2000年12月31日(日)
書き納め・・・・られないでわないか!!
実家に帰ってきた。
多くの仕事を残しつつ、帰ってきた。
年賀状は帰ったその翌日にそのおおよそを仕上げてすでに投函したが、何しろペンを持つ仕事というのに限って、年末ぎりぎりまで仕上がらないものである。
(あ・・・・まず最初に断りを入れると、実家のパソには顔文字が入っていないので、いつもに比べて、無愛想な文章になります)

今日は・・・・実は「雑」の1月号の締め切りである(爆)。ネタは揃えて帰ってきたが、何にせよ原稿に立ち上がっていない。もう、どう考えても間に合わない。原稿用紙・・・・手元にないし、このパソにはWORDが入ってないから、書く気がしない(わがまま三昧だな・・・・)。だいたい、正月くらいゆっくりと過ごせばいいものを、これはきっと性分なんだろうなぁ・・・・。何かしらつらつらと書いている気がする。それも、毎年毎年・・・・。

とはいえ、こっちの分野でも干されてはかなわないので、何とか三賀日中に形にしようとは思ってるんですけどね・・・・。
こんな風に私の20世紀は駆け抜けていき、そしてやっぱりこんな風に私の21世紀は明けるのであろう。

いざ書き納めっっといきたいところではあるが、どうやら無理っぽいみたいです。

え〜、日記に書きたいネタはたくさんあるのです。
年明け早々、年末の整理整頓の意味合いも込めまして、いろいろと書いていきたいと思います。さしずめ、今後の予定といたしましてはついに入手! CD−RW♪ あさみたん スカジ接続に大奮闘あたりを皮切りに、私のPC環境の変化や生活環境の変化なんかを書いていきたいと思います。

それにしても、9月半ばより、この私の駄文日記にお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。
来年もはりきって書いていきますので、ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます♪

さぁ・・・・残した原稿にでも手をつけるかなぁ・・・・
21世紀を目前にしても、感動も節目もないふつーの生活をしてしまう私なのでありました。


2000年12月23日(土)
歴史はそのまま血となり肉となり骨となっていた・・・・
 さて、この間から、やらねば、やらねばと言うだけで、ちっとも進んでなかった写真の整理・・・・・・。そもそもうちには膨大な量のアルバムがあり、もともと写真の整理は嫌いじゃないものだから、撮るたびにちゃんと順番を整理してとコメントを添えて、アルバムへと収めていたのだが、何せこのご時世  デジタル の省スペースぶりに叶うものはない(とほほ)。プリントされた写真の量たるや、きちんと整理されているはずなのに徐々に膨大な量になってきた。この間の大掃除で発掘されたもろもろの紙類(爆)などと一緒に、この際実家に強制撤去してしまおう♪ってことで、スキャナをフル稼働させて、パソにおおよその画像を取り込むという過酷な試練に立ち向かうことになったσ( ̄∇ ̄)・・・・この画像はいずれ我が家にやってくるCD-RWでもって、ディスクに焼き付けようと目論み中(うふふ♪)。おお、こんなところでスキャナが大活躍することになろうとは(笑)。
 実は昨夜、もうこなくていいやと諦めた途端に、月に1度の定例ローモードを誘う腰の痛み・・・・。最悪である。薬を飲んで寝たのはいいが、なぜか3時間くらいで目覚めてしまい、どうせなら夕方に起きて、夜通しやったろうと企画していたのに、朝もはよからパソに向かうハメになってしまったのである。
 今、夜の11時を回ったところだから、12時間近くやっていたことになる。(←バカだ・・・・・・明らかに狂ってる)どおりで腰が痛いはずだ・・・・・・。

 作業は順調に進んでいったが、ふと気になったことがある。

 昔、あれだけ太くて嫌だった自分の足が細く見える写真が何枚もあるのだ。
( ̄□ ̄;)!!
これってひょっとして・・・・・・。
 あぁ、今の脚のほうが明らかに太いってことなのね(爆)。

 それにしても、昔はけっこう短いやつをはいてるのよね、私・・・・。中学の頃はバドミントン部だったからテニススコートをはいていたし・・・・例えば今、テニスか何かをやり始めてスコートをはくなんてことになったら、明らかに躊躇してしまう。高校時代にしたってそうだ。制服はともかく、その他の場面でけっこう短いのをはいてたりする(笑)。今、私の母校でも、ほとんどの女子生徒はスカートを短くして、ルーズソックス、もしくはハイソックスをはいているようだが、私たちの時代は田舎ということもあって、踝まであるような長いスカートをはく最後の時代のようだ。私も例にもれず、入学時に買った標準丈のスカート(結局ほとんどはかなかった)の他に、市内の指導部から目をつけられていると名高い(爆)変形制服を専門に売っている店で購入した足首丈のスカート、そして高校3年になってからようやく短いのが田舎にも浸透しだしてきて、中学の頃にはいていたプリーツを切って自分で作った膝より少し短いスカートの3つを持っていた。今の女子高生がはいているようなケツが今にも見えそうな短さではなく、とってもお上品な長さなのであるが、ルーズソックスやハイソックスをはかない私たちは、実に露出度が高かったように思える(笑)。ふくらはぎ、まるだしですもの(爆)。今の女子高生と露出する脚の肌面積はあんまり変わらない(爆爆)。
 制服はさておき、野球のチアリーディングで真っ黒に日焼けしつつ白いTシャツとテニススコートで写っている写真やら、やっぱり日焼けして法被に晒、白パンという更にその上をいく露出度の高い応援団での写真もたくさん発掘してしまった・・・・。

 しかし、露出度の高さからいったら、こんなものはまだまだなのである。

 うちの高校は、3年女子が体育祭にマスゲーム(創作ダンス)をやるっていう伝統があって、ちょうど私たちの時代が1番露出度の高い衣装(ドレス)を着ていたようだ。デザインから布の調達、縫製まで全部自分でやらねばならないという過酷な試練なのであるが私は他力本願で乗り切った( ̄∇ ̄;) 代々の集合写真が体育教官室に保管してあって、それを参考にしてデザインや色なんかをクラスごとに決めるのだが、このマスゲームが始まった当初はタキシード調の衣装を着ていたり、スカートの丈も長かったり、デザイン的には素敵だが、随分おとなしいものが多かった。それが年度を追うにつれて、色も派手になり、デザインも過激になっていくのが覿面にわかるのだ(笑)。そのピークだったのが私たちの年で、以後、校長からストップがかかって「もっと節度をたもつように・・・・・」とのお達しが出たらしい(爆)。ここ1〜2年のうちに母校のHPができたようなのでのぞいてみると、学校行事の写真画像なんかもアップしてあり、やはり体育祭の華と謳われたマスゲームの画像も何枚かあるのだが、なるほど・・・・私たちのときよりは随分おとなしい(爆)。
 んでもって、昨年の正月、実家に帰ったときに押入れの整理をしていて、この衣装を見つけてしまったのだ。母親と大爆笑しつつ

「いっぺん、着てみやぁ♪(訳:もう1度着てみたら?)」

との言葉に負けて、袖(はないのだが)を通してみた。
( ̄∇ ̄;)( ̄∇ ̄;)
 こ・・・・・・こんなにスカート丈が短かったか?
 そ・・・それに、肩も背中もがらあきじゃん・・・・。

 25の私が自室でこっそり着てみるというのも相当な勇気がいったが、ギャグですむ。が、18の頃はこれをきてお天道様の下で踊っていたのだ・・・・。スカートが花びらか葉っぱのようにウェストから広がる形なので、チュチュとアンダーをつけないと直立でいるのに中が見えてしまうこの代物・・・・。う〜ん、と唸ってしまった。若き感性というのは、時に犯罪スレスレのことを平気でやるものなんだな・・・・と(爆)。
 そのせいだけではないだろうが、炎天下の体育祭、団席にいると本当に熱くて狂いそうになってしまうものだから、日陰に涼みにいっている男子生徒も、マスゲームが始まるとなれば一目散に団席に戻ってきて、めあての女の子の名前を叫んだりしていたものだ・・・・(これはどうなんだか(爆))。団席の並びは前から1年、2年、3年というふうだったが、このときばかりは、最前列に3年男子がズラリと腰を据える(爆)。

