Simple Faith


2003年09月30日(火) 何によって決めるのか

今日は、あんまり書きたくないことを書いてしまいます。
それは音楽のことです。
アメリカでも、他の国でも、音楽のことはとっても大きな議論になっています。
日本に帰ってみると、ここでも同じだなあと気づいたのでした。

何がそれを用いるか、用いないかの判断の基準なのでしょうか。
それを通して導かれる人がいるから、用いるべきなのでしょうか。
でも、もしもある種の音楽が、本当に私たちのクリスチャン経験にとって害と
なるものだとしたら、どうなのでしょうか。
それでも、導かれる人がいるから、というのであれば、他に、例えばアルコール伝道
というものだってできるのではないでしょうか?
みんなで飲み会か何かをすれば、教会の外の人も集まってくるでしょう。
アルコールの力でみんなで語り合って、その飲み会から教会に導かれる人もいるかもしれません。
占い伝道はどうでしょう。
伝道のためのハロウィーン・パーティーはどうでしょう。

そんなの飛躍しすぎだ、と言うでしょうか。
もしその音楽が害のあるものだとしたら、そうとは言えないと思います。

私の言いたいことは、内容を基準にした方がいいのではないかということです。
害がないと分かれば、すっきりします。
嫌いな人がいても、伝統を重んじる人がいても、気にしないで伝道のために
用いればいいと思います。

私ももっと勉強しなければなあと思ったのでした。


2003年09月24日(水) 怪獣になったちびこあら

今朝、ちびこあらは怪獣になった夢を見ました。
恐ろしい怪獣の私が小さな通りを走り抜けると、通りにいた人々が恐怖に
おののいて、叫びながら家の中に逃げて行きます。
でも、1人、転んで逃げ遅れた男の人が、恐怖に震えながら玄関の前に
倒れていました。そして、怪獣の私はその人の腕をガシッとつかむのです。
恐怖でパニックになったその人を見ながら、どうしてやろうか、と
思うのですが、慣れていないのでそこからどうしていいかわからず、
ただ、その人の腕をとったまま、なんとなくその人を押すのでした。

そして目が覚めました。
ジョンに電話してその夢のことを話すと、
「きっと心の中に、そういう気持ちを抱えているんだ!」と言うので、
「いや、昨夜遅くに食べてしまったたご飯と納豆のせいだ!」と言い返しました。
すると、「そうだ、納豆なんか食べるからだ!」と憎々しげに言いました。
ジョンは、納豆は食わず嫌いなのでした。

実はゆうべ、嫌なことが3つくらい重なってしまったのです。
誰も悪くないのに、人のせいにしたがっている自分の心に気づいて
ちゃんと自分の悪いところに向き合えるようにしてくださいと
お祈りしながら寝たのでした。

そのせいで怪獣になってしまったのかはわかりませんが、
攻撃の仕方がわからない不慣れな怪獣で、なんだか面白かったのでした。


2003年09月18日(木) ”It"と呼ばれた子

火曜日にパスポートの姓変更の申請を出してから受け取りに行くまで時間があったので、
本屋に入りました。ぶらぶらしていると、「”It”と呼ばれた子」という題名の本が
目に入りました。カリフォルニアで、州史上最悪と言われる虐待にあって生き延びた
著者がその生涯をふり返って書いた本です。
3部作で、一冊目が虐待にあっていた幼児期、二冊目が虐待から救い出されて里子として
いろいろな家庭を転々とした少年期、そして三冊目が大人になってからの話です。

一冊目をなんとなく手に取り、読み始めました。母親に殴られないように、必死に
時間内に食器を洗おうとするもむなしく間に合わず、母親に罵倒され、殴られ、
それでもその日はなんとか弟の食べ残しのシリアルにありつくことができた…と
物語は始まります。いったん読み始めると本を置くことができず、受け取りの時間に
なってしまったのに、しばらく立ち読みをしてしまいました。
そして、とりあえず、一、二冊目を買うことにしたのですが、帰りの道から
読みはじめ、その日のうちに二冊とも読み終り、翌日三冊目を買いに本屋に走りました。

一冊目はどうしようもなく悲惨です。どうしてこんなことが許されるのか、と憤り、
やるせなくなりながら読みました。幼児デイビッドは、なんとか生き延び、食べ物に
ありつく方法を見出しながら、空想の世界に入ったり、祈ったりして虐待が終わる日を
待ち望みます。デイビッドが祈るたびに私は「よかった、デイビッドはこんな状況でも
まだ祈ってる」と思いました。でも、最後の方にさしかかるとデイビッドは絶望して
神様を見捨てようと思うのです。私は心の中で、お願いだから神さまを見捨てないで、
神さまは必ずおられるのだから、と強く強く思いました。

