Simple Faith


2003年03月28日(金) イラク戦争とちびこあら日記

1週間ぶりの更新です。
イラク戦争が始まってから、日記を書きづらくなってしまいました。
ニュースや、周りの人の会話は戦争の話題ばかりですが、私の周りには戦争に
行った人はいないため、私の日常は何ひとつ変わらず普通に過ぎて行きます。
学校も田舎にあるため、とってものどかです。

一緒に聖書研究をしているロゼリンのご主人はミリタリーに入っています。
でも職種が違うため、戦争には借り出されていません。戦争開始後、ロゼリンと
電話で話したときにそれを聞いてほっとしました。

ペンシルベニアで、ジョンと一緒に眼科に行きました。ジョンのコンタクトの調子が
悪かったためです。その時、迷彩色の服を着た若い兵士たちが眼科の中にも外にも
たくさん座っていました。戦争に行く前の検査をするためだそうです。彼らが帰った後、
眼科の先生がジョンに、「彼らのうちの半分は戦争から帰ってこないだろう」と
言いました。みんな普通の若者と変わらない人たちだったので、ジョンも私も
心が重くなり黙ってしまいました。

ジョンに、「徴兵されちゃったらどうするの?」と聞くと、「もう僕は年だから
徴兵されないよ」と答えました。(彼は28歳です)「でも、30歳過ぎても
徴兵された人がいるんじゃないの?」と聞き返すと、ジョンはしばらく黙って、
「もしも徴兵されたとしても僕は行かないよ」と言いました。
そんな話をしてはいても、まったく身近な話ではないのです。

本当は、ハナちゃんのことや周りのことを書きたいのですが、今の情勢を考えると
筆が鈍ってしまいます。心軽く、明るい話題を書くことのできる日が一日も
早く来ますように。


2003年03月22日(土) キューバ伝道旅行

今日の安息日は、CECの隣の敷地にあるオクラホマ・アカデミー(高校)の礼拝に
行きました。

私にとって特に祝福だったのは、安息日学校でした。
アカデミーの学生たちによる、2週間のキューバへの伝道旅行の報告だったのですが、
聞いているだけで熱いものがこみ上げてきました。
キューバはとても貧しい国で、人々の暮らしはとても厳しいのだそうです。
そして、SDAの信者たちは国から迫害を受けており、その暮らしはさらに厳しいのです。
たとえば、SDAの信者たちの家には電話を引いてもらえない、大学に通えないなど、
日本やアメリカでは信じられないようなことばかりです。
そういう状況の中、キューバのSDA信者たちは明るく熱心に神様の言葉を人々に
伝えようとしています。
ある学生の証では、その町の牧師は、ズボンを2本しか持っておらず、しかも
その2本を18年間着つづけているのだそうです。
アカデミーの学生たちは、そのようなキューバのSDA信者たちが自分の持っている
わずかなものを喜んで与えようとする姿勢に最も心を動かされたようでした。

アカデミーの学生たちはCECの学生たちよりもさらにインターナショナルです。
国の名前は全部はわかりませんが、中南米(ブラジル、メキシコなど)、アフリカ
(ケニヤ、ジンバブエなど)、ヨーロッパ(確かポーランドなど)、そしてアジア
(韓国)と、様ざまです。この様ざまな人種の学生がひとつになって特別讃美歌や
プレゼンテーションをするのを見ると、それだけで感動してしまいます。
そして、彼らはまだ10代でとても若いのに、その何人かはまるで一人前の伝道者の
ように、説教をするのです。キューバでも、学生の一人が伝道講演会のスピーカーに
なりました。10代の若者が聖書を片手に預言について説教するのです。
ホワイト夫人や、SDAのパイオニアたちもみんな若者でした。確かホワイト夫人は
17,8歳だったと思います。彼らを見ていると、神様は彼らのような霊に燃えた
若者をお用いになってこの終わりのときの働きを完成されるんだなあとひしひしと
感じます。ミシガンにしても、オクラホマにしても、このような小さな場所で、
神様は確実に働いておられると強く思ったのでした。


イラク戦争のため、兵士とその周りの人々や指導者たちのために祈ります。


2003年03月21日(金) はなちゃんと神様の愛

オクラホマに帰ってきました。
日本では想像もしなかった20時間のドライブもすっかり慣れたものになりました。

帰ってきてからも、なんやかやばたばたして、日記を更新する間もありませんでした。
やっと、コンピューターの前に座りましたが、もう真夜中でたくさん書く気力が
ありません。

ペンシルベニアに滞在中は、移民ビザでおおわらわ。こっちに帰ってきた途端に
ジョンのルームメイトにもらったコッカティール(オウムの一種)のはなちゃんで
おおわらわ。

警戒心が強くて人に慣れないはなちゃんの世話をしていると、神様の人に対する
忍耐がもっとわかるようになったよ、とジョンが言いました。
嫌われても、くちばしで攻撃されても毎日毎日、えさをやるのです。
助けようとしても愛を示しても、はなちゃんは私たちのことを危害を加える敵のように
思い、くちばしで攻撃するか、逃げるかのどちらかです。
それでも毎日えさをやります。
心地のいい環境を作ろうとします。
嫌われても、逃げられても、はなちゃんのことがかわいくて仕方がないのです。
神様も、こんな気持ちで私たちを見ておられるのかなあと思いました。
そして、神様の大きな愛と忍耐とに対する感謝の気持ちでいっぱいになったのでした。