 こんなことまで思い出してしまったが、若いっていうだけで何でもできてしまうっていうのは本当にすごいことだと思う。

 その後、芝居の衣装とかで、20歳をすぎてからも件のドレスに負けず劣らずのすごい恰好をしたことはあったが、あれは密閉された空間で、しかもお客様からお金をいただいていたりもする(そういう問題じゃないだろうが)。お天道様の下へその恰好で飛び出せと言われても、なかなかできるものではない。
 おまけにあの頃には無邪気さが前面に出ていた。そうでなければ教育現場でそういうことが許されるわけがない(爆)。

 あの衣装を着て踊っていた頃から8年ちょっとしか(「も」か?)経っていないが、あの時期というのは本当に「駆け抜ける」べき時代なんだなと思う。そういうのが全て、この体に、血となり肉となり骨となってみっちりくっついてきてしまって、両足で立っていられるのかもしれない。そのかわり、あの頃はもてはやされたはずの無邪気さは削ぎ落としてこなければならなかったようだ(爆)。それもそうだ・・・・・・。この年になって無邪気さを売り物にしていたら、なんだか不気味だと思う。


 みなさん、きっとお気づきでしょうね。
 こういうことを考えながら作業をするから、12時間もかかってしまうのです(爆笑)。
 明日は早起きして、朝から掃除をしないと、夜にはダーリンが来てしまう。ここにこの日記を書いてしまったからには言い訳が許されないだろうから、明日は全力で片付けようと思う、おマヌケなσ( ̄∇ ̄)なのでありました・・・・・。


2000年12月21日(木)
トキオの失恋
 以前「K氏を斬るっっ♪ in歌舞伎町」(9月30日)のくだりで登場したトキオ(仮名)。
 あれから何の音沙汰もなくて、「便りのないのは達者なしらせ」とばかりに私もすっかり安心しきっていた。実際、元気にやっていたのだろう。
 それが今朝、テレホが終わるや否やという早朝に携帯が鳴り、ん??と見れば、トキオの名前。ど〜したというのだ? こんな朝っぱらから・・・・。無視するのもあんまりなので、あえて機嫌よく通話ボタンを押す。

「・・・・・もしもし。トキオです。」

もう、今にも消え入りそうな、まさに病人のような声である。イヤ〜な予感はしたものの、ヤツの数百倍ものテンションで対応。

あ 「ん? どうした?」
ト 「え・・・・と。あの・・・・・・アカネ(仮名)と別れました。」

( ̄∇ ̄;) ( ̄∇ ̄;) 

 クリスマス日本人総ツガイ化傾向に首をかしげる立場の私も、これにはちと同情してしまった。トキオやアカネが、どのようにキリストさんの誕生日をとらえているかということについて私は全く関与していないが、もし24・25日を大切な日と考えてその心の準備をしていたのであれば、この時期失恋してしまったトキオには、本当にどんな慰めの言葉もかけられない。少なくともアカネに同情しないのは、彼女には受け皿がちゃんと用意されているから。これから彼女は別の人と一緒に過ごしていくことになる。

 トキオとアカネ、そしてアカネの新しい恋人の3人はとことん話し合ったのだという。
 トキオは言う・・・・・・。

「彼・・・・・・とってもいい人なんですよ・・・・・・。」

 だけど、自分のところにアカネがいないことがダイレクトに辛い、とそう言っては鼻をすするのだ。

 あぁ・・・・・・青春だなぁ♪

 そんなふうに思う私は、決して枯れついていないことをあらかじめここに断言しておこう( ̄^ ̄)(爆)

 みなさん・・・・・・ 失恋 って経験したことあります?
 淡い初恋系から、大恋愛の末に婚約したのが破談になってしまうほどのドロドロ系まで、恋と名のつくおおよそをくくりに入れた場合、まぁ少なくとも私と同じくらいの年齢の方ならば1度くらいはあるのではないでしょうか。
 私にも何度かありますから。

 ・・・・でだ。

 その失恋をどうやって乗り切ったかを思い出していただきたい。
 ヤケ酒、ヤケ食い、友人への相談、たった独りでのひきこもり、新しい恋・・・・色んな手法があるようだ。そしてそのどれが正しくて、どれが間違っていて、何が健康的で、どうするのが悪いかなんて、誰も線引きなんかできないのである。
 だから 「どうすればいいんでしょう・・・・」 とか 「もう、何もかもわからなくなってしまいました・・・・・・」 なんて相談を持ちかけてこられると、こちらは大変困ってしまうのである。
 しかし、女の子相手だと全然ラクなのである。
 社会の波にもまれた女は近年、大変強くなられたようで、失恋くらいじゃちっともへこたれないのである。ワンワン泣いて騒ぐ子というのは中でも扱いが一番ラクで、こちらが大して何も言わずに、その吠えにつきあってやれば、1週間もしないうちに全くフツーに生活復帰できる。
 地味に感情を処理する女の子たちも、前述の女の子なんかよりは多少時間がかかるものの、何だかんだいってケロッとして次の恋を探し始めるのにそう時間をかけない。
 まぁ、個人差はあるけれど、私の周囲にいる強くたくましい女たちは、一様に強くたくましく生きているようだ。

 これが男の子相手となると、多分に厄介なのである。
 自分からフってしまった場合はいくらかましなようではあるものの、同じように自分からフってしまった女の子たちに比べると、感情的にやさしいというか、良心の呵責に苛まれて、しばし塞ぐ傾向があるらしい。
 フラれた場合は 最悪 である。
 女の友達よりも男友達の多かった私は、学生時代から多くの男たちの失恋に対峙し、電話で話を聞いたり、酒につきあったりしてきたが、空気の重さは女友達のそれの比ではない。
 しまいには私も、飛ばしたくもない檄を飛ばし、確立させたくなかったキャラを確立させてしまうメにも遭い、何もオイシイところがないままに彼らを元気づけるという位置付けだけが待っている・・・・・( ̄∇ ̄;) 
 そういう男たちを パクリ♪♪ とやってしまうこともできただろうが、私はそういうのは趣味じゃない。猟に出るときはもっと精神的にノってる男をターゲットにしないと、病気持ちの私は浸食される惧れがあるからだ。
 かくして彼らとは、揺るぎない 友情(のようなもの)が成立し、例え何かのマチガイで寝るようなことはあっても、それを踏み台に恋に落ちることはまずないのである(爆)。男の子たちも、強烈な檄を飛ばされた後では、その相手を恋人にするのに躊躇する材料が多すぎるのだろう(苦笑)。

 私は、トキオには予てから恋愛だけにとどまらず、ずっと檄を飛ばしつづけてきた。思春期の時期に「いい大人」に巡りあえずに、人間不信に陥っていた彼も、環境の変化に伴い「大人」というものに対する理解も柔軟になり、初対面の頃はあんなに刺々しく攻撃的だったというのに、次第にカドもとれ、明るく笑うようになり、集団の中に自分を位置付ける意味というのも自ずと覚えたらしい。
 そんな中で初めて「恋人」という存在を自分の中にも見つけ、さぁ、これから!! ・・・・・こういう状況だったのだ。クリスマスなのに・・・・・という事情は、実は2の次、3の次。
 今トキオが独りになってしまうのは、本当はもっと大きくて難しい問題を孕んでいるのだ。
 彼が自暴自棄になり、行ってはいけない方向へ暴走するのが一番恐ろしいのだ。聞けば、彼の兄が部屋に残していった薬(多分、安定剤とかそういった類のもの)を、ここ2日くらいのうちに全部飲みきってしまったというではないか・・・・。

 ヤバい・・・・・・本格的にヤバイかも・・・・・・。
(眠剤だったら死んでるぞっっ!! オイ!! みたいな( ̄∇ ̄;) )

 私は、すでにボンヤリしてぼそぼそとしか言葉を発しないトキオに対し、また檄を飛ばす。そして約束させる。

「自分に処方された以外の薬は絶対に飲むなっっ!!!」

 トキオは小さな声だったが、それでも誠実さだけは忘れない感じを漂わせながら返事をしていた。今まで築いた関係が少しでも役に立てばいいと思う。今まで、噛んで含ますが如く飛ばしてきた檄のおかげで、こちらがまっとうなことを言っている限り、彼は絶対に私に逆らわなくなっていたのだった(苦爆笑)。


 私が
「みんな、1度くらいは失恋してるわ。」
と言うと、彼は感心したように深くため息をつき、
「みんな、すごいんですね・・・・・・こんなに辛いのに・・・・・」
と言った。