二冊目、三冊目とすすむにつれデイビッドは成長します。
想像を絶するようなさまざまなことを乗り越え、デイビッドは強く、優しく成長して
いくのです。信仰については詳しく書かれてはいませんが、最後に神様を信じる
女性と出会い、結婚して、ハッピーエンドで終わります。
たくさんの人が「勇気を与えてくれる本」と書いていますが、本当に、「こんな人生を
生き抜いてくれて本当にありがとう」とお礼を言いたくなってしまいました。

デイビッドは、たくさんの偏見や差別にもさらされましたが、少数の素晴らしい支援者にも
恵まれました。私はもともとソーシャルワーカーをしていたのですが、苦しんでいる人を
支援し、助ける仕事の重さ、苦しさ、そしてその報いが自分のことのように感じられました。
私の気づかないところで、どんなに多くの人が苦しい思いをしているんだろうと
思いました。そして、その人たちは、今どんな気持ちで生きているんだろうと
思いました。

私にできることは限られているし、行動範囲も狭いですが、その中でできることを
精一杯やりたい、と思ったのでした。


2003年09月17日(水) 祖母の法事と叔父の優しさ

日曜日から、実家の広島に帰省しています。
パスポートの姓を変更するのに、本人が住民票のある県で申請をしなければ
ならないからです。

実家に帰ってくるのは先月以来なのですが、実は先月ちょっとした騒動?がありました。
お盆ということで、昨年亡くなった祖母の法事があったのですが、ちょうど私が帰省を
考えていた週の土曜日だったのです。
そのことを教えてくれた時、母が「あんたは出られんねえ。教会だもんねえ」と
言うので、
「そうだねえ。」と答え、考えてから、「土曜日に広島にいるのに法事に行かないで
教会に行ったら、感じ悪いかなあ。いっそのことその前日か前前日に東京に戻った方が
いいかなあ」と相談しました。その時、母は「うーん」と言っただけでした。

数日後、また母と電話で話していると、「あんたが法事に出んで教会に行ったらまずいかなあと
言ってたとたけし(私の叔父)に言ったら、おばあちゃんにあんなにかわいがってもろうたのに、
法事にも出れんのかー、って怒ってたよ。」と言うのです。
目の前が真っ暗になってしまい、心がどっと重くなってしまいました。
「お母さん、そんなことおじちゃんに言わんでも良かったのに」と言うと、母は、
「そうだねえ、私もあんたに法事に来てほしいと思ったけんねえ」と言いました。

私の実家は、母の2人の弟の家にはさまれていて、兄弟の家が3件並んで建っています。
だから、帰省すると隠れているわけには行きません。
私のことを怒った叔父夫婦は、祖母が亡くなる7,8年前、わざわざ祖母の介護をするために、
それまで住んでいた高知の家を引き払って広島に引っ越してきました。そして、二人で
献身的に祖母の介護をしてきたのです。とってもやさしい叔父夫婦です。
私の家族は、祖母が父とけんかして、隣に自分の家を建てて出て行くまで、何十年も
祖母と一緒に暮らしていました。だから祖母にとってはたくさんいる孫の中で、私が
いちばん身近な孫でした。私もこの頑固でお茶目な祖母が大好きで、帰省するたびに、
毎日のように叔父の家に祖母の顔を見に行きました。(一日行かないだけで
「律子はぜんぜん顔を見に来てくれん」と言われたというのもあるのですが…)
そういうわけで、この叔父が怒ってしまったことは私にとってかなりのショックでした。

でも、やっぱり安息日に法事には行かない、と決めました。
神様に祈り、導きを求めました。すると、話を聞いてくれた人の一人が、「おじさんに
手紙を書いたらどう?」と言ってくれました。「心をこめて書けばきっとわかってくれるよ」
と言ってくれました。
結局、前日に東京に戻ると言うのはあまりに見えみえなので、週をずらして帰ることにしました。
そして、法事の前日、私は叔父に手紙ではなく、電話をしました。
あまり大したことは言えず、「法事に出れなくてごめんなさい」とだけ言いました。
叔父は優しく、「早く広島に帰ってきなさい」とだけ言いました。
私が気にしてしまったことを、母から聞いて知ってるんだなあと思いました。

