Simple Faith


2003年08月24日(日) どっちが簡単?

チェコ出身の文書伝道者がある時こう言いました。「僕は、文書伝道に一生を
ささげる。文書伝道は、とっても厳しい。戸別訪問をすると、玄関口で
強い拒絶にあうこともしばしば。でも誰かがやらなければならないんだ。」
と、ここまでは良かったのですが、その後、「牧師の仕事なんか簡単だ」と
言うのです。要約すると、牧師の仕事なんか生ぬるい。文書伝道者のように
強い拒絶にあったり、つらい思いをすることなどあまりない、とのこと。

また、別の文書伝道者は、こう言いました。「バイブルワークは簡単だ。
バイブルワーカーは、聖書を学びたいと言う人のところに行って、
教えるだけなんだから、文書伝道をしてきた学生なら、すぐにできる」。

でも、文書伝道の経験のあるバイブルワーカーは、こう言いました。
「文書伝道は簡単だ。いくら、玄関先で強い拒絶にあったとしても、
次のドアに行けばいいだけなんだから。それに比べてバイブルワーカーは、
一人の人と何ヶ月も何年も関わって、時には個人的で、深く複雑な問題に
関わらないといけない。そして、そんなに長い間付き合ってきたのに、
信じることが違うからと、ついには拒絶されてしまうかもしれないんだから。
そっちのほうが、ドアでの強い拒絶よりもよっぽどつらいよ。」

3人のうち、私にとって一番説得力があったのは、三番目の人でした。
なぜなら、彼は文書伝道も、バイブルワークも両方経験しているからです。
もちろん、人によっては両方やってみて、文書伝道の方がつらいと言う人も
いるでしょう。それは人それぞれです。それが問題なのではありません。

このことに関わらず、似たような発言を時々耳にします。もしかしたら、私も
気づかないで言っているかもしれません。また、口にはしなくても心の中で
思っていることもあります。

そういう発言を耳にするたびに、ああ、自分は人のことを本当に理解して
話しているかな、本当に相手の立場に立っているかな、高慢になっては
いないかな、と考えてしまうのでした。


2003年08月23日(土) 長年のお祈りと人の名前

私には、情けない性質?があります。
それは、人の名前をすぐに忘れてしまうこと。
仲良くしていた人でも、長く会わないでいると忘れてしまうことがあるのです。
会った時は調子が良いのに、次に会う時には名前を忘れているというのは
何とも情けないものです。
特に、相手が私の名前を覚えていてくれる時には尚更です。

数年前、昔の宣教師が久しぶりに日本にやってきました。
その時、もう何年も経っているというのに、「◯◯は元気?」「☐☐は?」と
次々と以前の生徒さんの名前を口にするのです。私が感心していると、
横にいた友人が、「彼はきっと、今までずっと生徒さんたちのことを
お祈りしてたんだねえ。だから名前を覚えているんだよ。」と言いました。
それを聞いて、私はますます感心してしまったのです。

今日もまた、人の名前を忘れてしまっていました。
「名前、何でしたっけ!」と勇気を出して聞いてみると、「あ、忘れちゃった?」
とがっかりした答えが返ってきました。その瞬間、あの宣教師のことを
思い出しました。「あー、私は祈ってないからだ」とずっしり反省したのでした。

そして、イエスさまのことを思いました。イエスさまは、私たちの髪の毛の
数までご存知です。もちろん私たちの名前はすべてご存知です。あー、
イエスさまは、いつも私たちのために神さまにとりなしの祈りをささげて
おられるんだ。いつも、いつも、いつも。だから、私たちの名前をイエスさまが
お忘れになることは決してないのかもしれない、と思ったのでした。
私たちのことは、いつもイエスさまの心の中にあるんだな、と考えると泣けてくる
思いでした。イエスさま、ありがとう。イエスさまごめんなさい。



ちこねび |EmailHome