 来月でトキオはやっと20歳になる。
 恋をしないで起伏なき精神のままでいるよりも、痛くても辛くても1度はちゃんと恋を経験し、それを糧にできたほうがいい。

 老婆心ながら、これからいい男になってほしいよ、と願う、来年27歳のおねえたまなのでありました( ̄∇ ̄;) 




2000年12月19日(火)
31音のおりおり
 年賀状のデザインも完成させ、自分のHPのりんくページをようやく改装して、ふぅ・・・・これで今年やり残したことといえば、あとは写真の整理だけ(ため息)と、ちょっぴり安心してみた。この写真の整理が一番厄介といえば厄介なんだけど・・・・。

 そんな私のHPも、ついさっきカウントが6300を回っていて、今年の初めにオープンした 夕暮荘・本館 も、着実に進歩を遂げていっているようです。ありがたい、ありがたい・・・・。

 当初、そんなに流行らないかもしれないけど、まぁ自分の作品集代わりになればいいや♪くらいの気持ちで始めた みそひともじBBS も、気がつけば色々な人たちがちゃんと短歌で足跡を残していってくれていて、秀逸作品も随分たくさん溜まった。こんな古臭いことに興味を示してくれる人がいるのかなぁ・・・・・?と多少不安ではあったのだけれど、ここまで流行れば御の字だ♪

 みそひともじというのは、すなわち、短歌のことである。むか〜し、学校なんかで「5・7・5・7・7」っていうのをやったと思うんですけど、覚えてます? そう・・・・あれなんです。うちのコンセプトとしては、ややこしいルールとかはなしにして、31音の中で日常の1場面を切り取ってことばで表現したりとか、切ない恋心を詠ってみたりとか、そういうのをごくごくフツーにやりたいっていうだけで、何ら難しいことはないのです。そのせいでか、最初は二の足を踏んでいた人々も、今は常連として、足しげく通ってきてくれている。
 今、WEB上にとどまらず、色々な場所で 俳句 は日常的に楽しむ人が出てきているようで、例えば某朝の番組の中のヒットコーナー、「松任谷由実選集 五・七・五」とか、某清涼飲料のペットボトルや缶のラベルにある俳句集なんかはその代表ともいえるのではないだろうか。
 それにくらべて、短歌はなかなかメジャーにはなりきれないらしい。
 上の句・下の句の2部構成っていうのが、どうも詠み手を躊躇させる最大要因のようで、うちのサイトでもよく

「5・7・5までなら、何とか作れるんだけど・・・・」

と言う人も少なくない。私は逆に、俳句の構成だけでは言いたいことが収まらなくて、だからこそみそひともじなんだという経緯があるため、どうしても俳諧の世界に入っていけない(笑)。それどころか、みそひともじでは足らずに、7・5の4部構成である今様という48音にまで手を出す始末・・・・。どうも短くまとめるのは苦手らしい。
 歌壇という世界まで踏み込まなくとも、俳句に比べて短歌は「難しい」という印象がもたれているのだろう。例えばWEB上で扱われている量を比べても、短歌のほうが格段に少ない。

 だからこそ、やりがいがあるというもの(笑)。

 私の作品はともかく、うちに詠みに来る人たちの作品を1度見ていただきたい。(長野県知事じゃないけど)とても自由闊達で、表現の仕方も人それぞれで面白い。
 な〜んだ・・・・と思うなかれ。
 文字数の制限という大きな枷(かせ)の中であえて表現をするというのは、やってみた人でないとわからない。それにこういう日常をある「かたち」として成立させるのはその仕事自体、私はすばらしいと思うのだ。色々な人の感性に触れるというのは、ものを書く私にとってもとてもありがたいことなのだ。

 もともと歌を詠みはじめたのは、与謝野晶子をとりあげた芝居をやったのがきっかけだった。自分で歌に触れてみれば、彼女が何をしたかったのかというのにも少しは触れられるんじゃないかという気持ちで足を踏み入れたのだが、以来、自分のスタイルの確立を経て、どっぷりとはまってしまったというわけ。私がここしばらくずっとお世話になっている「雑」にも、短編小説といっしょに自作のみそひともじを掲載させていただいている。えらいはまりようだ・・・・。
 1文字1音が保証された日本語ならではでの遊び・・・・50音の中からたった31音を選び出して音を作るのは、作曲の作業にも似てる気がする。もとは、リズムの構築みたいなものだから。
 これを読んで、ますます 「おいおい・・・・やっぱ難しいんじゃん?」 とは思わずに、当館ではみなさまの投稿を心よりお待ちしているのであります♪


 今回、年賀状にもみそひともじを引用してデザインしてみた。
 私とつきあいのあるみなさん・・・・・来年早々、私の歌があなたの元に届きます(爆)
 


2000年12月18日(月)
おきらくごくらく♪ 5〜6分クッキング
 本日のディナーは・・・・・・・。
 やっぱりパスタだった(爆)。

 米が底をついてんだよ(笑)。

 面倒な時は、ホールバジルでさささっと和えたやつとか、ニンニクをスライスしてペペロンチーノとかなんだけど、さすがにそういうのも飽きてきて、冷蔵庫を物色・・・・・・。

(* ̄ー ̄)ニンマリ

 発見しました♪
 先週漬けた、かぶの塩漬け♪ そろそろ本格的な根野菜の時期だってんで、スーパーをのぞいたら、かぶが安かったからつい買っちゃったのよね〜♪ んで、そんなにいっぺんに料理に使えやしないもんだから、ほとんどを塩漬けにしていずれの保存食にしようとしてたんだった。葉っぱも元気だから、一緒に刻んで漬け込んじゃった。
 そしたらさぁ・・・・。
 これがけっこういけるのよ。
 炊き立てのご飯にピッタリ♪

 ん???

 ということはだ。
 その他の炭水化物にも合うっていうことじゃん♪( ̄ー ̄)ニヤリッ

 そんなわけで速攻、湯を沸かし始めるσ( ̄∇ ̄)。
 頭の中では、おきらくごくらくなレシピが成立しちゃってるんですなぁ♪


*****あさみたん*****
**かんたん5〜6分くっきんぐ〜♪**


本日のメニューは「かぶすぱ」
【材料(1人前)】
  パスタ・・・・食いたいだけ
  かぶの塩漬け・・・・余ってるだけ
  ごま油・・・・大さじ2くらい
  しょうゆ・・・・ご愛嬌程度
  だしの素・・・・小さじ1弱
  味の素・・・・気分次第

【トッピングとして成立しそうなもの】
  花かつお
  きざみのり
  みつば
  大葉
  あ・た・し(はい♪ いっぺん死にましょう)

【作り方】
 �.僖好燭鬚罎任襦�ゆで方は割愛♪
 �△�ぶの塩漬け(漬け方は割愛)を水洗いして、大方の塩気を取る。
  よくしぼって、適当にきざむ。(きざんだら、更に絞ると尚よし)
 ��フライパンにごま油を入れ、これでもかっ!!ってくらいに熱する。
 �い罎任△�ったパスタをそこにぶっこむ。
 �イ�ざんだかぶをそこにぶっこむ。
 �Δ世靴料任箸靴腓Δ罅▲僖好燭里罎能舛婆I佞陰�
 ��漬物にあまり火が通らないように手早くいためる。

できあがりっっ♪


 いざ試食♪
 うん・・・・ちゃんと食えるではないか(-。-) ボソッ
 やっぱり私の予想ははずれてはいなかった。
 かぶの塩漬けと、パスタはあうっ♪

 この調子で7年半も自炊を続けているのである。
 そりゃあ、独り暮らしをはじめた当初は、オレンジページだとか、レタスクラブだとかを買ってきて、それなりに料理を研究したりもしたんだが、材料をきっちりそろえていると却って高くつくことに気づいたのである。そこで、色んな野菜の特性と味と歯ざわりを何となくでも記憶しておくことで、本に載っているメニューでも、律儀に材料を揃えて再現することをしなくても、代用品を利用して完成させることができるようになってしまった(爆)。えらいな、あさみたん(-。-) ボソッ(誰も誉めてくれなさそうなので、自分で呟いておこう)

 今後の目標としては、ダーリンにかんたんなものでもよいから、何か作れるように仕込むことだ。・・・・あいつめ。最近まで気づかなかったのだが、どうやら、部屋が散らかってるだけじゃないらしいのだな(爆)。何か1品でもいいから、作れるようにさせるのが、年末までの目標だったりするσ( ̄∇ ̄)なのでありました。

