Simple Faith


2003年02月28日(金) ターニャ

今日は、ターニャとの聖書研究でした。
今回は3回目で、キリストの再臨について学びました。
いつも、聖書研究の後に次のレッスンを渡します。それで前回渡しておいたレッスンを
見て、ターニャは「ここにくるまで、全部筋が通っていたんだけど」…と言って
レッスンの7年間の艱難についての説明のところを指差しました。その説明は
シークレット・ラプチャー(イエスの再臨の前に義人だけが密かに掲挙されるという、
教理)に関する説明の中にあります。
うーん、どうやって説明しようかな、と考えていると、ターニャが「教会が教えることには
たくさん間違っていることがあるのよ。例えば、教会は日曜日は聖なる日であるって
教えてるけど、それは大間違い。本当は安息日なのよ。」と言い出したのです。
ターニャは、私がセブンスデー・アドベンチストであることをまだ知りません。
驚いて「そうそう」と頷いていると、「終わりの日には、安息日がしるしとなって、
神の民は迫害を受けるのよ。」と説明してくれます。いったいどこで知ったんだろう?と
いぶかしんでいると、ターニャは「私、日曜休業令っていう本を読んで知ったの」と
言うのです。ますますびっくりしてしまいました。
「どこでその本を手に入れたの?」と聞くと、「夫と一緒にトラック・ステイション
(夫はトラックの運転手)にいた時、誰かがくれたの」と言いました。

よくよくターニャの話を聞いていると、彼女はいろいろなことをごちゃ混ぜにして
信じているようです。義人が密かに掲挙されることは信じていないけれど、掲挙のあとに
7年間の艱難がやってきて、その半ばに偽キリストが現れると信じています。
法王制が預言に関係していることは信じていますが、偽預言者のひとつであると
信じています。7年間の艱難についてダニエル書の8章から少し説明しようとしたら、
CECの学生から買った本を読んで、2300年の預言もちゃんと理解しているのです。

あまりに複雑だったので、シークレット・ラプチャーについて書いてある冊子をあげました。

ターニャは、自分の教会がたくさん間違ったことを教えていることを知っていて、
聖書の言葉に飢えている人です。特に聖書の預言を理解したいと強く思っている人です。

「日曜休業令」を彼女に手渡した人は、彼女のことを知りません。天国に行ったとき
はじめて、その後何が起こったかを知るんだなあと思うと、CECの文伝者たちの働きが
ますます尊いものに思えてくるのでした。



2003年02月26日(水) 歯医者とタフなちびこあら

今日のハイライトは歯医者でした。
前々から、歯医者に行かなきゃ、行かなきゃと思っていたのですが、どんな歯医者に
あたるかわからないので、たじろいでいたのです。
そうしたら、学生のイルマを歯医者に連れて行くことになって、その歯医者は腕がいいとの
ことだったので、ついに私も治療をしてもらう決心をしたのです。
予約を入れたときに、「どれくらい通わないといけないでしょうか」と尋ねると、
「一回ですむわよ」とあっさり言われてびっくりしたのでした。
日本だったら、詰め物の型をとって、あれをして、これをして、と何ヶ月もかかります。
きっと、詰め物の作り方が違うのでしょうが、一回ですむなんて、楽でいいなと
嬉しくなったのでした。

さて、治療ですが、ずいぶんほったらかしていたので、かなり深くなっていたらしく、
終わったあとに「今まで、痛くなかったの!?」と驚いた顔をされてしまいました。
「うーん、それほどでも…もう慣れちゃった」というと、歯医者さんと歯科衛生さんが
顔を見合わせて、「彼女はタフだわ」「ほんと、私よりもタフだわ」と言うのでした。
そして、「今晩は、そのあたりが痛くなるわよー」とおどされ、「麻酔が切れる前に
飲むのよ」と痛み止めの薬をもらいました。そして、「金曜日にあなたの痛みの状態を
聞くために、歯科衛生士に電話させるから」と、かなりの念の入れようです。
でも、普段、私は薬を飲まないたちなので、この痛み止めも、痛くて仕方がなくなったら
のーもう、と思ってかばんに入れました。
…そして、すっかりそのことを忘れてしまったのでした。
麻酔はとっくに切れたみたいですが、(もう夜の10時半)痛みも何もありません。
もしかしたら、私は痛みの感覚が人よりも鈍いのかもしれません。
…また、金曜日に電話で話して、歯医者さんと歯科衛生士さんが、やっぱりこの子は
タフだわ、と言うのかもしれません。


