。

私がミシガンにいたとき、いちばん苦労したのは、自分のバランスを
どう保つか、ということでした。
ミシガンに行く前の年、英語学校で私はばりばり自給伝道の超コンサバ宣教師から
色々なことを教わりました。深い聖書の学び、神様の喜ばれるライフスタイル
などなど。今思えばかなり律法主義的とも思える態度でしたが、言っていることは
とても聖書に基づいていて、たくさんのことをその宣教師から学びました。

そして、いざミシガンへ。
着いてみると、そこにいたのは昼夜逆転したような生活を送っている
フツ〜の大学生のグループでした。(みんなSDAの学生ですが)
超コンサバ宣教師のおかげですっかり浮世離れしてしまっていた私は、
はじめどのように彼らと接していいのかよくわかりませんでした。
中には、私が来る前の年にいた宣教師の律法主義的な態度に反発して、
私のことを知る前から、私に反発したような態度をとる子もいました。

その頃は、毎日毎日が葛藤の連続だったのです。
今よりも厳格に完全菜食、仙人のような早寝早起きをしていた私は
(今でもそのような生活がしたくてしようがありませんが)
肉肉食のカフェで食事をし、昼夜逆転の生活を送る学生たちとは、それだけで
大きなギャップがありました。

ミシガン2年目に共に働いた宣教師のある子は、この学生たちとの
ギャップについてゆけず、自分の基準に及ばない人たちを、自分の基準まで
引き上げようとして、大きな摩擦が起こっていました。
及ばないところを彼に次々と指摘されて、みんな窮屈な思いをしていました。

もう1人の子は、前出の彼とは正反対で、学生たちとすっかり同化してしまい、
学生なのか、宣教師なのかわからないような生活になってしまいました。
彼は、自分が学生たちといちばん仲がいいと自慢していましたが、
私は、それも違うんじゃないかなあと思ってしまいました。

1人目の子は、基準が天のように高く(それ自体は素晴らしいことですが)、
そのために、それに及ばない人を裁いていました。
2人目の子は、人を裁くことはなく、とても親しみやすい子でしたが、
その分、自分の生活もすっかり世に妥協してしまっていました。

ここで、長々と書いた前置きに戻ってしまうのですが、
私はこういう問題に関しても、ピピン先生の影響を受けたのでした。
ピピン先生の学生たちに対する態度は、一言で言うと、
「裁かない、妥協しない」でした。
自分と違う意見、基準を持っている人を認めて、愛し、裁かない。
でも自分は妥協しないという態度です。
これは、裁いたり、妥協したりするのに比べて、いつも自分の信仰を
吟味していなければならず、その場その場に応じて神さまからの知恵を
いただかなければならないので、そうたやすいことではありません。
時々、神経もすり減ってしまいます。
でもそれがいちばんキリストに近いのだと思うのです。

キリストは、神様のご要求には完全に従っておられました。
罪を罪と呼ばれる方でした。
でも罪を犯している人々のことは、とことん愛されました。
今、この混乱した世にキリストがおられたら、いったいどのような態度を
とられるのでしょうか。
そう思うと、弟子たちのようにキリストの足元で学びたいと強く強く願って
しまうのでした。

早く、イエス様の御許に行きたいです。


2003年10月15日(水) 紆余曲折の功名

私のクリスチャン人生は紆余曲折の人生でした。
よくわからないうちに、わーっと飛びつくように教会にはまり、バプテスマを
受けました。

その後、わからないながらも教えられたことをきちんと守るようになりました。

その後、カトリック系の大学で聖歌隊に入り、カトリック信者とたくさん
接する機会ができました。
はじめは、カトリックの教えに抵抗を感じ、聖書の教えと比べては愕然と
したりしました。カトリックとSDAの教会の両方に行き始め、どちらの教会に
決めようかと悩んでいた友達に、カトリックの間違いばかりをあげつらい、
その友達が苦しくなって結局カトリックに行ってしまったという苦い経験も
ありました。でも、その私自身も次第にそこでの交わりの居心地のよさにはまって
しまい、今度はSDAの教会にいることが居心地悪くなってきてしまったのです。
自由奔放なカトリックに比べて、SDAが窮屈に思えてきたのでした。