ふぅ・・・・・はらいっぱいだ。

 


2000年12月17日(日)
デートで映画を見る
 昨日の深夜(というか、今日の早朝)、おじょ〜から久々に電話が入った。

 お 「突然なんやけど、明日ヒマぁ〜??」
 あ 「あいとるけど〜?」
 お 「映画見にいかへん?」
 あ 「(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン」

・・・・ってな具合に、速攻デートが決定した。たまには女同士で映画を見るのも悪かなかろう。それに、我が家の米びつはすでに底が見えて一粒もない状態。おじょ〜に頭をさげて、またお米を配給して頂かなくてはならない。

 そんなわけで、休日の今日も私は新宿に出かけたのでありました。

 おじょ〜とは2ヶ月ぶりの再会である。会ってみてびびったのは、風邪をひきずっているのか、がびっがびの声をしていたことである。おいおい・・・・何もこんな状況の日を選んで映画見ることないじゃんよ( ̄∇ ̄;) と思いながらも、待ち合わせに少々遅刻してしまったので、お茶をおごってあげることにする。
 こんながびっがびの声をしていたおじょ〜だったが、喫茶店で色んな話をした。
 この年ともなれば、誰々が今度結婚するとか、子供がそろそろ生まれるらしいとか、あそこの夫婦はすでに冷え切ってて時間の問題だとか、自分のことを棚に上げての噂話に変わりはないのであるが、例えば学生のころの世間話にくらべると、艶っぽさや色っぽさがいくらか欠落した内容になってくる。自分たちは結婚してもいないクセに、どうもこうそこらのオバサンとさほど変わらない話をしてしまっていて、その事実に気づいた瞬間は、とてもおぞましかったりする(笑)。とはいえ、周囲の状況がどんどん変わっていっているにも拘わらず、私やおじょ〜はまるで時間が止まってしまったかのようにあまり生活的変化を来たさずに暮らしているだけで、特に焦ってもいなければ、ましてや結婚なんてそれこそおぞましくて、想像さえしないのである。
 先日ここにも少し触れたが、私だけでなくおじょ〜もクリスマスだといって特に焦るわけでもなく、せっせと仕事をしていたのだ。技術屋から退いて、今はデスクをしているからストレスも少ないし、定時に帰れるわぁ〜♪ などと幸せそうに笑う彼女は、それこそちょっと昔の風格も薄れてはきたのだが、このマイペースさは私にしてみれば、すごく魅力的なのである。

 そうやって、ちょっとした近況報告をやりあったあと、コマ劇場近くの劇場へとむかい、今日のターゲットの韓国映画「カル」を見る。最近インドも元気だが、韓国の映画も元気だと思う。日本でも話題になった「シュリ」に出演していた、ハン・ソッキュが主演、この他にも私が見た数少ない韓国映画に出演していた俳優陣(顔に見覚えが・・・・・・)がズラリ。なかなかいいカンジである。・・・・・・そしてこの作品、ズバリ、面白いと私は思う。

 ここを見る人の中で、この映画を見ようとしている人がいないとも限らないので、詳細な内容については我慢して書かないことにするが・・・・・・まぁ。なんとも、かんとも。スプラッタ、ホラー、猟奇系ミステリー何でも平気な私も、さすがにあれには参った(苦笑)。もう、最初のシーンから参ってしまった(爆)。微妙なところがリアルだったりして、逆に困ってしまうのだ。
 ストーリー構成は単純なように見えるのだけど、最終的には全てを画で明かさないままだったので、いい具合にこちらの想像を掻き立てる。(・・・・・この映画の公開期間が終わった頃に、詳しく書きたいものだと思う(笑)。)

 映画を見終わった後に、そんなストーリーについて少し難しい顔をしながらコーヒーをすすった。結局誰が犯人だったのかというおさらい、あそことあそこは共謀していたに違いない、いや主犯はあいつだ、などなど・・・・・・
 おじょ〜は
 「ケラケラ笑える映画じゃなかったから、その後のお茶も、こういう雰囲気になるのねぇ・・・・」
と、複雑そうな表情をしていた。というのも、彼女の会社で同じ KLOCK WORX 配給の「グリンチ」の日本語版も作ったらしいのだが、もう映画の雰囲気そのものが真逆なのだという。そりゃあ、扱う素材が違えば、現場の雰囲気だって違うでしょうなぁ・・・・? 今日のもなかなか面白かったのだけど、脳みそに負担がかかることは否めない(笑)。そういうことが言いたかったのであろう、おじょ〜は、「次は グリンチ が見たい♪」 と言っていた。

 そうそう。
 私はあれが見たいのだ。「チャーリーズ・エンジェル」
 基本的にラブロマンスとかよりはアクション系が好きな私は、あぁいうのにたまらなく惹かれる。
 が!!
 期待して見にいった映画にこそふられた経験をもつ私・・・・。これはどうなんかしら(笑)。あんまりすごい期待しないで、次に劇場に足を運ぶ日を待つことにしましょう。


 いつも私の食糧難を救済してくれるおじょ〜に、私のしていたマフラーをあげちゃった。自分で編んだんだけど、これもクリスマスプレゼント♪ そんなにいい出来じゃなかったのに喜んでくれたので、なんだかいい気分。
 早く風邪治せよ〜♪ おじょう♪


2000年12月15日(金)
イクスプロージョン
 芸術は爆発だ・・・・・・などとのたまって、一世を風靡してしまった芸術家がいるが、私はそれに対して是とも非とも思わぬまま、ここまできてしまった。肩書きなんかを聞かれた場合に「自由業です」と答えるようにしているけれど、こう見えて私も「芸術学士」という称号は取得したわけだから、芸術家として生きることもできたはずだ。

 さて・・・・・・。

 うちのバイト先、働いてるお姉ちゃんたちはほとんど全員が「役者」という肩書きを持っていて、日々勤しんでいる。役者の仕事だけでは当然食っていけないものだから、私も含め、あのお店にお世話になっているというわけ。
 お客も当然そのことを深く理解していて、公演の前ともなれば、チケットを買ってくださったり、ちゃんと劇場に足を運んでくださったりと、並々ならないご協力を賜っているのである。
 が、ここしばらく、誰も公演やら稽古やらで店を空けない(苦笑)。決まっている人たちはちらほらいるのだけど、結局、昨年3月の私の芝居から、年末を迎える今まで、公演を理由に長期欠席する人がいなかったのである。心強きサポーター(お客)たちは、来店の度にこう口にする。

「次の公演はいつなの?」

この言葉に対して、何月です、あと何ヶ月先に控えてます、と明るく笑顔で答えられるときは全くもってこちらも負担にならないのであるが、私は今、本業において完全失業中なのである。それでも一生懸命笑顔で、「しばらく予定が入ってないんですよね・・・・」と答えて応援をつないでいかないといけない。動かなきゃなぁ・・・・とここ何ヶ月かで数本のオーディションに書類を出したが、その書類すら通ってくれないのである。気分転換に宣材の撮りなおしに行きたいところでもあるのだが、いかんせん金がない(貧)・・・・。

 この夏、私にはやりたいことがたくさんあった。
 まず、歌を習いにいきたかった。
 ダンスと違って、歌のレッスンはマンツーマンだからレッスン料がバカ高い。
 バイト、増やさなきゃ・・・・。
 それに新しい所属事務所も探さなきゃいけないし・・・・
 あぁ・・・・きっと忙しくなるなぁ、と希望に満ち満ちていたのであるが、それを打ち砕くように発作がバンバン出て、せっかく友人が紹介してくれた新しいバイトをドタキャンしてしまったり、それどころか、今まで行っていた店にすら行けなくなったりとか、もう根本からおかしくなってしまったのである。
 こうして計画が御破算になってしまった私は、今年中に何とか1本芝居を打つのが目標ではあったのだが、とりあえずおとなしくしていることにして、何とか年末を迎えたのである。