2003年02月24日(月) マイナス13度とクリスティンコ

今朝の気温は、なんとマイナス13度!
オクラホマは、ミシガンと違って建物の寒さ対策がちゃんとしていないので、
中にいても、その寒いこと!
車のドアも凍っていて開かず、ようやく開けると、ペットボトルがカチンコチンに
凍っているのでした。でも、私は実は雪や氷が大好きなので、CECの前にある、
巨大な水たまりが凍ってカチンコチンになっているところを、スケートのように
すべって遊んでしまいました。
明日も雪が振るそうなので、楽しみです。

話は変わって、何日か前に書いた、5歳くらいのチェコの女の子クリスティーナに
どうやら、ものすごく気に入られてしまったみたいなのです。
昼食の時に、食器を持って立っていると、クリスティーナが「りつこ〜〜!!!」と
遠くから叫びながらやって来て、ボンドでくっつけたみたいに引っ付きます。そして
「りつこと一日中一緒にいたい!」と言うのです。食事の後も、金魚のフンのように
わたしの行くとこ、行くとこ、ついてきます。そんなに愛されてしまうと、こっちも
なんだか情がうつってしまって、すっかり両思いなのでした。

ちなみに、日本でりつこが「りっちゃん」と呼ばれるように、チェコのクリスティーナは
クリスティンコと呼ばれます。クリスティーナは、いつもお母さんに
「クリースティンコー!!!」と呼ばれています。弟のマシューは「マトシュコ」、
お母さん(ママ)は、「マミンコ」です。
なんだか、ひびきがとってもかわいいので、気に入っているのでした。


2003年02月23日(日) のびのびティシュカ

今日は日曜日。日曜日はクラスがないのでゆったりと時間が流れます。
ただ、今週からビブリカル・プリーチング(聖書説教学とでもいうのでしょうか)のクラス
を取っている学生は、クラス中か、夕礼拝かで説教をしないといけないそうで、みんな
戦々恐々として、その準備をしていました。でも、彼らは緊張しながらも、説教準備の
ために選んだ聖句を何度も何度も読みかえし、深く掘って理解できることが祝福だ、と
証していました。

話は変わって、わたしの部屋のティシュカのおしっこの臭いにおいはすっかり消えて、
快適になりました。でも、ティシュカを部屋に入れるのをためらってしまいます。
夜などブラインドを閉じている時はいいのですが、開けていると、ティシュカがサッシの
外に張り付いて、部屋に入れてやるまでこっちを見ながら待っています。

数日前は、ソファの横の床に座って本
を読んでいたのですが、ソファを隔てたサッシの
外からティシュカがたてているらしい物音が
聞こえてきました。ソファの陰になって私の
姿は外から見えないからいいや、と無視していた
のですが、突然、バリバリバリという音が聞こえ
てきました。何だ!?と思って見てみると、
ティシュカが私の姿の見える高さまで、網戸に
よじのぼって必死に張りついているのでした。
はっと目を上げた途端に、網戸に張り付いたまま、
こちらを訴えるように見ているティシュカと視線が
合ってしまい、もう無視するわけにはいかなくなっ
てしまったのでした。ティシュカの家なわけでは
ないのに、入れてやらないと罪悪感を感じてしまう
のです。やれやれ。

でも、全く緊張感なく、伸びきって眠っている
ティシュカの姿を見ると、かわいくて仕方が
ないのでした。


2003年02月22日(土) 愛のある教会とティシュカのおしっこ

今日はオクラホマ・シティーにあるサザン・ヒルズ教会に行きました。
年が明ける前は、いろいろな教会を放浪していたのですが、最近はこの教会に
落ち着きました。学生たちも、何人かこの教会に行っています。

そして今日は、学生のクリスティーナと一緒に聖書研究をしているジュディがはじめて
教会に来ました。牧師のジャクソン先生も、フレンドリーで素敵なロージーという教会員も
今日は来ていなかったので、最初はどうなることかと思いましたが、神さまは豊かに祝福
してくださいました。

安息日学校の教科のクラスでは、聖書から、とてもわかりやすく契約と律法についての
説明がなされ、ジュディも「筋が通っていて、とてもよくわかった。」と言ってくれました。