そこから私の信仰は混乱してしまい、結果的にしばらくの間教会を離れて
しまいました。からだは教会に行っても、心は反抗心のかたまりで、
何を聞いても心の中で皮肉を言っていました。

そうするうちに、人は千差万別で、様々な人、様々な考え方があるのだから、
それぞれの人が幸せなら、何を信じていたっていいじゃないか、と思うように
なりました。
当時の安息日学校の教科の時に、何かのディスカッションでそのような意見を
言い、教師が当惑した顔になったのを今でも覚えています。

そんな、ニュー・エイジのような状態から、SDAにやっと戻ってきた時の
お話は長くなるので、またいつか書きますが、とにかくバプテスマを受けてから、
厳しい律法主義者のようになったり、その反動でスーパー・リベラルに
なったりと、とにかくびゅうん、びゅうんとあっちに行ったり、こっちに
行ったりしたのです。

実を言うと、バプテスマを受けてからの人生(とそれまでの人生)を
振り返ると、今が一番幸せです。神さまに一番近いような気がします。
周りの人も大好きです。
違う意見を持っている人も、癖のある人も大好きです。
でも、それは紆余曲折のおかげでもあるなあと思うのです。

私たちは、「あ、この人は私とは違う」と思うと、簡単にシャットアウト
してしまったり、距離をおいたりしてしまいがちです。
その方がとっても楽なので、私もその誘惑にかられることがよくありますし、
またそうしてしまうこともあります。

でも、自分の紆余曲折のクリスチャン人生を振り返ると、一概に
「この人は、私とは違う」とは言えないのかもしれないなあと思うのです。
私自身、13年前の私と、10年前の私と、7年前の私はそれぞれ全く
違う人のようでした。それぞれの私が、他の時期の私と話をしたら
「あ、この人、私とは違う」とすっかり溝ができてしまっていただろうなあと
思うのです。おかしな話ですが、本当です。

そう思うと、自分を含めどんな人でも、今よりもずっと神さまに近づき、
共にキリストにある一致に向かうことのできる方向に変わっていくことが
できるんだなあ、と思えて希望がわいてくるのです。
私は紆余曲折しながら神様に導かれてきました。今もその途上にあります。
そして私の周りにいる「私とは違う」人たちも、その途上なのだと思うのです。
そう考えると、「自分と違う」人たちと付き合うのがもっと楽しくなります。
「自分と違う」からといって、敬遠するのがもったいなくなります。
自分を含め、人の心が聖霊のみ声によって変えられていくのを経験するのは
本当に大きな祝福です。
そして、人の心を守り、導いてくださる聖霊の神様はすごいお方だなあと
感動してしまうのでした。

怪我の功名ならず、紆余曲折の功名なのでした。


2003年10月14日(火) 移民ビザ

移民ビザがようやく取れました。
初め他のビザの申請をしかけて、また取り直しをしないといけなかったので、
とっても長い道のりでした。

前回大使館に行ったときに、長蛇の列だったので、今日は朝8時半の面接予約
だったのですが、7時半過ぎに行きました。もう、たくさん人が来てるかな、
と思ったのですが、まばらで結構すぐに入れて、番号札も5番でした。
どうやら、朝一番は移民ビザの面接だけだったようです。

面接は、短いとは聞いてはいましたが聞かれたのは、"How are you?"だけでした。
後は、書類の内容が真実であることを右手を挙げて誓わされ、また午後に
戻ってくるように言われたのでした。