 今朝方、電話である人から、普段お客に聞かれていることと全く同じことを聞かれた。

 私はもうこの瞬間に疲れきってしまった。
 バイト中での出来事は、おおよそ笑顔と勢いで乗り切ることができるのだが、プライベートで、しかももうこれから寝るぞ〜という全く素の状態でこの言葉を浴びせられると、余裕とかそういうのも全部吹っ飛んで、はっきりいって、会話そのものが面倒になってしまう。
 親に対してすらそうなのだ。
 が、親には、それこそ「芸術学士」をとるために多額の出資をしてもらっている手前、私は彼らに対しては逆らうことを知らない。やめて帰ってこいと言う反面、彼らは遠い田舎で必死に私のことを応援してくれたりもするのを知っているから、なおさらやめたくないのもある。耳に痛い小言も甘んじて受けようというくらいの気持ちの用意くらいはいつでもあったりする。
 しかし、赤の他人にこの言葉を言われると、その人に対して理由のない敵対心みたいなものが生まれてしまう。私の余裕のなさであったりとか、今のこの状態を作ってしまった自責とか、そういうのをわざわざ頭から浴びせかけられるみたいな変な被害妄想みたいなものがむくむく湧いてきてしまうのだ。それが、私のこの状況を知っている人に言われると、もうその怒りみたいなものも半端じゃないのである。

 まぁね・・・・。私の努力が足らないと言えばそれまでなんだけどさ。

 とはいえ、イクスプロージョンの準備には、もう少し時間がかかってしまうのかもしれない。焦るな、焦るな、と逸る心情を無理やりに押さえつけて周囲を見ることに必死な私をただ煽らないでほしいのだ。


 ねえ、先生・・・・・・
 このままだとさびついちゃうよね・・・・・・?
 体をさらすために、何をしなきゃいけないのかわかんなくなってきてるんだけど、
 動いても、動いても、あてどないよね・・・・・・。
 でも、やめずにいるよ。
 動けなくなるまでやるって、決めたし。

 もう1回、カンガルーでも見にいってみる。
 あと、体の中をきれいにする。
 呼吸だけで、観客をイかせる技術、もっと頑張って覚えとくんだった(笑)
 あなたが口をすっぱくして言ってたことが、今さらながらに身に沁みるよ。


2000年12月14日(木)
げにすさまじき 日本人のクリスマス事情
 あと10日あまりで、今年もクリスマスがやってくる。
 イヴの夜ともなれば、街はツガイだらけ(爆)。
 ホテルもレストランも、有名どころとなればその年のクリスマスが終わった途端に、翌年の予約が埋まっていくなんて所もあるらしい・・・・。年末のカウントダウン、バレンタインデーなどとともに、恋人たちの祭典としても、決して過言ではない。

 私は、昨年も一昨年もクリスマス・イヴは独りだった。んで、しかもバイトに精を出していた。来店するお客たちには
「こんな日に店に出てるなんて、寂しいなぁ・・・・」
などと同情され、ケーキをご馳走になったりプレゼントをたんまり頂いたりもしたのだが、今年のイヴは日曜日。おぉ。おいしい思いはできそうにないな・・・・と、年明け早々年間のカレンダーをみて思ったσ( ̄∇ ̄)(爆)

 ところがどっこい。
 夏にひょんなことから、今のダーリンとつきあいだすことになり、今年は独りでないことが確定になった。来るなと言っても、来るだろうから(爆)。

 私は無宗教だけど、実家には浄土真宗の経典が格納してある仏壇がどでんとあり、その際には神棚まであったりする純日本風(?)な家で育ったので、キリストさんが誕生日だろうが何だろうが、本来なら関係ないはずである。

 実際、何ら関係ない。

 だが、この間ダーリンと、クリスマスだからと騒ぐ人々を指して、「σ( ̄∇ ̄)は浄土真宗だしぃ〜」みたいな話をしたとき、ヤツは、とんでもない切り返しをしてきやがった。
「σ( ̄∇ ̄)、ある意味クリスチャン♪」
????????
 聞けば、高校時代にカナダに留学していた時に、何の因果か洗礼を受け、実はホーリーネームも持っていて、実家をあさりにいけばロザリオもちゃんとあるのだという。これにはさすがの私もぐうの音も出ず、「ふぅ〜〜〜〜ん」と言うしかなかった( ̄∇ ̄;)

 だったらだっ!!!
 お前こそしっかり、キリストさんの供養のためにミサに行ったりしろよっ!!!
 クリスチャンなんだから( ̄^ ̄)

 これじゃあ、街にあふれるツガイになってる人々や、σ( ̄∇ ̄)に同情したお客以下だ(爆)。ったく、どうしようもねえな(-。-) ボソッ

 σ( ̄∇ ̄)は相変わらず、クリスマスそのものに重きをおかない暮らしをしている。ツリーもリースも飾らない。ケーキもクリスマス仕様の割高特別限定商品じゃなくて、フツーのが食べたいと主張してある(笑)。もらうばっかりじゃ悪いので、ダーリンにもちゃんとクリスマスプレゼントは用意したけど、それだって自腹は切らずに人脈を駆使してタダで手に入れたものだったりする(爆)。暮れを1週間後に控えて寒い寒い夜は、どこかにイルミネーションや夜景を見に出かけることなんかよりも、こたつで鍋をつついたりみかんをむさぼり食う方が魅力的だったりする。

 だけど、社会の風潮に逆らって生きるのは、ちと難しいご時世だ。
 「浄土真宗です( ̄^ ̄)」と言い張って、クリスマス戦線から遠いところに身をおくのも難しいのだ。街へ出れば、どこもかしこもそれ一色で、逃げ場がないのだから(笑)。

 それでも、子供たちが信じているサンタクロース・・・・・・これは夢があるからいいんじゃないかなと思う。6歳の時点で、サンタがいないことに気づいてしまったσ( ̄∇ ̄)にしてみたら、夢は見られるところまで貫いたほうが幸せなような気がするから。

 そう言えば、親からもらった最後のクリスマスプレゼントが、この間、部屋の片隅から出てきた。
 私が高校時代当時、話題になっていたクイック・ドライタオルという代物。吸水力が普通のタオルの数倍で、ロングヘアの洗い髪にはもってこいだというあれだ。もう、吸水力も普通のタオルと同じくらいに刷り切れてボロボロになってしまったけど、そういえばクリスマスにもらったんだっけか・・・と思い出したら、捨てるのはおろか雑巾にだってできない(笑)。
 サンタがいないことは随分早くに悟りきってしまったが、それでも、無理やり夢を見ようとしている、なんだかおちゃめな一面をもつσ( ̄∇ ̄)なのであった。


2000年12月12日(火)
「創る」ことをやめた人
 12月11日・・・・・・。

 この日、一人の「創造者」が自らの命を絶つことで、「創る」ことをやめてしまった。
 この日は、私の恩師の命日である。

 彼は私に初めて演技を教えてくれた人である。

 中学・高校と芝居が好きでハマってはいたのだけど、ちゃんとした知識を持った指導者がいたわけではなく、部員・顧問、総素人であたっていて、代々伝わる我流みたいな稽古メニューを先輩から叩き込まれ、それが当たり前だと思っていた。
 そんな畑で育ち、ほぼ奇蹟に近い状況で某N大学の入試を突破した私は、そこで初めて、演劇のエキスパートたちと出会ったのである。
 リー・ストラスバーグがN.Y.のアクターズスタジオで行なっていた俳優の訓練方法を初めて日本に輸入したとかいう、権威みたいな先生とも出会った。この頃もうすでに私から見ればおじいさん先生だったけれど、若い頃は、そりゃあもうすごかったらしい。

 私の恩師はその先生の一番弟子的な存在で、とても繊細でかつ激しい芝居を作る人だった。

 大学では3年次以降になると、実習や卒業制作などで半期に1本、公演をするのだけど、出演者はもちろん、演出・装置・照明・音響・衣装・制作全てを専攻コースごとに学生たちが請け負う。
 稽古場には役者と演出が常駐し、後はそれぞれの現場で作業が進む。
 これは、前々からの常であるのだけど、生徒たちがどんなにがむしゃらに頑張っても、煮つまって身動きがとれなくなってしまうことがよくある。いくら演出が「あーしろ、こーしろ」と激昂しても、思うようなシーンがどうしても作れないのだ。そこへ、ひょいと先生が現れ、一言二言残していく。演出家とは全く別の切り口でのアプローチを、本番3日前くらいにふいっとアドバイスされ、役者全員がものの見事にスランプを解消したこともあった。