そして、礼拝のお説教は、愛のある教会についてでした。マタイ7:1-5と、ガラテヤ6:1
からのメッセージでしたが、両方とも、罪やあやまちに陥ってしまった兄弟姉妹を助ける
ための聖書からの勧告が書かれています。そのような人を助けるためには、その人に
何かを言いに行く前にまず、自分のことを省みなければならないということ。私たちは、
自分の過ちが見えず、人の過ちばかり指摘しがちです。でも、神さまは、まず自分の目
から梁を取り除きなさいと言われます。自分の心をさぐり、謙虚になった人だけが、ガラ
テヤ6:1のいう、「霊の人」と言えるのでしょう。ここで、間違えてはならないのは、自分が
「霊の人」であると思っている人が本当の霊の人ではないということです。自分でそう
思っていると、「私が間違えている人を教えてやろう」という、傲慢な態度、または動機に
なりがちです。でも、それではガラテヤ6:1のいう、「柔和な心をもって正す」ことには
なりません。

教会員全員が、牧師やお互いのことを批判する前に、自分自身と自分の信仰とを吟味
することができたら、私たちの教会はどんなに変わることでしょう。

他人を批判している自分に気づいたら、どんなに自分が正しいと思っても、神様にまず、
批判してしまったことを告白して、許していただかなければなりません。私は人の間違いが
すぐに目に付いてしまうほうなので、いつも、へりくだった柔和な心をお与えくださいと
祈っています。いくら祈っても、祈り足りないのです。

話は変わりますが、どうやら猫のティシュカに、
部屋の中におしっこをされてしまった
みたいです。くさくて鼻が曲がりそうです。
今、窓を全開にして暖房をしています。
見つかったら、大ひんしゅくです…


2003年02月21日(金) 大好きな人と安息日

今日は安息日です。
金曜日は5時から聖書研究が入っているので、それが終わると安息日になっています。
その聖書研究から帰ると、学生たちはピアノの周りに集まって讃美歌を歌っています。
とっても穏やかな雰囲気です。

みんな安息日が来ることを楽しみにしています。
神さまが、ほかの事はすべて脇において、私のことだけを考えなさいと言われた日です。
日々の重荷が肩から下りる日です。大きな祝福です。

もしも愛する人がいて、週に1回、この日だけは他の何もしないでその人といることができる、
という日があったとしたら、私たちはきっと、毎週、その日が終わった瞬間から次の週のその日
を心待ちにすることでしょう。

そう考えると、私たちの安息日に対する思いは、私たちが何を一番大切に思っているかの
はかりになるなあ、とCECに帰ってきて思ったのでした。ペルーでは、恋人ができると、何日も
仕事もしないで恋人と一緒にいる、というのを聞いたことがあります。恋人が、仕事よりも
食事よりも、眠ることよりも大切になるからでしょう。私たちも、週の6日は、働いてすべての
わざを行いなさい、と神様は言われました。でも7日目は主の安息日であるので、なんのわざ
をもしてはならない、ただ、私と共にすごしなさい、と神さまがおっしゃっているのです。

そう考えると、安息日を守ることが律法主義的である、というのはとっても的外れな感じが
してきます。ある説教者が、「安息日に休んでいるのに、働きによって救われようとしている、
というのは変な話だ。安息日を守らない人の方こそ働いているじゃないか」と冗談交じりに
言っていたのを聞いたことがあります。安息日に休むと言うのは、マリヤのように、マルタが
横で働いていても、イエスさまの足元に身を投げ出して、イエスさまの語られるすべての言葉を
一言も聞き漏らさないようにイエスさまにすべての思いを集中するのと同じ態度ではないかと
思うのです。

今日のこの安息日、神様が喜ばれるようなすごし方をできますように。


2003年02月20日(木) BREAK

今日は眠いので、スキップします。
おやすみなさーい。


2003年02月19日(水) クリスティーナのお祈り

CECは、小さいながら、とってもインターナショナルです。
学生やスタッフの出身国は、ロシア、チェコ共和国、リトレニア、ペルー、ニカラグア、韓国、
日本と、さまざまです。

家族連れの学生やスタッフもいて、学校の中をいつも子供が走り回っています。
小さな大学なので、教室も、学生寮も、食堂も、リビングルームも、みんな同じ建物の中に
あります。家族連れのスタッフは、同じ敷地内の家族用の住宅に住んでいます。