翌週、実家に帰りました。
そして着いた日の夜、叔父の家に挨拶に行かなきゃなあと思っていると、玄関のチャイムが
なりました。
でると叔父でした。「あんたが無事に着いたかなあと思って、顔を見に来たよ」と
言いました。そして、「無事に着いたなら、良かった」と行って帰っていきました。
私は、叔父の心遣いに涙が出る思いでした。
きっと、私が叔父の家に行きづらいと思ってるのがわかっていたんだなあと思いました。

実は、今回帰ってきたときもそうだったのです。
私が帰ってきて、そんなにたたないうちに叔父が顔を見に来てくれました。
私の方から行かないといけないのにと、叔父の優しさが身にしみました。

心の中で何度も、神様と叔父に「ありがとう」と言いました。


2003年09月13日(土) ちびこあらがぐちぐち反省するわけ

今日も恵まれた安息日でした。

アメリカにいた時は、こういう人とこんなことがあった、と書くことが出来ました。
でも日本にいると、読んでくれる人がみんな身近にいるので、同じスタイルで
書くと、すこし状況が複雑になってきます。
というわけで、話がもっと自分の内面のことに向かってしまいがちです。
そして、ちびこあらはいつもぐちぐち反省してばかりいる、と言われてしまいそうな
内容になってしまうのですが、仕方がありません。

いろいろと反省してしまうのですが、根がおおざっぱな性格なもので、実は結構
すぐに立ち直っています。
でも、身近な人が周りにいる分、けろっとしていても実は反省しているんだと
いうことも分かってもらいたいなあ、と思うのです。

私はもともと、人にどう思われるか、とくよくよ考えるたちではありません。
そのために、私の自分勝手な言動のためにいやな気持ちをされた人も少なくないと
思うのです。

以前は、まあ、それならそれで仕方がない、と思っていました。
すべての人とうまくやっていくというのは無理なんだし、と。

でも、最近は少し考え方が変わってきました。
すべての人に好かれようと思わないのは同じなのですが、
私のためにつまずいてしまう人がいませんように、と思うようになりました。
私は弱い人間なので、たくさんの失敗、失言を繰り返します。
それは仕方ないと思います。
でも、それに自分が気づいた時に、申し訳ない思いでいっぱいになり、反省して
神様に許しを求めること、そして必要であればいやな思いをさせてしまった人にも
謝ること… 
ちびこあらは、なんであんなことを言うんだろう、と思ってしまう人に、
実は、私は毎度、毎度、こういうことを繰り返して、イエス様にすがっている弱い
人間なんだということを、分かってもらいたいなあ、となんとなく思ったのです。

なぜ、こんなことを書き始めたかというと、今日も反省の一日だったからです。
辛そうにしている人が気持ちを打ち明けてくれたのに、軽くあしらってしまったこと、
夫がいる身でそんなこと言っちゃいかんでしょ、というようなことを言ってしまったこと、
などなど、本当ならこんなことをいちいち日記に書かなくてもいいのですが、
私の言動で、つまずいてしまう人がいませんように、との思いで、あえて書いています。

でも、こんなことがあっても、ひざまずいて神様にお祈りすることができます。
ヨハネ第一1:9の約束を信じて許しを求めることで、言いようのない平安が
心に与えられます。

もしも神様と、神様の許しの約束を知らないでいたら、きっと今ごろくよくよ
ぐちぐちと生きていたんだろうなあと思い、神様を知っている幸せを噛みしめます。
そして、知らずに苦しんでいる人にどうにか知ってもらいたいと強く思うのでした。


2003年09月10日(水) プレッシャーと小泉首相

掲示板にも書きましたが、ペンシルベニアのジョンの教会で今度の日曜日から
伝道講演会が始まります。一ヶ月以上にも渡る、長い講演会です。
ジョンは、そのコーディネーターの一人になっていますが、実はものすごい
プレッシャーなのです。

ジョンは、今の教会に一年の契約でやって来ました。そして、仕事が認められて、
半年延長になりました。今年の12月で一年半の契約期間が終わるのですが、
来年の1月からは、私達はミシガン州に戻ることになっています。

ジョンのいなくなった後、次のバイブルワーカーを雇うかどうか、教会は今
考えています。そして、出た結論は、この講演会が成功であったら、また教会で
バイブルワーカーを雇おうとのこと。
つまり、成功しなかったら、もう雇わないということです。
伝道講演会でバイブルワーカーのになう役割はとっても大きいのです。

というわけで、ジョンの肩には大きな重荷がのってしまいました。
「祈ってて」と毎日言われます。私も、毎日祈っています。
数日前は、「すごいプレッシャーなんだ」と言っていました。