 面白いものである。

 この頃から、ちょうど、私も創る面白さに目覚め始めた。

 それが・・・・。
 あんなにもあっけなく、先生は「創る」ことをやめてしまった。
 私たちが大学を卒業した次の年に、先生は急逝した。
 自ら、命を絶った。

 心を病んでいた先生は、自分ではどうしようもないほどに張り詰めていた。きっと、もっと素晴らしい作品を世に残していっただろう人なのに、何ともしがたい状況が続いていたのは、ずっと先生の近くにくっついていた私にもよくわかった。だからこそ、残念でならない。あの人からは、もっとたくさん、「創る」ための技術を学ばなければいけなかったはずなのに、私は何となく1人で放り出されてしまったかのような錯覚さえ覚えた。
 先生が亡くなって2ヶ月経たないうちに、私は自分の居場所を新しく作らなければと躍起になって、この春まで在籍していた養成所(事務所)の門戸を叩いた。ここでもたくさんのものを吸収したのだけど、それでも物足りない感じがしていた。

 3回忌の日。
 私は稽古場で1日を過ごした。
 3ヵ月後にある公演の稽古をしながら、私は思った。

 いい芝居ができる役者にならなきゃなぁ・・・・。

 かつて稽古場で、先生に

「へたくそだな。」
「田舎に帰って子供でも産めっ!!」


そんなダメ出しをくらいながら、同じことを思ったことも思い出していた。

 先生に 「いい女に見えるぞ。」 と言わせるまで、絶対に田舎になんか引っ込むものかっっ!! ・・・・・・そう誓ったものの、それも叶わぬ目標になってしまい、一瞬見失ったこともあった。
 それから、芝居を2本やって、演出家にこの言葉を言わせることもできたが、思ったほど勝利感みたいなものは湧いてこなかった。
 卒業する間際まで、私の顔を見ては 「へたくそだな。」 と繰り返す先生を唸らせることがもう出来ないことを知ってしまっているからかもしれない。

 3回忌の年にやった、芝崎秀子を観たらやっぱり言っただろうか?
 その翌年にやった、立花かず子を観てもやっぱり言っただろうか?

 もう 「へたくそだな。」 さえ聞けないのかと思うと、やっぱり今でも少し寂しい。

 そして少し腹が立ったりもする。

 生きてさえいれば、また何かが創れたかもしれないのに・・・・・
 生きてさえいれば、同じ舞台にたずさわれたかもしれないのに・・・・・
 欲望が昇華を果たすように、消えた先生の命はもう還ってこないけれど、私は切実に思う。

 今、どんなに干されていようとも(笑) 生きてさえいれば、きっといいものに巡りあえる、と。「創る」ことをやめさえしなければ、もっと面白いことが起こる、と。何もかもが嫌になっても、とりあえずは生き続けようと、先生の死はそんなことを教えてくれたのだった。

 この日はいつも、先生の好きだった種田山頭火の自由律な句を思い出す・・・・・。

・・・・・・・・・・・うしろ姿の しぐれてゆくか




2000年12月07日(木)
いつの間にか「年末」らしいので、我が家でも今さらながら飽くなき攻防戦をば・・・・
 このアパートに住み始めたのは、'93年の4月。
 岐阜県の片田舎から大学進学を期に上京、親類が紹介してくれた不動産屋にお世話になり、新築のこのアパートにありついた。
 以来、大学を卒業しても尚、ここでの暮らしが気にいっているのと、動くに動けない懐具合、そして元来の出不精から家探しなんてとんでもない・・・・などという理由が災いして、引越せずに根を生やしきっているのである。立地条件も特に問題ないし(新宿まで電車で20分、吉祥寺までバスで20分弱)家賃は・・・・まぁ上モノの価値からいくと高いとは思うんだけど、アホみたいな金額ではない。何せ、駅まで徒歩5分(5分で行けたためしなどないけど)、コンビにまで徒歩30秒、最寄のバス停まで徒歩10秒という謳い文句はおいしい。間取りも南向きの6畳間、クローゼットをはじめとする豊富な収納スペース、3畳のキッチンは、電気ではなくガスコンロ対応(これが私の中ではけっこう重要だったりした)、バスとトイレはセパレート♪・・・・これと同条件の部屋を探すのがホント、苦痛なのである(爆)。だから引っ越せないのである( ̄^ ̄)


 7年半以上も同じところにいると、何が問題かって・・・・モノが増えすぎる!!・・・・これに尽きる。
 本当に、筆舌に尽くし難いとはこのこと。何ともしがたい状況がここ数年続いていて、わたしは頭を悩ませているのである。
 今年の夏には、ゴキちゃんが大発生して、部屋に犇く物々の間をかいくぐるように棲息するヤツらと、激しく儚い攻防戦を繰り広げたわけなのだが、
「う〜ん・・・・このダンボールの山さえなきゃ、退治は必至だったのに・・・・」
と、苦汁に顔をゆがめたことも少なくなかった( ̄∇ ̄;)

 で。
 つい先日、うちのバイト先でとかく異彩を放っているS嬢が見ていた無印良品のカタログを覗き見ていた時に、私の物欲をいい感じに刺激するモノに出会ってしまった。
 一番下にごろごろ(キャスター?)のついている物入れで、かごが4つだか5つだか付いている。別売りのかごを買い足したりシャフトごと抜いたりすれば、増減は自由自在らしい。一番上には物が置けるトレーがついていて、¥1,200なのだ。これは買いでしょう(* ̄ー ̄)ニンマリ
 食器は豊富なクセして、食器棚に乏しい我が家にはピッタリ♪
 食器棚として使ってやる♪

 ってなわけで、この火曜に新宿に買い物に出た際、勢いでえいっ♪と1つ購入してきた。

 購入したはいいけれど、コイツを配置する場所はまだない我が家( ̄∇ ̄;) 
 そんなわけで私・・・・
 座右の銘が 思い立ったが吉日 ってんでして、もうテレホが始まっている時間だというのに、せかせかと台所の整理なんかを始めてしまったのであります(笑)。
 かねてから疎ましく思っていた、2段がさねのダンボール箱の撤去にようやく踏みきった私・・・・このダンボールの影には、ゴキブリホイホイ&コンバットがダブルで仕掛けてあり、それだけここがヤツらにとって棲みやすい場所だったというわけ・・・・。

 恐る恐る、この夏に仕掛けたホイホイの確認をば・・・・

 うっぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっっ!!(心の中では黄色い声を出してみる)(笑)
(* ̄ー ̄)ニンマリ・・・・かかっちょる♪ かかっちょる♪
 ざまあみやがれ┐( ̄∇ ̄)┌オホホ あさみサマをなめるでないよ( ̄^ ̄)
 捕獲状況をこの目で確認して、いざゴミ箱へ・・・・やっぱ1匹ずつ手作業であたるのとは効率が違うのだな(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

 さて・・・・。
 私が今まさに撤去せんとしているこのダンボール箱の中には何が入っているのかというと、読むんだか読まないんだかわかんないんだけど、ハードカバーだっていうだけで何だか捨てられずにいる書籍だとか、7年半分の書簡&ハガキの数々、今はもうその存在価値さえ危ぶまれるカセットテープたち、今まで見た芝居のパンフ、自分が出演した芝居の台本なんかが、どっちゃり♪入っていたのだが、私はどうもその存在すら忘れてしまっていたらしい。そもそも、どうしてこのダンボールの中にこういった類のものが詰め込まれたかというと、大学を卒業しようかという時期に1度だけ引越計画が浮上したことがあり、部屋のあちこちから、当座不要だと思われる物々をかき集めて、むやみやたらに捨てるのも忍びないから(典型的な貧乏性・・・・)この部屋を出る時にでも実家に送り返そうと思い、とりあえず、台所の隅のほうに追いやっていたのだ。そうしているうちに、いつしか引越計画もおじゃんになり、ただ邪魔だったこのダンボールも何となく棚みたいな役割を果たすようになり、よくわからないうちにインテリアの一環として落ち着いてしまったのであった。
 それからというものの、一応の役割を持って部屋の一角をなすようになったこのダンボールたちを動かすという作業は、大掃除の時ですら思いつかないままで、最初は実家に送り返すつもりまんまんだったクセして、いつまでもかこいこんでしまうというお粗末な顛末をたどってしまっていたのだった( ̄∇ ̄;)

 もうこの際なので、思い切って色んなものを捨てることにする( ̄^ ̄)