最近、チェコ人の学生の子供のクリスティーナ(5歳くらい)とマシュー(2歳くらい)が
しょっちゅう私の部屋に遊びに来るようになりました。私が魚を飼っているのをめざとく
見つけたからです。

今日は、キッチンスタッフにたのまれて、道路を隔てたところにある、同じ系列のヘルス・フード
ストアに野菜を取りに行きました。たくさんあるので、車で行こうとしていると、お母さんと一緒に
いたクリスティーナが遠くから私を見つけて、「どこに行くのー?」と聞いてきました。一緒に
行きたいと言うので車に乗せ、「じゃあ、クリスティーナ、お祈りして」と頼みました。
安全のお祈りのつもりだったのですが、クリスティーナはぱっと顔を輝かせて、「おじいちゃんが
タバコをやめられるようにお祈りしたい!」と言いました。「うん、うん、一緒にそれもお祈りしようね」
と言うと、クリスティーナは、神妙な顔をしてお祈りを始めました。

     「神さま、おじいちゃんがタバコをやめられますように。
      おとうさんが、学校でよくがんばれますように。
      マシューが、トイレでうんちとおしっこをできますように。アーメン。」

私も最初は神妙な顔をしていたのですが、聞いているうちに思わず顔がゆるんで大変でした。
天で聞いておられる神様の顔もきっとほころんでいるにちがいありません。子供の疑いのない
信仰は、なんてきれいなんだろうと思いました。

安全のお祈りは、私の心の中でささげたのでした。


2003年02月18日(火) 成功と Simplicity

今日は午後から聖書研究が2件入っていたのですが、2件ともすっぽかされて
しまいました。車で片道45分のところだったので、少し悲しかったのですが
仕方ありません。すっぽかしや、ドタキャンは日常茶飯事です。
それなら、電話で確認すれば、と言われそうですが、バイブル・ワーカー(家々を
訪問して一対一、または少人数を相手に聖書研究をする人)を養成している
アメイジング・ファクツのクラスで、電話番号はなるたけ教えない、電話はかけない
と何度も教えられました。電話でやり取りをすると、相手がキャンセルしやすくなって
しまうので、大変でも直接足を向けた方がよいのです。相手が、「ちょっと今日は
気が乗らないな」と思っているときでも、直接、家を訪問すると、「仕方ない、やるか」
という感じで始まって、たいていの人はいったん始めると、どんどん気が乗ってきます。
ところが、電話をかけてしまうと、「来週にしてもらってもいいかなあ」と、簡単に
言われてしまうのです。なので、すっぽかされても、キャンセルされても、くじけずに
通います。

ちびこあらの働いているCECという小さな大学の学生たちは、とっても質のいい子
ばかりがそろっています。どのように質がいいかというと、神さまに自分のベストを
ささげたいと思っている子たちばかりなのです。霊的で、成熟していて、ライフスタイルの
スタンダードも高いのです。そういう人の中には律法主義的になってしまう人が
たくさんいますが、(ここにもそれっぽい子がいないこともないですが)、ここの子たちは、
とっても優しい子達なのです。なにより、神様に用いられることを喜んでいる子たちです。

証の書に、「成功は、simplicity (簡素さ、単純さ)のうちにある。他の人の期待に
答えようとして、自分の証(説教も)に装飾を加え始めると同時に、その力は失われる」
という文章があります。聖書と「キリストへの道」などの書籍だけを手に家々を訪問する
文書伝道者の学生たちを見ていると、伝道の鍵は、方法論ではなく、一人一人の献身
なんだとの思いが強くなるのです。


2003年02月17日(月) 最大公約数と招待状

今日は一日結婚式の招待状作りと招待客の住所リスト作りに追われていました。
大変だ、大変だとは言われていましたが、やっぱり大変です。
でも、今のところ、楽しいので救われています。
それにしても、Eメールは便利です。(相手がすぐに返事をしてくれればですが…)
あっという間に情報収集ができて、感謝、感謝です。
インターネットがなかったら、国外にいながら日本での挙式の準備をするなど
不可能に近かったでしょう。

ところで、私はこの小さな大学で数学を教えています。
大学で数学なんて、ちびこあら、理数系が得意!?と思ったら大間違いです。
なんてったって、今日の授業は、最大公約数と最小公倍数だったんですから。
いったい日本では、何年生でこれを学ぶんでしたっけ?
たしか、中学校くらいではないでしょうか???もしかして、小学校?
もう、大昔のことなので忘れてしまいました。
幸い、数学を取っている学生たちも(といってもたったの2人)、韓国人とリトレニア人で
アメリカに来る前に勉強していたので、英語の説明さえわかれば、あとはすいすい
問題を解いてくれます。とってもらくちんです。