でも、昨日でしょうか、話していたときに、ジョンが「講演会の結果は神さまに
おゆだねすることにしたよ。そしたら、とっても楽になった」と言いました。
私も、それを聞いて、「あ、ほんとだ。神さまにおゆだねすればいいんだ」と
一緒に肩の荷が下りたような、軽い気持ちになりました。

小泉首相が総裁選について、「勝ってよし、負けてよし」と言っていましたが、
祈って祈って、ベストを尽くしたのであれば、神さまが最善の結果を出して
くださるんだなあ、と改めて思ったのでした。
講演会を通して導かれる人がたくさんいれば、それは勿論素晴らしいことですが、
たとえそうでなくても、私達には見えない神さまのご計画があるのだと思います。

とはいっても、まだ始まってもいないので、今はただただその準備のため、
また、講演会に来るであろう多くの人の心に聖霊が働きかけてくださるようにと
祈っています。どうか、お祈りください。


2003年09月09日(火) つれづれ日記

最近は毎日英語学校に通っています。
お昼ごろに英語学校について、智子さんとご飯を食べ、
それから、コンピューターに向かってHPの更新をしたり、
いろんな所をのぞいてお話したり。

アメリカに戻ったら、どんな生活になるのかな。
当分専業主婦?です。
実は、当分おうちではインターネットの接続ができそうにありません。
どうなるのでしょうか?

ビザが取れたら、アメリカのペンシルベニア州に行きます。
でも、そこは今年いっぱいの予定です。
来年は、ミシガン州に戻ります。
以前、いたところから車で2時間くらいのマウント・プレザントと
いうところです。
そこにも公立大学があって、そこでのキャンパス・ミニストリーを
お手伝いする予定なのです。
私たちのために、今アパートを借りようとしてくれているところですが、
予算が少ないので大変みたいです。
お給料も、本当にちゃんと毎月もらえるかわからないのがすごいところです。
よく考えたら大変ですが、みんなそういう状態でもやりがいを感じて
伝道活動をしています。
そして、神さまはちゃんとみんなの日々の必要を満たしてくださるので
感謝です。
私も家計を助けるために働きたいなあ、と思っているのでした。


2003年09月08日(月) 気持ち変われば…

数年前に、友人と話した時の話。友人は、年下の男の子に恋をしていました。
そして、年の差を気にしながらも、「でも、彼ってスゴク大人なんだよー」と繰り返していました。

その友人と久しぶりにゆっくり話した時の話。その年下の男の子への恋は結局実らず、
ずいぶん前に、気持ちが遠のいていました。別のことで彼の話題が出たとき、彼女は
「うーん、彼っていつも偉そうだからね」と答えました。

その時は、「そうなんだー」と思っただけだったのですが、後で昔の彼女の言葉を
思い出しました。昔の彼はとても大人で、今の彼は偉そうなのかな…
きっと、彼自身は変わっていないんだろうな、と思ったらなんだかおかしくなってきたのでした。


2003年09月05日(金) 静かで穏やかな安息日

今日は安息日です。
最近は毎日英語学校に遊びに行って、毎晩夜がおそかったので、
今晩はどこにも出かけず、家でゆっくりと安息日を迎えました。

準備を済ませて、日の落ちるのを眺めながら安息日が来るのを待っていると、
オクラホマの学校のことを思い出してしまいました。
私は、毎週金曜日の夕方、学生のライアンと一緒に聖書研究に出かけていました。
そして聖書研究を終えて学校に帰ってくると、いつもはオフィスで忙しくコンピューターに
向かっているディレクターのユージーンが、その時は必ずリビングルームのソファで
聖書や証の書などの本を読んでいます。
そして、その後ろでは学生たちがべスパーにいくためにスーツやドレスを着て、
ピアノの前に集まって讃美歌を歌っています。時には、バイオリンなどの楽器も入ります。
歌いながら、安息日が来るのを待っています。

時間になると大半の学生たちは、隣にある高校でのべスパーに行きます。
大学と高校との間にあるだだっ広い畑や草っ原をつっきって行くのです。
そして高校に行かなかった少数の人は、ユージーンを囲んで、こじんまりと
べスパーを行います。
とっても静かで、穏やかな時間でした。

今日も、とっても静かで穏やかに安息日を迎えることができました。
こういう風に、神さまと交わりながら過ごす時間は、本当に貴重なものだと思いました。
うれしくて、うれしくてたまりません。

明日はバプテスマです。
とっても祝福された一日になりそうです。



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