 そうしたら、出るわ出るわ・・・・諦めがつけば、これって全部ゴミだったんじゃないかと思うほどにあっという間に整理がついた(笑)。

 ほいでもって、はりきって、買ってきたごろごろ付のワゴンを設置♪

 うむ♪ いいカンジでわないかっ♪

 この日はこれで落ち着いたのであるが、台所のレイアウトを大々的に改革する必要を感じてしまった私は、今日になって、同じワゴンをもう1つ購入してきたのである。
 そのセッティングをするにあたって、今まで冷蔵庫の上にのさばっていた小さくて古い食器棚を捨てた。上京してきた頃からのつきあいではあるが、ボロボロになってきたのと食器が増えてきたのとで、その役目を全うしたきらいはある。思い切って捨てたよっっ( ̄^ ̄)

 そしたらさぁ・・・・
 まじで すっきり♪
 台所も思いっきし広くなった気すらする(笑)
 なぜもっと早くやんなかったんだσ( ̄∇ ̄)


 でも、私の場合、このくらいでは喜んでいられないのである。
 メインである6畳間も、大きな声ではいえないが、荒れ放題・・・・片付けても片付けても、いつの間にか荒れている( ̄∇ ̄;) ダーリンが上京してくるたびに、ちゃんとやつの居場所くらいは確保するべくちゃんと片付けているというのに、ヤツは私に負けず劣らずの荒らし野郎なので、もう堂々巡りなのである。私も掃除&片付けは得意ではない・・・・いや、はっきり言って苦手なのだが、その私が、ヤツにむかっては小言をこぼしてしまうのだ(爆)
「散らかすんじゃねえ( ̄^ ̄)」と・・・・(爆)
 こんなところでグチを言うつもりはなかったのだが・・・・・(苦笑)
 
 まぁねぇ・・・・ヤツが家事一切ダメだっていうのが判明しても、それでもヤツは今は私の大蔵省なので、散らかそうが何しようが、私は文句言えないんだけどさぁ┐( ̄∇ ̄)┌オホホ

 こうして、また色々と整理整頓したとしても、また今度ヤツがやってきて帰る頃には、この部屋は荒れるんだろうなぁ・・・・。
 モノが多いくらいでは大丈夫なんだろうけれど、荒らし野郎が2人もいると散らかるのは必至・・・・。あぁ・・・・頭いてえぞ。

 年末と呼ばれるのって今月中だよなぁ??
 これ、何とかなるのかなぁ??

 ま・・・・21世紀になってもきっとこの問題だけは持ち越していきそうだ。
 ┐( ̄∇ ̄)┌オホホ


2000年12月04日(月)
「優等生脱出計画」の名のもとに
 高校時代以降、私と出会い友好を深めた人々には、私自身が口に出すまでその事実を知らなかったりするのだが、実は私・・・・義務教育を終えるまでは、まさに標準型優等生だったのである。(ハイ! そこっ! 腹抱えて笑ってないで、ちゃんと聞く!)
 そういう自分には、小学校卒業間際くらいから嫌気がさしていたのだが、ある程度の環境改革もなされないまま中学へ進学・・・・。うちの地域は小学校がまるごと同じ中学へ流れ込むので、生徒側のほうで凝り固まり定着してしまったイメージを払拭するのも困難な上、小学校の方から中学の方へ資料もまるごと流出し、中学教諭の手元に6年間の素行とクラス内などでの位置付けみたいなものも渡ってしまうというシステムが、ますます私の計画を邪魔した。
 もともとは自分で培ったキャラではあるけれど、こいつのせいで、自分の生活そのものや言動・行動が子供ながらに窮屈だったのは確かだ。
 それが中学進学と共に引き継がれた瞬間、私は絶望に似た感覚を味わった。13歳の小娘に絶望という言葉が似つかわしいかどうかはさておき、もう、うんざり・・・・という感じだった。
 とはいえ、怒涛のような授業が開始され、鬼のように厳しい生活指導や校則(拘束だな・・・・)上下関係などという時代錯誤な制度がはびこる部活などなど、生活は休むヒマさえなく、私が当初目論んでいた計画も陽の目を見ることなく、また3年間、自分の培った基盤の上で生活しなければならなくなった。(そんなオーバーなものでもないのだろうが)

 が・・・・。

 程なく私は恋をした(お約束)。<中学生ですもの♪
 そしてこの恋を完遂させるためには、本当に邪魔なものが多かったのである。
 要するに、学校の中での私の位置付け、システムそのもの、生活のサイクル全部が、恋愛にかまけてはいられないように動いていたのである。今から思うとホントに緻密にプログラミングされていたもんだと感心すらするなぁ・・・・。よく私、発狂しなかったよな・・・・(-。-)ぼそり

 私はその人のことをずっと好きでいた。
 卒業するまでずっと好きだった。
 だが・・・・。
 つきあっていたわけではなかった<中学生ですもの♪(爆笑)

 前に「σ( ̄∇ ̄)がさかりのつく日」のくだりで、15の秋に告白しOKをもらう・・・・などと書いたが、(* ̄∇ ̄*)エヘヘ 前ふり長かったですね(爆) 実は今日は、その後のことを基本的には書きたかったわけなんです・・・・(そうならそうともっと早く言えよな(-。-) ボソッ)

 この年の冬、私はそれとは全く別の人とファーストキスを経験するのでありました。<中学生ですもの♪

 ふぅ・・・・。

 今でこそ、だから何だ・・・??みたいな、かわいげ満点の話であるが、当時はそうはいかない。純愛を信じるクラスメイトという多勢には、こういう現実は納得いかないらしいのだ(当たり前なのか?)。この話、またたく間にクラスメイトに広まり、何故か私はシカトを食らうハメになってしまうのである。まぁこの背景には、他のクラスメイトたちの恋心やら妬み・嫉み・野次馬根性・好奇心もろもろの感情が入り乱れ、あっという間にぐっちゃぐちゃになってしまい、挙句の果てには(何にも悪いことなどしていないはずの)私が矢面に立たなければならなくなってしまったのである。

 ホント、くだらない。

 だけど、このくだらない渦、けっこう厄介でね・・・・(苦笑)
 私は、心労(ストレス)でみるみるうちに痩せて、顔色も悪くなって、本当にどうしようもない感じになってしまったのだけど、学校運営やら受験やらを抱えている身でもあったので、休みたくても学校を休むわけにもいかない。いっそのこと登校拒否でもしてしまえば、バカバカしい連中にも付き合わなくてすむので随分ラクになるはずなのだったが、先生や親にはこういうくだらなくて情けない現状を一切匂わせず、日常的に根性だけで登校を続けたのである。友達がいなくなるのは全然よかったのだけど、自分が本当に好きだった唯一の人が離れていったのにはかなり堪えた。私の唇に軌跡を残した例の男も、どうしようもないくらいにあっけなく離れていくし、こういうのが絶望っていうのかなぁ・・・・などと15の小娘は考えていた。13の時の絶望なんて、かわいい出来事だったのである。
 シカトを先導していたのは、本当に頭のいいヤツで、彼女は私に対して相当腹を立てていたらしいのだが、元は、私の親友みたいなところに位置していたヤツだ。当然こっちのウィークポイントというのをよく知っていて、絶対に暴力で攻め立てたりしなかった。こっちは、どれほどその暴力を待ち望んでいたことか(爆)。暴力に訴えられていたならば、私は100%キレていた。文字通り、暴れて反逆しただろう。それをさせなかった彼女は、集団の中で孤独を味わうということが、きっと集団を率いていた私には最も堪えることだと彼女はわかっていたのだろう。だから、思いっきりストレスがたまった。世の中には、こういう卑劣ないじめもある(苦笑)。
 まぁ、ここからの詳細に関しては、ここに記してもそれほど面白いものでもないので割愛。いずれ、詳しくとりあげる段になったら、私以外にもかなりへヴィな経験をお持ちになる方々もいることですし、そういうのも交えてお話することに致しましょう♪

 ほれ・・・・また横道にそれちゃったじゃん(あ〜ぁ)

 結局、そのファーストキスが原因で私は実るはずだった初恋を自ら破砕してしまったのであるが、そうね・・・・ちょうど、11年前の今頃が、私にとってのある種のターニングポイントになったのである。
 それまでは、優等生であるべく暮らしつづけた私は、この時を境に、重かった鎧を1枚1枚脱ぎ始めたのである。何もかもが吹っ切れちゃったのね♪ 高校を選ぶ段になっても何だか今までのこだわりみたいなものがす〜っと抜けきっていった気がするし、どうしても必要な人っていうのがバンバン篩にかけられた。そういうのって、人に対してはかなり傲慢かもしれないけれど、存在を無視されちゃったら傲慢にもなるよねぇ(笑)。
 どうも自分は周囲の人たちとちこっと価値観が違うらしい・・・・だけどそれがどうした? 私はヤツらに合わせる義務なんかあるのか? ないじゃん♪( ̄^ ̄)
 冬が来るたびに、私は鎧を1枚1枚自分からはがしていった。
 今でもそれは続いている気がする。