明日もひたすら招待状のリボン付けです。
手のかかることは、極力避ける予定だったのですが、やはり予算の関係で
楽ばかりはしていられません。でも、まあこれも楽しいのです。
あと4ヶ月をきってしまいました。どうなることやら。


2003年02月16日(日) アフリカン・ディナーとマダガスカル

今日はお隣のアカデミー(高校)であったバンクエット(夕食会)のお手伝いをしました。
テーマはアフリカンで、アカデミーで働いているケニヤ人の人たちがお国の料理を
披露してくれました。ミシガンにいたときは、ピピン先生の奥さんのガーナ料理が
大好きだったのですが、今日のケニヤ料理もとてもおいしかったのです。
来ていた人もカーキ色、またはアフリカ模様の服を着て、みんなアフリカ気分でした。

その中で、18年間、宣教師としてアフリカに行っていた女の人がお話をしてくれました。
彼女がアフリカに渡ったのは第二次世界大戦の直後でした。その頃は目的地まで
いける飛行機はなく、船で1ヶ月かかっていったのだそうです。Eメールは勿論、
電話もなかったそうで、6月に、アフリカに到着したことを書いた手紙が彼女のお母さん
のもとに着いたのは8月、そしてお母さんの返事が彼女の元に届いたときには、
10月になっていたそうです。祖国が本当に遠く感じられた、と彼女は言いました。
現在のように、もういやになったから帰る!などとは言えるわけもなく、つらくても
耐えるしかなかったのだそうです。でも、それは返って祝福だったと彼女は言いました。
現在のように、電話やEメールですぐに泣きつける人が回りにいなかったので、
本当に神様にすがることを学ぶことができたのだそうです。

バンクエットから帰ってきて、ジョンに電話すると、ジョンが開口一番、「2004年に
マダガスカルに伝道旅行に行かない?」と聞いてきました。昨日、教会で誰かに
誘われたのだそうです。私は、勿論「マダガスカル!?行く行く!!!」と答えました。
どうなることやら。神様の御心を尋ねていこうと思います。

バンクエットの後、サンドラという女の子が、金曜日に生まれたばかりの仔犬たちを
見せてくれました。サンドラの家のガレージで生まれたのだそうです。まだ目も
開いていない、手のひらくらいの大きさの仔犬が8匹、一所懸命お母さん犬の
お乳を飲んでいました。6週間したら、引き取り手を捜すとか… それを聞いたら
もらいたくなってしまいました。やれやれ。


2003年02月14日(金) キリストによって変えられた人々

今日は金曜日。
CECのディレクターのユージーンが、早朝、NYに行くために出発したので、今日は朝から
のんびりした雰囲気が漂っています。

ちびこあらは、お昼前、学生のコンラッドと一緒に、ターニャという女性の家に聖書研究に
行きました。彼女との聖書研究をするのは2回目です。今日は、トラックの運転手で普段は
いない、夫のマイケルも一緒でした。マイケルは数年前ターニャに出会い、聖書を学び始め、
それまでやっていたお酒とタバコをきっぱりやめたのだそうです。仲のよい、とっても素敵な
夫婦でした。

今日は、祈祷週の最後の夜で、洗足聖餐式がありました。互いに足を洗い合い、パンとぶどう
ジュースをいただきます。今日の聖餐式は特別で、パンとぶどうジュースをいただきながら、
証の会が行われました。何人か学生やスタッフが立ち上がって証をしたのですが、最後に
昨日のピーターのメッセージの終わりにバプテスマの決心をして立ち上がった男の子が証を
してくれました。生後3ヶ月の時、彼のお母さんが家族をおいて家を出てしまったのだそうです。
それ以来、今までずっと彼はお母さんのことを許すことができませんでした。
そして昨夜、メッセージの後のお祈りの時、聖霊がお母さんのことを彼に思い出させました。
祈りながら、彼は心の中で葛藤したのだそうです。彼の中の古き人は、お母さんを許したくない
のです。でも、彼の心は聖霊に動かされ、お母さんを許す決心をしたのだそうです。
彼は「神さまは僕のことを救いたくてたまらなくて、僕の心の中にあった母を許せない思いを
取り除いてくださいました」と、声を震わせながら話してくれました。

とっても大きな祝福でした。

証の会が終わって、部屋に帰るともう10時近くになっていました。
ジョン(ちびこあらの婚約者)に電話してみましたが、彼のいるペンシルベニアは時差があって
11時近くだったので、眠っていたところを起こしてしまい、寝ぼけてあまり話せませんでした。

明日は2時間離れたところにある教会にピーターを連れて行くので、もう寝ます。

おやすみなさい。

Happy Sabbath!!