2003年03月18日(火) ティモシー

今日はジョンの聖書研究について行きました。

ジョンの働く町からしばらく車で走ったところに、ひなびたトレイラー・パークが
あります。トレイラーというのは、移動式家屋のことで日本でいうとプレハブ住宅の
ような感じでしょうか。薄い作りで、分解してトラックで運ぶことができます。

そのトレイラー・パークの中の一軒にティモシーが住んでいます。彼は30歳で、
工事現場で働いています。長髪で、ジーンズの短パンをはいた強そうな若者です。
先週ジョンが一軒一軒訪ねて出会ったそうで、今日が初めての聖書研究でした。
私たちが着くと、ティモシーはうつろな顔をしてテレビを見ていました。
私たちが来たのを喜ぶでもなく、嫌がるでもなく、淡々としています。
でも、しばらく世間話をしていると、彼のほうからジョンのかばんを指差して
「その中には何が入ってるんだい?」と聞いてきました。ジョンがかばんを開いて
聖書を出し、「まだ聖書を勉強したい?」と聞くと「うん、いいよ」と言いました。

今日の学びはダニエル書2章の預言でした。聖書を開くと、ティモシーは少し
目を通し、「これ、なんて意味なのかわかるの???」と言いました。
でも、聖書を読み進み、預言が正確に成就していることが歴史から説明されると、
心が動かされた様子で、いろいろな質問をしながらとても熱心に聞いていました。
その様子を見ながら、私自身、初めてダニエル書2章を勉強した時に鳥肌が立つ
思いになったのを思い出しました。ジョンもこの預言によって聖書を信じるように
なったのです。
学びが終わったとき、「これって、ほかにもたくさんある中のホンの一部なの?」
「もっといろいろ書いてあるの?」「うわ、深いな」など次々に質問してきました。

ジョンが終わりに、「これらのことが起こる前から、神様はすべてをご存知で、
すべてを支配しておられるんだよ。そのような神様が君や僕にとって何が最善かを
ちゃんとご存知なんだ。」と説明しました。そして、自分が麻薬依存であったこと、
その自分を神様がまったく新しい自分に変えてくださったことを証ししました。
すると、ティモシーが「神様は僕のためにも最善の計画を持っておられるのかな。
僕もトライできるのかな。今の僕はめちゃくちゃなんだ。僕ももっとよくなりたい。」
と真剣に言いました。ジョンが「もちろんだよ。」と言い、そして3人で一緒に
お祈りしました。

帰り道、ジョンが「ティモシーはまるで、初めて聖書に出会ったときの自分みたい
だよ。」と興奮して言いました。ジョンも私も目頭と心が熱くなりました。
聖霊の神様がティモシーの心に続けて働いてくださいますように。


2003年03月10日(月) ペーパー夫婦

今日は特別な日になりました。
ちびこあらの結婚式は6月8日ですが、移民ビザを早めに申請するために、
今日、役所で結婚したのです。
アメリカでの結婚の仕方は、日本とは違うようで、(今まで結婚したことないので
詳しくはわかりませんが。)まず役所に行ってマリッジ・ライセンス(結婚免許?)を
取得します。アメリカには戸籍制度はないので、別室に行って係りの人から
口頭で出生地、両親の名前、出生地などを聞かれました。
そして、そのライセンスが有効になる3日後以降に(私たちは今日)、治安判事の
ところに行き、小さなチャペルみたいなところで宣誓をし、ほんの2分くらいで
私たちは夫婦になってしまったのでした。

もちろん、これはただ書類上のことで、本番の?6月8日までは公には婚約者の
ままですが、それでも、届けを出してしまったからには「神が合わされたものを
離してはならない」という聖書の言葉にしたがって、これからこの人と一生
一緒なんだなあ、と感慨深い思いを味わったのでした。
これから、一緒に神様のために働けるんだなあと思うと、とっても嬉しく、
わくわくしてしまうのでした。


2003年03月09日(日) ペンシルベニア

ずいぶんご無沙汰してしまいました。
この1週間ペンシルペニア州にきています。
先週の日曜日、ニュー・メキシコ州に文伝旅行に行ってしまった学生たちを見送って、
その後、私も愛車のシェボレー・アストロで、20時間の道のりを2日かけて走りました。
アメリカでは車で国内を移動するのは珍しいことではないので、周りの人に車で行くんだ、
と言ってもそれほど驚かれませんでした。
学生たちも、4,5台のバンに分乗して約10時間の道のりを出発しました。

ペンシルベニアについてからの1週間は、ほとんどずっと、バイブル・ワーカーのジョンに
ついて回っていました。毎日5件くらいの聖書研究が入っていて、車で移動して
まわるので、あっという間に一日が終わります。
今日は1件の聖書研究の後、教会の長老会があるというので私が泊まっているところで
朝ごはんを食べた後、一人で出かけて生きました。
というわけで、久しぶりに日記を書くことができました。



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