そして午後、たくさんの書類が入りの大きな封筒に貼り付けられたA4サイズのビザを渡されました。
アメリカの空港の入管で封筒のままビザを渡し、書類の審査をされ、
そこでスタンプを押されて初めて永住権がもらえるのだそうです。
あと一息です。やれやれ。

ところで、永住権、移民ビザに関する二つの大きな誤解があります。
海外生活の長いお医者さんまで持っている誤解です。

誤解1.アメリカ人と結婚したら即アメリカ永住権がもらえる。

…うーん、現実はそんなに甘くないのでした。
ちゃんとビザを申請して、たくさんの書類を提出しなければなりません。
申請者に伝染する病気、犯罪歴がないか、アメリカ市民の配偶者に
ちゃんと扶養能力があるかなど、厳しくチェックされます。
偽装結婚の防止もあるみたいです。

誤解2.アメリカの永住権をもらったら、アメリカ人になってしまう。

そんなことはありません。
私はずっと日本人でいたいと思っています。
昔、サッカーのラモスが日本に帰化して日本の国籍を取得したように、
アメリカ人になるには、帰化の申請をしなければなりません。

というわけでした。


2003年10月09日(木) 霊に燃える青年たち

ジョンの教会では、まだ伝道講演会が続いています。
ジョンは、その講演会の説教者のハイラムという人ととても仲良くなったそうです。
ハイラムもまだ30代半ばの若い人なので気があったようです。
そのハイラムが、ジョンにくれたアドバイスは、「説教するなら、ストレートな
メッセージを話した方がいい。柔らかいことを話したら、人は続けて来てくれる
かもしれないが、キリストに全的に献身するという決断をする人は少ない。
ストレートに話すと、1ヶ月にわたる講演会の半ばで脱落していく人が多くなるが、
残った人は、キリストにすべてをおゆだねし、全的に従うという固い決心をする」
と言うものでした。

それを聞いて、ミシガンでいっしょに働いていたピピン先生を思い出しました。
ピピン先生は堂々と、罪を罪と呼ぶことのできる人です。
先生の本を読んだり、お説教を聞いたりして、怒ってしまう人もいます。

でも、ピピン先生の周りにいる人は、みんなピピン先生を愛し慕っているのです。
ミシガン大学の学生達も、ピピン先生が大好きです。
ある学生は言いました。「先生はあんなに有名な説教者なのに、私達に説教する
ことはないんだ。そして先生が私達のことを信頼してくれていることがわかる。
だから、その信頼に応えたいと思ってしまうんだ。」

先生がミシガン大学に来たとき、SDAの学生達は、聖書に何が書いてあるかよく知らず、
生活も世俗的で、クリスチャンでない人との区別がつかないような状態でした。
先生によると、まず最初にしたことは、大争闘シリーズ(人類のあけぼの〜大争
闘)を、学生達でも買えるような値段で配ったこと。(アメリカならではですが)
それを読み始めて学生達はかなり変わったと言っていました。

そして、とにかくみんなで聖書を学びました。
いくつもの場所で小グループで集まって、みんなで聖句を暗記するプログラムを
行いました。そして週に一回、ものすごい量の聖句を暗記して、聖書なしで
聖書から説教をする人のメッセージを聞きました。このメッセージもとても
ストレートで、神さまに対する全的献身とはどういうものであるかをたたきこまれ
ました。また、聖書なしで説教する姿がかっこいいのです。(創世記の最初から25章ぐらいまでと、エペソとピリピとあれとこれと、と言うくらい暗記していたのです。)

私のいた1、2年の間だけでも、学生たちがどんどん変わっていくのが分かりました。
聖書を学ぶことの楽しさ(楽しさという言葉では表せません)、興奮、などを
経験し、みんなとても堅固なクリスチャンになっていきました。
学生たちが自発的に集まっては聖書を開き、共に学びました。

聖書は愛であふれています。
そして、神さまのその大きな愛のゆえに、私たちが罪から離れることができるよう
いろいろなアドバイス、譴責が書かれています。
でも、自分が変えられることを面白く思わなかったり、人に負担をかけまい、人に
嫌われまいとストレートに物を言わないということが、多々見られます。