2003年02月13日(木) コリアン・ランチ

今日のお昼ご飯は韓国料理でした。
お隣のアカデミーで働いているミッシェルという女の子が韓国料理を作って、
ピーター・グレゴリーと韓国人の生徒と私を招待してくれたのです。

CEC(私の働いている大学)の食事も大好きなのですが、
やっぱり、時にアジア料理が恋しくなります。
今日のメニューはご飯とチャプチェ(透明なヌードル)、キムチとマンドゥ
(コリアン風餃子)でした。それから韓国のりも。あー、おいしかった。

午後はジュディという女性の家に、学生のクリスティナと一緒に聖書研究を
しに行きました。彼女とは3ヶ月くらい前から聖書研究をしています。
彼女はバプティストなのですが、聖書研究で安息日が土曜日であることを
理解し、来週の安息日には、教会に来ることになりました。
私たちが彼女の家を訪問し始めた頃、ジュディは離婚裁判などでとても
つらい日々を送っていました。そのため、私たちに会うしばらく前に、
神さまに立ち返り、真剣に信仰生活を送ろうと決心していたのです。
だから、彼女は訪問するたびにスポンジのように聖書のみ言葉を吸収します。
神さまが、最善の時に会わせて下さったんだなあと思います。

そして、夜はまた祈祷週でピーター・グレゴリーのメッセージを聞きました。
終わりの時に、誰が立っていられるのか、(黙示録6:17)という
メッセージでとてもパワフルでした。
終わりの時、「御怒り大いなる日」に立っていられるのには、神の印を
いただかなくてはならず、その神の印は「神の僕」に与えられます。
(黙示録7:3)神の僕とは罪から解放された者(ローマ6:22)で、
罪から解放されるには、私たちのうちの古き人がキリストと共に十字架に
つけられて死ななければなりません。(ローマ6:6,7)
死んだ人というのは、蹴られても、刺されても、侮辱されても怒ったり
しません。私たちのうちの古き人(肉の人、罪)もパウロが言ったように
日々死んで(1コリント7:31)、キリストに私たちのうちに生きてい
ただかなければなりません。

メッセージの終わりに、聞いていた人の中で、どうしても誰かを許すことの
できない人、許そうとしないで避けて通って来た人に対するアピールが
ありました。日本ではほとんど見かけない光景ですが、ああいう公けの場で、
神様に従う決心をするために立ち上がること、また立ち上がる人を見ること
は大きな祝福です。その人の献身する気持ちが周りの人にも伝わってきて
立ち上がる本人も、それを見ている人も、真剣な気持ちで献身を新たに
することができるからです。バプテスマを受ける決心をした人が立ち上がる
のを見ると、涙が出てきてしまいます。
私でさえ、こんなに嬉しいのであれば、その人のことを知り尽くし、
愛し尽くしている神様は、どんなに喜んでおられることでしょう。

祈祷週は明日で終わりです。終わるのは寂しいですが、たくさんの恵みを
いただいています。本当に感謝です。


2003年02月12日(水) 三日坊主こぞうの試み

ちびこあらは三日坊主です。
この日記も続けられるのか心配です。
もしかしたら、さぼりつづけて日記帳の登録を削除されてしまうかもしれません。でも、とりあえず始めます。

今日は一日ホームページを作っていました。
たくさん英訳があるので時間がかかります。
でも、来れも神さまのためなのでがんばります。

後ろで、この学校にいついている猫のティシュカが気持ちよさそうに寝ています。私の部屋を自分の家だと勘違いしているみたいです。

今週は、隣のオクラホマ・アカデミー(高校)の祈祷週でピーター・グレゴリーが来ています。祝福です。先週はピピン先生が集中講義のために来ていました。こんな、どこからも遠く離れた場所で、たくさんの恵みをいただいています。

あと一時間でピーターのミーティングなので、もうひとふんばりがんばります。



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