 だけど、勘違いしてはいけない。
 私は何も、周囲から逸脱した存在では決してなかったのだ。
 周囲が私を作っていたわけでもないし、また私1人が私を構築していたわけでもなかった。
 ただ、どこかで何かが狂ってしまったがために、私は自分の基盤をあの位置に決め込んで、9年間という長い年月を過ごし、ちょっとした痛みと引き換えに、ようやくそれを捨て去ることができただけのこと。

 あの時、私を槍玉にあげたヤツらも、今では結婚しちゃったり、子供を産んじゃったりしている。たかだかキスをしたことを責めていたやつらが、平気な顔して不倫したりもするのだ。それが私にとっては本当に奇妙で、おかしくてたまらない。私はそんな流れの中で、何ら変った気はしないのだが、彼女たちは時風にのってそういう人生を歩んでいるのだ。
 15の荒んだ私を見て、手を差し伸べてくれた男友達トモくんは、20歳の健やかな私に向かってこんなことを言った。

「あの時俺らは、窮屈で暮らしにくかったけど、何か最近、やっと周囲の友達と合うようになってきたよなぁ・・・・俺もゆうも全然変わってないのになぁ。」

 そうなのだ。
 私の根本は、責められた当時と全く変わってはいないのだが、周囲がそれを受容できるところにまで到達してくれたおかげで、随分暮らしやすくなった事を、トモくんはそれとなく告げてくれた。

 あの時の同級生たちに会うと、私が就職もせずに自分のやりたいことをやりたい放題やっているのが奇妙に見えるらしい。
 当時の私から彷彿されるその姿というのは、やっぱりちゃんと仕事をして結婚もする女だったのだろう。
 私は、そういうのもいいと思うが、何となく今のままでいるのかもしれない。鎧をもう少し脱いでから、考えようと思っている。


<追記>
 何せ、私をあそこまで追い込んだあの女が、男にモテないという事実は、私の頬を緩ませる(爆)。当時からそうだったのだが、今でもそうなのだというのを知ると、彼女の他で、結婚したり、出産したり、不倫したりしている女の子たちがひどく健康的に見えるから、またおかしい(爆)。
 私のにやけを抑えさせるような、良縁にめぐりあえますように・・・・
 と、呪いながら願っている今日この頃である(爆)。


2000年12月03日(日)
みんなで集ってバカさわぎ♪ 関東忘年会
 私がネットを始めてからずっとお世話になっている、チャットコミュニティDAILY LIFEのオフ会に行ってまいりました♪ 関東忘年会と銘打たれたこのオフ会、その名に恥じることなく新宿・歌舞伎町で大々的に営まれましたとさ(笑)。

 実は・・・・。
 σ( ̄∇ ̄)、このサイトのオフミ掲示板に掲載されたオフ会には、まだ未参加モノで、面白いことに、そういう事実につい先日まで気づいていなかったという顛末( ̄∇ ̄;) 闇オフ専門・・・・小さな宴会大歓迎・・・・そうやって1年過ごしてきたんだな( ̄∇ ̄;) 
 今年の2月にとり行われた、通称東西オフ(参加者80人(?)というバカでかい企画)にしたって、自分の懐とスケジュールの都合で泣く泣くあきらめたという経緯もあり、今回のオフ・・・・と〜ぉっても楽しみにしてたんですな(* ̄ー ̄)ニンマリ


 去年のちょうど今頃、だいたいこのサイトでのチャットデビューが同期のやつらが集まって、同じように忘年会(鍋オフ)をしたっけか・・・・。以後、最初に集まったメンバーが関東勢ばっかだというので、1ヶ月に1度ずつくらい、宴会OKだという環境に住むみらいたんの家で、宴会をするようになったσ( ̄∇ ̄)たち・・・・ここ半年その宴会がお流れになっているので、さびしかったのよ、あさみたん(爆)。追記するなら、今回のこの関東忘年会にはそのメンバーは他に誰一人として参加していないのだな・・・・( ̄∇ ̄;) ヤツらめ・・・どうしてるんだよぉ、連絡くらいよこしなさい( ̄^ ̄)(もうチャットにすらあまり参加してないヤツらばっかだ(爆))

 外でやる宴会と、誰かの家でやる宴会、メリット&リスクは相反するものである。それぞれのデメリットというのは他方の良さみたいなもので、どっちがどうとは言い難いようだ。それをちょいと見てみると・・・・・

家でやる宴会外でやる宴会
だいたい1人あたま¥1000ちょっとで翌朝までいける1次会から2次会、3次会と場所を移すたびに¥2000〜3000。オールとなれば大1は絶対。
まかない隊長および片付け隊長を選任する必要あり。上げ膳据え膳で自由気ままの勝手放題♪
酔いつぶれても、即寝OK♪酔いつぶれたら、メンバーたちの中から介抱隊長を選任する必要あり(爆)。もしくは街中に放っておかれる(爆)。
(番外編)
とりあえず、気楽(爆)
(番外編)
化粧くらいはするぞ・・・・

といった具合・・・・。闇オフに参加してみてわかったのだが、外でやる宴会というのは少なくともσ( ̄∇ ̄)にとってはあまりよい思い出を生産してこなかった(爆)。自分が先につぶれてしまえばそれはそれでよかったのであるが、いつものメンバーでオフをやると必ず誰か1人、速攻出来上がってゴールしちゃうヤツがいるから、そいつを連れて街をさまようのがなかなかどうしてえらい苦労だというのを見てきてしまっているからだ。そういうヤツも家でやる宴会では、放っておけば傍らでグーグー寝ているので、こちらとしては随分ラクなのである。もちろん、σ( ̄∇ ̄)はずるいので(爆)外でやる宴会でも誰かがつぶれてしまったとしても、介抱隊長なんか絶対にやらないのである( ̄^ ̄)。ただ、誰かが介抱隊長に着任してしまった瞬間、そういう人が宴会を満喫できないといった現実に押しつぶされて全然楽しくないのである(爆)。σ( ̄∇ ̄)はそんなにお酒が強くないし、事実、あんまり飲めないのだけど、宴会は好きなので、お酒が飲める人が「強い」というだけで介抱隊長にされてしまうのは、真にもってしのびなくて、なんだかつまらなくなってしまうのである。(家でやる宴会の時は、まかない隊長くらいはちゃんとやるけどさ(爆))

 ただ、今回のオフはなんだか健康的で、むちゃくちゃ楽しかった♪ 常連さん曰く、今回はあんまりはじけられなかった(おとなしかった)らしいが、なんの♪なんの♪ そこまでやっていただければ、参加しているものとしてはもう見ているだけで面白い♪ 色んな人とたくさん話もできたし、私にとってはとても充実した一夜でした┐( ̄∇ ̄)┌オホホ
 今回の幹事で飛び回ってくれたなおや、とってもごきげんに「Strawberry time」を熱唱してくれた、管理人のうさぎさん、パンツをかぶって登場してくれたL氏、自分のヒョウ柄パンツを披露してくれたK氏・・・・ありがとう(爆)<パンツネタ、多いよな(爆)ここでは、誰が見ているわからないので、一応名誉を保持するために伏字にさせていただきました(あくまで一応(爆))

 全国組が参加するオフも私は今回初参加かも♪
 本当に、全国のあちこちから集まってくるんだなぁ・・・・と感心してしまいましたよ♪ DAILY LIFEも2周年だそうで、あの場所を訪れる人も、述べ人数にしてますます150万人近くに登りつめている模様。これからもますますの繁栄・発展を祈りつつ、σ( ̄∇ ̄)のネット生活の基盤を築いてくれたあの場所を大事にしていきたいものだと思います。(締めはこんなもんでどうだろう・・・・??)


<追記>
 毒を吐くネタも多々あったのだが、せっかく楽しい雰囲気を満喫して帰ってきたので、今回はナシということで(* ̄ー ̄)ニンマリ
 翌日の日曜日は、σ( ̄∇ ̄)まるで死んだように20時間も寝ていましたとさ。冬場は体温が下がる変温動物なので、まじで冬眠バリに眠ってしまうσ( ̄∇ ̄)なのでありました・・・・。
 

あさみ


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