でも、ミシガン大学の学生達はピピン先生を通して語られる、神様からの
ストレートなメッセージに応答し、どんどん変えられていきました。
そして、ミシガン大学を卒業した後、アメリカのいろいろな場所に移り住み、
それぞれの場所で伝道の輪を広げ、その中心となっていきました。

また、ミシガン大学だけではなく、全国各地で語られるメッセージに
応えた青年たちがどんどん立ち上がりました。
そして、お互いに連絡を取り合い、去年の12月、カリフォルニアで大青年大会
というようなものが行われました。
アメリカ各地から、聖書を愛し、伝道に燃えた青年が400人くらい集まりました。
厳選された説教者によって、聖書に堅く立ったメッセージが語られ、伝道のための
さまざまなセミナーが持たれました。
そして、その合間に青年による伝道活動の紹介が行われました。
あるグループは、青年同士でいろいろな国に行き、自分たちで伝道講演会を
計画し、自分たちで聖書のメッセージを語っています。
あんな集会は今までに経験したことがありませんでした。
今年も12月にミシガンで行われます。それが楽しみでたまりません。

神さまに献身し、神さまのための働きに一生をささげた人ほどかっこいい人は
いないなあ、と私は思ってしまうのでした。
何ごとにも動かされない芯の強さと、キリストの柔和さを兼ね備えた人というのは
人間としての素晴らしい魅力を持っているなあと思うのです。
自分を見ると、とっても程遠いのですが、そのようにキリストに似た者に
日々変えられていきたいなあと思うのです。
変えられるためには砕かれる必要があり、砕かれるためには自分の罪を示される
必要があり、罪を示されるためにはキリストの完全さを見せられる必要があり、
そのためには聖書の学びと日々の祈りが必要なんだ、と改めて思ったのでした。

神さまが喜んでくださるクリスチャンになりたいと思うのです。
神さまは、もちろん私を罪人のまま受けてくださいますが、
私がもっともっとキリストに似た人間になることができ、それが私にとって
もっとも幸せなことであり、イエスさまの力によって、わたしにもそれが
可能であると、信頼してくださっているのですから、ピピン先生からの信頼に
応えようとした学生のように、私も神様の信頼にお応えしたいと思うのでした。

あー、今日は何だか熱くなってしまいました。


2003年10月08日(水) アボカドと節制

今日は、朝ごはんにアボカドを丸一個食べてしまいました。
レモンジュースとガーリックパウダーとお塩で味付けし、
ベーグルにのせて食べ、残りをご飯にのせてお醤油をかけて食べました。
ああ、なんておいしいんでしょう。

その後ジョンと話した時、「アボカドを丸一個食べちゃった」と言うと、
「!!丸一個!?!?」と驚かれてしまいました。
さすがの私も、食べ過ぎたかな、と気にしていたので、
「今日は新宿から原宿まで歩くから!」と言いました。
するとジョンは、「いや、それは行いで許してもらおうということだ!
ただ、悔い改めて神さまにアボカドを食べ過ぎてしまいました、許して
ください、と祈りなさい!」と言うのです。
「ちがーう!行いで許してもらおうなんて思ってなーい!!」と
大騒ぎすると、ジョンはげらげら大笑いするのでした。

数日前もジョンと話している時に、「パンをもう一個食べたいな」と
言うと、ジョンに、「やめなさい」と言われました。
「どうして?どうして?」と大騒ぎすると、「節制は御霊の実のひとつ
なんだよ」と言うのです。
「そんなの知ってるよー。でも私がさっきどれくらい食べたのか
知ってるのー?」と聞くと、「いや、知らないけど、もし今食べなかったら
それは節制したということだよ」と、妙に納得しているのです。

よくわからないのですが、ジョンには助けられているのでした。



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